第7話 ~戦闘能力~
気付けば、辺りは真っ暗だった。
ほとんど何も見えず、困って隣を向くと、其処には兄様が居た。
兄様は私の手を握ると、小さな声で、囁くように言った。
「いいかい、フランシス。君は何処か、遠くに逃げるんだ」
「え? ど、何処に?」
「何処でも良い。とにかく走れ。朝になったら、誰かに助けを求めるんだ」
そう言うと、私の頭を軽く撫で、笑みを浮かべる。
「大丈夫。明日、また会おう。じゃあ、良いな?」
「待って! 私も残る! 私の方が、兄様より強い!」
「フランシス、言う事を聞いて。お願い。逃げるんだ」
そう言って、背中を押された。此処までされたら、逆らえない。目を瞑り、家を飛び出す。
走った。何処か分からないが、とにかく走った。
太陽が昇り始めたころになって、気が付いた。其処が、良く知っている場所だと。どうやら、同じ場所をぐるぐる回っていたらしい。
とにかく、此処からなら家が分かる。走って家に向かった。
あまりに静かだったから。怖くなって。そっと呼びかける。
「に……、兄様……?」
「フランシスちゃん!」
後ろから、誰かに手を引かれた。近所の伯母さんだ。
彼女は私を抱きしめると、頭を撫でてくれた。
本当だったら、落ち着くのかもしれない。が、その意味に気が付くのに、殆ど時間は要らなかった。
「え、に、兄様は?」
「駄目、フランシスちゃん」
「え、え、え! だ、だって、明日会おうって、また、会おうって!」
彼女の手を振り払い、家に飛び込む。リビングの扉を開けて。私は、その場に立ちすくむ。
「兄……様……」
真っ赤に染まる床。無造作に転がるその体は、つい数刻前まで生きていたものとは到底思えない。
一歩踏み出すと、ぴちゃり、という気味の悪い音を立てる。それも気にせず、兄様の下まで、ゆっくりと歩いて行った。
「兄様、起きて? ねえ、兄様?」
兄様の傍に座り、その体に触れると。ゾクリとするほど冷たくて。もう駄目なんだ。すぐに気づく。
分かっても、分かりたくなかったから。少しでも温まれば、と。ギュッとその体を抱きしめた。
兄様の目の色をしたスカートが、赤く、紅く、染まって。でも、そんな事はどうでもよかった。
「兄様……。温かい? こんなに冷たくなっちゃって……」
後ろから、絶句する声が聞こえた。それに気が付いた私は、兄様を離し、そっと立ち上がる。
本当は、分かっている。分からないふりも、もう意味がない。
息を吐き、そっと呟く。
「もう、帰って来ないんですね」
手を染める赤い色が、やけに目に焼きついた。
「あ……」
この夢は、久しぶりかもしれない。
昔は良く見たものだが、最近は全く見ていなかった。
窓の外は暗い。が、それはどうやら、曇っている事が原因の様だ。
そう言えば、この夢を見るのは、決まって、天気の悪い日だった。
だから、一日中忘れられないのだ。天気が良ければ、こんな気分も吹き飛ばしてくれるのだが。
「フランシスさん、起きてますか?」
「あ、うん、起きてるよ」
「なら良かった。入りますね」
そう言って扉を開けるのは、声からしてクレアちゃんだ。
しかし、入ってきたのは、クレアちゃんではなかった。
金色の髪。桃色のブラウスにスカート。背中に羽を持つ彼女は。
「マリーちゃん」
「えへへ……。来ちゃいました」
どうして、此処まで。問う前に、彼女はそっと口を開いた。
「あの、お願いがあるんです」
その願いは。なるほど、確かに私に頼むのが一番手っ取り早いのだろう。
だが、ヴァレンティーヌさんに言わずにここまで来てしまったのは流石にまずいと思う。
そう言うと、マリーちゃんはやっぱり、と呟き、俯く。
「お姉様が許してくれるはずないと思って」
「言ってみないと分からないよ。取り敢えず、帰った方が良い」
「フランシスさん、一緒に来てくれないですか? 一人じゃ気まずいです」
まあ、それくらいなら良いだろう。今から準備をしなくてはいけないから少し時間は掛かるけれど。
そう言うと、マリーちゃんはリビングで待っているというので、私は急いで準備を済ませる。
「マリーちゃん」
「あ、終わりましたか。ごめんなさい、付き合わせちゃって」
「大丈夫。じゃあ行こうか」
「はい」
まあ、怒らないとは思うが、どうだろう。此処まで一人で、しかも夜にとなると、危険は多い。
叱る事くらいはするだろうな。それで、やる気が失せなければいいのだが。
(それにしても)
どうして唐突にそんな願いを持ってきたのだろう?
