第2話−8:表裏
苦労して集めた兵の半数が帰国してしまった。
連合軍の盟主、アテルイの市長は舌打ちをくりかえしていた。
これまでの準備にぬかりはないはずだった。水面下で少しずつガルテアに与する都市を切り崩した。政争の外に身をおいていた国も味方に引き入れた。ときには相手に利を与え、またあるときには恫喝に等しいことも行った。そうしてガルテアまでの距離が五舎までのほぼすべての勢力から参戦の約定を取りつけた。一舎は軍が通常の行軍速度で一日に移動できる距離である。
唯一の例外は、内陸のラムカーン王国だった。この強大な軍事国家は一都市を盟主とするこの連合に参加することを拒んだのだ。そこでこの王国には多額の賂を贈り、戦勝後の交易における優遇を約すことで不可侵、不干渉を認めさせた。連合軍の中にはラムカーンと境を接し、その脅威にさらされている国や都市が数多くある。ラムカーンから不可侵の約定を取りつけることは、彼らを参戦させるためにどうしても必要だった。
それにもかかわらず今朝、ほうぼうの陣に本国からの伝令がやってきて報告した。
「ラムカーン、出兵」
「至急、帰国されたし」
市長は必死になって諸侯を説きふせようとした。ガルテアの落城は目前。いま総攻撃を行えば、すぐにでも攻略できる。本国を救援するのはそれからでも遅くない、と。
しかし彼らは猜疑の顔を向けるばかり。すぐにでも攻略できるなら、なぜいままでじっとしていたのか、と逆にかみついてくる。
状況が違う、と市長は叫びたかった。ラムカーンは出てこないはずだったのだ。だからいくら時間がかかろうとも犠牲を最小限に抑えるために持久戦を選んだのだ。それは諸侯の意思でもあったはずなのだ。誰もが楽をしたいと望み、そのとおりにしたのだ。
連合に加わったものたちは、ラムカーンが出てこないことを前提にこの連合に参加している。その前提が崩れたいま、連合の一員としてはたらく義務は失われた、と考えている。
両者の溝はいっこうに埋まらなかった。それどころか議論が長引くにつれて感情的になり、ますます広がるばかりである。さらにはアテルイの将までが、ラムカーンが動いたとあってはアテルイも危うい、いっそガルテアと和議を結び、連合をあげてラムカーンにあたるべし、などといいだした。
帰るところがなくなってしまうとまでいわれると、反論の言葉を見つけることはできなかった。アテルイはほかの都市や国を隔ててラムカーンとむかいあっている。唇亡びて歯寒し、という。それらの都市や国がラムカーンの手に落ちればアテルイもただではすまない。
しかしここまできてガルテアをあきらめることもできない。市長は折衷案を示した。連合の半数は帰国してラムカーンの防ぎに当たり、残りの半数でガルテアを攻撃するのだ。
落としどころを探っていた諸侯もこの案に同意した。内陸国のラムカーンにまず狙われるのは海港であると思われたため水軍のほとんどを帰国させ、陸上の部隊をガルテアに残すこととなった。
日が中天をすぎたころから撤退が始まった。これに乗じて城内の兵が打って出るやもしれぬと警戒はしたが、ガルテア城はそれまでと同じように不気味に静まりかえっているばかりであった。
それは勝ちを信じて疑わない市長の目には、おびえ、すくんでいる姿にしか見えなかった。
総攻撃は明朝と決まった。
市長はいま、自分の幕舎で酒盃を片手に、穏やかにゆれる明かりを見つめながら、後悔を重ねていた。彼が描いた絵図の中では、一度か二度の攻撃でガルテアは視界を埋めつくす二十万の大軍に屈するはずだった。このようなことになるなら、もっと前に総攻撃をかけるべきだった。
まだ、手許には十万の兵が残っている。攻城戦に必要とされる兵力は通常、相手の三倍。依然として自分が優位にあることに変わりはない。そういって、市長は自らをなぐさめた。
それからほどなくして、彼は眠りに落ちた。滝のごとくたたきつける雨の音にも、幕舎に入りこんだ人影にも、酩酊した市長は目を覚ますことはなかった。
ガルテアは、大勝をあげた。
