一ノ瀬家事変・1
「俺んち妹いるんだけどさ」
「なにそれ!かわいい?!」
おれの隣で、一ノ瀬と森本が弾んでるようでそうでもない会話を繰り広げている。
森本は同じクラスの友達。
一ノ瀬は同じクラスになったことはないけれど、うちの教室に通うようになって顔馴染みになった。
その、一ノ瀬の妹が話題になっているのだが。
「……かわいくねえよ」
「マジか!つまんねえな!」
「んで、そいつがアイドルのオーディションに受かったんだけどさ」
「かわいいんじゃねーか!何だよ一ノ瀬、紹介しろよ!!」
「……おれは一ノ瀬、森本の漫才を聞いてる暇はないんだが」
テストなんです。
中間の。
おれこの間はランク外だったから、挽回したいんです!
「俺だって森本に話すつもりなんかねーんだよ!」
「酷えなー。友達じゃーん」
「ウッセ」
だから、漫談やめて勉強しましょう。
中間テストが終われば、一ノ瀬はすぐに地区予選。それが終われば修学旅行、期末テスト、ですぐに夏休みにはいって(地区大会通っていれば)インターハイ。目が回るように忙しい。そして相変わらず勉強はしていない。
そこへ持ってきて今回は森本まで勉強会に参加したいとか言い出した。あとはまあなんとかなっているらしいが、現文が壊滅的らしい。
「で、妹ちゃんがどうした?」
「しーんーーー!」
「この切羽詰まった時にそんな話切り出すなんて、なんかあったんだろ?」
「伸はやっぱりわかってるなあー。そうなんだよ、今うちその事で大変なんだー」
あんまり大変そうには見えないけどね。
ヘラヘラしてんな。
「それで?」
「うん、そのアイドルオーディションに合格したんだけど、父さんも母さんも猛反対で、妹、家出するとか言い出して」
「オーディションの前に相談しなかったのか?未成年なんだから親の了承とかいるんじゃないのか?」
「うん、友達も一緒に応募したらしくってお互いにサイン捺印しあったらしい」
「ああ、……」
いわゆる、大人数アイドルグループの新規メンバー投入オーディション。受かるわけないよねーと遊び半分で応募したらしい。合格したら急にアイドルの道がグッと近づき現実味を帯びた。
夢が夢じゃなくなる一瞬を掴んでしまったのだろう。
「親御さんは、何で反対してんの?」
「だってまだ中学生だし、『sweet17』なんてテレビとかバンバン出てんじゃん。生活も荒れるし、学校も行けなくなるし、何も今じゃなくてもって」
「……『sweet17』?」
「ああ、うん。伸、知ってるの?」
「おれは戸田愛佳推しだ」
「うわあ……イメージを大きく裏切るキャラ設定……」
ふん、なんとでも言え。
sweet17は18歳の絶対的エース、岡本友香を中心とした10代の女の子17人組のアイドルグループだ。おれはその中でも永遠の3番手、ポンコツキャラの戸田愛佳を強烈に推している。
sweet17は加入条件が10代であることで、成人すると卒業しなくてはならない。ファンも本人たちも限られた輝く時間をsweet17に捧げることで強い絆を感じている。
そうかといって卒業したメンバーにファンがみんなついていっちゃうかっていうとそこら辺は微妙。みんな第二、第三の推しメンを応援しているみたいで卒業メンバーもなかなか大変だ。
だからこその一生のうちほんの短い間の輝きをおれたちも大事に、精一杯応援したい。
「sweet17か……。上村彩葉、塚田陽和卒業で、新メンバー募集してたもんな……」
「ほんとにイメージ裏切るわ。お前がそんなに女の子の名前がすらすら出てくるキャラだと思わなかったわ」
「そうは言うけど森本だって、好きなもんには真剣に取り組むだろ?音楽でも、スポーツでも、映画でもさ。それと同じだよ」
「はー。そうだけどね?でも、何でそんなにsweet17が好きなの?きっかけとか、嵌まった曲とか」
「……いいじゃん、なんでも」
「お、怪しいー。聞かないと気になっちゃうよ」
「うっせ。……ああでも、テストで前より順位あげたら教えてやるよ」
「マジか!」
「ああ、マジだ」
たぶん、無理だと思うけど。
それからは、三人で陽が落ちるまで勉強した。一ノ瀬も森本も、いいペースで予定のところまでを終えることができた。間違いも少ない。森本はそそっかしいからここでできても本番が心配だ。
一ノ瀬は、まあ、今回は大丈夫だと思う。この間の実力を見ていて、できないわけじゃなくて要領が悪いだけだってわかったから、それに対応した勉強のしかたはもう出来ているみたいだ。
おれにしても、いつもの通り出来ればいつも通りの成績を修めることができるだろう。何より気楽なのはみんな内部受験ってことかな。よっぽど酷くなければ、呼び出されたり補習の憂き目に遇うこともないだろう。
「なあ伸。俺にも教えてくんねーの?」
「え、なんだっけ?」
「sweet17を好きな理由」
「あー……あんまりな。かっこ悪りーから」
「俺も順位あげたら教えてくれる?」
「は?あ、ああ。うん。順位あげよーな?」
二人になった帰り道、一ノ瀬はそんなことを言い出した。いや、まあ、言えないこともないんだけど、ほんと恥ずかしいんだよ。
sweet17を好きなことには何ら恥じることはないんだけど、きっかけがなあ。
「やるぞー!絶対聞いてやる!」
「自分のためにヤれよ」
急に闘志むき出しになった一ノ瀬のケツを蹴る。方向が間違ってんだよ。
ケツを擦られながら一ノ瀬はそれでもへらへらしていた。
