社会人になって
1、のーとの会
卒業してから、専門学校に行ったボクはそれなりに友人もできて楽しくすごしていた。なんせ社会人にならなくてすんだのだから楽しかった。
それと同時に一年後には社会人にならなければならないことはボクの心に暗い影を落としていたが、この頃のボクはなるべくそのことを考えずに生活するように心がけていた。
専門学校は池袋にあって、朝8時45分から授業が始まるものだから、朝は早く家を出る必要があった。
ボクは仕事と同じようにキライなものがもう一つある。
それは・・・満員電車である。
満員電車に乗りたくないがためにボクは早起きをして、わざわざ大船まで行って、京浜東北線の始発に乗るというかなりのめんどくさいことをしていたが、往々にしてボクの人生には、こういう・・・人から見たら無駄だと言われるようなことが多い。
しかし、ボク自身はこういう時間を無駄とは思っておらず、そういう時間が今でも好きなのである。もしかしたらそんな人と違うところが、ボクが社会に適合しづらい原因の一つなのかもしれない。
電車には一時間以上乗っていたので、ボクはその時間を有意義に使いたかった。
それで、有意義かどうかは分からないが、電車に乗っている間、ボクは本やマンガを読んでいた。そして耳にはイヤホンをつけて常に音楽を聴いていた。
さすがにこの頃になると『ヤダモン』には、はまっておらず、ファンタジー小説やマンガをよく読んでいた。
この頃にはいろんなものを読んだ。
『ロードス島戦記』『スレイヤーズ』『日帰りクエスト』などなど・・・。
マンガや小説が好きなボクにとって、池袋という街は最高の環境だった。
ボクが通っていた専門学校の周りには、アニメイトやマンガの森などがたくさんあって、ボクはそれらの店に行ってはマンガや小説を買いあさっては電車の中で読んでおり、それがボクの日々の楽しみであった。
今でもその時間のことを思い出すと少し幸せな気分になる。
マンガや小説のほかにボクが好きなものは食べるものである。
今も昔もそうなのだが・・・ボクは食事にはけっこうこだわる方である。
池袋の専門学校に通っていた頃は、昼食にこだわっていろんなものを食べていた。
その中でも忘れられない味が、カツ丼である。
東池袋のスクランブル交差点の近くに店をかまえるそのお弁当屋さんのカツ丼が美味しかった。とくに卵とじが半熟でふわふわしていて、ものすごく美味しかった。
ボクの専門学校時代はそんな毎日だった。
もちろん必死になって勉強もしたが、やはり学生気分が抜けない感じではあったので、時折授業をサボったり、朝起きるのが面倒で、重役出勤?をしたりしていた。
そんな折だった。
一通の手紙が届いたのは・・・。
手紙の差出人はタダシロくんだった。
中身は彼の近況を書いたもので、ボクはその内容を、目を皿のようにして読んだ記憶がある。
実際、ボクは卒業証書こそもらったものの、精神的には高校を卒業できていなかったのかもしれない。もしかしたら今でも高校生のあの頃に戻りたいと思っている節があり、大船のフラワーセンターの周りを歩いてはあの頃を懐かむたびに、そんな自分に気づくことが多い。
タダシロくんの手紙はボクにとっては嬉しくて、彼はボクに手紙の中で『返事は不要』と書いたのだが、ボクは返事を出してしまった。
これが『のーとの会』の始まりだった。
この手紙がいつしかノートに変わり、近況をノートに書いて、小説をおまけに入れておく、ということが始まった。
最初はタダシロくんと保田くんとボクだけでやっていたのだが、その後、太っちょの茨木くんも加わって、4人でやることになった。
このノートがあったおかげで、ボクらは高校卒業後もつながり続けることができたのかもしれない。
気が付けば、ボクが卒業の時に『もう会うこともなかろう。』と書いてから3ヶ月もしないうちに再会することになった。
2、旅行
そういえば保田くんと旅行に行ったのは卒業後けっこう多い。
始めて行った旅行は、ボクが社会に出た後だったように記憶している。バイトをしなかったボクは万年金欠だったので自分の力で旅行に行くのは学生時代には不可能だった。
夏の時期の旅行はわくわくしたのを覚えている。
行き先は千葉県の大多喜。
房総半島の山奥で『フローラ・ミッシェの旅』にも書いたが、養老渓谷という場所で、静かないいところだった。
ボクらは大原で海釣りを楽しんで、その日は大多喜のキャンプ場で宿泊する予定だった。
その頃のボクらは行き当たりばったりの計画しか立てることができなかった。
若気の至りというか、でもそれがいい思い出でもある。
考えてみれば小説書くにしてもちゃんと筋を考えて書いたことなんかなかった。すべて勢いで書いていた。
それでも書けていたのだから、若さとはすごいと思う。
正直、小説に関しては今でもそんなところがあるような気がしないでもない。
それに行き当たりばったりなのもあまり当時と変わらないところを考えると、こういうところに関して、ボクはあまり成長してないのかもしれない。
朝9時ごろ、戸塚駅に集合して、総武快速線の上総一ノ宮行きに乗ったボクらは、ちょうどお昼ぐらいに大原に着いた。
お昼なのでそこら辺の食堂に入って食事をしようということになり、駅前にあった小さな食堂で昼食を食べた。
