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第2話−7:雷雲

 クルスが諸将を集めたのは夜半だった。主だった指揮官たちは、さすがにみな軍人であるだけあって、眠そうな顔をしたりはしていない。それがクルスにとっては救いだった。

 この二週間の間に開いた軍議は二度しかないが、クルスは彼らにそれ以外の場面でも精力的に声をかけてまわった。守城戦において敗れる危険が最も大きくなるのは内応者があるとき。特に今のガルテア軍は正規軍と傭兵の混成になっている。互いに反目しあって一方が敵に通じることも考えられる。兵力は限られているから内応者が出てから処断するわけにはいかない。裏切りを防ぐため、打つべき手はすべて打たねばならない。

 ――ようやくここまできた。

 日のある間に連合軍はもとの半分にまで減った。陸軍が八万、水軍が二万。合計十万。それでもまだガルテアの五倍にもなる。

 水軍が大幅に減ったため、連合軍はガルテアの南側にある水門を突破することをあきらめ、陸上の部隊は平地の続く東側に移った。水軍はガルテアからの船が外海へ出られないよう、西側に船を浮かべて包囲を続けている。

 ガルテアは大陸を縦横に貫く央岳から西へ流れ出るレーヌ河の河口にある。レーヌはいくつもの支流と合流しながら海へと向かい、また最後に無数の支流にわかれて海にそそぐ。海にそそぐ支流のうちで最も北にあるものは特にルースと呼ばれる。川幅が広く、海を渡る大型の船も出入りすることができる。ガルテアはルース川とその北にある山地との間のわずかな平地につくられている。西は海、南は川、北は山に囲まれたガルテアはまさに要塞。以下に大軍であっても力ずくで攻めるのは難しい。

 連合軍はこれまで、北をのぞく三方を包囲してガルテアをしめつけてきた。

「クルス殿、夜襲か」

 ネイアだ。アイリーンの。イゼルニアの私兵隊長。クルスの腹心であり、その野心を知る数少ない人物。もとは軍人であったというが、過去については多くを語らなかった。指揮官としての力量は申しぶんない。今、彼の麾下きかは三百ほどでしかないが、千や万の部隊を指揮させても力を見せるだろう。

「まさしく」

 どよめきがおこる。彼らもまた打って出るときを待っていた。

「三面の包囲のうち、一面は解かれた。連合は東西に陣を張っているが、西の水軍は中心となっていたキーリックを失って士気は低い。陸上の部隊を破ればおのずと撤退しよう。したがって西側には最小限の守備を残し、東側に戦力を集める」

 守備に残る部隊を読みあげる。

「以上をのぞき、全部隊は二刻(一時間)後、東門に集合とする」

 諸将に依存はない。すぐ出撃の準備に入った。

 幕舎を出ると、暗がりの中から男が一人、近づいてきた。

「万事ととのいましたな、旦那」

「二刻後だ」

 相手がかすかに笑う。

「へへ、みんな聞いとりましたよ」

 大きな溜息が出る。

「ほかには誰も聞いてはおるまいな」

 暗に敵の間諜のことを、そして議員子飼いの間者を指している。気取られれば、ここまでつみあげてきたものがすべて水泡に帰す。

「ねずみはなん匹かおりましたがね、いたちがみんな食っちまいましたよ」

「そうか、ならいい」

 しばらく無言で歩いた。

「貴様が敵だったらと思うと、ぞっとする」

「あっしも、旦那をむこうにして仕事をするなんざ、ごめんですぜ」

 失笑した。

「よくいう」

 自分も彼らのことは、よく知らない。この男の名前すらも知らない。

闇に生きる一族。諜報、秘密工作から暗殺まで、なんでもこなす。ところが金さえ払えばなんでもしてくれるのかというと、そうでもない。彼らには彼らの信義があるようで、仕事の内容によっては断ることもある。主を変えたりもしない。

「あちらさんはみんなよくおやすみです。詰めを誤ったりしなさんなよ」

「わかっている。いやというほどな」

 それを最後に男は離れていった。

 ――いよいよか。

 体が、ふるえる。気にするまいと思い、いくら打ち消そうとしても、不安はぬぐえない。実に五倍もの敵を退けなくてはならないのだ。

 ――このくらいでちょうどいい。

 こういうとき、不安から逃げようとしないことだ。不安は不安として、そこにある。それでいい。必要なのは、冷静に自分を見つめる目と、ごくわずかな一瞬をつかみ、一歩踏み出す力だ。

