4話 貿易?産業開発?犬には無理です。
連続投稿です。
調子にのって本日二話目です。
前話と今話何かネタに走れなかった。
思い付かなかった。
天文14年(1545年)8月
5月の虎居城引っ越しも落ち着き
五朗とチロ(五朗が助けた子犬(雌)(後に五朗の嫁になる))は庭にいた。
「クーンクーン(おじちゃん遊んで)」
「ワンワン(おじちゃんちゃうし)」
「クーン(遊んでよ)」
「ワンワン(解ったからちょっと待て)」
と追いかけっこしていた。
そこに忠良達兄弟が来て五朗に声をかけた
「兄貴相談がある」と五朗とチロが駆け寄り
又七郎が棒を二本取り出して一本を投げ
もう一本を五朗に渡した。
チロの相手は又七郎に任せて五朗は、
忠良達の話を聞いた。
要約すると土地がシラス大地の為
米に的さ無いので別の手段は、無いか?との事
なので五朗の知る江戸時代などの史実に従って
大豆・アブラナ・陸稲・粟・稗・蕎麦・小麦
の栽培と農耕改革・農機具の改良・漁業・製塩
家臣や兵にも手伝わせろ
と汚い平仮名で書いていく。
忠平・又六郎・又七郎が手伝えば家臣も動く
九州・琉球の特産は、薩摩芋・砂糖黍だが
この頃未だ琉球にも来ていない後5~60年経たないとやって来ない。
なので最後にふいりぴん・ぼうえき・さつまいもと書いて終わった。
忠良達は、メモを取った後評定を開いた。
何故か忠良の横に五朗の席が有り
五朗も評定に参加していた。
最初は忠将や忠元達が文句を言っていたが、
五朗があまり吠えたりしない為
最近は、何も言わなくなった。
家臣から影で犬殿様と忠良は呼ばれていた。
(数年後忠良は、改名の際に兜に犬の文字の前立てを取り付けた。
他の兄弟も鎧兜の何処かに必ず犬の文字が入り
後世の島津家も必ず入れ目印になっていた。)
忠良達が相談して考えたとして
無理な稲作では無く、別の物を作るとした。
それについては問題無かったが
兵達も手伝わせるとした時に反発が出た。
騒がしくなった時に五朗が吠え
一瞬気を取られた隙に忠平が
「俺達もやるんだが、そうかお前達はやらんのか、解った好きにしろ。」と言い放ち黙らせた。
次に特産品の話になった際
誰がフィリピン迄行くのかで
又騒ぎそうになった時に五朗が動いて
東郷重治の前で鳴いた。
忠良は「ご指名らしいぞ」と笑いながら伝え
重治は、忌々しそうに五朗を見ていた。
忠良は、重治にフィリピン行きを命じ
重治以外は、全員賛成したので
重治は、諦めた。
忠良は、貴久の許可を取り重治を送り出した。
重治には、旨くいったら東郷村を返す事を
約束し納得させていた。
先の話では有るが
一年後重治はフィリピン人の農業に詳しい人達と通訳を連れて帰国した。
約束通り家老になった重治で有ったが
東郷村でフィリピンで仕入れた
薩摩芋だけで無く果物やマニラ麻等を
試験栽培をしていく事になる為忙しく
あまり家老としての仕事をやっている暇が
無くなってしまったのである。
香辛料は、甑列島の小川氏を抱き込み
密かに栽培させていったのである。
直ぐに栽培に的さ無い物(果物)も有ったが
数年かけて島津領内を回り成功した物も有った。
直ぐに結果の出た薩摩芋やマニラ麻は、
数年後薩摩の特産品として
薩摩芋や芋焼酎の開発に成功して販売された。
中でもマニラ麻の繊維を使った縄は耐久性が高く雨風にも強く農業・漁業・軍事等でも重宝した。
マニラ麻で作った紙の品質は高く、
高級な薩摩紙として
京の公卿や寺院等から問い合わせが相次ぎ
島津家の大切な収入源となって島津家の領内に
広がって行くのであった。
数年後の島津家は、九州で一番の金持ち大名になっていた。
話を戻して
評定で決まった為、
忠良以外の兄弟は、勉強や鍛練の合間に
農作業や鍛冶を手伝ったりしていた。
五朗は、チロの面倒をみながら束の間の平和を
楽しんでいた。
琉球・台湾すっ飛ばしてフィリピン貿易です(笑)
あり得ねー
マニラ麻って凄いんですよ。
合成繊維が無ければ、
今も使われていたんじゃない?
今回は、産業開発がメインの為五朗君の出番が
あまり無かった(笑)