校内予選・1
ゲームが、はかどらない。
理由は何となくわかってる。
この間、一ノ瀬に触られてうっかり変な声だしそうになりました。
つか、勃ちかけました。
それが、おれの弱いとこだったのか、考えたくないけど相手が一ノ瀬だったからなのかは、微妙。
魔法を見破った時点で一ノ瀬がおれにとって特別な人間だと言うことはわかっている。でもそれは、親友とか同志とかそういう意味だと思っていたけれど。
ここに来てもしかして違う意味もあるんじゃないかと思えてきた。
例えば、恋愛感情、とかよ?
例えば、たとえばですから!
百歩……千歩譲っておれはOKだったとしてよ?
あいつは、女の子が好きだよな。
元カノの話も聞いたことあるし、それはないだろうな。
でも、おれにとって一ノ瀬は生涯を共にするもの、で。
それってどういうことだろう。
『生涯を共に』ってイメージはさ、ストレートに結婚っていうのを想像してたんだ、おれは。
でも、友達って、そんなに密なものだろうか。例えばお互い、仕事に就いたりそれこそ結婚したりして、年に一、二回呑みに行って近況を報告したり愚痴ったりする程度の事を『共にする』何て表現するか?
一ノ瀬の妹をもらってくれないかなんてお父さんから直々にスカウトされたけど、断っちゃったしな。
ああ、同じ仕事に関わり続けるっていうこともあるかもしれないな。体育会系の一ノ瀬と完全に文化系にシフトしたおれに、共通の仕事がなにかはわかんないけど。
音が流れ続けるテレビと握りしめてすっかり体温が移ったコントローラーは、昨日からなんの進展もさせられない勇者を笑ってるだろうか。
「やーめた」
コントローラーを放り投げ、ベッドに仰向けに倒れた。ぼんやりと、中学の時のことを思い出す。
中学校の頃陸上をやっていたおれは大ケガをして陸上を辞めた。
怪我の原因はふざけた女子にぶつかられたことだったけど、偶然階段の上にいたためそこから落ち半月板を負傷した。
手術とリハビリに数ヵ月かかり、受験時期にも重なったためそのまま部活に戻ることはせず、受験に専念。進学してからも精神的なものか筋力不足か足が痛むような不安があり、陸上からは遠ざかっていた。
あの事故がなければ、回復がめざましかったら。
今頃一ノ瀬と一緒に走っていたんだろうか。
風を切って走る。肺が締め付けられるみたいに苦しくて、手の甲がジン、と痺れるような感じがする。
それでも腕を振って脚は地面を蹴り進む。
潰れそうな肺に引き換え、痛むはずの左足は何もなかったように快調で羽根が生えたように軽い。
憧れてやまないあいつになったみたいだ。
夏は太陽に焼き殺される勢いで、冬は頭のてっぺんまで冷たい空気が入ってくるみたいなフィールド。
それでもゴールを目指す。仲間が待ってる。
ゴールラインを踏んだおれに駆け寄ってくる誰か。
「やったな、伸!」
長い腕がおれを抱き締める。自分の上がった息がそいつの肩で弾けているのがわかる。ゆっくり、立ち止まらないように肩に手を回されフィールド上を歩き出す。
不意にそいつを顔を見上げれば逆光ではっきり見えないけれど声はよく知ってる。
「一ノ瀬、おれ、今日どうだった?」
「すげえ調子良さそうだったよな。ぶっちぎりで一着だったもん」
「そっか。でもおれ、本当は足を怪我してて前みたいには動かない。もう走れないんだ」
「そんなことないよ、走れてた。また走ってみろよ。俺が見ててやるからさ」
肩にかけられた手がそっと背中をさすってくれる。一ノ瀬のクセにおれを慰めてくれるつもりか?
意外なほど大きな手がゆっくりと背中を上下してやにわにおれの肩甲骨に触れた。
ぞわりと悪寒とも快感ともつかない感覚が背中を走り抜けその場にうずくまってしまう。
どうしよう。この間とは比べ物にならない、力が入らない。
「伸、こんなところで座っちゃダメだ。もう少し歩かないと。あそこにベンチがあるから」
「も……もう、立てない……助けて……一ノ瀬……」
自分の出した声も聞こえないくらい、頭の奥がジンとして背骨が抜かれてしまったみたいだ。
腰の後ろがじわじわと良からぬものに侵食されていく。
「伸……」
やめろやめろやめろ!
そんな甘ったるい声でおれを呼ぶな!
