水獣、現る2-1
出発して数十分が経った頃、リティアが大きな欠伸をした。その時の声は、大きな海原に小さく木霊する。
その欠伸を見て、ライトは顔をひきつらせる。
「おいおい。その欠伸、何とかならねえのか? 男の前でそんな欠伸したら引かれるぞ」
「しょうがないじゃん……」
そう言いながら、また欠伸をする。女っ気のないリティアに、ため息しかでない。
大人しく黙っていればリティアは可愛い。顎のラインはしゅっとしていて、目も大きい方だ。日に当たり続ける髪はあまり傷まず、いつでもその艶を放っている。赤に近い紫色をしている瞳は妖しげだが、むしろそれが印象的である。ミマーシ王国にはない瞳の色だ。髪も長いため、黙っていれば誰もが羨むだろう。黙っていれば、の話だ。
もったいないことをしている、とライトは思う。いろんな女を見てきたライトだからこそ言えるのだ。自分のことではないのに、ため息が止まらない。
リティアの姿を見て、ジュンは笑っている。
「リティアは相変わらずだなあ」
その声を聞き、ライトは相変わらずという言う言葉に引っ掛かる。
「相変わらずって、どういう意味だ?」
「小さい頃、船に乗ったらすぐに寝ていたんだよ。毎回毎回寝ていたから、体がそういう風に覚えちゃったのかな? まさか、五年経っても眠たくなるとは思っていなかったけどな」
ライトは軽く頷いた。
隣で、また大きな欠伸をする声が聞こえた。リティアの目には涙が溢れんばかりにたまっている。
「あー、もう眠いなあ」
たまっている涙を服で吸いとらせる。そして目を勢いよく掻く。涙のせいか、目は少し赤くなっている。
「おいおい、そんなに掻くな。あと服で涙拭うのやめろ」
「んー……」
その返事は幼い子供とそっくりだった。
「リティア、寝たくなったら寝てもいいよ。ライトくんがいるけど、寝転べるよね?」
ジュンの言うとおり、ライトがいても十分に寝転べるスペースはある。しかし、二人とも体つきが大きいため、少しぶつかってしまうことがあるだろう。ライトはその事にすぐに気がつく。
しばらく船の床を見て、寝ているんじゃないかという程リティアは静かになった。そして、ゆっくりとライトの方に顔を向けた。目が寝ているようだ。
ライトは、リティアを睨む。どうか寝転ばないでくれ、そう言っているようだった。
だが、頭が半分寝ているであろうリティアにその思いは通じず、倒れ込むようにして眠ってしまった。しかも、ライトの膝を枕がわりにして。
ライトは長く大きなため息をついた。
「さいっあくだー……」
その声を聞き、ジュンが後ろを向く。
ライトが膝枕をしている姿を見て、思わず笑ってしまった。
「おっおい! ……笑うなよ」
「ごめんごめん。仲良いんだなーって思ってさ」
「絶対思ってないだろ」
ライトはジュンを疑いの目で見る。
「どうせ、ヒューヒューとか思ってんだろ?」
その言葉に、ジュンは疑問に感じる。
「どうして? 姉弟ではそんな風には思わないよ」
「……姉弟じゃねえし」
ジュンはリティアとライトをそれぞれ見た後、前を向いた。
サイハテの国までは、まだまだ距離がある。どこを見ても、陸地は見当たらない。
「……ライトくんは、いつリティアと姉弟になったんだっけ?」
ジュンが空を仰ぎながら言う。
ライトは幼い頃の薄まっていく記憶を頼りに、探し出す。
「……もう十年くらい前だ」
それは、二人がまだミマーシ学園の小等部にも入ってない頃。初めて出会ったのは、それの少し前。
「どんな風に出会ったの?」
「……姉弟になる少し前、初めて目があったときがそうだった。ただ視界に入ったやつと目があったってだけなのに何故かあいつは、あいつだけは輝いて見えたんだ。確か、市場を歩いていたときだった。……あの時は、まさか姉弟になるなんて思ってもみなかったけどな」
あの時はまだ生きていた両親に腕を引っ張られ、人混みを掻き分けて歩いていたときの事。一人でいたリティアの髪も、瞳も口も、全てが鮮やかに見えた。あの時の瞳の色は、今でも忘れていない。
ジュンは、幼い頃のリティアを思い出す。サイハテの国へ行くため、毎年同じ時期に来ていた。その度に話していたことは、サイハテの国に住む祖母のことではなく、ライトのことであった。
『昨日ライトがね、料理作ってくれたんだ。けど、それが不味くてさー。私が言った通りに作ったのにだよ? いつもは美味しく作れてるんだけどね』
『前にさ、リティアの部屋に獣がいたんだよ! ちっちゃいやつだったんだけど、窓から入ってきたらしくてね。それを見たライトが、うぎゃああああ! って言って逃げていったんだって! もうさ、学園まで走っていったような勢いだったよ? ジュンにも見せてあげたかったなー。あ、リティアは大丈夫だったよ? もうさ、剣でおりゃー! ってやってやったんだ!』
幼い頃のリティアの言葉を思いだし、リティアの気持ちは今でも変わっていないのかと思う。しかし、あの様子を見れば心配なさそうだ。
「……ところでライトくんはヘタレ、なのかな?」
「はあ?」
突然の言葉に、それしか出てこなかった。
「何で急にそうなるんだよ」
「だって……」
――昔は、ちいさい獣を見ただけで逃げていたんだろ?
そう言いかけて、ジュンは言うのを止めた。そんなことを知られていたのかと、ライトは恥ずかしくなるかもしれない。ライトはそういう年頃だ。それに、このまま秘密にしておくのも悪くはない。
「……いや、何でもない」
「えっ、ちょ。そこまで言っておいて何でもないっていうのは無しだろ」
ライトはその後、粘り強く聞こうとするものの、ジュンは言わなかった。必死なライトの顔を見て、リティアの気持ちが少し分かった気がした。