「で……。結局のところ、マリーは何がしたいの?」
「もっと強くなりたいの」
「なるほど、ね」
ヴァレンティーヌさんは軽く目を瞑り、それからマリーちゃんを見つめる。
見つめられたマリーちゃんは、しっかりとヴァレンティーヌさんを見る。
「……。良いわよ。マリーはもっと外に触れた方が良いと思っていたし」
「え! いいの?」
「もちろんよ。フランシスちゃん、よろしくね」
「はい」
マリーちゃんが家に来た理由は、私にもっと鍛えて貰いたかったかららしい。
すると、クレアちゃんも強くなりたい、との事なので、一緒に見てあげることにする。
後は、ロズにこの事を話すだけ、なのだが。
「話は聞かせて貰ったよ」
「え、ロズ?! どうして此処に」
「マリーちゃんが抜けだしたこと、この館のみんなはとっくに知ってたんだよぉ。んで、私は随分前に此処に呼ばれていたってわけ」
何だ、マリーちゃんが私の家に行くって事まで読んでいたのか。
まあ、それなら話は早い。早速……。
「でも、私は反対かな」
「…………、え?」
三十分後。収拾がつかなくなった。
口喧嘩は更にヒートアップ。このままだと戦闘になりそうだ。
「あの、どうしてこんなことになったんでしたっけ?」
「さあ。誰も引かないからじゃないかしら?」
取り敢えず、双方の言い分をもう一度よく聞いてみる。
すると、解決策は案外あっさり見つかった。
「わかった。私がみんなを見るわ。それで良いわね?」
「え、ヴァレンティーヌさん、良いんですか?」
「正直なところ、私、暇なのよ」
「え」
「だって、お金には困っていないもの。やることない」
という事で、私達の戦闘力強化をヴァレンティーヌさんが見てくれる事になった。
ならば早速、という事で、みんなで外に出る。どうせなら、とベアトリーチェちゃんやコンツェッタさんも居る。ルクレツィアさんは負傷しているから見学。
「じゃあ、まずは目標地点を教えて頂戴」
私とマリーちゃんはヴァレンティーヌさんに負けたくない。
ロズとベアトリーチェちゃんは私に負けたくない。
クレアちゃんはこの前みたいに変な人に捕まりたくない。
「分かった。じゃあ、取り敢えず、今の力を見るから、此処で戦って貰いましょうか」
「え、今戦うの?」
「もちろんよ、マリー。じゃあ、そうね、トーナメントでも組みましょう」
ヴァレンティーヌさんは、クレアちゃん以外全員の戦闘を見た事があるはずだ。
それにもかかわらず戦わせる、という事は。
「戦士たるもの、いつでも戦闘の準備は出来ていないとね」
抜き打ちテスト、か。
「それだけじゃないのよ。今回は必殺技の使用を許可するわ。ただし、殺さない事。良いわね?」
必殺技の使用許可? そんな危ない試合があるものか?