あいつ、ドMだな。
あと3日でテストだという日の夜。一ノ瀬から連絡があった。
『ごめん、勉強中だった?』
「あ?いいよ。今休もうと思ってたところ」
おれは会話しながらコーヒーを淹れに行く。母親が俺に見えるようにクッキーを揺らしている。
ありがと、いただきまーす
「でー?どうした。わかんないところあったか?」
『うん……あのさ、テスト終わるまで伸のうちに泊めてくんないかな?』
「何かあったのか?」
『こないだのアイドル問題。なんか大騒ぎになっちゃって……毎日夜中まで怒鳴りあってんだよ、親と妹』
「ったく、お前テストだってわかってんだろ?親」
『そうなんだけど、妹のことも一生の問題だからって……』
まあ、一度アイドルとして売り出されれば一生それがついて回る。芸能界をやめても、別の仕事に就いても、アイドルだった誰それという冠は外れることはないだろう。
おれから言わせりゃそんな覚悟もないやつがアイドルを謳うなってゆーの。
おれは中3の時からsweet17のファンだ。それから今まで何人かの先人たちが卒業していった。
でも、今でもアイドルや女優として第一線で活躍しているのはほんのひとつまみ。芸能界から退いて普通に学生をやっている卒業生だって、望まない注目を浴びたりする。
気の毒だと思うときもある。でも、それが自分の選んだ道だ。
親に聞いたらOKだと言われた。テスト前でするこた勉強だけだけど、一ノ瀬がずっと家にいるのはなんだか楽しそうだった。
一応試験前だから勉強をする。おお、一ノ瀬の仕上がり具合がいい感じだ。あとは、実力の時みたいに邪魔が入らないといいな。
飯を食わせれば、遠慮もなくご飯をお代わりし母親を喜ばせ、テレビがついていれば父親と同じ球団を贔屓にしていて、可愛がられた。どこにでも馴染むやつだなあ。
「悪いなー、伸。家の人にもホント申し訳ない」
「いいよ、気にすんな。それよりもっと早く言えばよかったのに」
「うん……だって伸も勉強あるんだし、そんなに甘えらんないよ」
「いいから。寝るのここでいい?一応客間もあるんだけど」
「伸が嫌じゃなきゃ、ここでいい」
「ん、わかった。嫌だからあっち行け」
「しーーーんーーー!何でそんな意地悪言うのー?!」
男子高校生が意地悪とか言ってんな。
「嘘だから。風呂入っちゃえって母さん言ってたから」
かわりばんこに風呂に入ってホカホカしたおれたちはベッドと布団に転がった。
おれの部屋は6畳のフローリングだ。ベッドと机と本棚。作り付けのクローゼットにはそんなに多くない衣類が入っている、他は知らんけど恐らくごく標準的な高校生の部屋だ。
今日は一ノ瀬の布団を敷いたからもう足の踏み場もなくなった。フローリングだと背中がいたくなるだろうからと、こんなもん家にあったのかというマットレスまで母親が出してきた。
いいのに一ノ瀬なんて転がしておけば。
「しかし、色気のない部屋だなー。sweet17が好きだっていうからかわいいポスターのひとつでも貼ってあるのかと思った」
「ないわ。ポスターってこっちガン見されてるみたいで、怖い」
「ふーん、そんなもん」
まあ、CD買ったときにもらったやつはクローゼットに保管してあるけどね。
「いつも寝るの何時?」
「俺は12時くらいかなー。もう。眠くて眠くて」
「ああ、練習ハードだしな」
「うーん、今結構いいタイム出てるんだ。本番にならないとわからないけど、インターハイ出れそうラインにいる」
「スゴいじゃないか。絶対応援いくから頑張れよ」
「そのときは、緊張しない魔法とかかけてくれるの?」
「……とっておきのを教えよう」
「え、なになに?」
「手えひらいて……そう」
一ノ瀬の手は俺より少し大きかった。指が長くてまっすぐだ。その先についている爪もするりときれいな形。体温が高めなのかもしれない、少しだけ熱く感じる。
その手をとって自分のひとさし指を当てる。
「こうしてな、ゆっくり人っていう字を三回書いて…………飲み込む……な?」
「な、じゃねーよ。あーーーー!真剣に聞いた俺がバカだったー!恥ずかしくて顔が赤くなるわ!」
「うわ、ホントだ。首まで真っ赤」
「くっそ、俺、もう寝るからな!」
「おう、おやすみ。明日は少し早いぞ。お前んちの方が学校に近いんだから」
「んー、もう寝たー」
それから本当に一分もしないうちに規則正しい寝息が聞こえてきた。うわ、自己紹介の時これ特技にあげた方がいい、あ、おれもか。
寝付きのいいのは親譲りだ。把握している分で最高に早かったのは中学の修学旅行で三秒だ、同室の友達に翌日死ぬほど笑われたので忘れたくても忘れられない。
しばらく呆気にとられていたけれど、俺も布団に潜り込んだ。いつもだって薄いタオルケットしかかけないけれど、今日人口密度が高いせいか、もっと暑いような気がする。
健やかな呼吸の横で、さっきつかんだ手のひらについて考えていた。
一ノ瀬の顔も赤くなっていたけど、おれの心拍数もあがっていた。こんなドキドキ、気づかれなければいい。
何でこんな風になるんだろう。
一ノ瀬に比べて自分の手が薄くて小さくて、情けなかったから?一ノ瀬の赤面が移ったから?そういえば他人の手を握ったことなんて久し振りだから?
どれも当たっているみたいだけど、どれにも当てはまらない。
そんなことをうとうとしながら考えていたらいつもより眠りにつくのに時間がかかったようだった。