プロローグ
星に住むものは、まだ自分達が住んでいる『世界』が丸いことを知らなかった。
地面はいつまでも続き、いつ世界の果てに辿り着くのか分からない。
しかし、サイハテがあるということだけは、全員信じていた。
「ねえ。サイハテってないの?」
賑やかな街で声をかけてきた子供は、そんなことを問うてきた。ずっと家に籠っていたが、中心の外れに国のどこよりも新鮮な食べ物を売っている市場が開かれていると聞いて、家から足を出した今日。どんな新鮮なものがあるのかと心踊らせながら歩いている途中のことであった。
「え?」
そう返事すると、子供が不思議なものを見ているような目をしていることに気付いた。
日頃からたくさんの本を読み、色々なところへ行き、たくさんのものに興味を持っていたその子供にとって、毎日が刺激的なものだった。まわりの子供たちは毎日駆け回り、遊ぶことを楽しんでいるが、その子供は遊んでいる子供を見るのを楽しむという、少し変わった子供であった。
まだこの世界のことが分かられていない今、知っていて損をすることなどない、とその子供は言っていた。
大人たちは、その子供から少し距離を置いていた。子供なのに、大人のような考え方をする子供を、不気味がるのだ。
だからこの質問されて、大人も少し困っているのである。
「……どうして、そんなことを聞くんだい?」
大人がそう聞き返すと、子供はまだ言い慣れないこの世界の言葉を懸命に言う。
「だってね。前に読んだ本にね、書いてあったんだ」
片言で今にも噛みそうな言葉遣いに少しはらはらするが、その言い方が可愛らしくてしょうがない。
「なんて書いてあったの?」
大人は、子供と同じ目線になるように腰をゆっくりとおろした。
「この世界にサイハテはないって」
「そうなのか。じゃあ、その本は間違っているね」
子供は目を丸くして、
「そうなの?」
と首を傾けた。
「ああ。サイハテはあるよ」
「でも、本にはないって」
「……サイハテの国っていうのが、あるんだよ」
子供は首の力が抜けたように右に傾げる。
「サイハテの、くに?」
「ああ。この世界の一番果て、サイハテにある国だよ」
「そんな国が、本当にあるの?」
「あるよ」
子供は口を少しとんがらせて、首を左右に傾げる。
その姿に、大人は少し苛立ちを覚えた。
何なんだ。質問に答えてやったんだから、もう良いだろう。大体、サイハテがあるのかと聞くこの子供はどういう頭をしているんだ。サイハテなんて、あるに決まっているだろう。いつまでも地面が続くなんていうこと、絶対にないんだから。
「でも」子供が言う。「この世界は、星なんだよ」
一体何を言い出すんだ、と思ったが口に出さず、
「そうだね」
と、少し笑いながら言った。
「知ってるんだ」
「知ってるよ」
「じゃあ、なんでサイハテがあるって言い切れるの?」
「……え?」
大人には、子供が何を言いたいのか分からなかった。
この世界が星だからなんだ。それとこれとは関係ないだろう。
星はひとつの世界だ。星の数だけ世界は存在し、他の星のことは一切分からない。それが、世界というものだ。世界に、終わりなんてない。例え人間が滅びようとも、世界は独りで進み続けるのだ。しかし、世界がどこまでも続いているとは限らない。いや、それは絶対にあり得ないのである。世界があれば、必ず端がある。そこが、サイハテになるのだ。
それなのに、サイハテがないと言いたげなこの子供は、何を考えているのだろう。
サイハテはある。それが答えなのだ。サイハテがないことなど、絶対にないのだ。
この子供は、もうサイハテはないといっても分かってくれないだろう。
しかし、ここで分からないだの、知らないだのと言えば、子供は大人なのに何で知らないんだろうと思うのだろう。
どうにかして、逃げ出したい。
返事をいう前に、この子供の前から去りたい。
大人はそう考えるが、どうやって逃げれば良いのか分からない。
子供は大人の返事を待ち続ける。
その目が、あまりにも純粋で輝いているため、何故か裏切ることが出来ない。
その時、誰かが大人の名前を呼んだ。
ああ、助かった。
大人は、短く息を吐いた。
「ごめんね、呼ばれたから行くね」
「えっ、でも……」
「じゃあね」
無理矢理会話を放棄した大人は、もう一度思う。
サイハテは、必ず存在する。