普通、練習試合では必殺技は使わない。うっかりミスをして相手を殺しかねないからだ。
まあ、みんな強いし、死ぬことはないと思うけど。
「まずはクレアちゃんとスケラーナ、貴女が行きなさい」
「はーい。本気でいいのかい?」
「相手が誰であるかを考慮しなさいよ」
「わかった」
コンツェッタさんは楽しげに羽を広げ、笑みを浮かべる。
いきなり怖がっているクレアちゃんだが、まあ、コンツェッタさんもクレアちゃんの実力は何となく分かっているだろうし、ボコボコにしたりはしないだろう。
そんな事があれば私が容赦しないし。それも分かっているだろう。
「準備は良いわね? 始め!」
そもそものところ、クレアちゃんは実戦経験がほとんど無い。魔法の練習はそこそこ積んでいるようだが、詠唱の省略も出来ないし、どうなる事やら。
コンツェッタさんは動かない。最初の一発はクレアちゃんに譲るようだ。
「光の神様、私の願いを聞いて下さい。悪を払う神聖な力を、私に与えて下さい」
なるほど、省略が出来ない分唱えるのが早い。これは相当の武器だろう。
省略が出来るようになれば……。彼女は、誰にも負けない速度で魔法が撃てるようになるかもしれない。
「光の柱」
眩しい光の柱が何本も立つ。光系の魔法は私達白魔族にダメージはないが、悪魔や黒魔族には絶大な効果がある。こうやって、フィールドに設置するタイプの魔法は圧倒的有利な状況に持っていける。
だが、それは、相手が同じ事をするという可能性もあるという事だ。が、コンツェッタさんはそんな事をする人ではない。
「詠唱が早いね。実況者にでもなったらどうだい?」
「私は魔法使いになりたいんです」
クレアちゃんは右手を高くあげると、また何かの詠唱をする。
これは強いな。早口というのは、聞きとり辛いから。相手に何の魔法を使うのか分かられ辛い。
「アタシ、負けないからね。ただ、すぐに仕留めようと思ってたけど、気が変わった」
「え?」
「必殺技、得意なの、どれでもいいから撃ってみな」
コンツェッタさんは小さく手招きをする。
確かに、すぐに仕留めては何の意味も無い。ヴァレンティーヌさんは、みんなの力を見る為にこの戦いを組んだのだから。
「分かりました……。全部込めますから、受け止めて下さい」
クレアちゃんの瞳が黄金色に光る。胸の前で両手を構えると、素早く息を吸い、叫ぶ。
「星空飛翔、其ノ拾、鮮紅彗星!」
辺りが、紅い光に包まれる。
空を見上げ、驚く。大きな星が、紅い尾を引きながら此方に向かって来ているのだから。
しかし、コンツェッタさんに慌てた様子はない。何故なら。
「うん、良い威力だ。素質は十分」
右手を上に向ける、その手を握り締める。すると。
「あ……」
星はバラバラに砕け散り、小さな破片も砂のように消えていく。
相当な威力のある魔法だったはずなのだが……。いとも簡単に消してしまうとは驚きだ。
「さて、じゃ、次はアタシの番だ。威力は落とすから、頑張って防いでごらん」
「! はい、わかりました!」
クレアちゃんは魔力を操り、バリアを作る。簡単に作りだしたが、相当強度がありそうだ。この子、思っていたより強いな。
一方、コンツェッタさんは右目を隠す前髪に手を添えると、口元を歪める。
「精彩隻眼術、其ノ玖、漆黒ノ瞳」
強い風が吹き荒れると同時に、辺りが黒色に染まる。コンツェッタさんが空いている方の手を上に上げると、黒い球体が現れる。良く見れば、目の模様が入っている。
