孤立するクラスメイト・1
なあ、と森本が昼飯のあんパンをかじりながら聞く。あんパンと牛乳は鉄板のマリアージュだと思うし、社会一般的に認めらている組み合わせだと理解している。
おれの手にも黄金の組み合わせ、あんパンと牛乳がありその上おれの牛乳はカルシウム強化だ。
それなのにやつに限ってはあんパンにはオレンジジュースなのだと主張して譲らない。えー、うそお。
その森本は今日もあんパンと紙パックのオレンジジュースを片手に、おれの前のやつの椅子をひっくり返し飯を食っている。
一ノ瀬もさっき合流して、こっちはお母さんが持たせてくれる弁当持参だ。途中で足りなくなるので部活が始まる前に菓子パンを投入する。
「彼女ほしくねえ?」
「は?なに急に」
「んー、修学旅行でさー、彼女がいるといないとでは、こう、充実度が違うじゃん」
「ああ……」
修学旅行は沖縄に四泊五日だ。確かに海に野郎と入っても、なあ。
「でも、それって、彼女がほしいじゃなくて『学校内に彼女がほしい』だろ?外に彼女がいる奴はいたって意味ないことになるじゃん」
「え、お前外に彼女いんのか!?」
「いねえよ」
森本はともかく一ノ瀬まで食い付いてくんなよ。いたら楽しいだろうなとは思うけどそんなイベント用みたいなのは要らないし。
「えー、オレはそれでもいいなー。イベント用万歳。沖縄……海……水着の彼女……きゃっきゃ、うふふで波打ち際をかけっこだぞ?!」
そんなことしてる奴見たら、女もろとも海に沈めてやるけどね?
「一ノ瀬はー?彼女いないの」
「……前はいた」
「マジか!何で別れちゃったの?」
「……一身上の都合」
そういえば一ノ瀬とこの手の話になったことはなかった。
へえ、彼女いたんだ……あれ、でも好きな奴がいるっても言ってたよな。
何でか、ちょっとモヤッとした。彼女がいたことを教えてくれなかったからだろうか。おれにいないから、かわいそうだとか思われていたんだろうか。
「え、彼女とヤった?」
少し、ぼんやりしていた。真横からズバンと聞こえた質問に一気に現実に戻ってきた。
は、え、そういうことって、聞いちゃうの?
「なーあー、どうなの? もったいぶんねえで教えてよお」
「……お前、そういうこと聞くなよ……ってどうなの?」
「しーんー……」
「言えよー、一ノ瀬」
「……するだろ、普通。一年くらい付き合ったんだから」
ええええーーー、オレだけまだかよーーー、妖精になっちゃうよおお、などと喚く森本の横で、オレはうまいこと笑えていただろうか。
別にだからって、なにか変わるわけではないんだけれど。バカ笑いが弾ける教室のなか、一人だけ取り残されたような不安感で一杯になっていた。
気にならなければそうでもないんだけれど、気がつくとものすごく気になったりする。
理由はよくわからないがおれのクラスに孤立している女子生徒がいる。勉強ができない訳でも、態度がうざいわけでも、まさかの給食費を滞納しているわけでもない。そもそもうちの学校給食じゃないし。
おれからみれば普通の女子だ。でも、いつも一人だ。
教室を変わるとき、弁当を食うとき、登下校の時。一人が好きなおとなしい子という可能性もある。
でもある日、見てしまった。
先生の用事かなにかで、そいつが別の女子に話しかけようとしたとき、そこにいた一団が蜘蛛の子を散らすようにいなくなったのだ。あとに残ったそいつ、川崎は呆然としていた。回りのやつらはなにも起こらなかった様に笑っていた。
気になり出すと目につくもので、何となく目の端に彼女が入ってしまう。
「ねえ、なんで川崎はいっつも一人な訳?」
そういえば森本は二年の時は同じクラスじゃなかったか?女の子のことよく見てそうだし軽い気持ちで聞いてみた。
「川崎は一年の時も同じクラスだったんだけど、今とは少し感じが違うかなあ」
「どんな?」
「うーん……もっと明るかったかなあ。友達も多かったし」
「へえ。今とは違うな」
「なになに?なんのはなし?」
話しかけてきたのは隣の席の越智みゆき。森本とは二年の時から同じクラスだ。
森本と仲がよくクラスにいるときはおれと森本と三人でいることが多い。
何となく森本のことが好きなんじゃないかなーとにらんでいる。だからか、森本のモテないキャラにイラっとするのは!
