校内予選・2
放課後の体育館裏は日当たりも悪く繁った草がうっそうとしている。メールの相手を探すように奥へと足を踏み入れると、女の子がひとりで立っていた。
「……メールくれてたの、君?」
「……」
女子生徒は何も言わずうつむいている。
声をかけようとすると後ろから突き飛ばされた。
「くっ……」
「ちょっとの間おとなしくしててね?」
口にガムテープを張られ、手足を紐のようなもので縛り上げられる。相手は……二人?そのまま担ぎ上げられ、すぐそこの校舎に入る通用口から中に進んでいく。
『なんだよ!これは?!』
声を出すこともままならない。喉の奥から声を出し、カラダをくねらせて抵抗すると湿気った部屋の中に転がされた。
床に這いつくばり段ボールや机を蹴り飛ばし大きな音を出そうと試みる。
「ぐっっ……」
おれを担ぎ上げた男の一人が脇腹を蹴りあげた。涙が滲む目で睨みつけると一ノ瀬のクラスの男だ、と思い当たる。もう一人もどこかで見たことがあるような気がする。
「校内予選が終わるまでおとなしくしててよ」
予選……予選……一ノ瀬、か
意識があったのはそこまでだった。
気がついたのは学校の保健室でおれをのぞきこむ一ノ瀬と松島と目があった。
「お前……何やってんだよ……予選会は……」
「お前がいなくなったっていうのにそれどころじゃねーよ!探して、探して……体育館裏だっていうから行ったけどいないし……使ってねえ準備室で縛られたお前見つけて……」
ああ、あそこの入り口のとこすぐに前に使ってたらしい体育館準備室あったなあ。あそこじゃ窓もないし、人を隠すにはもってこい……って
「探した……って……お前、じゃあ……」
「インターハイより、伸の方が大切に決まってんだろ?!」
「あ……」
手が震えた。騙された、嵌められた。自分のせいで一ノ瀬の目標が奪われてしまったんだ。
一ノ瀬の話ではおれが体育館裏に向かってしばらくしておれのスマホから一ノ瀬にメールがあった。
『伊澤は校内のどこかで縛られてるよ。助けてあげなくていいの?』
それに気づいた一ノ瀬が松島に助けを求めて二人で探してくれたらしい。
「伊澤は相手の顔を見たんだろ?」
「……」
「見てないのか?」
「あの……」
一ノ瀬が聞いてるこんなとこで言えるわけがない。おれを拉致ったのはお前のクラスの奴だったよ、目的はお前を校内予選に出させないことだったよ、なんて。
おれのことだけなら我慢する。でも、この先一ノ瀬に危害が及ぶことがあったら。
「先生!」
俺は痛む腹を押さえてベッドの上に起き上がった。松島が自分が痛そうな顔をして支えてくれた。
「悪い、一ノ瀬。松島に話があるんだ。少し、外してくれない?」
「なんで……!」
「ごめん、少しだけ」
悔しそうな顔で唇を噛み締める一ノ瀬が、少しかわいく見えた。ごめん、でも、お前に嫌な気持ちになってほしくない。
いつまでも話始めないおれに一ノ瀬は渋々部屋を出ていった。
「……忠犬か、あいつは?」
「かなり優秀ですよ」
おれは松島に向き直りあいつらに言われたことを打ち明ける。男の一人が一ノ瀬のクラスの……ああ、名前思い出した。吉崎だっていうことも。
「ったく、なんでおまえはそう厄介なことに首を突っ込むかねー……」
「俺が突っ込んだ訳じゃねえっつーの。で、どうするの、あいつら」
「それは伊澤が考えることじゃないよ。一ノ瀬の件も含めてちゃんとするから」
「……お願いします。あ、それと、さっきのこと一ノ瀬に言わないって出来るかな」
「なんで?当事者だろ。あいつが知らなくていい理由なんてないだろ」
「だって、さっきの奴だって一ノ瀬クラスのやつだもん。そいつらに陥れられるところだったなんて知ったらやな気持ちになる」
「……気持ちはわかるけど。もし、お前が同じことされたらどうだ?」
「同じこと?」
「ただ、どっかにぶつかったり怪我したりしないように、大事に守ってもらってたらってこと。同じ男としては情けなくなんじゃないの?」
「それは……」
嫌かも。
やっぱり対等じゃないって感じるだろうか。隠しごとされてるって傷付くだろうか。不器用な一ノ瀬に余計な気を回させたって、反省するかもしれない。
例えば、やっぱり『生涯を共にする』約束が、ありきたりな友情のことを指していたとして。それでも遠くで生きる一ノ瀬をおれは見ていたいと思うんだ。
陸上を辞めて、普通の仕事に就いて結婚していても、一ノ瀬が選んだ世界で輝いているのをどこからか見ていたいんだ。
その時に出来ることなら、おれが下から眺めるんじゃなくて、同じ高さのところで見ていたい。
今のおれには何にもないけど、いつか一ノ瀬に『ただの伊澤伸』でも一目置かれる男になりたい。
「なんか今、始めて先生のこと先生っぽいと思った」
「俺はいつでも先生だろうが」
「でした」
「そうなんだよ!」
思わず笑ったら脇腹が痛てえ。
「一ノ瀬、……チャンス、あるかな」
「掛け合ってみるさ」
「ありがと、先生」
犯人がおれに顔を晒していたから、事件はあっけないほど簡単に解決した。おれが見た一ノ瀬のクラスメイト、吉崎はおれを拉致ったと素直に認めた。
おれにメールを寄越し呼び出したのは一ノ瀬のライバルの彼女。友達と後輩に頼んで今回のことを企てたという。
鈴が聞こえないから、おれは魔法を使ってない。
でも、なんであいつは顔を隠さなかった?