連合はアテルイの市長をはじめ、主だった部将のほとんどを捕らえられ、兵のおよそ三分の一を失った。ガルテア包囲は、崩壊した。
クルスはその公により、ガルテア正規軍の元帥、司馬に任命された。包囲戦における彼の立場はあくまで臨時の指揮官だったのだが、これによりクルスは一万二千五百の兵を自分の手足とすることとなった。
さらに捕らえた部将たちと盟いを結ぶと、彼らとともにラムカーンを撃退すべく進発した。
ラムカーンは諸侯の予想に反して内陸の都市や国に兵馬をむけた。これらの都市では包囲戦に参加していた兵の帰還がなく空同然の状態であり、アテルイを含む十二の都市が陥落した。これに対しクルスはまず連合の盟主であったアテルイに三日三晩、火の出るような猛攻を加え、城門を破壊して攻略したのを皮切りに、十二の都市すべてを三ヶ月で奪回した。
これによりガルテアは包囲からほぼ四ヶ月で自らを包囲した二十万の軍勢に号令をかけることとなった。
一つ一つの国家に異なった義務や権利を与えて同盟を結ぶことで支配下にある国家が結束してガルテアに反抗するのを防ぐ、いわゆる分割統治の方式をとり、大陸西部のおよそ五分の一を支配した。
クルスはガルテア内においてもその多大な功績を認められ、要職のほとんどを兼任することとなり、さらに元老院から元首として認められた。名実ともに彼はガルテアの頂点に立つこととなったのだ。
大権をクルスに与えた元老院の力はそれから少しずつそがれていった。そしてクルスの孫、ゼルク=イゼルニアをガルテア皇帝に選出し、時代から退いた。
「――これが表むきだ」
ガルテアを離れる船の上で、林昭は帝国のはじまりを聞いていた。
潮風が、かもめの鳴く声が、新鮮だ。
海を見るのは、はじめてだ。林昭は山で育った。両親とともにあったときも、両親を奪ったものたちとともにあったときも。
陽がまぶしい。
カルマの兄、セリンは商用で不在だった。それを聞いたカルマの顔が、わずかにほっとしたようにゆるんだのを林昭は覚えている。
一行はそれからカフカス邸で一泊し、翌朝一番の船で帝国の首都グランゼルへ出立した。
ときどき自分がこうして陽の下にいられることが信じられなくなる。目を覚ますとあの薄暗い穴ぐらに戻っているのではないか、と
不安に襲われることもある。
が、いまはそんな心配をする必要はない。むしろ明るすぎるくらいだ。
「しかし本当は――」
風彪の話は続く。
「すべてクルスが仕組んだものだった。ラムカーンの出兵、諸侯の予想を裏切るアテルイの陥落、そしてその奪還とそれに続く快進撃。全部クルスにとっては予定通りだった。包囲線で連合の部将を捕らえたのも、ラムカーンに出兵をそそのかしたのも、アテルイの城門を破壊したのも、みなクルスの手のものではないかといわれている」
「証拠はなにもないんだがな」
レルガもとなりで聞いていて、時々こうして口をはさむ。
「しかし、どんな名将でも三ヶ月で十二城も陥とすのは不可能だ」
風彪は少し言葉を選んでいるそぶりを見せた。
「奇術でも使わないかぎりはな」
船は帆をゆらしながらゆっくりと北へむかって進んでいく。あまり沖へ出ると海流があって南に流されてしまうから、岸が右手に見えるくらいのところを進むのだと船長が教えてくれた。
海流、といわれても林昭にはなんのことかわからない。海の水が流れる道のことだという。高低の差もないのに水の流れができたりするのだろうか。
頭をかかえていると、そばでたるにもたれていたレルガがいった。
「空気のなかで風があるだろう」
そういわれてみればそうだ。
「じゃあどうして風が吹くんですか」
「さあな。俺もそこまでは知らねぇな」
――風、か。
自分のこれからは、たぶん風とともにある。
船の舳先に目をやると、師はそこに立って何かを見つめていた。
火曜日にバイトが入ったので、もしかしたら更新する曜日が変わるかもしれません。大学の様子がわからないとなんともいえませんが…。
与する…賛成して仲間となる。味方する。力をかす。
恫喝…おどして恐れさせること。
猜疑…人をそねみうたがうこと。
酩酊…ひどく酒に酔うこと。