「ああ、川崎のはなし。別にいじめられてるとかじゃないだろ?なんでいつも一人なのかなって」
「……ああ。そのこと」
「なに、なんか知ってるの?」
森本はうんざりしたような顔で言った。
「だって川崎、呪われてんだもん」
「んでね、言うに事欠いて『呪い』とか言っちゃうんだよ」
「キッツいなあー」
「だろ?」
放課後、おれは図書室で勉強しながら一ノ瀬を待つのが日課になっていた。陸上部が終わる頃、俺も片付けて一緒に帰る。いつか、一ノ瀬に彼女ができちゃったりしたらこんなこともなくなるんだろうとわかっているけど、今はこれでいいと思う。だっておれたちは生涯一緒にいられる友達なんだし。
夕焼けのなか、今日聞いた話を一ノ瀬にしていた。
「っと……でもそれ、なんか聞いたことあるかも」
「え、一ノ瀬も?」
「うん。なんだっけなあー……仲いい野郎が次々具合が悪くなったり怪我したり、とか。隣の席になると、なんだか知らないけど授業で当たりやすくなるとか、近所から火事が出るとか、はげるとか、犬に噛みつかれるとか……」
「話盛ってるだろ、それ?それで、みんな離れていったって?」
「そのときはまだそんなことなかったんだけどな。三年になってエスカレートしたんかなー?」
「……ふーん」
「腹へった……」
昼間は学業に専念しているので夜はゲームに勤しんでいる。健全な高校生の姿だと思う。
家族も寝静まった午前2時。今日に限ってキッチンにはなにもない。
「コンビニか……」
スナック菓子でも買いにいこうかと夜中の町に出ていった。歩いて3分のところにコンビニがあるから大変便利なうちのマンション。ダイエット中の母さんが新作スイーツの誘惑に抗えず買ってきてしまい、キッチンで悶えているのを時々見かける。
雨が降るのかな。
湿気の多い空気を吸い込んでエレベーターを降りた。
「……川崎?」
「…………伊澤、くん」
昼間話題になった川崎美晴が飲料コーナーの前に立っていた。
オレはカルシウム強化の牛乳を棚から取ろうとしているところだった。ちょっと恥ずかしい。
「こんな遅くになにやってんだよ」
「伊澤くんこそ」
「おれ?おれは……冒険と戦いの果ての栄養補給に……」
「つまり、この時間までゲームしてたんだ」
「……うん、はい」
なんか先生に怒られてるみたいだよ、女子怖い。
「川崎はなんでこんな遅くに?」
「私は……別にいいじゃん。何時に買い物してたって」
川崎のかごにはペットボトルやお菓子、雑誌なんかが入ってた。普通のお買い物だ。
おれたちはそれから言葉を交わすこともなくそれぞれの買い物をした。おれの方が早く終わって、店頭のチラシなんかを見ながら川崎を待った。
「……じゃあ、伊澤また明日」
「送ってくよ」
「……え、いいよ。すぐそこだし、ひとりで帰れる」
「ばか、真っ暗だぜ?俺んちだって近いんだから気にすんな。ほれ、行くぞ」
「いいってば!遠慮とかじゃないんだってば!」
「……呪われてっから?」
暗がりでもわかる。川崎の顔がさっと強ばった。
「下らない話で気になってんのわかるけど。……例えば今、お前のこと家まで送っていってその帰りにおれが車に跳ねられても、お前のせいじゃねーよ。むしろ、お前を一人で帰してなんかあったらどうしようって一晩中眠れないほど心配するおれに気をつかってほしいぜ」
「……ぐっすり寝ちゃうくせに」
「おお、寝付きのよさは親譲りだ」
修学旅行で目えつぶって3秒で熟睡だったってからかわれたぜ。
「ふふ、変なの伊澤」
「さあ帰ろーぜー」
呪い、のことを本人も知ってる。どうしてそんな理解不能の噂がたっているんだろう。何とかしてやりたいけど、鈴は夜の静かな町の中、響くことはなかった。
とりあえず、呪いなんかないんだっていうことをみんなが納得することが一番だ。おれは次の日から、日に数回意識的に川崎に話しかけることにした。
それで、まわりもなんだかもう大丈夫みたいだぞって雰囲気になってきた。もう一押しだな。
噂では被害にあったとされるのが野郎ばかりだったみたいで、女の子の方が打ち解けるのが早かった。元々人懐っこい越智は早速一緒に弁当を食っている。
ちょっと調子はいいような気もするけど、このまま一人って訳にもいかなかった。だってあと少しで修学旅行もあるし、二学期には体育祭や文化祭もある。のんびり学校のうちは行事には手抜きがない。三年生は免除、とかあり得ないのだ。
だから女子なら余計に一人はきついだろう。
性懲りもなく嫌がる川崎を捕まえて話しかけていたとき、一ノ瀬が昼飯をもってうちの教室に来た。
「おーーっす。飯食おうぜ」
「おう。ああ、川崎も一緒にどう?」
「え、私はいいよ。じゃ……行くね?」
自分の弁当をもってどこかに駆け出した川崎を見送りながら、一ノ瀬が口を開いた。
「今の、川崎って……」
「うん、呪われてるらしい子」
「お前……」
あらら。一ノ瀬スッゲエ怖い顔。もしかして