 すでに麾下の二百は集めてある。ネイアが指揮する三百騎とともにクルスの命に忠実に従う、いわば親衛隊。今までに面倒を見た孤児たちや、腕利きの傭兵たちからなっている。

「みな揃っているな」

 得物はまちまちだ。それぞれが得意なものを持っている。多くは槍や矛、げきだが、なかには長柄の先に斧の刃をとりつけた戦斧を扱うものや、べんを使うものもある。

雇い入れた武芸者たちはそれぞれが得意とする得物の扱いを子供たちに教える。そこで生まれた師弟のつながりが、本来は流れ者であるはずの彼らを引き止める鎖となるのだ。

 東門へ足をむける。全員が騎馬だ。馬はクルスが自ら出向いて買いつけた、駿馬ばかりだ。

 普段は夜半ですらごったがえして足の踏み場もない大通りもこのときばかりは闇の中に沈み、人の姿はどこにもなかった。兵がもつ炬火きょかの明かりだけが、ぼんやりと浮かんでいる。それも、吹けば消えてしまいそうで、不安に体が押しつぶされるような錯覚に襲われる。

 暗がりは、人を不安にさせる。恐怖を生む。その恐怖から逃れるために、人は火を生み出した。

 城門には、まだどの部隊も来ていない。そこに設けられた広場に、たった二百騎が集まっている。明かりはもっとも近い建物まですらも届かない。自分たちがいるところをはっきり見せてくれるのは、人が五十人並んで通れるだけの幅がある、この城門だけだった。

 ときどき、月のわずかな光が影をつくる。あと三日で新月だ。クルスは空を見上げた。風に流される雲が、気まぐれに月のまわりを踊っている。

 まわりを見渡すと、少しずつ炬火が増えていく。広場は少しずつ光に満ちていく。空からはどのように見えるのだろうか。またクルスは空を見上げた。

 月は、厚い雲に隠されて、見えなくなった。

 ――吉か、凶か。

 ここにきて、まだ不安をかかえる自分があった。

「月が消えましたな」

 ネイアが馬を寄せてきていった。

「これでむこうから、こちらの姿は見えますまい」

「そうだな」

 ――消えた月は、やつらの命運か。

 吉凶とは不思議なもの。月が雲のむこうに隠れたとき、クルスにはそれが自分の行く末のように思われた。しかしネイアのなにげない一言が、月が消えるというひとつの事象の禍福を逆転させた。クルスにはそう感じられた。

 軍吏が走ってきた。

「全軍、揃いました」

 ――勝ちにいく。

「よし」

深く息を吸いこむ。春のやわらかな気が、体を満たす。

「炬火を消せ。出撃する」

 自分の近くから順々に明かりが消えていく。城門の両脇にある衛兵の詰所を除き、すべての明かりが消えると、それを合図に城門が開き始めた。

 ゆっくりと、音を立てぬように門が開かれていく。かすかに目標とする明かりが漆黒の中に浮かび上がって見える。

 そろり、と馬を進める。

 一瞬、あたりが真昼のように明るくなった。クルスの目が敵陣を捉えた。

 次の瞬間、耳を割らんばかりの轟音が当たりに響き渡った。

 ――雷か。

「雨だ」

 誰かが叫んでいる。空から大粒の雨が、すべてを沈めようとするかのような勢いで降りそそぐ。敵陣の明かりも流されて消えていく。

 ――まさしく、好機。

 この雨で、音も姿も相手の耳目から隠される。

「天はわれらに味方せり。いざ、進め」

 槍を突き上げ、全身から声を上げる。全軍が呼応し、喚声かんせいが湧きあがる。


 ガルテアの軍勢は、目に見えぬ雷光となって駆け出した。


…ぴたりとそばについている補導役。おもり役。

麾下きか…ある人の指揮のもとにあること。また、そのもの。部下。

げきと矛を組み合わせた武器。

…柄の上端に直角に刃部をつけ、打ち込んで引き切ったもの。

炬火きょか…たいまつ。かがり火。


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