少しだけ上に突き上げる様にすると、球は勢いよくクレアちゃんに向かって行く。
「きゃあっ!」
しっかりとしたバリアは作れていたはずだが、彼女の軽い体は宙を舞っていた。
風が止み、辺りに色が戻る。クレアちゃんの体は、ヴァレンティーヌさんの手の中にあった。
「大丈夫?」
「はい……。あれ、相当加減してましたよね?」
「そうね。半分も出していない筈よ」
あれで半分以下か。コンツェッタさんは相当強いな。
私は……。あれの倍程度の威力なら。おそらく抑えられるだろう。
「じゃあ、次ね。リーチェ、ローズマリーちゃんの相手をなさい」
「え、私が? 務まるかなぁ」
「負けても良いわ。ただ、全力で行くのよ?」
リーチェちゃんはニヤリと笑うと、答える。
「もちろん」
私の隣に立っていたロズは、一度伸びをしてから歩きだす。
「頑張ってね。でも、無理しないでよ? 怪我しないでね?」
「フランは心配症だなぁ。大丈夫だよ」
ひらひらと手を振ってリーチェちゃんの近くまで歩いて行ってしまう。
油断して怪我をしたりしないといいのだけれど。少し不安だ。
「では、準備はいい? ……始め」
最初、ロズは爪を装備していた。それを見てリーチェちゃんが笑う。
「いいの? それ」
危険を感じたのだろう。ロズはすぐに爪を外す。
当然、武器を持つのはお勧めできない。リーチェちゃんの能力を考えれば、此方が不利になるだけだ。
「むー、何も無い場所じゃ戦えないよ。必殺技、使って良い?」
リーチェちゃんの言葉に、ロズが冷たく応える。
「そういうルールなはずだけど」
「ありがとう」
「処刑器具集、其ノ捌、九尾のネコ鞭」
リーチェちゃんの瞳が紫色に光る。すると、鍵爪の付いた、大きな鞭が出現した。
誰が持っているわけでもないのに、ひとりでに動いてロズを追いかける。
普通の魔法で戦う事は不可能だと考えたのだろう。ロズが叫ぶ。
「妖花繚乱、其ノ伍、白薔薇!」
ロズの瞳が真紅に染まると、辺りに白薔薇が咲き乱れる。が、それは、あまりにも不気味だった。
それはなぜか。全ての花が折られているからだ。
白い光がリーチェちゃんを襲う。彼女は面倒そうにそれをみると、地面を蹴って光を避けていく。
「あはははは! 良いよ良いよ、ローズマリーさん! もっと楽しませてぇ!」
「良いよ、最高の魔法のパレード、見せてあげる」
「妖花繚乱、其ノ漆、慈雨」
これは……。ロズ、本気で掛かるつもりだな。
必殺魔法の漆番目、慈雨。辺りに雨が降り始めた。しかし、それは私の作りだすような冷たい雨ではなく、何処か、恵みの様なものを感じさせる雨だ。
リーチェちゃんはニヤリと口を歪めると、両手を広げる。
「処刑器具集、其ノ参、首斬り役人の斧」
リーチェちゃんの手元に、大きな斧が現れた。嬉々として振り回すリーチェちゃん。ロズは難なくそれを避けていく。
二人とも、動きがとても軽やかだ。これほど雨が降っていれば、服は水を含み、重くなっているはず。
それにもかかわらず、自由に飛び回る様子は、なんとも不思議なものだ。
「妖花繚乱、其ノ捌、葡萄」
大きな葉のある蔦植物が蔓延る。ロズは小さな花を付けたそれらを踏みにじった。
と、空に、紫色の大きな魔法陣が現れた。一瞬で空は紫色に染まり、辺りは黒っぽい靄で覆われる。
まだ昼前だというのに、空には緋色の月が浮かび、ロズの肌を赤く照らしている。
「わあ、凄い凄い。いかにも『葡萄』って感じの魔法だね!」
「知ってるの。つまんない。植物図鑑見るのが好きとか?」