20歳になったばかりだったので、昼間からビールを飲んだような気がする。
そういえばボクはこの頃、車の免許を持っていなかった。
ほぼ毎日車の運転をしている今とはえらい違いである。
このときに免許を持っていたのはタダシロくんだけである。彼は高校を卒業した頃、車の免許を取ったらしい。
面白いことに、この3人の中で、今、ペーパードライバーなのはタダシロくんだけである。
昼食を終えて、お腹一杯になり、ビールのせいかテンションが上がってきたボクらだが、タダシロくんはどこか冷静だった。ここからは彼が言っていることを元に書くが、ボクは覚えていない。
多分、彼ならそう言いそうなので、ここはボクの記憶より彼の記憶を優先させようと思う。
『さて、まだ時間もあるし、釣りに行こうか!!』
ボクはノリノリで、保田くんも同じだった。
やたらテンションが上がって、二人で悪乗りしていたに違いない。
『えーと・・・。チェックインはしなくていいのか?』
というタダシロくんの声はボクら二人の耳には届かなかった。
ボクらは港まで釣りをしに行き、夕方ぐらいにいすみ鉄道に乗った。
大多喜についたのは日がゆっくりと暮れ始めている頃だった。
といっても夏の夕暮れだったので、まだ十分には明るかった。
大多喜は山の中で、静かで、蜩の鳴き声がしてとてもいいところだった。
ボクらは今日の夜はテントの中でTRPGをする予定だったから、すごく楽しみだった。はっきり言ってこの旅行はこれがメインだったようなものだ。
今、考えるとこれがメインなら旅行する必要はなかったようにも思えるが、多分、学生時代に友人だけで旅行に行ったことのないボクは、一度こういったことを体験してみたかったのかもしれない。
修学旅行とはまた違った空間を楽しんでみたかったのであろう。
旅行の話はけっこうある。
20代の前半頃は毎年、夏はこの3人に太っちょの茨木くんを含めて4人で関東の近場に旅行に行っていた。
ただ、3人で行った旅行はこの大多喜が最初で最後であり、後に茨木くんが失踪してしまったあとは、一緒にあって飲みに行くことはあっても、旅行に行くことはなくなってしまった。
3、ヘッポコ釣行記
同名タイトルのエッセイで、釣り好きのボクが中学時代から行っていた釣りにまつわるエピソードを書いてきた。
保田くんを語る上ではこの釣りのエピソードは欠かせない。
というのはボクらが遊びに行くといえば基本的には釣りが多かったからだ。
とくに釣りに行くのは正月が多かった。
もちろん夏場にもよく釣りには行ったが、面白いエピソードがあるのは決まって冬の釣りである。
それは冬場の釣りがあまり釣れないことに原因があるのかもしれない。
しかしあの頃のボクらは釣れない釣りばかりをしていた記憶がある。
それで折れた竿を間違えて海に落としてみたり、こませを撒いては『ぼら』の呪いをかけたり、どうも暇つぶしに走る傾向にあるのだ。
ちなみに最近でも保田くんとはよく釣りに行くのだが、最近は二人とも釣りの技術が向上してきており、ここのところはふざけることもなく真面目に釣りをしている。
もっとも・・・ふざけているのはボクだけで保田くんの方はいつも真面目なのかもしれないが・・・。
あの日は正月だった。
朝から腰越漁港で釣りをしていたのだが、ボクらは寒くていつものように釣りには集中せずに、久しぶりに会ったことをお互い喜びながら、職場の話や最近はまっている小説やマンガの話に華を咲かせていた。
そんな感じだったので、お昼には少し早かったのだが、早々にお昼を食べに行こうという話になった。
『ケンタッキーがいいなあ。』
開口一番、保田くんは言った。
保田くんはよっぽどケンタッキーに行きたかったらしくずっと『やっぱケンタッキーだよ。略してケンタだな。』とつぶやいていた。
しかしボクはその日、吉野家の牛丼が食べたかった。
これが、どちらかが遠くにあれば、『遠いから近い方にしよう。』と言える。
ただ・・・。
残念なことに二つの店は両隣にあったのだ。
こうなると大体、採用される決定方法は多数決である。
もちろんじゃんけんもあるのだが、それは明確にそれぞれが食べたいものがある場合にのみ使われる手法で、この場合はタダシロくんは『なんでもいい』というただただファジーな答えだったから、やはり多数決というやり方が採用されたのである。
多数決といっても3人だから・・・。
タダシロくんが行きたいと言ったほうが今日の昼食になるのは間違いなかった。
だからこそボクらはタダシロくん相手に壮絶なプレゼンテーションが始まったのである。
二人が同時にタダシロくんに吉野家とケンタッキーの良さを熱く語る様は今考えるとかなり滑稽ではある。
しかも堤防の上で男三人が牛丼とフライドチキンについて語る光景には、まったく色気も何もなく、ただただ見苦しさだけが残る・・・。
『脂っこいのは勘弁してほしいな。』
タダシロくんが言った言葉にいち早く反応したボクは一気に保田くんに畳み掛けることにした。
『脂っこいのダメだったら揚げ物はだめだな。』
このときの早い言葉回しと強引さは、スポーツに例えるとバルセロナのR・メッシのドリブルぐらい他の追随を許さないものがあったとボクは記憶している。
