告白・2
「おはよっす、伊澤。すげえな、一ノ瀬。地区大会突破だってよ」
今日も元気な森本が朝からテンションも高く話しかけてくる。
「へえ、そうなんだ。知らなかった」
嘘、知ってる。昨日見に行ったもん。
あれから一週間。おれは、一ノ瀬に連絡をしていない、奴からも来ない。
考えてみれば、片方から恋愛感情を寄せられて、なにもなかったように友達になんて戻れるはずなかった。
付き合うか、離れてしまうかの二択しかなかったのに。
そんなこともわからなくなるほど、あの日のおれはテンパっていたんだな。
空っぽの気持ちで考える。だったら、おれとあいつの間にあった『生涯を共にする』という約束はなんだったんだろう、と。
考えても考えても、おれが一ノ瀬を拒絶して傷つけたことには変わりはなく、もう、あんなに楽しかった日々が戻ってこないことには違いない。
そんな状態で、約束していた地区予選の応援になんて行けるわけもなくて、でも見届けたくて。おれは一人で競技会場に出掛けていった。
誰にも見つからないよう、うちの学校の奴らがいない後ろの方の席で。帽子と眼鏡をかけて、一見すればただの怪しい人だけど。
「まあ、ギリギリだったけどな。6位入賞じゃ。本調子でもなさそうだったしな」
「……インターハイ出れるのは一緒なんだから、いいんじゃん?」
「まあね。ところでさー、修学旅行なんだけど……」
お天気の話をするような簡単で口当たりのいい話題は、あっという間に違う方へ流れていった。いくつかの滑りの悪い情報を残して。
確かにあの日の一ノ瀬は少しおかしかった。遠目にしか見ていないけれどそう感じた。
いつものアイツなら走ることが楽しいとばかりに、出走直前までチームメイトと笑い戯れている。それが、本人の意図するところとは違うかもしれないが、チーム全員の緊張を解いていたことを他のやつから聞いて知った。
体の調子が悪かったんだろうか、風邪でもひいただろうか。
だけど、どんなに心配してももう、そばにいって手を出すことができないことはわかっている。
地区大会の日のように遠くから、一ノ瀬の活躍を見守るくらいしか、おれにはもうできない。
「伊澤くん」
「……どうしたんだよ、おれにできることはもうないよ?」
数日後、藤本がうちの教室にやって来た。クラスの野郎共がヒュウヒュウとうるさいけど、外に出て一ノ瀬に見つかってもいけない。藤本に椅子を勧めておれは机に腰掛け、話を聞く姿勢をとった。
「あの……蒼介……一ノ瀬がおかしくって。なんか、怖い」
「はあ?そんなことおれにはわかんないよ。」
「……伊澤くんと、喧嘩したって……すっごく落ち込んでて……」
「そういうときこそ、彼女の出番なんじゃないの?」
おれと喧嘩して、落ち込むんだ。
そんな話藤本にするなんてアホだとか、どこまで話してるんだろうとか、気になることはあるのに、嬉しいのはなんでだろう。
おれがそばにいない間も、おれのことを考えてくれていることが、駄目なのに嬉しい。
「それで……インターハイ出ないかもって……」
「……はあっ?!」
おれが張り上げたでかい声に、教室にいたやつらがこっちを振る返る。
なんでもないですから、ごめんなさい。そんな愛想笑いを振り撒いて、藤本に向き直り声を落として問い詰めた。
「どういうことだよ?!」
「この間の地区予選も記録が振るわなくて、このまま出てもたいしていい記録は残せない。たまたま、次席の選手が自分の学校の後輩だったから、そいつに代わってもらったほうが、ずっとチームのためになるんじゃないかって。」
「バカが……」
「記録が出なかったことより、伊澤くんがそばにいないことの方が辛そうだった。伊澤くんも、そうじゃないの?」
「おれっ、は……」
そりゃ、辛いさ。
自分で決めたことなのにこんなに辛いなんて知らなかった。
朝が来るのが嫌で、眠れない日もここんとこよくある。目が覚めるとまた学校に行かなくっちゃって思うと、飯も喉を通らない。
だけど、そうやっていたら、きっと忘れていくことも知ってる。
いつかそのうち、なつかしい思い出みたいに、きっとなっていく。
おれも、一ノ瀬も。
もう少し、少しだけほっといてくれると、きっとなんとかなるはずなんだ。
「だって伊澤くんも、泣きそうな顔してる」
「……」
泣きそう、って言ったのは、藤本の優しさだ。
おれはもう、溢れる涙をこらえきれなくて、天井をにらんで唇を噛み締めるしかなかった。
「喧嘩の理由はわかんないけど、もし伊澤くんが後悔してることがあるのなら、謝ってあげたら仲直りできるよ?」
「……藤本が優しくするふりで傷心の一ノ瀬を慰めてつけ込むっていう作戦もあると思うけど……?」
みっともない鼻声で、それでも強がるおれはアホだ。
でも、男にしたらかなり効果的な作戦であることは間違いない。辛いところに優しくされたらコロリといく奴だっているだろう?