「どちらかと言えば、占いの書かな?」
そんな会話を交わしつつも、リーチェちゃんは斧を振り回し、ロズはそれを避け続けている。
何故そんなに余裕があるのか。靄だけでなく、雨も降っている。これほど視界が悪いのに、二人の動きは乱れない。
「さて、そろそろ攻撃魔法を撃ってみない?」
「いいの? ベアトリーチェちゃん、怪我しても知らないよ」
「大丈夫。痛いのは、結構好き」
「ああそう。じゃ、本気で撃つけど、文句なしね!」
「妖花繚乱、其ノ拾、アイビー!」
ロズを中心とし、大きな衝撃波が走る。私は慌ててローブの裾を押さえ、もう片方の手で顔に掛かる強風を防ぐ。
不気味な音に、辺りを見渡すと。何かの蔦植物が、轟きながら地面を張っていた。奇妙な光景に、思わず悲鳴をあげかけ、口を塞ぐ。
隣にいたクレアちゃんは私の腕を掴み、不安そうに私を見上げる。とはいえ、いい言葉など持ち合われていない。頭を撫でてあげる。
「アイビーって、確か」
「そう。ベアトリーチェちゃんなら、知ってるよね」
「なるほど、ね……。最凶最悪の植物魔法だね」
蔦に絡み付かれたリーチェちゃんは、溜息を吐いて手を挙げる。
「降参。駄目だね、これ。逃げらんないよ」
「了解」
ロズが手を挙げると、蔦は朽ち果て、雨は止み、靄が晴れて空も青くなった。全てが元通り。
解放されたリーチェちゃんは、楽しそうに笑みを浮かべてロズを見上げた。
「楽しかったよぉ。また戦おう!」
「いいよ。今度は私が守りをやったげる」
「やった! 攻めの方が好きだよ」
うさ耳をぴょこぴょこと揺らして飛び跳ねる。こうしていれば、ただの可愛い幼女なのだが。どうしてあんな表情が出来るのだろう。狂気に染まった、あの表情が。
まあ、なんにせよ、久しぶりに本気で戦ってロズも楽しそうだ。二人とも結果に納得しているし、良い戦いだったと言うべきだろう。
「二人とも、お疲れ様。じゃあ、マリー、フラン」
「はい、お姉様。フランシスさんとは、ずっと戦いたいと思っていたんです」
「私もだよ、マリーちゃん。加減は要らないね?」
「もちろん。私も加減しませんから」
私達は、合図と同時に動きだした。
「水龍よ、私に力を! 荒川!」
「月女神、私に力を! 月影!」
水と光がぶつかり合い、大きな衝撃波が広がる。試し撃ちとはいえ、相当強い。相殺されたという事は、マリーちゃんの魔法もほぼ同格。なるほど、面白い。
マリーちゃんは素早く羽を広げると、手を下に向ける。
「邪神様、力を貸して下さい! 闇光線」
太い光線が降ってくる。私は素早く地面を蹴り、その場を離れる。
すぐに、轟音が鳴り響く。振り返ってみれば、庭は大きく抉れ、土が舞っていた。
危ない、当たっていれば即死かもしれないな。
「大した詠唱してないのに」
「私、詠唱嫌いなんです。散々練習して来ました」
次の魔法を撃とうと構えているマリーちゃん。この辺りで一発、必殺技でも撃ってみるか。
重力の関係で、上から下に撃つ魔法は速い。マリーちゃんの方が圧倒的有利な状況にある。
だが、私は負けるつもりはない。空中戦は、ロズの得意分野だから。
「雨水秘魔術、其ノ参、霧雨!」
手を挙げると、とたんに霧雨が降り始める。雨の中は、私の一番動きやすい場所。レインウォーター家は、人魚の血が混じっているから。雨の中が一番得意だ。
この状態で、マリーちゃんは何を撃ってくるだろう。
「狂乱魔術、其ノ陸、狂気の激浪」
なるほど、水魔法。雨が降っている状態なら、水魔法の威力は上がる。
