過去~リティア編~2-6
助けられないリンナを見つけ、いつまでもこのままでいるわけにはいかなかった。家が軋む音が聞こえ、もうすぐ崩れそうだ。家の外には娘がいる。それを置いて、下敷きになるにはいかなかった。
だが、この事実をどう伝えれば良い?
幼くして親を亡くす子供はいないわけではない。だが、まさか自分がそうなるとは、夢にも思わないだろう。
家から出るのが怖い。この事実を聞いて、子供たちの立ち尽くす姿が目に浮かぶ。
かーしゃ、かーしゃと、ルシアの声が聞こえた。リンナのことを心配して、泣き出しているのだろうか。……いや、少し違う。
声色が、悲しいと言うより嬉しいに近い。どういうことなんだろうか。
サディアは入ってきた窓から外に出る。
二人の娘がいる場所には、もう一人――リンナの姿があったのだ。
リンナは笑顔で娘二人に近づき、抱いている。子供たちは喜び、飛び上がっている。
サディアは立ち竦む。ここにリンナがいるのならば、瓦礫の下敷きになっていたのは誰なんだ。
「あ! おとーさん!」
リティアがサディアの姿に気づき、声をかけた。リンナも振り返る。その笑顔に、心が弾んだ。
「おかーさんね、外にいたんだって! だから無事なんだって!」
「外に、いたのか……」
リンナはサディアに近づいてきた。その表情は、不安そうだった。
「中、見たの……?」
サディアはゆっくりと頷いた。
あれがリンナでないとしたら、一体誰なのだろうか。
「あれは、あなたのお母さんよ」
「え? 母さんが来ていたのか?」
「ええ。採れた食べ物を持ってきてくれたの。その時に砲弾が落ちてきて下敷きに……。私はその時外に出ていたから、無事だったの」
あれはリンナではなかった。そして、怪我もなかった。サディアは心底安心し、そしてあれが母であったことに悲しんだ。
複雑な感情に襲われる。喜びたいのだが、喜ぶことが出来ない。リンナが生きていたこと、母が亡くなってしまったこと、一体どちらの感情を露にするべきだろうか。
リンナは不安げなサディアをただ見つめた。
すると、サディアは手を差し出すと、それをリンナの背中へと回した。自分に寄せ、強く抱き締める。突然のことに驚くが、リンナも抱き締め返した。
無事で良かった。それだけを耳元で繰り返した。
安心している暇はなかった。
終了したと思っていた砲弾が、再び発射されたのだ。
「ここにいてはいけない。早く中央街へ行こう」
ルシアを抱き上げ、中央街へ向かう。
その時、ルシアが何かを訴えるように声を上げた。
リティアが振り返ると、そこには人がいた。ミマーシ王国の兵士の制服を身に付け、その上から黒のマントを羽織っている。
「……誰……?」
幼いリティアには、その者が兵士の制服を身に付けていることの意味を理解することは出来なかった。
その制服で町を歩けば目立つが、普段から中央街など歩かないリティアには、ただ派手な服を着ている人がいるとしか見えない。
だが、その存在に気づいているのはリティアとルシアだけで、両親は気づいていない。早く中央街へ逃げることに意識がとられている。
二人がその存在に気づいたのは、リティアが裾を引っ張ったからだ。
兵士だということに安心したが、同時に疑問が出てきた。
――何故、突っ立っているんだ?
兵士なら、早く逃げるよう促すはずだ。それなのに、そいつはしない。
「あの……?」
サディアが言い終わる前に、兵士は腰につけている鞘から剣を抜いた。そして、それを四人に向けた。
こいつは可笑しい、危険だと感じたサディアはルシアをリンナに渡し、先に向かうように言った。
「え?」
「早く!」
リンナは戸惑いながら、子供二人を連れて走り出した。逃げなければいけない。子供を連れて、二人とも死なせてはいけない。
背後から、サディアの声が聞こえた。苦しむ声。
リンナは足を止めてしまった。その声を聞いたリティアは、振り返った。
「おとーさ――」
言葉を遮ったのは、サディアが腹を裂かれた姿を見たからだ。腹から噴き出す血は、花弁のように空を舞う。その姿は、リティアの脳を完全停止させた。
兵士は、平然とした表情で剣を振り上げた。
「――サディア!」
声を出しても、サディアが返事をすることはなかった。地面に倒れ、それっきり動かない。
サディアを殺し、兵士はリンナの方を向いた。剣にはサディアの血がついている。
動けない。恐怖で、子供を連れて逃げることが出来ない。
「かーしゃ、かーしゃ。逃げて逃げて」
「ルシア……足が……」
「かーしゃ! かーしゃ!」
ルシアは泣き出してしまった。
兵士は近づき、抱いているルシアの首根っこを掴んで地面に投げ捨てた。
「ルシアっ……――」
首もとから、血が流れた。兵士が、リンナの首を刃で斬ったのだ。リンナはそのまま倒れた。流れ出る血で、地面が赤に染まる。
相変わらず泣き続けているルシアに蹴り、腹に剣を突き刺した。途端にルシアは、泣くのを止めた。地面に刺さり、剣は自ら立つ。それはまるで、三人の死を弔っているようであった。
リティアはずっと、立ち尽くしている。何かをすることも、されることもなく、ただ時間だけが過ぎていった。
兵士はリティアの肩に手を置いた。
「――これは、世界を救うためだ」
突然、そう言った。
「何かに捕らわれながら生きることは、人類の進化を妨げる。これは、必要なことだ」
おとーさんが死ぬことが、必要なこと?
おかーさんが死ぬことが、必要なこと?
ルシアが死ぬことが、必要なこと?
リティアには、分からなかった。必要なことだと言われても、その必要性が分からなかった。
サディアやリンナ、ルシアが死ぬことで、変わることがあるのか? 三人の死は、人類の進化を進めるの?
三人は、生きている意味がなかったの?
兵士は背中を向け、最後にこう言った。
「悪く言えば、お前は単なる駒。良く言えば、お前は……世界を救うことの出来る、英雄となるだろう」
兵士は立ち去った。
辺りには三人の死体が転がり、立ち尽くすリティアもまた、死んだように動かなかった。