船の上で3-1
静かな海にエンジンの音と波が立つ音が流れていく。
風はほとんどなく、ジュンの額から滲み出た汗を癒してくれるものはいない。立って舵をきるだけなのだが、ずっと立っているというのは苦しい。
三人を乗せた船は今、夜空の下を進んでいる。
出発からおよそ十時間が経過している。数時間前、あれからずっと眠っているリティアを膝にのせたままライトも眠りについた。リティアをのせているため寝転ぶことが出来ないライトは、仕方なく腕を組んで座ったまま寝ている。
ジュンはいつも眠らない。代わりがいないため寝られないのもあるが、そういうしたきりなのである。目的地に着くまで眠らず、最後まで責任を持って運ぶ。それが代々伝わる言葉である。だから、二人で交代しながら運転するなど、もってのほかである。ジュンも幼い頃からそう教えられてきた。
空を仰ぐと、無数の星が広がっていた。
輝きはどれも異なり、自分らしく輝いている。だが、それは太陽との距離で光の当たる量が変わっているだけであって自ら光を発しているわけではない。自ら発光しているものもあるが、この世界の人間には分からないだろう。そのことを知らない彼らは、『星のように自分らしく輝きなさい』と子供たちに教えている。
ふと、五年前のリティアを思い出した。小等部だったリティアは今や高等部。五年というのは短いようで、案外長かった。その時とリティアは全く変わっていない。
もちろん、見た目はしっかりと変わっている。少し幼さが残りつつも大人っぽい顔つきになり、背もぐんと伸びている。女らしく、しかし少し男らしさの残る体つき。剣使いならば仕方がないだろう。
変わっていないのは、中身である。いつもと変わらない性格。誰に対しても明るく話しかけるあの姿は、懐かしいとしか言いようがない。祖母が亡くなりどうなることかと思ったが、特に変化することなく生活している。
リティアの話はよく噂で耳にする。
去年一昨年と、高等部の剣使い大会で中等部ながら優勝をしたと、ジュンの弟が言っていたことを思い出す。まさかあのリティアがそれほどまでに強くなるとは考えても見なかった。
(そういえば、今日剣使い大会だったよな……。結果はどうなったんだろう)
二連勝をしているリティアなら、次を勝つのはそれほど難しいことではないだろうと考える。
しかし、昼過ぎにやって来たリティア。剣使い大会を放ってきたのか、それとも終了後にここへきたのか。
それほど詳しくないジュンには、何も分からなかった。
「んう……」
リティアは小さくそう唸ると、ゆっくりと瞼を上げた。はじめはぼんやりとして真っ暗にしか見えなかったが、目が慣れてくるにつれて空一面に広がる星がリティアの瞳の中で輝き始める。
視界の隅に光に照らされた、眠っているライトがいる。
「……」
リティアはこの状態が膝枕であることは、後頭部の感触から分かった。
しばらくぼんやり考えて、眠る前のことを微かに思い出す。その時、しばらくしたら振り落とされるだろうなと考えていたのだが、どうやらずっとこのままでいてくれていたようだ。
「リティア?」
唸り声を聞き、ジュンは問う。リティアだと思ったのは、それが幼い頃と同じだったからだ。心が優しく締め付けられるようになり、微笑まずにはいられない。
「んー……」
目を擦りながら返事をする。
そのまま腕を上げ、体を伸ばす。
ゆっくりと体を起こすと、ジュンの後ろ姿が見えた。明かりでジュンの体のラインが浮き出ている。上にいくにつれてそれは薄くなっている。
「おはようリティア。……って、今はおはようの時間帯じゃないね」
「そうだな……。私はどれくらい寝ていた?」
「うーん、六時間くらいは寝ていたんじゃないの?」
「六時間か……」
眠る前に見ていたものは辺りから消えていた。いや、闇に支配され、姿が見えないだけなのだ。夜はあまり外に出ることがなかったため、暗さが身を食いつくしてしまうような、そんな悪寒を感じた。
夜というのは、これほども恐ろしいものなのか。
今は明かりがついているため真っ暗ではないが、これがなければ一体どのような感覚が、そしてどんな世界を感じることができるのだろう。
「……暗いな」
「夜だからね」
ジュンは背中でリティアの声を感じる。前とは違う声。
「そういえば今日、剣使い大会があったんだよね? どうだったんだい?」
「剣使い大会……ああ、優勝したよ」
その言葉が軽々しいものに聞こえたのは、リティアが寝起きだからだろうか。
「凄いね。三連覇だよね?」
「うん」
「決勝戦は、やっぱり三年生が相手?」
「そうだよ。強かったけど、隙があったからそこを狙った」
「へー。剣使い大会で勝敗を決めるときは、どんな方法なんだ? さすがに怪我はさせられないだろ」
「まあね。剣の先に炭で作ったカバーをはめるんだ。それには黒い液を染み込ませてある。だから、もし剣が体に触れたら黒い痕が残るんだ」
「なるほどね。そうやって勝敗を決めるんだ」
ゆっくりと顔を空へ向ける。無数の星が見えても、月が見えることはなかった。いくら星があったとしても、地上を照らすだけの光はない。
今日は一日晴れていた。だが、月は出ていない。
その世界に、『月』は存在しないのである。
だから彼らは、夜に光をもたらしてくれる自然のものを知らない。
「……リティア?」
ジュンが声をかける。
「ん?」
ジュンの心には今、ある想いが巡っている。
それは、ただのわがままであることは本人も分かっている。しかし、しょうがないことなのだ。
ジュンはエンジンを切った。
「ジュン?」
リティアの声を確認したあと、瞼を下ろす。
瞼を上げると、後ろを向いた。明かりの光が、ジュンの顔を優しく照らす。
「今からでも間に合う。ミマーシ王国へ帰ろう」