ただ、私に水魔法は基本効かないのだが……。そうもいかないか。
「水が黒い?」
「私、悪魔ですから!」
これは痛いのかもしれない。触らない方が良いだろう。
だが、避けるには少し、この魔法は範囲が広すぎる。となれば。
「雨水秘魔術、其ノ弐、聖水」
私に向かって来ていた水が私の周りを避けて進んでいく。
それもそのはず、この防御魔法は聖なる力で攻撃を逸らすというもの。特に、悪属性を含む者には効果が高い。
「あらら……。でも。だからって諦めませんからね」
空に向けて手を挙げる。赤い瞳が黒く光ると、マリーちゃんは高らかに叫ぶ。
「狂乱魔術、其ノ参、闇路ノ旅客」
雨が止み、空が赤く染まる。夕焼けの様な茜ではなく、生き血のような、紅い色。
漆黒の雲が流れ、紅い雷が落ちる。どんな魔法だ……。一瞬で魔界のようになってしまった。
この状態を吉と見るか凶と見るか。普通なら凶だろう。だが、考える。きっと、何かいい道があるはず。
「狂乱魔術、其ノ伍、狂気の烈火」
考えている間に、前から黒い炎が向かって来た。つくづく不気味な魔法を使うものだ。悪魔だから仕方ないのかもしれないが、折角可愛いのだから、もっと可愛い魔法を使えばいいのに。
「雨水秘術、其ノ陸、懸河」
炎なら、水で打ち消す。しかし、思っていたより炎が強い。本気で押しているのだが、押し返されそうだ。
撃った後の魔法の使い方が上手いのだろう。じりじりと押されてしまう。
なりふり構っていられない。すぐ仕留める。
「雨水秘術、其ノ伍、雷雨」
水が消え、炎が向かってくる。だが、上から降ってきた大粒の雨が、炎を全て消してしまう。
上を見上げれば、先ほどの黒い雲が、大量の水を降らせているところだった。
そして、この魔法のメインは此処からだ。マリーちゃんが瞳を大きくする。
「あぁ、いけない……」
紅い雷が、マリーちゃんに直撃する。
マリーちゃんは過ちを犯した。雨が得意なら、当然、応用系の雷魔法も使える。
そんな私の前で雷雲などを出したら、そりゃあ、利用されるに決まっている。
膝を付くマリーちゃん。一応加減して撃ったし、死ぬほどの威力はなかったはずだ。
「大丈夫?」
「は、はい。ちょっと痛いですけれど」
「ごめんね。此処までやらなくてもよかったよね」
「いえいえ。楽しかったですよ」
ニヤリと微笑むマリーちゃん。それを見て、私も笑みを返す。
正直、あの雷雲を操れるかどうかは分からなかった。人の魔法を操るのは高度なものだから、幾ら得意な雲と言えども、不安はあった。
何かが違えば、おそらく負けていた。そういう戦いだからこそ、燃える。
「よし、これで全員見たわね。でも、もう少しクレアちゃんの情報が欲しいし、リーチェ、いける?」
「クレアちゃんと? ……分かった」
「え、ベアトリーチェちゃんと? 怖いなぁ」
「大丈夫。殺さないから」
リーチェちゃんはふわりと笑みを浮かべる。それを見て、クレアちゃんは安心したように微笑んだ。
ただ、飽く迄殺さないと言っただけで、怪我をさせないとは言っていないのだが。
「クレアちゃん。私、攻撃しないから。どうぞ」
「え?」
「だって、私の技は危ないよ。クレアちゃんに怪我させちゃうもん。だから、どうぞ」
一方的に攻撃させるのか。おそらく、クレアちゃんは途中で絶望するだろうな。
クレアちゃんの魔法では、傷を付けることは出来まい。
案の定、すべての技がはじかれてしまったクレアちゃんは、呆然とその場に立ち尽くし、降参することとなったのだった。