第3話 ~練習試合~
「あ、あの……。ロズ、大丈夫ですか?」
「眠っているだけよ。心配はいらないわ」
そっと息を吐くと、ロズのお母さんと一緒にベッドへ向かう。
規則的な寝息を立てるロズ。綺麗な寝顔に、ドキッとしてしまう。
それを見てか、彼女はくすりと笑い、私を見た。
「ごめんなさいね。フランシスちゃん。この子、鈍感で」
「……、えっ!」
「気付いていないとでも思ってた? フランシスちゃん、分かりやすいのよ?」
「っ……。き、きっと、ロズは想像もしてないんだと、思い、ます」
だから、気付かないのだろう。あれだけ一緒に居るのだ、気付いたっておかしくないのに。
ロズは可愛い。きっと、他にも私みたいな人がいるだろう。私なんかでは、勝てるはずがない。
「あら……。鈍感なのは、この子もなのね」
「? 何か言いました?」
「いいえ?」
確かに何か言ったと思ったのだが……。気のせいか?
彼女は、ロズの髪を撫でながら言う。
「この子、子供っぽいから忘れがちだけれど、本当は凄く頭が良いでしょう?」
「……、はい」
「その気になれば呪文書全暗記くらい余裕で出来る。そうすれば、もっと強くなれるのに、しない」
「興味ないから、って、言ってました」
「そう、この子、興味ない事はやらないのよ。まあ、やる気になった時はとことんやるけれど」
それは、よく分かる。これだけ一緒に居るのだ、それくらい、知っている。
でも、何故、そんな事を言い出したのだろう? 何が言いたいのか分からない。
私は困って顔を上げ、彼女を見る。
「人でも、一緒なのよ。興味ない事は、全く関わらない」
「え……」
「貴女の事、少なからず興味があるはずよ?」
確かに、そうなのかも、知れない。
ロズと一番最初に合った時は。私と同じ『眼』をしていた。
全てのものに興味が無くて。つまらなそうな、濁った眼。
でも、一緒に居て。ロズの瞳は、キラキラと輝いている。
「良い? 諦めないで。本気になれば、きっと。この子にも届く」
「っ! でも……」
「『でも』は禁止。貴女と居る時のロズ、輝いて居るもの。その逆も、ね」
逆? どう言う事だろう……。
考える間もなく。彼女は私に言う。
「そろそろ行きましょう。クレアちゃんが可哀想よ」
「え、あ、そうですね」
「クレアちゃん、熱は下がった?」
「もう大丈夫です。ローズマリーさんは?」
「まだ寝てるけど、多分大丈夫。そのうち起きる」
そういうと、クレアちゃんは驚いたように私を見た。
「えっ、今、フランシスさん……」
「ん? あ」
ロズ以外と、初めてこんなに話したかもしれない。
まあ、私も変わるってことか。自覚はなかったけれど。
それとも、相手がクレアちゃんだからだろうか。もしそうだったら……。私、もしかして。
「どうかしました?」
「ううん。なんでもない」
私は、ロズ以外、興味がないはずなんだけど……。
「フランー」
「あ、ロズ。大丈夫なの?」
「んー、もう平気。心配掛けてごめんねー」
ひらひらと手を振るロズ。躊躇いもなくソファまで歩いてきて、私の隣に座ると、私の肩に頭を乗せる。
そちらを見ずに頭を撫でると、嬉しそうに笑みをこぼす。
本当に可愛らしい。だからこそ、私は、この子に惹かれてしまった。
愛しい愛しい、私のロズ。
「あのね、フラン」
「ん、なに、ロズ」
「なんでもないんだけどね。フランの声、もっと聞いてたいな」
「え?」
一体ロズは、どういうつもりでこの言葉を口にするのか。
それが分かれば、苦労しないのだが。いつもいつも、何げない言葉に悩まされてしまう。
まあ、それも。彼女の幸せそうな表情を見れば、すべて吹き飛んでしまうのだが。
「浮気はだめだよ」
「え? どういう……」
「フランは私のものだから、ね?」
意味ありげにウインクを撃つと、私に帰る準備をするよう言った。
本当に……。どういうつもりなんだか。
「入って。あんまり綺麗じゃないけど」
「大丈夫です。お邪魔します……」
「もうクレアちゃんの家でもあるんだから、そんなに改まらないで?」
「で、でも、ご両親とか……」
残念ながら、この家には私以外の人は住んでいなかった。よって、その必要は全くない。
