出発1-2
ライトの部屋から持ち出した生ゴミの入った袋をキッチンのゴミ箱に捨てたリティアは、すぐそばにある窓の外の草むらを見つめていた。
いつもと同じ景色。料理担当のリティアは、この光景を毎日見ている。数日は見られないとなると、何故かこの何でもない光景が鮮やかに見えてくる。
一体いつまでサイハテの国に留まることになるのか、検討もつかない。まだ作戦をたてたばかりだという。リティアが部隊に入らないと決定すれば、他の代理を探さなければならなくなる。新調に事を進めるとなると、時間がかかりそうだ。
しかし、サイハテの国に行くことは悲しいことだけではない。サイハテの国が攻撃されることを伝えることが本来の目的であるが、リティアにとっては久しぶりの帰省となる。帰省とは本来両親に会うことを示すが、二人とも既に他界しているリティアにとって、祖母は両親に近い存在であった。サイハテの国は、リティアの故郷である。
その祖母がいなくとも、幼い頃に遊んでいた友達に会えるというのは嬉しいことである。五年でどのように変わったのか、とても気になるところだ。
「……ん?」
窓の外を見ていたリティアは、その光景に少し違和感を感じた。
始めに見たときはいつもの景色だった。しかし、よく見てみるとどこか――一緒ではない。
葉が風に揺れる。
リティアは水道に手をつき、体を少しずつ乗り出す。顔を閉まっている窓のギリギリまで近づけ、目を凝らしてみる。
ライトの鼻唄混じりの歌が聞こえてきた。この歌は昔からこの国に伝わる歌である。学園では数回しか聞いたことがないためリティアはほとんど覚えていないが、ライトはすぐに覚えるようでふと気がつくとその鼻唄を歌っていることが多い。
リビング兼キッチンに来たライトはリュックを背負っていた。そして、リティアのその不思議な行動を目を凝らして見ている。
「……リティア、何やってるんだ?」
「何か……いつもと、違う」
「外が?」
リティアは頷く。
ライトは首をかしげると、リュックを床に下ろしてリティアに近づいた。
窓の外を見るが、特に変なところは見当たらない。
「どこが変なんだ?」
「ほら、あの辺……」
そう言いながら、窓の外で風に揺れている草むらを指す。
ライトにはただ草が揺れているようにしか見えない。どこかに獣が隠れている様子はなく、獣以外の気配もしない。だがリティアは何かが違うという。
変化に気づきやすいリティアだが、その半分は外れている。つまり、変化していないのに変化していると勘違いするのだ。
リティアの顔を見ると、その視線は常にそれに向かっている。逸らす様子はなく、穴は空かないがそれくらい見ている。
ライトは今回もリティアの勘違いだと思い、ため息をつく。
「リティア、勘違いじゃねーの? どこも普通だし」
「いやだってさ、あの辺いつもと違うし……」
「どんな風にだよ」
「誰かが通った感じに、草むらが凹んでる」
「ああ?」
そう言われ、ライトはふたたび窓の外を見る。
風に揺れていて分かりにくいが、確かにそう見えないことはない。リティアが指した辺りの草むらは、草が折れている。誰かが通ったと考えるだろう。
だが――。
「獣とかじゃないのか?」
この辺りは森に近い。暖かくなると獣たちはよく出てくる。この辺りは畑が多いため、それを狙ってくるのだ。「誰か」ではなく獣だとライトは考える。
その返事に、リティアは唸ってみせた。納得のいかないリティアだが、反論が出来ずにずっと窓の外を見ている。
ライトはもう一度窓の外を見た。
その時、突然何かが窓の下から現れたのだ。
二人は一度すばやく肩を上げた後、飛び上がるようにして後ろに下がった。
「なっ、何だこいつ!」
それは、人のようなものだった。
肌は真っ白で、目の辺りだけが黒くなっている。口や鼻など、目以外の部分は特に見当たらない。髪の毛は生えておらず、ほとんどハゲと言ってもいい。いや、もともと毛根がないのかもしれない。首から上しか見えないが、恐らく全体は人間と同じだろうと推測できる。
リティアは柄を握り、体制を構える。
「おいリティア! こいつは何者なんだ?」
「知らん。見たことも聞いたこともねえ、白い顔のやつなんて。ライトこそ、授業で習ったりしてないのか?」
