誰が1-2
太陽が沈めば、外を灯り無しで歩くことは難しいほど暗くなる。月が存在しないこの世界で、夜はただ無数の星が輝いているのみである。海を淡く照らしてくれる光など無く、打ち付ける波の音が少量の不安を持ってくる。潮風が辺りの木の葉に当たり、自然の調和を奏でている。だが、皆が眠ってしまったこの国でそれを聞いている者はいない。
瞼を閉じたまま意識が戻ってきた。瞼の外で光を放つ物を認識し、ライトはゆっくりと瞼を開けた。目の前の床には蝋燭の入った瓶が置かれていた。それはあと少しで消えてしまうところまで短くなっており、火は微かな風を感じ取って揺れている。
ライトは体を起こすと、周囲を見回した。既にマーガレットとリシャンは二階へ上がっており、ライトがいるリビングは静まり返っている。既に火力が弱まった蝋燭の光で一面を見ることは出来なかったが、うっすらと見ることは出来た。自らで掛けた覚えのない毛布がライトにかかっていたが、恐らくどちらかが掛けてくれたのだろう。
時間帯は分からない。
窓の外を見ても、何も見えない。耳を大きくすれば波の音が聞こえそうだが、寝起きではそんな気力など無い。這いつくばって窓に近づき、重たくなっている窓を開ける。端に見える星が、空で輝いている。
マーガレットが作ってくれた夕食の魚の煮物を食べ終わった後、いつの間にか眠っていたのだ。特別疲れていたわけでも無いのに眠ってしまうことはあまり無く、寝起きにも関わらず心の隅で新鮮だと思っている自分がいる。
窓を閉めて起き上がった後、すぐに立ち上がらず壁に持たれる。目の前では蝋燭が揺れている。それと同じように影も慌ただしく揺れる。それを見つめていると瞼が次第におりてくる。きっと瞼を下ろせば夢など見ずに眠ってしまうだろう。
曖昧な記憶の中で、うっすらと見たような夢のことを思い出す。
(何か、懐かしいことを見ていた気がする……)
幼い頃の記憶から薄れている出来事を夢で見たが、何だったか思い出せない。霧がかかったように見えないのは、夢だったせいだろうか。その状態ではあるが、リティアとの思い出を見ていたことだけは覚えている。
未だ目覚めないリティアのことを心配しすぎて、リティアとの思い出を夢で見てしまったのだろう。
(いつのことだろう。忘れてしまっていた、忘れてはいけないような出来事だったような……)
そう思うのは、今のライトの心境からだ。
幼い頃に感じた恐怖と感じながらもどこか安心した、不思議な感覚。
(……ああ、あれはきっと、あの時のことだ)
ぼんやりとした意識の中で、頭を回す。
思い出したことにより、何故か目が冴えてきた。むしろこれから寝るのが困難になってしまいそうなほど。
ライトは立ち上がると、灯りを持って裸の足で進み出す。足が離れる度にひたひたと音を鳴らしながらリビングを出て、階段を上がって行く。
この静かな家の中では、足音でさえも大きな音だと思ってしまう。
向かった先は、やはりリティアが寝ている部屋。無性にリティアの顔を見たくなったのは、夢で見たからだろう。何も覚えていないはずなのに出会ったように感じ、出会っていないのに覚えている。過去のことはいずれ忘れてしまう。
時折思い出す過去の出来事は、殆どが同じような事である。そして、リティアが出てこないことの方が少ない。それは、ライトにとってリティアがどれだけ大きな存在であるかをよく表している。
リティアが眠る部屋の前に着き、ゆっくりと扉を開ける。目を覚ましていないだろうか、そんなことを思いながら隙間から顔を覗かせる。だが、ライトの望む光景を見ることは出来なかった。思いの外気分が下がらなかったのは、それほど期待していなかったからなのだろうか。それとも、既に諦めてしまっていたからなのだろうか。
軋む音がしないように扉を開け、中へと入る。灯りを部屋の奥まで照らすために手を伸ばすが、一番奥で眠るリティアの顔は見えない。一見、墨が塗られたように見える。この先を示していないことを祈りたいが、どうなっても運命が変えられないことは誰もが知っている。
真っ直ぐリティアを見つめ、足を進めていく。近づく度に自身の足音がして、リティアの枕元が明るくなっていく。
顔が見えた途端、妙に心が軽くなったことを覚える。
瞼を下ろし、ぱっと見普通に眠っているように思える。が、眉の間には少し皺が刻まれている。毒に苦しめられているのだ。
ライトは手を伸ばして、眉に人差し指を当てる。そして、皺を伸ばすように円を描きながら動かす。
「……そんな風にしていたら、目付きが悪くなるぞ……」
そう口にしながら、ずっと動かし続ける。嫌がってリティアが目を覚ますのではないだろうか、そんなことを思いながら。
心のどこかに余裕がある。それは、リティアが埋めてくれていた場所。しばらくリティアと話していないことによって、そこが空白になってしまったのだ。苦しみと悲しみによって空いてしまったその場所を、ライトは『余裕がある』と勘違いしてしまったのだ。
どれだけ指を押し当てても目覚めようとしないリティアを見て、ライトは手を止めた。どれだけ刺激を与えようとも、その瞼を開けることは無い。
何の前触れもなく零れ落ちたのは、一粒の涙。それは止まることなく頬を流れ、ライトの腕に落ちた。
今まで全く涙が出てこなかった。滲むことすらなかったのに、それは突然だった。
想像してしまったのだ。――リティアが、亡くなってしまうことを。心が締め付けられ、怖くてたまらなくなる。それなのに、考えることをやめることは出来なかった。抑えることの出来なくなった思いは、外へ出てきたのである。
目を閉じて、下を向く。強く強く瞑った目からは、止まらなくなってしまった涙が滲み出ている。
何が、彼を苦しめているのか。
何が、彼女を苦しめているのか。
自身であることに、彼らはまだ気づけないだろう。
ライトの泣く声が次第に漏れだす。
――この声でさえ、気づいてはくれないのか。
そう思い出すと、自然と涙は止まった。
泣いていても意味はない。泣くことしか出来ない自分は、他に何をすればいい?
「……お前がいなくなったら、誰が俺の――」
ライトはゆっくりと顔をあげて、瞼を開けた。滲む瞳を拭い、そそくさと部屋を出ていった。
その日、ライトは夢を見た。
また幼い頃の夢。
嫌がるライトを大人二人が腕を引く。
暗い路地裏は、治安が悪い。犯罪者が溢れ返っている。親を失って居場所が無くなった子供が犯罪者となるのだ。
入ってきた方向へ叫ぶ。だがどれだけ泣いても喚いても、誰かに届くことはない。
誰も助けてくれないんだ、もう父さんと母さんはいない。
その時に助けてくれた人物。
ライトの腕を引っ張る大人二人に襲いかかり、持っていた短刀で斬りつける。息の根が止まっても、まるで悪魔のように目を見開いている。
どうして助けてくれたのか、その理由は今でも分からない。その瞬間の恐怖と解放感は、感じたことがない。これからも感じることはないだろう。
やっと腕を止めた。体を起こし、おもむろに立ち上がる。
振り返ると、こう言った。
私と、――――――――――。




