祭りの前日6-4
森を抜けた先には、やはり田が置かれていた。
既に苗が植え付けられているが、時間はそれほど経っていないようだ。足元には水が流れており、全ての田を潤している。
やはり森を抜けただけあって、田の向こうには大海原が一面に広がっている。
リティアは島の端に足を下ろしてその先を眺める。
やはり、どれだけ見ても島は見当たらない。海の水が空の色を反射させ、同じ色で輝いている。優しく打ち付ける水飛沫が、リティアの足を触れる。
「サイハテの国なだけであって、その先が無いっていう訳ではないんだよな、海があるのは当たり前か。でもこの海も、いつか途切れているのか……?」
『サイハテ』が分からない。
何故サイハテの国は、世界の最果てに存在しないのか。その先にはまた海が広がっており、ではその海の最果てはどこに存在するのか。
そう思う度に、祖母の言葉ばかりを思い出す。だが、それで何かが分かるわけではない。
『サイハテの国はね、世界を恐れた人間が作り出した、幻の国なんだよ』
幻となると、この国は存在しないということになる。
リティアはため息をつく。その言葉の意味は、リティアの思い出せる範囲には存在しなくなっているのだ。どこか、頭の片隅に忘れ物のように置かれ、埃を被っていることだろう。
その意味が分からなくなってしまった今、祖母が言いたかったことは分からない。
考えようとするのだが、目の前に広がる大海原を見ていると、脳が働かなくなるのだ。
考えなくてもいい。
生きたいように生きればいいのよ。
貴方のしたいことを、したい時にすれば、それでいい。
誰かのためだなんて、思ってはいけない。
海の声なのか、祖母の声なのか。
普段なら混乱しそうだが、今は脳がそれで受け止めている。
何とも気持ちの良い時間だ。
だが、この時は続かなかった。
突然、頭に痛みが走り、顔に血飛沫を浴びた幼い子供が脳内に現れた。その顔は子供とは思えない感情のないもので、恐ろしい。
「っ……」
頭を抱えて耐えるが、治まる気配がない。
頭の内側から鈍器で何度も叩かれている感覚で、抑えようにもその仕方が分からない。このままの姿勢では海に落ちかねないため、リティアは痛みを抑えて立ち上がると、陸地にしゃがみこんだ。
何かが蘇ってくる。
思い出せなかった昔の記憶が、水のように押し寄せてくる。
その少女は一人、市場を放浪と歩いていた。呆然とし、やはりその顔に感情は無かった。
頭痛に耐えながら、誰かの幼い頃かと考えるが、似たような顔すら出てこない。同じクラスの人、近所に住んでいる人、身近な人でも出てこない。
痛みは治まるどころか、強くなっていくばかりである。
剣で傷を負った時とは違う痛みで、耐えようにも慣れていないため、どのようにして耐えれば良いのか分からない。
あまりの痛みで、意識がとびそうになる。
「リティアー!」
聞き慣れた声がした。
その瞬間、痛みは何もなかったかのように消えていった。
すぐに立ち上がったリティアは、声がした森の方を向いた。
そこから、ライトが走ってきた。
「ライト?」
ライトは息を切らしながら座り込んだ。
「ど、どうしたんだ?
そんなに息を切らして」
「……実は、さっき、ロジの家で……ある本を見つけたんだ」
息を整える前に、そう告げた。
「ある本?」
「……ああ」
息を整えると、ライトは立ち上がった。
「そこにはサイハテの国の秘密が全ての書き記されていたんだ。それも、説明も込みで」
「お前、それ読んだのか?」
「ああ。だけど、ミマーシ王国が必要としそうな秘密はあれだけでは分からなかった。けど、問題はそこじゃない。サイハテの国の秘密を知った者は、死刑にすると書いてあったんだ。つまり、秘密を調べることは、自分の命を失うことになるんだ」
「命……! いや、だけど私たちの目的は秘密を知ることではなくて、サイハテの国をミマーシ王国から守ることだ。秘密を知るのは、国を守る上で知っておいた方がいいのではという事だけで、強制ではない」
「ああ。だから、秘密は探らない方がいいんだよ」
リティアは口ごもる。
秘密を調べることは、本来の目的でないことは分かっている。だが、不可解なことを既に知ってしまっている。秘密があること、謎の岩のこと。
それらを無視して、何もなかったことにして、この国を守ろうというのは、少し難しい。こちらが勝手にしようとしていることだが、リティアの故郷であることは間違いないのだ。リティア自身、知りたくてたまらない。
「でも、知りたいんだよ」
「ああ、それは分かっている! お前のことは誰も止められないってことは呆れるほど理解している。だけど、分かってくれ。今からしようとしていることは、危険なんだ」
「……分かった」
あまりにも真剣に言うライトに、リティアは強く言えない。
ライトは気を沈めると、リティアの耳に口を近づけた。
「なあリティア。今日さ……マーガレットと風呂に入ってみてくれねえか?」
「何でだよ」
「本にさ、十五歳になったら大人の証として背中に焼き印をいれるって書かれていたんだ。だから、それを確認してほしいんだ」
リティアはそういうことなら、と了承しようと思ったが、あることを思い出し、ライトの頭に手をのせた。
「自分が頼んだらどうなんだ? マーガレットに惚れているんだろ?」
ライトは目を見開いた。
その顔に、何か間違ったことを言ったかと不安になる。
「ライト?」
「え、あ、いや。な、何言ってんだよ! 俺が頼んだら、リシャンが嫉妬するだろう?」
微妙な反応が気にかかるが、リティアは笑って見過ごした。
その日の夜。
リティアはライトに言われた通りに、マーガレットに一緒に風呂に入ろうと誘った。
「お風呂?」
「ああ。久しぶりだしな……どうだ?」
すぐには返事をしない。
リティアは、その話に裏があるからか、返事をされるのが怖い。了承されるよりも、断られる方が本人的には良いのだが、どちらにしろ悪い気になるのはかわりない。
「ごめんね。今日はリシャンと入るの」
「あっ、そうだよな。分かった」
マーガレットは手をあげて、リシャンに近づいた。そしてそのまま、風呂場へ入っていった。
ため息をつく。それが、安堵しているのか悲しんでいるのかは自分でも分からなかった。
「やっぱり夫婦になるんだからなー、当たり前か」
「そうか……」
ライトはリティアよりも、重いため息をついた。
その意味が分からなかったが、ライトがどうも可笑しいことだけは分かった。
◆◆◆
風呂場を覆う湯気で、相手の姿がよく見えない。
リシャンの前には、同じように湯船に浸かっているマーガレットが座っていた。こちらを向いて、動く度に波打つ湯をいじっていた。
ふと、リシャンを見る。それでも、マーガレットを見つめていた。
マーガレットは手を止めると、ゆっくりと口を開いた。
「ねえリシャン。……祭りが、始まるわね」
「……ああ」
相変わらず反応の悪いリシャンを見て、もう悲しいとは思わない。むしろ、可愛らしくて笑みがこぼれた。
マーガレットは手を伸ばし、それをリシャンの背中へ回した。マーガレットの豊かな胸を、リシャンに押し付ける。
「マーガレットっ……」
リシャンは嫌がるようにして引き剥がそうとするが、マーガレットは離れない。それは恥ずかしがってしていることだというのは、よく知っている。
耳元に唇を近づける。
「……楽しみだね」
そうして、唇を首筋に当てた。
活動報告で、四人の容姿を投稿しました。まだ見ていない方はぜひご覧ください。