「実は、もう試してみたの、その作戦。でもダメだった。逆にキッパリ振られちゃって返り討ち」
「……そうなんだ。ばかなやつ」
「ね、こんなに一途な女の子が好きだって言ってるのにね? でも……好きな人が忘れられないんだって。他の人は入る隙間はないって。自分も振られちゃったけど、これからもずっとその人だけが好きだって。そんな素敵な人に敵うわけなかったのに、なんか、未練がましかったよね」
素敵じゃねーよ。ちっとも素敵なんかじゃない。
そいつが好きだって言ってんのは、目の前にいる取り柄といえばささやかな魔法が使える程度のつまんない男。
柔らかくも優しくもない、甘い匂いも長い髪もない、ただの男子校生。
そんなこと、藤本には口が裂けても言えないけれど。
「もう、後悔しないんじゃなかったの?振られた理由、聞けなかったって、言ってたのに。」
「それね、聞けたの。今も好きなその人のこと好きになっちゃったんだって。片想いだったけど、私と別れるのはけじめだったって言われたよ」
「……え、じゃあ、その片想いってずっと一緒の人なの!?」
「そうみたい。私にも助けてもらったって言ってたよ」
助けた?おれが?何を?
考えてもわからない。4月より前の一ノ瀬の記憶は俺の頭からすっぽり抜け落ちているから。
でもやっぱりそれって不自然だ。
おれは覚えてなくても一ノ瀬を助けた。ヤバイところを助けた。
何かをした……まさか、魔法を使った……?
でもその時はバレてない。
一体、何をどうやって?
どうして?
夏休みに入る直前に修学旅行は開催される。
それはついに明日からで、おれはすっかり荷物を作り終えて、ベッドの下に座り込んでいた。
キャンプをするとは言っても道具はすべてレンタルだし、食事の材料もあちらに用意してあるものを使うというから、そんなに大荷物でもない。着替えとジャージと、水着と。
ついこの間までは水泳の授業のないうちの高校のこと、女子と一緒に水着で沖縄かあ、などと良からぬ想像をしてたのに……自分のあまりの心境に変化苦笑いが出る。
今は背がひょろりと高い、しかも男のことで頭が一杯だなんて。
「……」
手の中で黒く輝くスマホ。両手で包んでは転がして無闇に時間を稼いでいる。
一ノ瀬に謝ることは、その気持ちを受け入れることだ。どうして自分が一ノ瀬に辛い態度を取って傷つけるようなことをしたのか、そして自分も同じ気持ちだということを伝えることになってしまう。
それとは反対に、その気持ちを受け入れず、うまく切り抜け一ノ瀬の気持ちを勘違いとか冗談とかで落とすことが出来れば。
これからもずっと友達でいられるかもしれないなんて都合のいい考えをうっすらとしている。
それは失礼っていうものか。真剣な気持ちを冗談で片付けようとするなんて。
どっちにしても、インターハイには出てほしい。それが、おれの夢でもあるから。
この春からこっち、こんなに長い間一ノ瀬と顔を合わせなかったことはない。言葉も交わさず、姿も見なかった。
考えてみればいつも一ノ瀬の方からおれのところに来てくれていたのであって、向こうにその気がなければ、会うこともない。
