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第1話−4:試合

 郭方が棒を投げてよこした。

 二人は五歩ほどの距離をとって正対する。言葉はない。

 林昭はふと上を見上げた。空が青い。真白な雲がところどころに浮いている。

 それを見ながら、林昭は奇妙なことを思った。

 この青空の下にはにぎやかな町がある。自分たちはその中にいる。この場所を一歩踏み出せばそこは東西が混じりあう坩堝るつぼである。

 坩堝の中は人であふれていて声は洪水のように飛び交っている。せまい坩堝の中でその波に呑みこまれずにいられる場所など存在しない。

 それなのに、今この場所には一つとして声が存在しない。自分の鼓動が、二人の息遣いが、静寂の中と変わらぬ確かさをもって耳に響いてくるのだ。

 それはまるでこの一角だけが切り離されて別の時間を生きているかのようだった。

 林昭が空から目を戻しても二人はまだじっとにらみ合ったままだった。

 お互いの一挙手一投足をも見逃すまいとするかのように目を凝らしている。見ていて息苦しくなるほどだ。

 なにか、得体の知れないものが、周囲を満たしては引いてゆく。

 はじけた。

 先に動いたのは呂盛のほうだった。

 二歩の間を五歩で詰めると棒を躍らせて顔面へ突きをくれようとする。

 郭方はこれを体をずらして避けようとした。すると棒は変化して足下へのびる。

 白衣がひるがえって後ろへ下がろうとする、それと同時に郭方も横に払って相手を牽制する。

 呂盛はこれを受けながらさらに間を詰め懐に飛びこむ。右に左に棒をくりだして相手に間合いを取るいとまを与えない。ぐいぐい押してゆく。

 相手のほうも懸命にこれをはじいて時折反撃を試みるが、立ち上がりに失った勢いを取り戻すには至らない。ますます押されて苦しくなってゆく。

 林昭はこれを冷静に観察している。呂盛の動きは急激に見えて攻めは大振にならず、細かく小さく、それでいて力がこもっている。郭方はこれをうまく受け、軽快な足運びでかわしつづけているが矢つぎ早にくりだされる呂盛の攻撃を払いのけて攻勢に至るだけの余裕がない。

 しだいに郭方の顔に焦りが見えはじめた。攻めに移らない限り勝ちはない。何とかきっかけをつくろうとするのだが、その心に体がついてこない。ますます追いつめられてゆく。

 焦りがついに形となる。下がるのが一瞬だけ遅れた。かろうじて袈裟懸けにふってくる棒は受け止めたが、次の払いはまともに胴にはいった。

 ぐっ、と声をたてて郭方が崩れ落ちた。

 「気はすみましたか。約束ですから手伝ってもらいますよ」

 そういって呂盛は郭方の足下に、とん、と棒をついた。

 「へっ、一本とっただけで勝った気になるなよ。負けが怖くなかったらもう一本勝負しな」

 減らず口をきいて立ち上がる。背を向けて井戸のほうへもどろうとした呂盛は振り返らずに、肩をすくめてつぶやいた。

 「負け犬の遠吠えはよして、早く手伝ってください。このあいだの戦のせいで薬がいろいろと足りなくなってるんですから」

 「勝ち逃げったってそうはいかねぇ、もう一本とったら手伝ってやる」

 呂盛が振り返った。赤い衣が太陽の光を受けてよりいっそう燃え上がる。

 「その言葉に嘘はありませんね」

 「きくだけ野暮だぜ」

 完全に林昭は一人取り残されてしまった。二人はまた押し黙って対峙している。

 日もすっかり地平線から顔を出して春の陽光をふりまいている。

 そういえば風彪はまだ起きていないのだろうか。いつもの師匠ならば日の昇るころには起きだしているのに今日はまだ声を聞いていない。まだ寝ているのか、それともまさかとは思うがなにかあったのか。

 ――一度部屋に戻ろう。

 くるりと井戸に背を向けて宿の勝手口の、取っ手に手をかけた。

 「ちょっと待ちな」

 後ろから声が飛んできた。

 「林昭だったな、頼みがあるんだ。きいてくれねぇかな」

 あまりいい予感はしない。郭方の微笑みが怖い。できることなら立ち去りたいところだったが万全ではない足ではそういうわけにもいかない。

 「なんでしょうか」

 「なに、そう怖がるなって。俺とあいつの試合を見てて欲しいんだ。あいつがいかさましねぇようにな」

 「それはこちらの台詞ですよ」

 呂盛もこちらへ歩み寄ってきた。自然と林昭は二人にはさまれる形になる。

 「すぐに片付くからそれまでここにいてもらってもいいかい。まださっきの続きが残ってるからね」

 眼光が鋭くなった。これでは選択肢がない。しぶしぶながら林昭はその場に残った。

 二本目は郭方の勝ちに終わった。さきの反省から十分に間合いを取り、余裕を持って攻撃をかわし、いらだつ呂盛の大振を誘ってその隙を逃さず最後は突きでしとめた。

 こうなると呂盛も黙ってはいない。三本目は呂盛がとった。

 そして二人は一進一退を続け、林昭を立会人として巻き込んで、太陽が中天にさしかかるまで戦い続けたのであった。

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