結局、ボクらは吉野家で昼食を食べた。
しかし・・・。
ケンタッキーも脂っこいが、吉野家も十分脂っこいということにボクと保田くんが気づいたのは数年後だった。
ちなみにこの日の釣果は言うまでもなく0だった・・・。
4、就職活動
保田くんに比べるとボクは非常に社会不適合者である。
今は介護業界で務めることができているが、それでも何回も会社を辞めたり入ったりを繰り返している。
なんでそうなのかというと、基本的にボクは仕事がキライだからである。
といっても同じような作業をえんえんと繰り返すような仕事を『仕事だから。』といって割り切ってやることもできない。
工場勤務であるタダシロくんと保田くんは、工場勤務であるから、話をしているとボクとは違って非常に視野が狭いなあと思ったりする。もちろん彼らには彼らなりの苦労はあるのだろうが、世界が非常に狭いことは否めない。
まあ・・・これは職業柄ではないのかもしれないのだが・・・ボクが人と会話するのが仕事であるので、彼らは人と会話することがあまり得意ではない。タダシロくんはまだ本を読んだりするので多少なりとも話題性は広いのだが、保田くんになると本当に話題が狭くなる。
ただ、彼らは会話は苦手だが、社会適合者でボクのように仕事を何度も何度も辞めてはいないのは、ある程度自分の仕事を『仕事だから』と折り合いをつけることができるからだろう。
通常で考えると、会話が上手な人間の方が社会適合者と思えるが、実はそうでもないのだ。
とくに、社会にでて社会の一員として仕事をする、ということは会話の技術とはほとんど関係がない。
もちろん、それは就く職業にもよるが、少なくとも工場勤務においては会話の技術よりも、仕事における大変さを自分の中でどのように折り合いをつけるかということにかかっている。
ボクは他の二人と比べるとこの部分が著しく欠落しているのだ。
だからどんな仕事に就いても嫌なことがあるとがまんできない。
嫌なこととの折り合いをうまくつけることができれば、一時、休みの日は嫌なことはすっきり忘れることができるはずなのだが、ボクにはそれができないのだ。
そんなわけでボクは非常に就職活動には苦労した。
まず、高校を卒業する時に進路に困った。
それは以前に書いたとおりである。
そのあと・・・専門学校を卒業する時に、高校卒業時に先送りにしてしまった問題が浮き彫りになってしまったのだ。
・・・。
まあ・・・。
当たり前といえば当たり前なのだが・・・。
専門学校を無事に卒業できたので、ボクはとりあえず仕事を探した。
最初に就職した会社は気象観測装置を作る会社だった。
ただ・・・。
電気を勉強したとはいえ、実務で役立つような技術は何もなかったボクは就職しても何をしていいのか分からなかった。先輩社員に仕事の内容を教えてもらってはいたが、何がなんだか分からないというのが現実だった。
仕事で何が一番苦痛かというと、何をしていいかわからないのが一番苦痛なのである。
分からないから先輩に聞きに行かなければならない。
でもすぐに理解できないし、その頃は業務全体を見通すことができなかったから、毎日が苦痛だった。
ボクの救いは高校時代の友人だった。
そう。
保田くんである。
常に自分は保田くんよりもレベルが高いところで仕事していると自分に言い聞かせて、少しでもその苦痛を紛らわせようとしたのだ。
もちろん、そんなことで負担は解消されるわけがない。
結局、ボクは半年でこの会社を辞めてしまった。
今考えるとくだらないことで辞めてしまったものである。
ただ、そのころちょうどボクは右膝を悪くしてしまったということも重なって、ちょうど良かったのかもしれない。
右膝を悪くしたおかげでボクは約1年仕事しないで家でじっとしていた。
右膝は確かに痛かったけど、訳の分からない仕事をするよりはよかった。当時は少なくともそう思っていたし、そのころの思い出はボクにとってけっこういい思い出ではある。
右膝を悪くして会社を辞め、ボクの学暦ではホワイトカラーの仕事に就けるわけもなく、無職のままボクは何をするわけでもなかったのだが、車の免許が仮免の手前ぐらいでそのままになっていることに気づいた両親が、車の免許を取りに行くように言ってきたのでボクはしぶしぶ免許を取りに行くことにした。
今でこそボクは車が好きで、どこへ行くのも基本的には車で行くが、当時のボクは教習所で教官にぐだぐだ叱られるのをこらえながら免許を取りにいくという行為が嫌で嫌で仕方なかった。
でも教習所に通う費用は両親が出してくれていたし、20歳のいい若者がいかに膝が悪く病気だったとはいえ、仕事もせずに家でぷらぷらしてたわけだから両親の心配は相当なものだっただろう。
当時のボクはプライドだけは高くて、屁理屈ばかり言うが、何の能力もない奴だったから、こんなボクをちゃんと世話してくれた両親には本当に感謝している。
そのころのボクはどうしようもなくプライドが高いだけの無能な男だったが、それでも両親に迷惑をかけていることぐらいは理解できたから、せめて教習所ぐらいはちゃんと行こう、車の免許ぐらいはちゃんととろうと思い、教官が隣りでぐだぐだ怒ってくるのは嫌だったが、がまんして教習所に通った。
