告白・1
「伊澤くん」
うちの学校は基本ほとんどの生徒が付属の大学に内部受験する。だから3年になってものんびりしたムードが流れている。秋口まで部活を続ける奴も多いし、体育祭や文化祭もかなり派手に催される。
修学旅行も3年で実施する。
今年は6月の終わりから7月の頭、4泊5日で沖縄に行くことが決まっている。戦争を考える体験とかキャンプとか海とか海とか海とか、盛りだくさんだ。
陸上の地区大会が直前で旅行が終わるとすぐインターハイなので、一ノ瀬は本音ではそれどころではないのかもしれないが、楽しみにしているらしい。もちろんおれもだ。
そんな、学年全体が浮き足だったような日の午後、廊下を歩いていたおれは女の子に声をかけられた。
「……なに?」
そのまえに『誰?』と聞きたいのはグッと押さえる。なにしろ相手はおれを知っていた。名前を呼んだ。
「あの、私、B組の藤本愛菜。えっと、蒼介……一ノ瀬の元カノ、っていうか……」
「ああ……」
知ってた。忘れてたけど。
高校に入ってすぐに付き合い出した彼女がいたことは聞いていた。
でも、その元カノちゃんが、おれに何の用?
「あの、ね。一ノ瀬、いま誰かと付き合ってたり、好きな人いるかとか、わかる?」
「いや……そういう話は……」
『ところで一ノ瀬はなんで里見断っちゃったの?ちっさくてかわいいのに。』
『ん……俺は……他に好きなやつがいて……』
ああ、そんな話、した。あれはまだ春先だ。今でも気持ちが変わっていないなら。
「少し前に、好きな人がいるって言ってた」
「え……」
「なんか、ヤバイところを助けてもらったって。今聞かれるまでそんな話したことも忘れてたけど」
「そう……」
やけに寂しそうな声で、元カノちゃんがうつむいた。
まだ好きなんだろうか。それなのにどうして二人は別れることになってしまったんだろう。
「どうして? まだ好きで、やり直したいとか?」
「う、うん……でも、どうしていいかもわかんなくて」
「おれだって、わかんないよ。そもそも二人はなんで別れちゃったわけ?」
「……それも、わからないの。もう付き合えないって急に言われて。ちょうど2年の今頃だった。私も急にそんなこと言われて頭に来て、勝手にしろって思ってたけど、頭が冷えてきたらやっぱり好きだなって。忘れられなくて……」
理由もなく急に別れを告げるなんて、一ノ瀬にしては乱暴だ。らしくない。何があったんだろう、去年の一ノ瀬に。
「やり直したいの。協力してもらえないかな?」
「は?俺になにかできるなんて思えないけど。」
「うん。例えば、帰りとか待ち合わせしてることを教えてくれたりすれば、私も一緒に帰るようにするとか、出掛けたりするの教えてくれたら、偶然を装ってバッタリあったようにして、一緒に遊ぶとか。伊澤くんにはなるべく迷惑かけないようにするから、お願い」
「そんなことしたからって、うまくいくとは限らないんじゃない?」
「それでもいいの。ううん、うまくいかなくてもそれはそれでいい。あの時、どうして理由をはっきり聞かなかったんだろうって今でも後悔してる。もう、そんなのは嫌なの」
胸がモヤモヤとして、喉が乾く。一ノ瀬の気持ちを無視してそんなことを引き受けるべきじゃない。
例え彼女が言ったことを行動に移したとして間違いなく成就するとは限らない。
でもやっぱり、別れた理由は知りたいよな。わからないまま時間がたっても、一ノ瀬に心が残ったままになる。現に今だってそうだ。それではほかに好きな人ができるわけがない。
……って、なんで藤本の恋が成就しない方向で考えてるわけ?おれ。
目の前の藤本はすがるような目で俺を見ている。他に心当たりがなかったんだよな、きっと。
別れてからも一ノ瀬が好きですきで、ずっとここまで引きずってきたんだもんな。
一途で一生懸命な恋心を前にして、断るなんてできなかった。
でも、でも。
もしも一ノ瀬が振り向いたら、どうしよう。
「あ、伊澤くん。途中まで一緒に帰ろう?」
