おいかけっこ
『駄目だね、そんなんじゃ王女は捕まえられないぜ』
『彼女はカナリアを追い駆けるのに夢中さ。君のことなんか目に入っちゃいないぜ』
あの声です。ベルヴェデールの屋敷のある山へ登る途中で聞いたあの声が聞こえてきました。やはり声の主の姿は見えません。
『カナリアの首をはねなきゃ、王女は止まらないぜ』
『無理だ無理だ。カナリアの首をはねるには、王女を追い抜かないといけないぜ』
『王女を追い抜けたら、王女も捕まえられるぜ』
『でも王女は追い抜けないさ。なにしろ、カナリアに夢中なんだ』
『だったらやっぱり、カナリアの首をはねなくちゃ』
『首をはねたら王女も真っ赤になるぜ』
『そりゃ真っ赤になるさ。血が出るんだぜ。痛いんだぜ。死んじまうんだ。王女も真っ赤にならずにはいられないだろうぜ』
ずっと我慢して会話を聞いていた勇者ですが、何度も何度も同じことばかり、勇者が嫌になるようなことばかり言うので、とうとう我慢できなくなってしまいました。
『卵だ!』
勇者が『黙れ!』と、怒鳴りそうになったとき、おかしな声の主が叫び声を上げたので、思わず走るのを止めてしまいそうになってしまいます。しかし、止まればそれだけ遅れるのです。何とかそのまま走り続けることができました。
『そうだ、カナリアを卵に変えてしまえば良いぜ』
『なるほど、それは名案だ。そうすれば王女も捕まえられるぜ』
それを聞いて勇者は、なにを馬鹿な! と思いましたが、なにもしないよりはましなので、思い切ってカナリアが卵になるように念じてみます。
すると驚いたことに、カナリアは卵に変わってしまいました。翼がなくなったので、空から真っ逆さまです。王女は卵を受け止めようと手を伸ばして走ります。
ところが、卵は地面に落ちてつぶれてしまいました。
王女は素っ頓狂な叫び声を上げ、『馬を! 兵隊を!』と喚きながら割れた卵の周りをぐるぐる回り、最後にはぺったりと座り込んでしまいます。
勇者はやっと王女に追いつくことができました。
勇者が近づくと、王女は卵の欠片をすくい上げています。欠片はあっと言う間に仔ヤギに変わり、鼻を震わせてくしゃみをしました。
『駄目だね、そんなんじゃ王女は捕まえられないぜ』
『彼女は仔ヤギに夢中さ。君のことなんか目に入っちゃいないぜ』
また、あの声が聞こえてきます。
『うるさい、黙れ!』
勇者は叫びました。
周りのことなど全く気にしない様子で、王女は仔ヤギを揺らしながら子守唄を歌い始めます。
『わたしのかわいい坊や
わたしのかわいい坊や
おなかが空いていたのかい?
王様がかんかんだよ
レモンパイをかじっただろう?
嘘をおつきでないよ
あんなに月が欠けてるじゃないか
坊やがパイをかじったせいさ
さあ、白状おし
わたしのかわいい坊や
わたしのかわいい坊や
どこへ行っちまったんだい?
女王様が真っ青だよ
レモンパイをかじっただろう?
泣いたって無駄さ
あんなに月が遠いじゃないか
坊やがパイをかじったせいさ
さあ、白状おし』
王女の優しい声で、勇者までも眠くなってしまいます。うとうとしていると、周りを花に囲まれていました。真っ赤な花びらをつけた花が、風に乗せて身体を動かします。花びらの洪水が勇者を呑み込み、やがて……目が覚めました。
勇者は宿屋のベッド中にいて、部屋の中は月明かりが薄っすらと差し込んでいます。さっきまでの夢を勇者はっきりと思い出せました。隣のベッドをそっと見ると、王女が窓際にもたれかかり、カーテンの隙間から月を見ているのが見えます。
小さな声で、王女は歌を歌っているようでした。
再び勇者は眠気に誘われてしまいます。次に目が覚めたときはもう朝になっていて、隣のベッドを見ると王女はベッドですやすや眠っていました。