車の免許にしてもうちの両親は高校卒業時に『金は出してやるから車の免許は取れ。』と言ってくれていたのだ。
しかし当時のボクは新しいことに自分一人で挑戦することが嫌だったのだ。
保田くんが免許を取りに行くなら行こうと高校卒業間際に思ったのだが、残念ながら保田くんは免許を取る気がなかったので、ボクは高校を卒業しても免許はとらなかった。
正直、車にそんなに興味がなかったというのが本音だったのかもしれない。
専門学校を卒業して気象観測装置の会社に就職した時、会社で車の免許が仕事で必要不可欠だと言われて、あわてて入社後に免許を取りにいったわけだ。
でも仕事しながら免許をとりに行くというのはけっこう大変で仕事が終わる頃には教習所は終わっている・・・ということの連続だった。
そんなわけで教習所の課程は遅々として進まず、会社を休職するころには、そろそろ教習所に行き始めて一年が経つころで、もう一回最初からやらなければならない寸前のところにきていたのだ。
そんな事情があったから、ボクは膝の痛さをがまんして免許を取りにいった。
その頃は朝8時半に教習所に行き、予約を入れ、キャンセル待ちのノートに自分の名前を記載する。
そして学科の授業があれば受けに行く。
なければ本屋に行って本やマンガを買い、大船のルミネの喫茶店で読書しながら時間をつぶしていた。
読む本がなければ小説を書いたりして時間をつぶしていた。
1時間ごとに教習所に行き、キャンセルがでたかどうかを確認しにいったが、朝、キャンセル待ちを申し込んでも車に乗れるのは夕方ぐらいだった。
そんな毎日を送っていたが、車の免許は無事に取得することができた。
確か、免許がとれたのは膝が治る前の話だったと記憶しているが、その辺の記憶は定かではない。
膝に関しては、病院に行き、内視鏡の日帰り手術を受けてからはすっかりよくなった。
膝が良くなった頃には、気象観測装置の会社は辞めていた。
休職して1ヶ月ぐらいで会社から電話が来て『次の人を入れたい。』と言われたので、その時点で膝の回復の目処が経っていなかったということもあって、今まで迷惑かけたことを丁重に誤り、自主退社という形をとっていたからだ。
そんなわけだから膝が回復したあとは就職活動をしなければいけなかった。
もともと仕事がキライなボクだが、いつまでも両親のすねをかじっているわけには行かないということは百も承知していたので、すぐに仕事を探した。
膝の調子はすこぶる良かったが、一応病みあがりということもあって、まず手始めに軽い仕事から始めようと思った。
それで見つけたのが、石油コンビナート内の事務所の掃除だった。
その会社は基本的には掃除の会社ではないが、事務所の共有部分の掃除を請け負ってやっている会社だった。
時間は朝の5時からお昼までだった。
当時は朝早いのが平気だったし、なんといっても半日なのがいいと思い、そこに就職した。
給料は安いが、かなり楽ではあったので、膝を悪くして少し自信を失いかけていたボクにはぴったりの仕事だったが・・・ボクの欠点は調子に乗りすぎてしまうということで、ここでうまくいったからもうなんでもできると思いこんでしまったことだった。
当時、友人の一人が郵便局の配達の仕事をしており、うちの近くの郵便局に空きがでたのでどうだ?という話が来たのは、その年の秋口のことだった。
ボクは『チャンスだ』と思い、その話を受けて、掃除の仕事を辞めて、配達の仕事に就いた。
ボクとしてはその配達の仕事をずっとするつもりだったのだが・・・安易な物の考え方は身を滅ぼすということをその頃に学んだ気がする。
とにかく、配達の仕事には休みはない。
そして、留守の家には夜にもう一回行かなければならない。
自分一人でできる仕事で人間関係の希薄な仕事なのでストレスも少ないと思ったが、仕事嫌いなボクは休みがとれないということが一番のストレスになるということをその時は自覚していなかった。
確か、10月に入社した記憶があるが、12月の繁忙期には少しずつストレスが蓄積していたのは言うまでもない。
12月の繁忙期には会社は二人のバイトを雇ったのだが、こういう配達の仕事に来るバイトはどちらかというとあまり柄のいい連中は来ない。
二人のバイトはボクより働きものだった。
ただやはり性格は荒かった。
12月の忙しい時期にモタモタしているボクを見て、バイトの二人はイライラしていたのかもしれない。
ある日のこと・・・。
チルド便に使うクーラーバックがちょうどいい大きさのものがなくて、ボクは小さなクーラーバックを複数使った。
それを見たバイトに散々叱られた。
確かにボクの荷物は大きなクーラーバックに一気に入れた方が効率的だったので、彼の言うことは間違っておらず、ボクの手際が悪かったということだったのだが、ボクはこの出来事以来、仕事が嫌で嫌で仕方なくなり、繁忙期にもかかわらず、膝がまた痛くなり病院にかかることになってしまった。
膝が痛い・・・というのはこのときに関しては、仕事ができないほどではなかった。
ボクは病院を受診して、医師から『そういう仕事はまだ辞めたほうがいい。』と言われたという既成事実を作って、それを理由にこの会社を辞めてしまった。
例の如く、仕事だから・・・と割り切ることができなかったのである。