最初の日、藤本はとても自然に話しかけてきた。あの日交換したアドレスで、一ノ瀬と一緒に帰る約束をしたことを伝えた。一ノ瀬は、それこそものすごくビックリしていた。
「なに、お前ら知り合いだったの?」
おれは芝居なんてできないよって伝えてあったので、二人の出会いやなれそめについては藤本に任せた。
彼女によれば、定期も財布も忘れて困り果てていた藤本を俺が助けたことが出会い、なんだそうだ。
まあ、同じ学校の生徒なら電車代くらいなら助けてやれないこともない。魔法じゃなくても。
「へえ、仲いいんだ、知らなかった」
一ノ瀬の声は、感情がよく読めない。面白くなさそうなのはわかるけど、おれが女の子と仲がいいなんて今までなかったから、ムカつく程度の気持ちなのか。それとも元カノが仲がいいのがおれっていうのが気に入らないのか。
藤本はそんな一ノ瀬の様子を知ってか知らずか一ノ瀬7:おれ3の割合で話しかけてくる。
思い詰めた様子で話しかけてきたときとは全然違う。指の先、頬の丸みまで輝いているようだ。最初こそ固かった笑顔も溢れるように弾ける。
……きっとかわいいって思うんだろうな。
きゃいきゃいと話す藤本の声は、おれの頭の上を滑ってどこかに消えていく。食べたかどうかわかんないくらいの綿菓子みたいだ。甘くて、ふわふわで。
そういえば、一ノ瀬はどんなデートとかしてたんだろ。映画なんて見たら5分で熟睡しそうだし(それはおれもか)、ショッピングなんてだるくて付き合ってらんなそうだし(ああ、おれもか)。
一ノ瀬と二人なら、ゲーセンいったり、ラーメン食ったり、どっちかん家でマンガ読んだり。たぶんずっと飽きもせず、なにしていいか困ったりしないでいられるのにな。
『するだろ、普通。一年くらい付き合ったんだから』
…………
「……わりい、おれ、忘れもんした。先帰ってて」
「え、伸。おれも一緒に……」
「女子か?いいよひとりで。ごめんな、藤本。一ノ瀬よろしくな」
急に鳩尾の辺りが重苦しくなってきた。
……そうだよな。一ノ瀬と藤本は、ヤってたんだよな。
おれの知らない、一番自然な一ノ瀬を知っている女。
重なる体温を二人きりでわけあって、誰にも見せない表情を見せあって。
いつか、想像したみたいにあの指で触れてもらえた体。
苦しい。
でも、そんなことを望むのはおかしい。
呼吸が苦しい。とにかくここから逃げ出したい。どこまでも逃げて、もう誰にも会いたくない。
もしも。おれが女なら、元カノが出てこようと、今一番仲がいいのは自分だって主張してとなりを譲ったりしないだろう。だけど男同士なら、友達なら、今日みたいに気を使うことだってずっと一緒にいるためには必要になるんだろう。
それでもずっと一緒にいたいんだ。
……たぶん、おれは一ノ瀬のことが好きだ。
友達とかそういうんじゃなく、これは恋だ。
一ノ瀬に触れられることを想像した時点で、そういうことだったんだろう。
女を好きになるみたいに、恋をしてる。
しかも、不毛な。
「おい伸!何だよ昨日のは?!」
おはようの挨拶もなく、朝会ったとたんに一ノ瀬に手首をつかまれて屋上前の踊り場まで引きずられてきた。屋上は立ち入り禁止なのだ。
「おはよっす、一ノ瀬。昨日ってなんだっけ?」
「藤本だよ! 忘れ物なんて嘘くさい。なに企んでんだよ」
「企むなんて人聞きの悪いー。ほんとに昨日は携帯忘れちゃったの。盗まれたりしねえでよかったよ。藤本のことは、俺そんなには仲いいわけじゃないんだよ。たまたま、一ノ瀬も一緒だったから声かけやすかったんじゃないの?」
「……余計なお世話だよ」
「お世話なんかしてねえよ。大体お前、藤本にちゃんと別れる理由話してないんだって?だから、あの子未練が残っちゃってるんじゃないの?話してくれなかったら、反省も後悔もなんにもできねえじゃん。それってひどくね?お前って勝手な奴だったのな」
心にもないことが、どんどん口から滑り落ちていく。ゆっくり青くなっていく一ノ瀬の顔を、まともに見ていられない。
