まほうつかい
その日、辺りが暗くなっても王女は帰ってきませんでした。国王は大変心配して、兵士に王女を捜しにいかせましたが、それでも王女は見つかりません。
次の日になっても、その次の日になっても王女は帰ってきませんでした。そして、いくら国王が捜させても、王女どころか手がかりさえ見つかりませんでした。
国王はすっかり元気をなくして、王女の名前をただただ何度も呼ぶばかりです。
「王様、もしや王女様はベルヴェデールにさらわれたのでは……?」
ある時、大臣が国王にそう言いました。
「ベルヴェデール? 山の頂上に住んでいるあの魔法使いか! なるほどそうに違いない」
国王は納得して頷き、悪い魔法使いから王女を取り戻そうと、わずかに元気を取り戻しました。
そして次の日、国中に『王女を救い出した者は、何なりと願いを叶えよう』というお触れが出されました。
願い事を叶えてもらいたい者はたくさんいましたが、恐ろしいと誰もが知っている魔法使いベルヴェデールの名前を聞いてしまうと、みんな足がすくんでしまうのです。
自分が王女を助けると誰も名乗り出る者がいないまま、何ヶ月もが過ぎてしまいました。
国王は心配のし過ぎで、髪の毛がすっかり白くなりました。
そんなある日のことでした。一人の若者が城にやって来たのです。
「悪い魔法使い退治を志願してやってきたのですが」
若者は城の門番に言いました。
門番はびっくりするやら嬉しいやらで、すぐに国王にそのことを知らせに飛んでいきました。国王もその知らせを聞くと、立ち上がって玉座の前をぐるぐる歩きながら、若者が部屋にやって来るのをいまかいまかと待ちわびていました。
「わたしは隣の国から来た、クラクスと言う者です」
若者が部屋に入ってきて微笑みながら自己紹介をすると、国王はその手を取って、いまにも泣き出しそうな顔になりました。
「そうかそうか、よく来てくれた。そなたなら王女をきっと助け出してくれようぞ……。して、何ぞ望みがあるなら先に申しておいてみよ」
あたかも、王女がすでに助けられたかのように喜ぶ国王を見ながら、勇者となる若者は答えました。
「わたしが王女を助け出した暁には、王女を我が妻としていただきたいのです」
国王は眉を寄せて、じっと勇者を見ます。国王は王女にふさわしい相手かどうかを見極めているようでした。
黒い髪に野性的な瞳をした若者は、自信に満ちた瞳でじっと国王を見返します。
「わかった。そなたが王女を助け出したのなら、わしの跡をも譲ろうぞ。それで良いな?」
国王が答えると、勇者は満足そうに頷きお辞儀をして、すぐに部屋を出ていきました。
城の門を出ると、勇敢なこの若者に対して門番がやけに丁寧にお辞儀をします。
勇者はここから、魔法使いベルヴェデールの屋敷のある山を見ました。山は高く、屋敷がどこにあるのか、本当にあるのかさえ、ここからではわかりません。
勇者はその遠くに見える山に向かって、まずは歩き出しました。
足が疲れて歩くのが嫌になると、魔法使いが住む山をにらみつけて元気を奮い起こしました。
そしてやっと、山のふもとにたどり着いたのは、城を出て三日目の朝のことでした。
山に登る道への入口には柵が立てられていましたが、ほとんど腐りかけのぼろぼろで、入る者は誰もいないみたいです。
勇者が壊れかけの柵を踏み倒して、山に登っていこうとしたとき、一人の男に呼び止められました。
「おおい、そこに入っては駄目だ。この山は恐ろしい魔法使いベルヴェデールの住んでいる山だぞ」
「知っています。だから来たのですよ」
勇者は微笑んで、止めようとする男の手を力強く振り払い、山に入っていきます。男はしばらく勇者に向かって叫んでいましたが、やがて諦めたらしく、辺りは静かになりました。
薄暗い森の中を勇者は一人で進んでいきます。辺りはまだ静かなままで、たまに鳥の鳴き声が聞こえてくるだけでした。
不意に勇者は不安になります。
この山に魔法使いが住んでいることは誰もが知っていることです。でも、それを確かめた者は誰もいないのです。
誰も確かめていないのに、どうして誰もが知っているのでしょう?
本当に魔法使いは住んでいるのでしょうか? 王女は本当にその魔法使いにさらわれたのでしょうか?
勇者は立ち止まって汗を拭きました。青い空の下を歩いているときに比べ、空を隠すように木が覆い被さっている森の中は、かなり涼しいはずです。
それでも汗が流れました。
勇者が深呼吸をして心を落ち着かせていると、周りで誰かが話をしている声が聞こえてきました。内緒話をしているみたいな声で、なにを話しているのかまでは、よく聞こえません。
そのまま聞き耳を立てていると、話し声は次第に近づいてきます。
「見たかい? あいつ武器を持っていたぜ」
「見た見た。あれできっと、刺すんだぜ」
「痛いだろうな、痛いだろうな」
「あいつきっと、お姫様を連れ戻しに来たんだぜ」
「連れ戻しに来たんだぜ。大変だ」
「大変だ。早くご主人様に知らせなくっちゃ」
そこで二つの声は消えてしまいました。
話し声が聞こえている間中、勇者は息を殺して声の主を探そうとしましたが、見つかりませんでした。
しかしこれで、王女がこの山にいることがはっきりしたのです。ご主人様と呼ばれていた人物こそが、悪い魔法使いに違いありません。
勇者は剣をぎゅっと握り締めると、気を引き締めて再び歩き出しました。今度はもう、汗は流れてきません。




