もりのなか
それから、行きと同じ険しい山道を今度は二人で下りました。少し遅れて歩く王女をときどき振り返ると、王女は必ず顔を上げて勇者の目を見つめます。その眼は青く澄んでとてもきれいでした。
途中、何度か休憩しようと勇者は促しましたが、王女は静かに首を振って微笑むだけです。そのまま歩き続け、どうにかこうにか山のふもとまでたどり着くことができましたが、そのときにはもう、辺りが暗くなっていました。
勇者独りだけのときは野宿をして夜を凌いだのですが、王女も一緒となるとそうもいきません。どうしたら良いものかと考えていると、向こうから誰かがやって来るのが見えます。
「お前さんは、魔法使いの山へ登っていった人ではないかね。さては恐ろしくなって引き返してきたのだな。それが良い、あんなところになんか行くものではない」
話しかけてきたその男の顔を勇者は覚えていませんでした。しかし話の内容からすると、どうやら山に登るまえに逢っていたようです。
この男に魔法使いを倒してきたなどと説明しても無駄だと思ったので、勇者は咳払いをして言いました。
「申し訳ありませんが、この辺りで宿屋はどこにあるでしょうか?」
「宿屋はすぐそこを曲がったところだ。それにしても、きれいな女性を連れている。どこかの姫ではないだろうね」
まだ男は話を続けたそうにしていましたが、勇者は宿屋の場所がわかると「わたしの妻です」とだけ答え、さっさと王女の手を引いて歩き出します。
ぽつんと取り残された男を可哀相に思い、王女は手を引かれながら微笑んで軽く会釈をしました。男はぽかんと立ち止まって、それを眺めるだけです。
宿屋に着くと部屋を取り、今晩はそこで休むことにしました。勇者は剣を外してベッドの側に立てかけ、王女を見ると王女はぼんやりと窓際のベッドから月を見ています。ネコの爪のような月が、闇空には輝いていました。
「なにを考えているのですか……姫」
側に行って勇者が尋ねても、王女は恥ずかしがってなかなか教えてくれません。ただ少し首をかしげて微笑むだけです。答えを催促するように王女の金色の髪をすくうと、絡まっていた赤い花びらが舞い落ちました。
「森に捨てられたカナリアを捜していたのです。せっかく見つかったのに、またどこかへ行ってしまいましたわ」
「心配ありません。あのカナリアがどこへ行っても、わたしはずっと姫と一緒にいます」そう言って、勇者は王女にそっとキスをしたのです。
王女の目からは一滴の涙が零れ、勇者は両手で王女をそっと抱きしめました。王女からはあの花畑と同じ甘い匂いが漂ってきます。
「さあ、今夜はもう休みましょう。明日また歩かなければいけないのですから」
勇者はカーテンを閉めてしまいました。
「ええ、お休みなさい……」
名残惜しそうに窓を眺め、王女はシーツをかけます。それを確認すると勇者は部屋の電灯を消し、辺りは薄暗闇に包まれました。静寂の音だけが支配する世界が広がります。
その世界の中で勇者は、いつの間にか眠りに吸い込まれ、夢を見ました。王女がカナリアを追い駆けていて、その王女を勇者が追い駆けている夢です。
どんなに速く走っても、王女には追いつきません。カナリアが速く飛んでいくので、それを追い駆ける王女のスピードも速いのです。王女より速く走ることができなければ、いつまでたっても王女には追いつけないでしょう。
いっそうのことカナリアを捕まえてしまおうかとも思いましたが、王女に追いつくこともできないのに、カナリアに追いつくことなどできるはずもありません。
それに、カナリアは翼で空を翔けるので、手を伸ばしても届かないのです。
何度も王女を追い駆けるのを止めようかと考えました。しかし勇者はどうしても王女を捕まえたかったのです。それに、どんなに走っても息が切れないのは幸いでした。




