落花
始めた場所で、終わりにしよう。そう話しあったわけでもないのに、僕たちはあの桜の木の下にいた。
二年と少し前、この木には見事に桜が花開いていたけれど、今は全部散ってしまって裸の木が立っている。二年と少し前、目の前にいた可奈子は顔を真っ赤にして目をそらしたけれど、今は泣きそうな顔で、それでもこちらをじっと見つめている。おおかた目を逸らしたら負けだと思っているのだろう。恋愛に勝ちも負けもないのに。それだから、と我ながら酷な考えが頭に浮かび、とっさに消した。
可奈子のことを嫌いになったわけじゃない。この桜が散るように、少しずつ気持ちが消えていっただけだ。気付いたころには、もう花びらはわずかしか残っていなくて、僕にはどうすることもできなかった。せめて散り終える前になるだけ早く別れよう。そうして今、桜の散りきった木の下にいる。
「これ、俊くんが捨てて」
そう言って可奈子が財布から出した写真には心当たりがあった。付き合って一年の記念にと、僕らはこの木の下で写真を撮った。人がいない真昼の時間を見計らって、柄にもなくひっつきあって撮った2ショット。満面の笑顔の可奈子を見ると、今でもその一瞬が続いているようで、責められているようで、一週間前に僕はその写真をメモリーカードから消去した。実は桜の下でひとしきりじゃれあった後、僕らは夕食をイタリアンにするかフレンチにするかでケンカをして思い出は散々なのだけれど、写真を見ると、咲き誇る桜の下2人で手をつないで、ずっと笑顔だったように感じられた。
けれど、可奈子の差し出した写真はその写真ではなかった。彼女の手に握られていたのは、2人でせーのでシャッターをきった満開の桜。
「だって、もう、咲かないんでしょう?」
可奈子は泣かなかった。泣きそうな笑顔でそうつぶやいた。
写真はなんてずるいんだろう。その一瞬を、まるで永遠に錯覚させてしまう。
言わせてもらえるなら、僕には可奈子との時間が大学生活のなにより大切だった。絵文字だらけのメールも、女の子なのに字が僕より汚いとこも、猫背なとこも、全部ひっくるめて好きだった。「付き合ってやってる」風を吹かせながら、僕を楽しませようと頑張る可奈子に寄りかかっていただけだった。
桜の写真を、手帳に挟んで鞄にしまう。帰ったら、手紙と一緒に捨てよう。そう覚悟を決めた。
「じゃあ、元気で」
一連の動作を終えると静かに別れを告げ、始まりの場所に背を向ける。本当は、「ありがとう」と何十回も伝えたい。けれどここで振り返っても、桜が返り咲くことはない。
願わくば、次の春にはちゃんと、新しい花がつきますように。