そういうと、クレアちゃんは瞳を大きくし、そっと口を塞ぐ。
「ご、ごめんなさい」
「そういうつもりじゃなくて。そ、その、気にしないで」
「そ、そうですか……?」
クレアちゃんをリビングに案内し、やかんを火にかける。
そういえば、食器などもう暫く自分の分しか使っていない。食器棚のほとんどは眠っている。
さて、クレアちゃんの分のカップはどれにしよう。
いつも使っている自分のカップと、手前にあったカップの二つを準備して、ふと気付く。これは……。使ってはいけない。
一つのカップを丁寧に戸棚に戻し、別のカップを奥から慎重に取り出す。
それを見ていたのだろう。クレアちゃんが不思議そうに言う。
「あのカップ、高いものなんです?」
「え? あぁ、違う……。でも、使えない」
「そ、そう、ですか……?」
あのカップを使って良いのは、たった一人だけ。
まあ、もう、いないのだけれど。
そんな事を考えていると、やかんが音を立て始める。
正直、あまりこだわりがあるわけではない。適当だ。ティーポットに湯を注ぐ。
二つのカップに紅茶を注ぎ、ソーサーに乗せてクレアちゃんに渡す。
自分の分も準備し、正面に座ると、そっと一口。いつも通りだ。
「熱いの、苦手?」
「大丈夫です」
クレアちゃんは一口だけ飲み、カップをソーサーに戻した。
なんだか、リビングが広くなったように感じる。人がいるだけで、これほど変わるものなのか。
実際、リビングのほとんどは、私の目に入っていなかったのかもしれない。
「あ、あの、フランシスさん。迷惑でなければ、聞かせて下さい」
「え?」
「そ、その、家族の、お話。私も、いないので」
家族の話は、したくない。
誰かに言ったところで、泣きながら同情してくれたって、何もならない。
それで、あの人帰ってくる訳じゃない。何も、変わらない。
だからこそ、私が家族の話をしたことは一度しかない。
流石に、彼女に隠し事はしたくなかったから。全部話したけれど。
まあ、あまり好きではない。
「ごめん。話せない」
「そう、ですか」
「でも、一つだけ。みんな、私の事、大切にしてくれてた」
兄様も、街の人たちも、みんな、私の事を大切に扱ってくれた。
最初はもちろん、嘆いた。自分にもっと力があれば、こんなことにはならなかったのでは、と。
でも、違った。そういう問題ではなかった。最近になるまで、気付かなかったが。
今、私が此処にいられるのは、兄様の愛の御蔭だ。
此処まで立ち直れたのは、街の人たちの支援があってだ。
だから私は。この街の人を、一人でも多く救いたい。それが、精一杯の恩返し。
「だから、私を助けてくれたんですね」
「いや。困っている人は放っておけない」
「そう、ですか」
「私みたいな思いをする人、減らしたいし」
クレアちゃんはそっと目を細め、凄いです、と呟いた。
それから、私から視線を外すと、窓の外に向ける。
「私、両親に捨てられた事、凄く、恨んでたんです」
「えっ、あ」
「でも、そんなこと、言ってられないですね! 私みたいな目に会っている子を助けてあげたいです!」
それはまた、私とは少し違うと思うのだけれど。
でもまあ、こうやって、前向きな考えを持つのはいいことだろう。
人を助けるのは、人として当たり前のことだと思う。
だからこそ、私は人助けには全力を尽くすし、自分よりも相手を優先したい。
けれど、それにも限界はある。第一、一番大切な人を、助けられなかった。
いや、考えるのはよそう。もう過ぎたこと。いまさらどうしようもない。
熱い紅茶をすすると、少しだけ落ち着いた。とりあえず、これで大丈夫。
「フランシスさんとローズマリーさんは明日も二人で仕事です?」
「そのつもりだけど……」
「じゃあ、私は留守番してます。流石に、お二人について行くのは危ないですよね」
「うん。留守番、よろしくね」
「まかせて下さい!」
まあ、この子なら安心して任せて良いだろう。下手な事をする子には見えない。
何かあったら私流のキツイお仕置きをすればいいし。特に問題はないか……。
「じゃあ、クレアちゃんが留守番してるんだ」
「うん。あの子なら心配いらないよね?」
「だと思うよ? でもなぁ……」