そのときは暮れも押しせまっていたので、次の仕事に就きたかったボクは前のバイト先に電話した。
掃除の仕事に戻るつもりだったのだ。
その会社はすぐにボクを採用してくれた。
しかし、仕事は掃除ではなく石油コンビナートでの雑用だった。
ここでの仕事もボクは本意ではなかった。
じゃあ一体、何の仕事なら本意なんだ?と言われそうだが、基本的にはボクに合う仕事はないような気がする。
今もとりあえずは介護業界でケアマネージャーなんぞをやっているが、基本的にあっているとは思っていない。だが、ボクも一応成長しており、今はあの時と違ってどんな仕事に就こうとも、それなりに嫌なことはあり、嫌なことがあるから給料がもらえるということを学んでいるので、簡単に辞めようとは思ってはいない。
話はそれたが、次に就いた石油コンビナートの仕事も、上司が嫌な奴だったので、それがガマンできなくて辞めてしまった。
こういう風に書いていくとボクは本当に社会不適合者だな、と思う。
今でさえこういうことにはがまんできない。
人から怒鳴られたりするのは嫌で仕方ないので、そういう出来事があれば、たぶんギリギリまではガマンするだろうけど結果、辞めてしまうかもしれない。その辺に関しては成長した自信がちょっとない。
さて石油コンビナートを辞めた後、ボクは少しだけ町工場に就職した。
その工場はやたら社長がうるさく、何かあるとすぐに怒鳴る社長だった。
仕事そのものはそこまで難しい仕事ではなかったが、そんなところにいるのは嫌だったので1ヶ月働かないうちにボクは辞めてしまった。
こうやってボクが足踏みしている間もタダシロくんや保田くんは仕事をしていたのである。
恐らく彼らはボクと同じように仕事で嫌なこともあっただろう。
しかし彼らは嫌なことの折り合いをしっかりつけて、ずっとがんばって仕事してきたのである。
そう考えるとボクなどは社会不適合者であることは間違いない。
5、免許
ボクが免許を取ったのは20歳の頃である。
車が運転できることがこんなに楽しいこととは教習所に行っている間は気づきもしなかった。
ところが、免許が手に入り、横に教官という、うるさい存在がいなくなってからというもの、自分で運転して好きなところに行けるということの楽しさに気づいてからは、歩いて5分のところでも車で行くようになってしまった。
免許をとる前は、『電車やバスで十分。』と言っていたのだが、車を運転することになってからは、『電車やバスなんてめんどくさい』に変わってしまった。
ボクも免許をとるのが遅かったが、保田くんはもっと遅かった。
ちなみに社会不適合者でいいところが少ないボクだが、車の運転だけは他の二人よりうまい自信がある。
なんせ自分の車を買ったのも早かった。
てゆうか・・・親が軽自動車を買い与えてくれたので持てたのだが・・・。
それでも彼らよりも車の運転を日常的にしていることには違いなかったわけなので、そういうことで3人の中で一番運転だけはうまいのだ。
ただ、車の運転というのは、レースをするほどのスピードで走らなければ、さほど難しくはない。
公道を普通に走る分には、うまい下手はほとんどなく、要は場数である。
車に乗って知らない道を走りたくないという人はいつまでもうまくならないし、逆に迷ってすごく苦労したと言う人はそれを続ければきっとうまくなるはずである。
ちなみにタダシロくんは免許は持っていても普段は車を運転しないし、自分の車も持っていないし、もし日本の法律で免許更新の際にペーパードライバーはもう一度教習所に行きなおして、免許を取り直す必要がある、ということだったら、多分、彼の手元にはすで免許はないだろう。
しかしどうでもいいことなのかもしれないが・・・。
タダシロくんはなぜ免許をとったのだろう・・・。
それに対して保田くんは免許を取るのは一番遅かった。
彼が免許を取ったのは22歳か23歳ぐらいだったと記憶している。
太っちょの茨木くんを入れて、4人の中で一番免許を取ったのは遅かったわけだ。
彼がなぜ、免許を取る気になったかは分からない。
でも、とにかく、保田くんは免許をとってからというもの、たまにレンタカーで一人、どこか遠くにドライブに行くという趣味をもっており、一番最後に免許をとったにもかかわらず、その免許の恩恵を一番最初に免許をとったタダシロくんよりも受けているのは少し面白い。
ちなみに太っちょの茨木くんは今、どこにいて何をしているか分からないので、なんとも言えないのだが、基本的に3人の中で遅く免許を取った者が車を活用しており、一番最初に免許をとった者がまったく車を活用していないというのだから、人生は分からないものである。
免許を取ってからというもの、ボクの世界は広がった。
今までは時間がかかるからといって容易に行けなかったところまで、車があれば容易に行けるのだ。
そして自分の力でどこへでも行けるというのは本当に魅力的だった。
当初、ボクはAT限定免許だった。
そもそも車があまり好きではないボクはギア付きの車などはまったく運転する気はなかった。
ところが、郵便局の配達の仕事をするにあたってギア付きの免許が必要になり、限定解除をした。
ただ郵便局の仕事は1ヶ月弱で辞めてしまったために、免許が役に立つということは基本なかったのだが・・・。