しゃがみこんだれおれをさらに横たえ、一ノ瀬が覆い被さってきた。おれの喉は痙攣したみたいに声も出ず、ただただ一ノ瀬の手の動きを肌だけが追っている。
思いのほか温かな手。触れられただけで体がビクビクと跳ねる。背中の真ん中をついと指が滑ったらそれだけでなにかが溢れそうになる。
いつかきれいだな、と思っていた爪の先に胸の先を引っ掻かれると、体の輪郭が溶けてなくなってしまいそうだ。
涙が出る。息も苦しい、さっき走っていたときよりももっと苦しい。
助けて、一ノ瀬
その声が口から出ているのかもわからない。
薄いユニフォームのゴムを潜って、一ノ瀬の手が滑り込んできた。おれは顎をあげて呼吸をしようとするけれど、うまく息が吸えず打ち上げられた魚みたいに跳ねるしかない。
苦しい、苦しい。
はっきりと意思を持った手がおれを探る。腰を引いて逃げるけど、あっけなく捕まった。一ノ瀬は絶妙な力で握りしめ、ゆっくりと動かし始めた。
背中に触れられてから兆してたそこはすっかり立ち上がり一ノ瀬の愛撫を喜んでいる。
いつの間にか首のまわりでたぐまっているTシャツの間から一ノ瀬がおれの肩を強く吸う。歯を立てる。血も滲むほどに強く。その痛みにすら感じてしまう。
おれってMだったのかとかこの状況で考えちゃってるおれのことは無視で一ノ瀬がさらにそこをなめあげる。
「んあっ……」
おれ今なんつー声出した!?こえっ、うん声だね!あ、喘いだねっっっっ!
そんなおれの様子を見ながら一ノ瀬が一気にスピードを上げた。焦らしたりなんかしない。一気にゴールに向かって擦りたてる。
苦しい、苦しい。何とかして一ノ瀬
「……大丈夫か?」
汚れた手を見て、呆然とする。
「お……っと」
左手に受け止めた行き場のない欲望の塊をティッシュで拭い取る。登り詰めた熱が徐々に冷めてよせばいいのに冷静な頭で考えちゃった。
────やべえ、おれ、一ノ瀬で抜いちゃったよ……
「えーーーー……」
『急にメールしてごめんなさい(^人^)
ずっとお話ししたかったんです
メールくれると嬉しいなっ!』
「……誰だ?」
突然、心当たりのないアドレスのメールが来た。うっかり開いて読んでしまい、やっぱりいたずらだったかとそれを消去する。
もうすぐ梅雨入りだろうか。グズグズした空の色は夕べのおれの救いようのないあほな行動を笑っているかのようで。
心身共に疲れているはずなのに結局寝付けず(おれにしては珍しい、って言うかはじめて)隈などつくって登校したおれをゲームのやりすぎだと森本と川崎がからかう。
おれとしてはそれどころじゃなかったんだけど、そういうことにしていかないと何を突っ込まれるかわからない。
変なメールのことを話そうかと思ったけど、森本の下らない話にに笑っているうち忘れてしまった。
まあ、もう来ないだろう。
ところが、翌日からも同じアドレスのメールが日に一度ないし二度必ず届くようになり、さすがに気味悪くなってきた。
間違いなのかもしれない、最初はそう思い一度『相手を間違っていませんか?』とレスしようとした。
次に送られてきたメールにおれの名前が書かれていたから、これは間違いなくおれ宛なのだと理解した。
『伊澤くんは購買のパンで何が好き?』
伊澤くん。おれのことを知っている。
クラスのやつ?中学の時の友達?休みの間だけやってたバイトの人?
教室の中でまわりを見回す。誰もおれなんか見ていない。
メールのアドレスはクラスの奴なら誰でも知ってる。連絡網代わりに使うこともあるからだ。
アルバイト先の人だって緊急連絡先に登録していたから、知っている人は知っている。中学の時の友達だってケータイ持った嬉しさで何人も教えた。それがどこから流れるかなんかわからない。
「……」
「なんか最近、スマホばっか見てねえ?ゲームでもしてんの」
「うわっっ」
一ノ瀬に急に覗かれた画面はまさに『その』メールだった。
『今日は雨降らないといいよねっ!雨降ると髪の毛爆発しちゃうからヤダナー(;´д`)』
「……誰?」
「……知らね。ちょっと前から来るようになって」
「は?なんだよそれ。気持ち悪いじゃん」
「別に勝手に来るだけだし、返事なんてしねえし」
「だけど……!」
「一ノ瀬ー、ちょっといいー?」
教室の入り口から一ノ瀬のクラスの女子が呼んでいた。
「今ちょっと……」
「緊急なの!早くー」
「行けよ、うるさいし」
小さく舌打ちして一ノ瀬が立ち上がった。らしくない行動に少し怯む。
彼女たちの方に行ったまま、こちらを少し気にする様子を見せたがそのまま出ていってしまった。
「一ノ瀬くんはモテますなー」
「んだよ、森本……」
「だってさー、この間だって女の子にきゃっきゃ言われてさー。ここだけの話、告られたりもしてるらしーよお」