「こんなやつを教科書でみた覚えはない」
二人は見つめ合うと頷いた。
殺るしかない。
二人の心は一つになり、ライトも攻撃体制に入った。剣を持っていないが、素手で戦うことくらいはできる。相手が武器を持っていなかったらの話だが。
窓の外にいる白い顔の謎の者は、特に動く様子はなく、ずっとこちらを見ている。
「三、二、一で窓を開けるぞ」
ライトの声に、リティアは頷く。
「三、二」
リティアは窓に飛びかかれるように体制を低くする。
「一、ゼロ」
その瞬間ライトは窓に飛びかかり、勢いよく窓を開ける。そして、それを確認したリティアは開いた窓に体を縮めて飛び込んだ。
相手が避けることはなく、リティアは左手で相手の肩を押す。リティアの勢いに負けた相手はそのまま地面に倒れ込み、リティアは腹の上にリティアは馬乗りをする。その間にすばやく剣を抜き取ると、相手の喉元に横向きに押し当てた。
相手が動くことはない。
リティアは睨み付ける。
「……ちょ、ちょっと待ってください!」
突然、口のないはずの相手から、声が聞こえた。それも、どこがて聞き覚えのある声。
リティアは驚きを隠せなかった。
「え……?」
ふと太ももの辺りを見ると、王冠を被った鳩のピンがついている。これは王家の証だ。
「まさか……」
相手は顔に手をやる。耳の下を少しいじると、何かが外れる音がした。白いのは仮面だったようで、その下から出てきたのは――。
「ク、クロン!」
幼いクロンがリティアを見て、苦笑いをしていた。
「あは……。いや、どうも」
「な、何でこんなところ?」
そう言いながら、リティアは立ち上がった。驚きと動揺が隠せない。
すると、玄関から出てきたライトが駆けつけてきた。
「リティア! 大丈夫か? ……って、え?」
仮面をはずしたクロンを見て、ライトは固まる。
三人の間に、沈黙が走った。
「えーと、説明してもらってもいいですか? ……クロンさん」
リティアは沈黙を破り、クロンに問う。
クロンは少し笑いながら頭を掻いた。
「すいません……。ちょっと脅かそうと思っただけなんです」
「というか、どうして私たちの家を知っているんですか?」
リティアが言うと、クロンは「……尾行しました」と遠慮ぎみに言った。
「尾行って、どうしてそんなことを?」
ライトが問う。
「もうすぐ授賞式が始まるのに、リティアさんがやってこなかったからです。他の人もそう騒いでいるし、何かあったのかと思って探しに行ったんです。そうしたら、リティアさんとライトさんが出ていくところを見たので、それに着いていったんです」
「なるほど……。その変な仮面は?」
「ただ着いていくのも面白くないと思ったので、脅かそうかなーって思ったんです。学園から借りてきました」
「完璧に立場を利用してるじゃん」
そう言うリティアの横腹を、ライトは肘を入れた。リティアはライトを睨み付ける。
「お二人は、仲が良いんですね」
その言葉に、二人はクロンを見つめた。
「何で? お姉ちゃんと仲良くないの?」
「……最近あまり話してません。成績で一位をとれないのがストレスになっているようで、話そうとしても怒鳴られるばっかりなんです。『話しかけるな』って。だから、そんな仲のよい二人が羨ましいです」
その言葉に、二人は確信した。
ライトのせいだ、と。
常に一位をキープしているライトのせいで、シロナは二位しかとれない。二人の不仲は、ライトのせいと言っても過言ではない。
だが、二人はその事を言わない。
「大丈夫だよ。そういう時期なのかもしれないしさ」
「姉弟ってそんなものですよ」
そう言うと、クロンは少し安心したようだ。
「……そうですよね」
少し笑ったクロンの顔を見て、二人も安心した。
「あ! もう授賞式始まっちゃってますよ! リティアさん早く行かないと」
「あー……そうですね。すぐに行くから、クロンさん先に行っておいてください」
「はい!」
クロンは手を振りながら走っていった。
リティアは少し罪悪感を感じる。
「……お前、行かねえだろ」
「まあね。けど、そうでも言わないとばれるだろ」
「……そうか」
ライトはゆっくりと家の中へ入っていった。
リティアは、あの草むらを睨み付けるようにして見つめた。




