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坂本龍馬奇譚

作者: 大山哲生

坂本龍馬は本当にいたのか。私の推理した歴史の真実です。

 「坂本龍馬奇譚」~古きや今や拾遺物語より~ 作 大山哲生


一、風雲の幕末

私は、京都の薩摩藩邸で西郷吉之助様にお仕えしていた斉藤秀和と申す者でございます。

徳川幕府が終わりかけの頃は、京都は公武合体派や尊王攘夷派が入り乱れて大変緊迫した状況でした。おまけに幕府方の新選組や幕府見廻り組などが入り乱れ、「四つ巴」いや「五つ巴」の様相を呈しておりました。

 薩摩藩の実力者・西郷吉之助様は、こういう状況を大変憂えておられました。

 元治元年、一回目の長州征討が行われました。これは禁門の変とよばれる戦闘で長州藩が御所に向かって大砲をうったために、長州藩は朝敵となってしまったことが原因でした。

 西郷様は、長州征討軍の参謀として加わられ、結果は長州藩の三家老切腹という形でなんとか収束したのでした。

 このあと、西郷様は、

「今、我が国はかようなうちわもめをしているときではなかろうと思う。天皇のもとに結集していかなければ、西洋諸国の餌食になってしまう」と言われました。

私が「幕府は、果たして天皇のもとに結集する意思があるのかどうか疑わしく存ずるが、いかが」と言うと西郷様は、

「そのとおりじゃ。幕府はやはり権力を維持したいのであろうな。この際、幕府には権力の舞台から退いてもらわねばならんと思う。そのためには、長州と組んであの武力を生かすことも考えねば」とおっしゃいました。

「今、なんと。あの長州と組むと申されたか」

「そういうことも視野にいれておかないといかんと思う」

「しかし、今回の長州征討では長州と薩摩は真っ向から戦いをしたのですぞ」

「問題はそこじゃ。今は、どちらからもお互いに声をかけにくい状況じゃ。だから、誰か仲介をしてくれる者が必要なのだ」


二、坂本龍馬登場

 それからしばらくすると、西郷様の話の中に坂本龍馬という聞き慣れない名前が頻繁にでてくるようになったのです。

 慶応元年六月、朝廷は幕府の脅しに屈し長州征討の勅許をだしました。第二次長州征討です。薩摩藩は参加しませんでした。

 六月二十四日、西郷様は私に言われました。

「今日の夕刻、土佐の坂本龍馬がここにくるからわしの部屋に通せ。誰も部屋に近づくことはならんぞ」そういって、西郷様は奥の部屋に入られました。

 夕刻、しばらくして坂本様が薩摩藩邸に来られました。坂本様は、よほど大物で隙がないのか薩摩藩邸の犬も吠えませんでした。

 私は坂本様を西郷様がおられる奥の部屋に案内しました。それから、お二人でひそひそとなにやら長時間話し合われていました。

 その後三ヶ月ほどの間、西郷様は奥の部屋に引きこもられることが多くなりお姿をみないことがよくありました。なにかよほど悩んで考え事をしておられたのでしょうか。

 慶応二年一月十八日、京都上京の小松帯刀邸にて長州の桂小五郎様と西郷様が会談され薩長同盟が結ばれました。

全くの寝耳に水で、私はこの話を聞いて大変驚きました。以前西郷様がおっしゃっていたことが、坂本様の仲介で実現したのだろうと思いました。


三、近江屋襲撃事件

 慶応三年十一月、京都の近江屋で坂本龍馬がなにものかに襲われて殺されました。

 しかし、その後私が聞いたところでは、近江屋で殺された坂本様と薩摩藩邸に来られた坂本様とはどうも風貌がかなり違っていたのです。早く言えば別人と言った方がいいかもしれません。私は不思議でなりませんでした。近江屋で殺されたのは本当に坂本龍馬だったのか、腑に落ちない思いをずっと持っていました。

 後に、西郷様から聞いた話で、すべての謎は氷解しました。

それをお話ししましょう。


四、坂本龍馬の真実

実は坂本龍馬という人はもともと存在しなかったのです。じゃあ、薩摩藩邸にきたのは誰かって。あれはある人の変装ですよ。ある人が変装して、薩長の仲介役として土佐の『坂本龍馬』なる人物を演じたのです。

まず『坂本龍馬』は西郷様と接触してその後長州に行き桂小五郎と接触した。そして関係者に根回しをしていたのです。薩長同盟は、そのある人が『坂本龍馬』になりきって道筋をつけたということになります。

ある人って誰かって。それは、西郷様自身ですよ。私はそれを知ったとき大変驚きました。

そういえば、西郷様と坂本様が二人そろっているところは見たことがありませんし、薩摩藩邸の犬も吠えなかったわけです。そして、私が薩摩藩邸で西郷様を見かけなくなった時期と『坂本龍馬』が動いていた時期は重なるのです。

本当に『坂本龍馬』は西郷様の変装だったのかと不思議に思われる方もおられるでしょう。

でも考えてもごらんなさい。『坂本龍馬』が伏見の寺田屋で襲われた時に、九死に一生を得て逃げた龍馬をかくまったのは薩摩藩邸でした。あのときは、変装した西郷様もどうしていいかわからず、とっさに薩摩藩邸に逃げ込まれたとおっしゃっていました。

その後、伏見奉行から『坂本龍馬』の引き渡し要求があったときに薩摩藩は拒否しています。そりゃあ、架空の『坂本龍馬』を引き渡すことはできませんからね。


五、近江屋襲撃の真相

しかし、大政奉還が実現したあとは、『坂本龍馬』なる人物はもう必要がなくなりました。

ただ、西郷様は『坂本龍馬』が自分の自作自演であることが長州方に発覚するのを大変恐れておいででした。だから架空の『坂本龍馬』をなんとかして消去しなければなりませんでした。そこで近江屋にいた『坂本龍馬』の替え玉を、刺客に襲わせて殺害したのです。 

近江屋を襲ったのは京都見廻り組とか新選組とかいわれていますが、実は薩摩藩の仕向けた刺客ですよ。

 これ以後、『坂本龍馬』という人物は歴史には登場しなくなります。

 あ、そうそう、言い忘れていました。西郷様は変装が大層お得意でした。だって芝居が好きで役者にあこがれておいででしたもの。

 寺田屋のお龍と恋仲になったのは誰かって、あれは土佐の商人の坂本治兵衛ですよ。



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