ずっと、ずっと。おれが気づく前から親しい気持ちを寄せてくれていた。例えば前みたいに戻れなくても、おれのことを許せなくても、走ることを諦めたりしないでほしい。
迷っていた指先が一ノ瀬を呼び出すコールナンバーを探し当てる。じっとりと暖かくなっていくスマホを握りしめ、画面をタッチした。
『……もしもし』
たぶん、おれからの電話だってことはわかっているはずだ。疑うような口調の一ノ瀬に、口元が笑ってしまう。
「おれ、伊澤」
『……うん、わかる』
「……」
『……』
電話でだって久しぶりに声を聞いた。心配していた風邪とかではないみたいだ。声はいつもの通りだ。
お互いに黙っている。おれと一ノ瀬の間で、この沈黙は珍しい。まあ仕方ないか。
「あのさあ、一ノ瀬……」
やっぱり、申し訳ないのはおれの方だ。受け入れられないにしても、もっと言い方ってもんがあったはずなんだ。
謝ろうと口を開くと、転がるような一ノ瀬に遮られた。
『ごめん!』
「え」
『ほんとにごめん! それなのに地区予選見に来てくれてありがとう……俺、お前のことを裏切るようなことをしたのに……』
え、え、え?
「地区予選、て」
『藤本に聞いた。お前がうちの学校の連中が座ってるところじゃない、しかも一番後ろに隠れるみたいにしていたのを見たって。そんなのおかしいからって何かあったのかって聞かれた』
「そ、うか」
恥ずかしい。あの変装もばれてたってわけか。
うーわー。
『ありがとう、見に来てくれて』
「……おう、別に。ああ、そうだ。今度はちゃんと応援いくからインターハイ出ろよ?」
『来てくれるの?』
「ああ、行くよ。絶対」
『……許してくれんの?』
「許すなんて偉そうだ……でも、それでお前がキツくないならな。おれは、ずっと一ノ瀬と一緒に遊んだりしたかったんだから」
謝らなくてすんだことに安堵する。
こちらに謝る理由があるというのは一ノ瀬に期待させてしまうようで本当は嫌だった。
ズズッと一ノ瀬が鼻を啜る音がする。泣いてんのかな。おれ、残酷なこと言ってるかな。言ってるよな。
でも、わかれ一ノ瀬。これがきっと、一番いい。
『ううん、キツくない。俺も伸の近くにいたい』
「じゃあ、インターハイ出ろよ?優勝は無理でも自己ベストくらい出せよ。」
『うん、頑張る』
「それから、鼻かめよ。きたねえなあ。」
『うっせ』
一ノ瀬が笑って、嬉しかった。
たぶん、おれが望んでいることも一ノ瀬と同じなんだけど、きっと今のままの方がいい。友達のまま、一生付き合っていく。
離れることなんて考えられない。
それから、修学旅行のことを話した。おれたちは違うクラスだから同じ見学コースを回ったりしないけど、楽しもうぜって約束した。
絶対朝飯三杯はお代わりするぜって言った一ノ瀬をバカにして電話を切った。
さっきまで険悪だったのに電話切る直前にお代わり自慢ってどうよ。
そういうおれも楽しみすぎて、スマホの目覚ましの他にいつもは使ってない目覚まし時計もセットしてしまった。
旅行も楽しみだけど、一ノ瀬の顔が早く見たかった。きっと子供みたいに嬉しそうな顔を見せるんだろう。お菓子を入れすぎて着替えを忘れてないか聞いてやらなきゃ。
明日になるのが待ち遠しい。
さっきまで、明日なんて来なきゃいいなんて思っていたのに現金だ。