「え、信じてんの?呪い」
「……信じてなんかねえよ!でも、伸になんかあったら……」
「え、心配してくれんの?かっわいいなあー、お前」
「うっせえ」
耳まで赤くしちゃって、こっちのが恥ずかしいわ。
二人でいつもの中庭ベンチを目指す。あんまり人がいない上、頭上に覆い被さる木が日除けになってなかなかいいポイントだ。
コンっ
軽やかな音が聞こえたかと思ったら、肩に痛みが来た。
「ってええ!」
「どうした? 伸」
今度は派手な音をたてて缶コーヒーが足元に転がった。中身は入っている。風もない。
間違いなく最初の音は缶を蹴った音だ。いたずらにしてはタチが悪い。おれか一ノ瀬の頭にでも当たったらとゾッとする。
ゆっくり振り返るが当然もうそこには誰もいない。
「おい、肩見せてみろよ」
「いいって」
手で制そうとしたがリーチの差で負けた。瞬く間にボタンを外しシャツの襟首を開けて、一ノ瀬が中を覗きこむ。
このやろう、慣れてるな。
「少し切れてるな。血い出てる」
肩っていうか肩甲骨の少し上。そこを一ノ瀬が指でつう、と撫でた。
「っっ!」
筆洗いのバケツに落ちた青い絵の具。底まで沈んでゆっくりと広がる。まさにそんな感じだった。
一ノ瀬の指先が触れた場所からどうにも説明しがたい感覚が腹のそこに落ちて身体中に散らばっていく。痛さとも痒さとも違う、やるせない感覚。
膝までそれが届いたらたぶんおれは立っていられない。
「大丈夫か?」
「へ、っ……」
平気だ、と言えなかったのは耳から吹き込まれた一ノ瀬の声がさっきの感覚をからだの中で掻き回したから。消えなかったそれが指の先まで届いて呼吸まで止まった。
膝が笑う、世界が揺れる。ついにじんわり涙まで浮かんできて、コンクリートに手をついた。
「おい!痛てえのか?しっかりしろ!」
「だ、いじょーぶ」
ついた膝の微かな痛みに、やっと息が吸えた。
「……ったく、遠慮して触れよな」
「あ、ああ。ごめん。ってか、やっぱり痛てえんじゃん。保健室行こう。冷やしてもらえばその分早く治る」
腕を引かれて立ち上がる。本当にズキズキしてきた。考えてみれば小さいとはいえ飛んできた缶を喰らったんだ、痛くて当たり前だ。
でもそれより、さっきのは……頭が完全に整理を拒否してるけど、体の方はよく理解してる。
一ノ瀬に触られて、おれ、感じたんだ。
グラビアタレントの写真見て、グッと来るような間接的なもんじゃなくて、もっとダイレクトに体の真ん中を走った快感。到達点は下半身。
マジか……
単純に、知らなかったけど背中が弱いんだったのか、それとも。
…………腹が鳴った。
「なんだよ、人が心配してんのに」
「はは、悪い。でも腹へったー。保健室で飯食っちゃダメなのかな」
「さあ?頼んでみよう、時間なくなるし」
保健室で手当てをされ、その場で飯を食うことを許された。ラッキー!と喜んだものつかの間、担任の松島と学年主任の先生がそこに現れた。
「おい、今保健の先生に伺ったけど、コーヒーの缶をぶつけられたって本当か?」
「あー……そうですね。ぶつけられましたね」
自分のことで精一杯だったけど、よく考えてみれば中身の入った缶が飛んでくるなんて不自然だ。明らかに、おれか、もしくは一ノ瀬を狙ったとしか考えられない。
「そんなもの、頭にでも当たったら一大事だ。いたずらにも程がある。伊澤、お前誰やったのか見ていないのか?」
「はあ、後ろからだったんで」
「一ノ瀬は?」
「俺は伸が痛いって言ってからはじめて気がついたから……ごめん。」
「なんでお前が謝んだよ。悪いのはクソ缶野郎だろ?」
「そうか……前にもそうやってタチの悪いいたずらが流行ったことがあって、怪我人も出ていたから注意に越したことはないな。伊澤たちもなにか気がついたら教えてくれ」
「……はーい。ってセンセー、前に流行ったのっていつの事?」
「んー……?1年……半年くらい前か。」
怪我人、イタズラ────もしかして川崎と関係あるのか?
「どこのクラスのやつが多かったとか分かりますか?」
「お前たちが二年だったときのA組と、吹奏楽部の生徒が何人か入っていたかな……ねえ、松島先生?」
「あー、そうでしたっけ?」
「そうですよ、ほら、野球部の地区予選で応援に行く子達が何人か行けなくなったって言ってたじゃないですか!」
「……そんなこともありましたかね」
松島はなんだかキレの悪い返事をしていた。まるで、おれたちに本当の事を伝えたくないように。
「ごちそうさまー。せんせー、話終わったら、もう帰ってもいい?午後の授業もう始まるよ?」
「お?ああ、本当だ。悪かったな、怪我人をひきとめて」
「大袈裟だよ。じゃあ、失礼しまーす」
一ノ瀬が先に保健室を出て、俺はそれに続いた。出入り口を半分塞ぐ形で立っていた先生二人の横をすり抜けるように通ろうとしたとき、松島が小さい声で囁いた。
「深入りするな」
……深入りするな────松島はなにか知ってるのか?