すぐにバレてしまうのに。そうしたら……
あれ?
「もう一回、俺のタイム計ってくれるって」
「よかったじゃん、がんばれよ。ところで、最初の選考で選ばれた吉崎の友達は?どうなった」
「直接関与はしてなかったってことなんだけど、一応白紙になった。問題を起こす友達がいるっていうことも問題だって」
やっぱりそうだよな。そういうことなんだ。
職員室から親に付き添われた吉崎たちが出てくるのが見えた。
鈴は鳴らない。
でも、こんな行く宛のない気持ちに気づいてしまってこのままになんてできない。
たぶん吉崎はおれにメールをくれてた子が好きなんだ。だから彼女に協力をした。でも、悔しくてやりきれなくて、恐らくこうなることを期待して、おれに顔を見せた。
好きなのに、そばにいられなくて、好きだということも出来ない。こんなことでしか、彼女の力になれないなんて。
吉崎に近寄って力を使おう。彼女に思いを打ち明けさせよう。そうしたら彼女だって、吉崎の想いの大きさに気づくはず。
「あれ……」
「なに?」
「や、おれが中学ん時怪我したのって大会前に階段から落っこちたからなんだけど。あの子、この間はわからなかったけど、その時にぶつかった子だ……」
「……」
あれ?
あれ、もしかして、あれも
おれの頭で考えがまとまる前に一ノ瀬が廊下を走り出した。職員室から来賓用玄関に出るまでの間に一団を捕まえた。
彼女の腕をつかむとぐいと自分の方を向かせた。
「中学の時、伸のことも大会に出させないようにしたのか?!」
「え……あ……」
その時まで忘れていたんだろう。
職員室でも親と職員から絞られてきたであろう潤んだ目が大きく開いて一ノ瀬のあとから追い付いたおれを見た。
「あ……ご……ごめん、なさい……ごめ……」
たぶん、当たりなんだろう。泣きじゃくる女の子を父親らしき人が支え、深々と頭を下げた。
「これからのことは親御さんともお話しさせていただくが、本当に申し訳なかった」
「いえ……おれは」
「中学の時のこと、というのは?」
「……いえ」
別にいいんです、その声は口からでなかった。なぜならものすごい剣幕で一ノ瀬が彼女に掴みかかったからだ。
「こいつが中学の時大会前の伸を階段から落としたんだよ!その時大会に出た奴と付き合ってたとかいうのかよ!伸はな、今でも後遺症に悩んでて走りたくても走れないんだよ!なんでそんなことしたんだよ?!伸は……伸は……」
最後の方はもう涙声になってしまって何をいっているのか聞き取れなかったけど、おれは一ノ瀬の手をそっと彼女からはずして、親御さんに頭を下げた。
「すいません、頭に血が上がって失礼なことを。中学の時のことは済んだことです。学校からも補償してもらいましたし。今回のことも学校に任せます。それから吉崎。こんな方法でしか言えない気持ちなんてろくなもんじゃないぞ。ちゃんと言葉で伝えろよ」
驚いた顔で吉崎はおれを見た。
なんでわかっちゃった?って言いたいんだろうな。それはたぶん、おれがお前と似たようなややこしい気持ちを抱えちゃってるからだよ。
うつむいた吉崎はくぐもった声で「ごめん」と言った。一緒にいた親父さんに頭をぐいと押し下げられて、変な声になってたけど。
さめざめ泣き出した彼女と吉崎たちをつれて、一団は帰っていった。恐らく停学になるんだろう。
戻ってきたとき、吉崎の気持ちが彼女に伝わるといいのに。叶う叶わないは、わかんね。
でも、そういう切ない気持ちが原動力の行動だったって、当事者が知らなくていいわけないと、おれは思うんだよ。
「なんで止めたんだよ」
あれからずっと放心していた一ノ瀬が、夢から覚めたようにそう言った。言葉を交わすようになってから一度だってあんな風に怒鳴ったことなんてない。それ以前のことなんて知らないけれど、元々おっとりして感情を露にするタイプではなかったんだろう。そいつが、おれのために
「もういいんだよ。お前が怒ってくれたから。スッキリした」
「伸、甘いよ。もし、足が痛くなければ一緒に走れたかもしれないのに。今日だって二人でインターハイ、目指せたかもしれないのに」
「いいんだ。おれはお前の応援をしたいんだよ。見に行くからな、絶対優勝しろよ?」
「……優勝、は無理かも。っていうか、まだ校内予選通ってない!」
「通るよ、絶対。」
ポン、と一ノ瀬の胸を拳で叩いた。
うわ。
思いがけなくたくましい感触に、鍛えてない自分との差を知らされる。それに続いてこのあいだ、自分が妄想で汚してしまった一ノ瀬の、耳に吹き込まれた吐息を思いだし。
『……大丈夫か』
ギャーーーー!!
「なに、魔法でもかけてくれたの?予選通るように」
一ノ瀬が胸に拳を当てたまま固まっているおれを不思議そうに見て言った。
「んなっ!んなわけないだろ?!自力で勝ち進めよっ、自力で!」
「わかってるよー」
隣で何のほの暗さもない笑顔でにこにこ笑っているけど。
わかってない!わかってないぞ、一ノ瀬。
おれの脳内では、お前が、おまえがあああああ……
後日、再び行われた校内予選で、一ノ瀬はぶっちぎりのタイムを叩きだし地区大会への出場権を手にいれた。
俺たちの高校最後の夏が幕を開けたんだ。