ひどいのは俺だ。一ノ瀬が傷つくのをわかっていて、そのための言葉を選んでかけている。
ずっとそばにいるために、自分の気持ちを悟られちゃいけない。今は、おれのことを憎んでも、例えばこれからの藤本と話し合ってよりを戻すなり別れた理由を説明するなり出来れば、おれの言ったことが間違ってなかったってわかるはずだ。また変わらず一緒にいられる。
「とにかく。俺は何にもしてねえ。勝手に裏で手え回してるみたいに言ってんな」
「……」
「彼女、ずっとお前のこと好きだったんだろ?かわいいじゃん。付き合うとかじゃなくても、嫌いじゃないなら友達とかでも……」
「俺は!」
急に一ノ瀬が大きな声でおれの言葉を遮った。滅多なことじゃ怒鳴ったりしない奴の大声はビックリするけど、ドキドキもする。
「俺は……」
じり、と一ノ瀬が間合いを詰めてきた。うつむいた一ノ瀬がじりじりと迫ってきて、おれはプレッシャーに同じだけ後ずさる。
とん、背中に壁が当たった。もう、逃げることができない。伸びてきた一ノ瀬の両腕がおれを囲った。
「なんだよ、退けよ」
「俺は……お前のことが好きなんだよ」
「………………は?」
「お前の、ことが、好きなんだ!」
混乱する。好きって、好きって、こういう体勢で言う好きって。それって、俺と同じ、好き?
いや待て。そんなわけないだろ。だってこいつは藤本と付き合ってたじゃないか。男が好きな奴、とかではないはずだ。
だったらそれは勘違いで、秘密を共有してるから特別に思ってるだけなんだ、きっと。
だって、男同士じゃん。付き合ったって親に紹介できるわけでもないし、友達にだって言えない。
結婚できるわけでもないしそんなで生涯付き合っていけるなんて思えない。
いろんなことに逆らって疲弊して、離ればなれになってしまうかもしれない。
どうしてお前には、それがわからないんだ。
おれは、いつまでだってお前の隣にいたいのに。
「伸……」
考え事をしていたおれを抵抗がなくなって受け入れたとでも思ったんだろうか。
一ノ瀬の右手がおれの頬を支えた。一ノ瀬の顔が斜めに傾いておれの目の前に迫ってくる。
────目を開けているのに、目の前で起きていることとは違う映像が見える─────
これは……おれの魔力か?
今のおれと同じように腕に閉じ込めた藤本に、一ノ瀬がキスしてる。
藤本の白くて細い腕が、一ノ瀬の背中に回りその動きを確かめるように動く。
いつかみたいに器用に白いブラウスのボタンを外し自分もシャツを脱ぎ捨てる。
そして彼女の上に覆い被さった。
美しい筋肉をまとった背中がじっとり汗ばみ、一心不乱に動いている。
おれの知らない、恐らく目にすることのない姿。
一ノ瀬の感情がおれにこれを見させているのだろうか。
こんなときに見えちゃう映像だもん、たぶん、これが正しいっておれの力がそう教えてるんだよな。
見たくない、これ以上見たくないからぎゅっと眼を閉じた。
一ノ瀬の前髪がおれのまぶたに触れた瞬間、カッと眼を見開きおれは一ノ瀬を突き飛ばしていた。
「……伸」
一ノ瀬は思いがけなく突き飛ばされて後ろに二、三歩、後ろにたたらを踏んだ。やっと踏ん張った体制のまま、おれを見た。
「ふざけんな。勝手に暴走すんなよ。」
一ノ瀬の顔は見れなかった。おれは髪の毛をかきむしり、自分の迷いを払う。
「そういうつもりなら、今後おれに近づくな。おれは、そういう気持ちをお前には持てないし、今まで仲良くしてたことに、友達以上の感情はない」
くしゃりと歪んだ一ノ瀬の顔を横目が拾ってしまった。
ぐさりと、鋭い針がいくつも胸に刺さる。
自分の言葉で自分がズタズタに傷つくなんて、図々しい。今、目の前で、一ノ瀬にこんな顔をさせているのは、おれなのに。
おれは一ノ瀬に背を向けた。一ノ瀬は動きもせず、きっとおれの背中を見ていた。
ごめん、ごめん。
ふざけんなはおれだ。
どうしてもっと優しいことが言えないんだろう。