「告……」
一ノ瀬が人気があるのは知っている。部活中もギャラリーは女の子ばっかりだし。まあ、男がキャーキャー言っても気持ち悪いけど。
でも、何となく憧れとかアイドル見るみたいな曖昧な好意なんだとばっかり思ってたんだけど。
「告白、かあ」
そういえば、春休みにも里見柚子に告白されたんだよな。俺が知らないだけで、もっとたくさん打ち明けられてるのかもしれない。
いつか、一ノ瀬が思いを寄せている女の子があいつを好きだって打ち明けるかもしれない。
おれは一ノ瀬のそばにずっといられる予定だけど、それが、彼女を上回る頻度であるはずがない。
毎日だったのが一日おきになって、一週間に一度になって、月に一度になって……
気持ちがずっと繋がっていればそれでも一生を共にするっていうことになるんだろうか。
一ノ瀬の部活の校内選考会の日。
各種目二人ずつが地区大会に出場できる。一年も三年も関係なくタイムの速い奴を選出するらしく、みんな気合いが入っている。
珍しく一ノ瀬も緊張した顔をしていた。いつもだとみんなを笑わせたりしているのに。
「おはよー、一ノ瀬。調子どう?」
「あ?ん、まあまあ」
「……なんだよ?」
「あの、メール、まだ来るのか?」
「めーる?」
忘れてた。一ノ瀬がたくさん告白されてるって聞いてから、なんか。
来てはいる。でも、もう読む気にもならなくて片っ端から削除してた。
いっそのことおれが先に彼女とか作っちゃえばそっちが大事になって一ノ瀬のことなんか気にならなくなるのかとも思ったけど、そんなことに見ず知らずの人を巻き込めるほどおれもバカじゃない。
結局一ノ瀬ばかりが気になって、送られるメールはすべて消去していた。
「来てるけど……なんで?」
「気持ち悪いから拒否設定すればいいのにって思って」
「んー、その内名前とか教えてくれるかなって待ってんだけど」
「なんで?!」
「だって、真剣だったら悪いじゃん。あと付けられてるとかだったら嫌だけど、今はまだメールだけだし。名のられたらちゃんとする」
「そんなこと言って、なんかあってからじゃどうすんだよ!」
「なんかって?この子はおれに好意を持ってくれてんじゃなくてトラブルに巻き込もうとしてるって思ってんの?」
「……そうじゃないけど」
うつむいた一ノ瀬が顔を歪めたのがわかった。一ノ瀬はそんな風に思うやつじゃない。それはわかってる。
おれが、たぶん嫉妬してるんだ。
「そうだって言ってんじゃん。まあ、お前と違ってモテないから、そういう迷惑メールしか来ませんけどね」
「そんなこと言ってねえよ!」
だから一ノ瀬を傷つけるようなことを平気で言う。おれの言葉で一ノ瀬の感情が揺さぶられればいい。
一ノ瀬に告白してきた女の子たちだって、こんな顔は見たことがないだろうと優越感に浸っている。こんな酷いこと言ったって一ノ瀬が離れていかないことを喜んでる。
イヤな奴。
フィールドで予選が始まった。一ノ瀬ももうすぐ召集がかかるだろう。
走る部員たちを見ながらすぐわかる。
みんな一ノ瀬とは違う。一ノ瀬の走りはきれいで、遠くからでもすぐわかる。
性格がよくて、背が高くて、走るのが速くて。その上優しくて。
おれも一ノ瀬みたいになりたかった。
魔法なんか使えなくてもいいから。
「俺も中学ん時走ってたんだ。信じらんないかもしれないけど学校で1.2を争う速さだったんだぜ」
「……知ってる」
「……俺、この話お前にしてないよな……お前っていうか、誰にも話したことない……」
「本当に、覚えてないのか?」
「何を……?」
「一ノ瀬くーん!」
グラウンドの端からギャラリーの女の子が呼んでいる。結構きれいな子だ。あんなのからも声がかかっちゃうんだ。
「呼んでるよ?」
「聞こえてる」
「行けばいいじゃん」
「伸、俺は……!」
♪~
おれのスマホがメールを着信した。
『話したいことがあります。体育館裏に来てください』
例のメールだ。
「……相手にするなよ」
「なんで、お前に関係ないじゃん。おれ、行ってくるから。お前はあの子んとこ行けよ」
「行かねーよ」
「なんで、結構かわいいぜ。もったいない」
「伸!」
一ノ瀬が腕をつかんだ。案外、力がこもって痛い。
行くなって言われて、少し嬉しいのはなんでだろう。
一ノ瀬もおれと一緒にいたいって思ってくれてる?さっき声をかけたあの子より?
「一ノ瀬くーん!ちょっと来てー」
甘い、花びらみたいな声を聞いて目が覚めた。おれは一ノ瀬の手を振り払い、離れる。
「ちょっといって来る。お前が走るまでには間に合うと思うけど頑張れよ」
「伸!」
一ノ瀬の止める声も聞かず、おれは体育館に向かって歩き出した。