マニュアルの免許が仕事に役立ったことは今までにほぼ皆無である。
逆に仕事では役に立たなかったがプライベートでは役に立つことの方が多かった。
免許を取ってからというものボクは車が好きになり、モータースポーツも少し見るようになった。
F1に興味を持ったのもこのころだった。
当時、ボクはM・シューマッハが好きだったのだが、ホンダがF1に帰ってきたということもあって当時のBARホンダを熱狂的に応援していた。でもやはりシューマッハも好きなのでフェラーリが勝つと嬉しかったりもしたのだ。
そんな節操のないF1ファンではあるものの、その頃は『F1ファン』という雑誌まで月一で購読しており、その時期はちょっとしたF1マニアでもあった。・・・もちろん長い間F1を見続けてきたファンの方からすれば完全ににわかファンではあったのだけど・・・。
実際の車にも興味を持つようになり、当時は軽自動車を事故って廃車にするという危険極まりない運転をしていたにもかかわらず、ボクは懲りることなく、友人からスターレットのMT車を譲ってもらい、その車に乗ってからも危険な運転を繰り返していた。
もし、ボクが限定解除せずにATしか乗れない状態だったなら、このスターレットを譲り受けることもなく、またその後買ったシビックを運転することもなかっただろう。この2台はMT車だったから、先に述べたとおり、限定解除は仕事で・・・というよりプライベートで役に立ったのだ。
保田くんと太っちょの茨木くん、タダシロくんの4人でよく2台でつるんで出かけたものである。
車といえば、太っちょの茨木くんもボクと同様、車に興味を持ち出し、二人でいろんな話で盛り上がった記憶があるが、その話の一つ一つが非常にくだらない内容であること以外は、内容についてはまったく覚えてはいない。
ただ、その頃はやたらと楽しかった思い出だけがある。
太っちょの茨木くんはボクより先にいい車を買った。
それがセリカGT-FOURだった。
このセリカはかなり手が入っていて、マフラーやホイールは見るからに純正パーツではなく、その頃のボクには茨木くんがうらやましくて仕方なかった。
その日、ボクと保田くんは太っちょの茨木くんに呼ばれ、彼の家に遊びに行った。
ボクらが茨木くんの家に着いたとき、彼は家にはいなかったのだが、彼のお母さんがボクらにこういったのだ。
『ちょっと待っててね。すぐにデートから帰ってくるから。』
『デート??』
『あの子、彼女に夢中なのよ。』
今考えたら少しおかしな話ではあるが・・・てゆうか・・・ボクはそもそも茨木くんに彼女ができたという話そのものを信じなかったが・・・保田くんは違ったのである。
『えーーーーーーー!!』
そう叫ぶと保田くんは心底落ち込んでいた。
しかし、懸命な読者ならもうお分かりであろう。
茨木くんの彼女というのは人間の女性のことではない。
彼が苦労して新たに購入したセリカのことだったのだ。
保田くんには少し性格の悪いところがあって、例えば、先日もボクが胃が痛くて休んだというメールをしたら『正露丸を飲めば治る。』と返してきたり、釣りに誘ったら自分の車でもないくせに『裾野に行きたい。』と言ってみたり・・・。
前者の場合は『大丈夫?』という問いかけがまず先で、『正露丸を飲めば云々』とか『医者に行かないならどうやって治すんだ?』とか言う前に、『お大事に』という言葉の方が先に出てくるべきなのである。
また後者の場合でも、こちらが誘ったには違いないが、遠くに行きたいならせめて自分の車を出すべきである。もちろん彼は車を持っていないし、あまりこちらがグダグダ言ったら行くのを辞めればいいわけだからそうやって大きく出ているのだろう。
こうやって考えると無口だから目立たないけど意外と保田くんという奴は性格が悪いのである。
まあ、それもこれも含めて一緒に遊びに行くと盛り上がるわけだし、いいところもあるわけだから、ボクは保田くんと友達付き合いを続けている。
さて、話を元に戻そう。
なぜ保田くんの性格の悪さに着目したかというと、茨木くんに彼女ができたと聞いたときの彼の落ち込みようはすさまじかったからである。
保田くんの落ち込み方は茨木くんには恋愛をする資格はないと言わんばかりの落ち込み方だった。
いくら太っちょだからって人を好きになる権利はあるんだよ。
保田くん・・・。
もちろん茨木くんもそういう反応をされても仕方ないことを保田くんにはしていたのだが・・・。
保田くんはセリカを見てもまだぶつぶつ言っていた。
違うと分かってもしつこくぶつぶつ言っており・・・このときのことを考えると保田くんが今に至るまで彼女もおらず結婚もできない理由がよく分かる。
ボクがもし女の子だったら保田くんはお断りだ。
さて茨木くんのセリカはすこぶる調子がよく、ボクも保田くんも一回ずつ運転させてもらった。
ボクはちょっと悔しかったが友人の喜びを共感し、共に喜んだ。保田くんはそうでもなかったが、それは単に彼がその頃、あまり車に興味がなかったからに他ならない。
茨木くんの家ではよく『グランツーリスモ』をやって遊んだ。
知らない方のために簡単に説明しておくが、『グランツーリスモ』とはプレイステーション用のソフトでレースゲームである。