「ん?」
「いいや。なんでもない。それより、今日はどうする?」
何だろう。ロズ、凄く暗い表情したんだけど……。
クレアちゃんを家に連れ帰った次の日。例のベンチに集合するなり、ロズはクレアちゃんの事を聞いて来た。
特に問題はないと思うのだけれど。何がそんなに心配なんだろう。
「ヴァレンティーヌさんに会いに行く?」
「! ふぅん? 確かに、今日はコンディション良さそうだねぇ」
「ロズこそ。その気だったんでしょ?」
「ふふっ! じゃ、行きますか」
ロズは素早くベンチから立ち上がると、ポニーテールを揺らし、ローブの裾を翻しながらくるりと此方を向く。
差し出された手を取る。力強く引かれ、立ち上がると、パッと手を離された。
本当は、手をつないだまま歩きたいのだけれど。ロズが離すのなら、仕方がないか。
「あら、よく来たわね。ふふ……。今日は、なんとなくそんな気がしていたのよ」
「という事は……」
「準備はバッチリよ」
ヴァレンティーヌさんもか。これが戦士の勘ってことなのだろう。
三人で広い庭を歩く。この先に、戦闘場があるらしい。ロズの家といい、家に戦闘場ってどう言う事だ。なんだかこれが普通なのだと錯覚してしまいそうになる。
「でもねぇ、二人と戦うのは少し辛いかもしれない。今日は一人だけ。もう一人はコンツェッタに任せようと思うのだけれど?」
「それでもいいですよ。幾らヴァレンティーヌさんでも、本気で二回は大変でしょうし」
ロズが笑顔でそう言うと、ヴァレンティーヌさんは嬉しそうに微笑む。
「なら良かった。じゃあ、どちらが?」
「私、コンツェッタと戦うよ」
「え?」
ロズは戦いが好きだ。強ければ強いほど燃える。
そんな彼女が、自らヴァレンティーヌさんを譲ってくれるなんて。
「私じゃ少し難しいみたい。フランの方が強いしね。それに」
なるほど。そういう事か。
「フランが戦った後なら、私は有利だ」
もう……。ロズって結構ずるいんだから。まあ、別にいいんだけどね。
それに、今回はそううまくいかないと思う。ヴァレンティーヌさんが一通りの戦い方しかしないとは思えない。まあ、それでも癖なんかは分かるかもしれないけれど。
それに、ロズの戦い方だってわかるわけだが。まあ、彼女にその心配はいらないのか。
「では、私がヴァレンティーヌさんのお相手します」
「そうね。じゃあ、コンツェッタ」
「はい、此処に」
「先にお相手なさい」
コンツェッタさんはニヤリと微笑み、両手を前に出す。
すると、紫色の光が集まる。何か柄ある物の形のようだ。光の量が増えると、その形は鮮明になる。なるほど、彼女の武器がわかった。そうして、光が弾けると。
手の中に大きな斧が出現した。
禍々しい紫色の刃を持つ斧だ。一番上に髑髏のオブジェが付いている。
「へぇ、斧ねぇ。じゃ、私も」
ロズは両手を胸の前でクロスさせる。
すると、一瞬鋭く光り、手には爪が装着される。赤色の、綺麗な爪。ロズが、最近一番気に入っているもの。
ロズは結構飽きっぽいから。色々な武器に手を出す。まあ、短期間で専攻している人を越えてしまうのだし、飽きてしまうのも無理ないか。
ともかく、そんな彼女の今のブームは爪。始めてからそう経っていないが、それでも相当のものだ。
「合図は要らないな?」
「もちろん。私達は、いつもそうして来たから、ねっ!」
軽い足取りでロズが動き始める。
彼女の身体能力を考えれば、爪は良く合う武器だ。
一瞬で間合いを詰め、攻撃範囲へ。
「残念、そう簡単には無理だぞ?」
ロズの爪を斧で受け止めたコンツェッタが微笑む。
「んー? 今のは試し撃ちだけど?」
「なるほど? まっ、せいぜい楽しませてくれよ!」
ロズは地面を蹴り、後ろに大きく跳ぶ。ローズが翻って中が……。本人は気にしてないみたい。
着地する時、一瞬の隙が出来たとみた様だ。コンツェッタが攻める。
大きな翼で素早く近寄り、斧を振る。
「こんな小さな爪じゃ、受け止められないとでも思ってた?」
両手をクロスさせ、大きな斧を受け止めた。
「いいや? 試し撃ちさ」
「ふーん……。真似されるのは、好きじゃない」
冷たい瞳でコンツェッタを睨み、右手を振る。