このゲームの面白いところは実際に公道を走っている車をゲーム中で使うことができることである。
しかも車種はかなり豊富であり、ゲームの中のレースに勝つことによってお金を稼いで、車を改造することできる。そうやって家で自分好みにカスタマイズした車のデータを専用メモリーカードに保存し、友人同士でお互いが改造した車を使ってレースを楽しむこともできるというものだ。
この時期、ボクらは集まっては決まってこのゲームを楽しんでいた。
保田くんはやたらこのゲームがうまく、最初は保田くんとやることによって勝てない鬱憤を晴らしていたボクと茨木くんだが(ボクも茨木くんも保田くんとは違う意味で性格が悪いのだ)やりこむにつれて保田くんにはかなわなくなり、最後には10回やっても10回とも負けてしまうので、ボクらは面白くなくなって仕舞いにはやらなくなってしまった。
ボクら・・・というのはボクと茨木くんのことで、保田くんは入らないことは言うまでもなかろう。
さて、茨木くんのセリカがどうなったかは別の機会に話すことにしたい。
結論だけを言えば、購入して1週間で茨木くんのセリカは廃車になってしまった・・・。
・・・事故ったのである。
幸いなことに人身ではなく自爆なので本当に不幸中の幸いと言えるのだが・・・。
当時のボクらの危険極まりない運転を考えるに、まず当然の結果と言えよう。
そんな茨木くんだが、懲りもせずにまた新車を購入した。
しかしそれはスポーツカーではなく、セダンだった。たしかコロナだったと記憶している。
茨木くんは自分が事故を起こしたのは危険な運転をした自分のせいでも、自分の運転技術のせいでもなく、ただただ・・・車の性能のせいにしていた。
もちろんそんなわけはないのだが・・・。
コロナを買った茨木くんは喜んで、ボクと保田くんを呼び出してドライブに誘った。
ボクはその日の次の日から家族旅行に行くことになっており、しかも茨木くんから電話があったときはもう酒も呑んでいい気持ちになっており、到底、ドライブなんか行くような気分ではなかったのだが、茨木くんは電話の向こうで嬉しそうな声だったし、友人のよしみというやつで『少しだけなら・・・』という約束で行くことにしたのだ。
茨木くんはわざわざボクと保田くんを迎えに来てくれた。
それはいいのだが、酒を呑んでいたボクを見て茨木くんは文句を付け始めた。
『酒呑んでるのかよ・・・。』
『呑んだよ。ダメ?』
『ダメだろ~。』
なぜダメなのか・・・。
てゆうか・・・自分で誘っておいてそういういちゃもんのつけ方はないと思うのだが、その時ボクは酒を呑んでいい気分になっていたので茨木くんのそういう心無い言葉もそんなに気にはならなかった。
『少しだけなら・・・』という条件をつけて付き合ったと記憶しているが、それを茨木くんは全否定している。茨木くんが失踪してしまった今となっては真相はどうか分からない。というのは保田くんはそういう細かいことはすべて忘れてしまうからだ。
ただ・・・保田くんはこういう話をするたびに『さあ?覚えてね・・・。』というが、ボク自身、彼が本当に忘れているとは思えない。
本人が忘れたといっているのだから仕方ない話だが・・・人間の記憶というのはこうも簡単に物事を忘れてしまうのだろうか、と疑問になる時がある。
『少しだけなら・・・。』といったはずなのに、目的地が小田原であることを聞いたのは車に乗ったあとだった。といっても横浜から小田原までなら遠いようでそんなに遠くない。ボクは酒の勢いもあって、ノリノリで『行こう行こう。』と言った。
問題は小田原についた後だ。
小田原についた時点でかなり夜も更けていた。
確か深夜12時を回っていたと思う。
小田原に着いて、すぐに横浜に引き返す・・・とボクは思っていた。
しかし現実は違った。
『今からヤビツ行こうぜ!!』
ヤビツというのは相模原から山梨県や相模湖の方につながる丹沢山系の峠道のことで『ヤビツ峠』と呼ばれている。国道246号から入っていくのだが、茨木くんはよくこのヤビツ峠に遊びに行っていたらしい。
それにしても地元の人間なら分かると思うが、小田原からヤビツに行き、そこから横浜に帰る。しかも現在時刻は12時過ぎ・・・。
帰りは相当な深夜になることは間違いない。
『帰りたいんだけど・・・。』
ボクの言葉はノリノリな二人には届かなかった。
茨木くんは容赦なくヤビツ峠に車を走らせていた。
ボクはもうあきらめて車の中で寝ることにした。
まあ・・・。
ボクも保田くんに近いようなことをしたことがあるので、お互い様かな・・・と思いながらボクは二人に『行くのはいいけど家に着くまで起こさないでくれ。』と言って助手席でぐうぐう寝たのだった。
『着いたよ。』
テンションが上がりっぱなしな感じの保田くんの声で目が覚めたらそこはヤビツ峠の展望台だった。
『うわ!!さむっ!!てゆうか起こすなって言わなかったっけ?』
『いやあ・・・夜景がキレイだから。』
満面の笑みで保田くんと茨木くんは言った。
ちなみに周りはカップルだらけ。
もちろん男同士で来てる奴らなんて他にはいない。
何が悲しくてこんなもてない3人で、しかも寒い峠の展望台で夜景なんぞ見なくちゃならんのだ!!