それだけで大きな斧は後ろに大きく振られ、コンツェッタは少しよろける。重い武器の欠点か。
しかし、そんなに甘くも無く。コンツェッタは一瞬のうちに足を地面から離していた。
「飛ぶのは厄介だねぇ。先に飛べなくしてあげようか?」
「生憎。そうさせる気はないね」
「あぁそぅ」
これで楽しんでいるというのだから、本当にロズは不思議だ。
敵が強ければ強いほど。ロズは表情を一切表に出さず、冷たい表情をする。
私くらい一緒に居る人でなければ、楽しんでいるようにはとても思えないだろう。
「怪我しても、文句言わない?」
「其方も同じ覚悟というのであれば」
「わかった。じゃ、本気で行くから。熱よ集まれ。炎よ現れろ」
炎が現れ、コンツェッタの翼を目指して飛んで行く。
コンツェッタは小さく微笑み、全ての炎を斧で切り裂くようにする。と、炎は全て消えてしまう。
ロズは一度眼を閉じ、開くと、右手を水平に上げる。
「投擲の剣」
「は? いまなんて」
「発射」
ロズの周りから、大量の剣が飛び始めた。コンツェッタが目を見開く。
「え、ちょっと待て、なんだこれ?!」
「だから、投擲の剣。避けきれる?」
なかなかこんな魔法を使ってくる人もいないもので。コンツェッタさんの瞳に動揺の色が浮かぶ。
ロズは武器を使うことも多い。そのため、魔法で武器を作り出すことも多くなった。
そんな中、完成したのがこの魔法。数多の剣が宙を飛びまわるという、なんとも不思議な魔法だ。
なかなか避けにくい魔法なのだが、コンツェッタさんも、戦士だ。簡単に仕留められてしまう事はない。
が、流石に、数が多すぎた。
「止まれ!」
ロズが叫ぶと、ぴたり、と剣が静止した。コンツェッタさんの首筋に、一本の剣がぶつかろうとしているところで。
ロズが右手を下げると、剣はバラバラと地面に落下していく。上手くコンツェッタさんを避けながら。
「私の勝ちで良いね?」
「ああ……。まさかこんな魔法を使うなんて。ちょっと油断したか」
「お疲れ、コンツェッタ。貴女は充分に頑張ったわよ?」
「お嬢、すみません、負けてしまいました」
「いいの。でも、次は手加減しない事。良いわね?」
「はい」
まぁ、そうだろう。あれは、どう見たって本気じゃなかった。
殺気が全く感じられなかったのだ。あれで本気で戦っている、と言われたら寧ろ驚くくらい。
では、本気じゃなかったのは何故か。
それは、ロズが本気を出させる前に仕留めてしまったから。
「言ったでしょ? 本気で行くって」
「準備が早いね。私はあんな急には本気になれない」
「私は『いつも』本気よ」
ヒヤリと冷たい目を向ける。
ロズは、基本的にいつでも何でも本気でやる。本気で遊ぶし、本気で仕事をする。
そんな彼女には、準備なんて必要ない。
「なるほど、ねぇ……。次は勝つよ」
「さぁ、どうだか」
ロズはニヤリと微笑み、私の元まで駆けてくる。
本当に可愛らしい。こうやって私の所に戻って来てくれるのを見ると、私のものだと錯覚してしまいそうだ。
「? どうかしたの?」
「ううん……。あ、そうだ、水色。ちょっとはスカート、気をつけたら?」
「へっ?! え、あ、うん!」
顔を真っ赤に染めて、俯きながらそう言う。
何度言っても治らないのだから、きっとまたやるだろう。
別に、本人が気にしていないならいいのかな、なんて思ったりもした。
だけど、嫌なんだ。
ロズの可愛い所、みんなに見せたくなんかないから。
「じゃあ、次は私ですね」
「えぇ……。貴女の実力、測らせて貰うわね」
そう言って、ヴァレンティーヌさんが構えるのは黒い杖。先端は骸骨を模していて、口の中には赤い魔石がはめ込まれている。耳より高いあたりの位置に、蝙蝠によく似た羽が付いている。
禍々しい杖だ。黒魔族である、彼女にぴったり。
対して、私は。右手を横に伸ばすと、手の中に、純白の杖が現れる。一番上には深い青色の魔石。
しっかりと握りしめ、胸の前で構える。
ヴァレンティーヌさんの杖はとても長いが、私の杖は腕の長さほどの小さめサイズ。
これくらいが軽くて使いやすいのだ。まあ、それは人それぞれ。
「では、いきましょうか」
一拍の静寂の後。
戦いが始まった。