ボクは二人とはテンションだだ下がりの声で言った。
『二人で見に行っていいよ。頼むから家に着くまで起こさないでくれ。』
家に着いたのは午前3時をゆうに越えていた。
ボクはこっそり家の中に入り、茨木くんと保田くんを恨みながら布団にもぐりこんだ。
それから早や何年たっただろう。
車が好きだった時期は20代後半の茨木くんが失踪してしまう前の時期まで続いたが、ボク自身、20代後半で実家を出て一人暮らしを始めたぐらいから、車は金がかかりすぎることに気づき、熱は醒めてしまった。
最後にヤビツ峠の展望台。
結婚してからかみさんを連れて行ったことは言うまでもない。
6、保田くんの退職
それは突然だった。
少なくともボクには突然だったように思えた。
ボクが仕事を辞めたというのなら話も分かるが、保田くんが仕事を辞めるというのはちょっとないからだ。
それだけにかなりびっくりしたが、なぜ彼が高校時代から働いていた会社を辞めたのかはボクも未だに詳しいことは分かっていない。ボクからすれば会社が嫌になって辞める理由なんて山ほどあるし、ボクは仕事がそもそもキライな人間なので会社なんて仕事しなくていいのなら辞めて当然と思っているので、保田くんから『会社を辞めた。』という告白をなされても何も不思議には思わなかった。
最初は『辞めたんならいつでも遊びに行けるじゃん。』なんて言って喜んでいたのだが、日が経つうちに保田くんの様子がおかしいことにボクは気づいた。
まず、携帯電話に電話してもでない。
そしてメールしても返信がない。
保田くんが仕事を辞めて、再就職するまではかなりの長い期間を経てからだったと思う。
確か、ボクは保田くんが仕事を辞めたときには、3年務めた訪問入浴の仕事を辞めて、訪問介護の仕事に就いていたが、彼が再就職するまでの間にボクは2回、仕事を変えている。
保田くんが仕事を辞めた理由に関してはここで話しても仕方ないと思うし、本当の理由は本人しかしらないので話しても仕方のないことなので触れないが、仕事を辞めてからというもの、彼はかなり変わってしまった。
一番困ったのが約束を守らないことである。
こんな出来事があった。
夏休みを利用してボクは保田くんを『神津島に行こう。』と誘った。
もちろん釣りが目的である。
保田くんはけっこう喜んで『いいよ。』と言っていた記憶がある。
ボクはその当時、デイサービスにて仕事しており、仕事をしていない保田くんよりは忙しかったので、宿の手配やフェリーの手配に関しては保田くんにお願いした。
今でこそこうやってパソコンが安価で購入でき、インターネットも簡単に接続できていたが、当時はまだパソコンもけっこうな高価格で簡単には手に入らないものであり、自宅でインターネットで調べ物をするなんてボクにとっては夢のまた夢だった。
しかし保田くんはパソコンを持っており、インターネットも引いているということだったので、それをお願いしたのだ。
ところが・・・である。
旅行の日は近づいているのに保田くんからは何の連絡もない。
業を煮やしたボクは保田くんに電話したが、例の如く携帯電話にはでない。
電話をくれるようにメールしても、一向に返事はない。
仕事柄、自宅の電話にかけるのは抵抗のないボクは保田くんの家の電話にかけることにした。
すると保田くんは電話にでた。
『旅行の件調べてくれた??』
『まだ・・・。』
『じゃあ悪いけど今日中に調べといてくれる?』
『分かった。』
もちろんあの時のボクは偉そうに言うつもりはまったくなかった。
お願いしているんだから、偉そうに言える筋合いはないから、それはわきまえているつもりだった。
電話を切って、その日のうちに電話があるかな・・・と思い、電話を待っていたのだが・・・やはり待てど暮らせど電話は来ない。
さすがのボクも頭にきた。
確かにお願いしているわけだから偉そうに言うつもりはない。しかし『分かった』と言ったからには言われたことを時間内に行う責任というものがあるのではないだろうか。
結局また保田くんに電話をしたが、やはり携帯にはでない。
『あーーー!!畜生!!』
ボクはそのとき、保田くんが『行きたくない』と言ったらこの旅行は辞めにしよう、と本気で思って保田くんの家の電話に電話した。
『どう?調べてくれた??』
『やってない。』
『なんで??頼んだじゃん。行きたくないの??』
『いや・・・そうじゃないけど。』
なんだかあの時のことを思い出すと今でもちょっとイライラしてしまう。
嫌なら嫌でそれは仕方ないことだ。
でも行く気があるんだったら、しかも自分で『分かった』と言ったんだから、その責任だけは果たしてほしいと思った。
『行く気があるなら、今、調べてよ。電話切らないですぐやってくれ。行く気がないならないでもうこれは辞めにしよう!』
そこまで言ったら保田くんは電話の向こうでパソコンの電源を入れて調べてくれた。
そのときはそれで事なきを得たが、それから1年後はもっとひどかった。
季節は秋。
ボクは太っちょの茨木くんと保田くんと一緒に腰越に釣りに行くことになっていた。
茨木くんは少し遅れると言っていたが、保田くんに関しては、約束の時間になっても現れない。
今度はどんな風に連絡しても彼に電話がつながることはなかった。
自宅に電話をしても誰もいないようだった。
ボクは約束をすっぽかされたのだ。
しつこいようだが、『行けない』『行きたくない』ということなら高校の頃からの友人なんだからはっきり言ってくれればいいのだ。まあ・・・もっともそう言ったところで当時のボクが簡単に引き下がるわけはないが・・・それでも行かないなら『行かない』と言うべきである。
彼は約束が守れなかった。
今はそうではないが当時はそんなことが多かったので、ボクは頭にきてしばらく保田くんと縁を切っていたのだ。
保田くんと縁を切っている間、茨木くんには本当に悪いことをしたと思う。
ここでいろいろネタにして話しているが茨木くんは根は非常に善良な奴なのである。
それは保田くんにしてもそうだし、タダシロくんに至っては自分が恥ずかしくなるぐらい善良であると同時に高潔であるように思える。
恐らく、4人の中で一番性格が悪いのは、間違いなくこのボクだろう。
ただし、この件に関しては、どんな事情があったにせよ、約束を守らなかった保田くんが悪いと思う。
茨木くんはボクらがケンカしていることに、ちょっと心を痛めていたらしくなんとかして仲直りさせようとしていた。
ただ・・・これはボクの考えすぎかもしれないが、茨木くんはボクばかりに、保田くんと仲直りするように言っていた。それが気に食わなかったボクは絶対に茨木くんの言うことを聞かなかった。
そのときはまさかあんなことになるとは思ってもいなかったから茨木くんともこの件ではけっこう言い合いをした。
まあ元々、高校時代からボクは茨木くんとは言い合いをしてきたので気にも留めていなかったのだが、あんなことになるなら少しは言うことを聞いていれば良かったと今では反省している。
当初・・・保田くんが謝ってくるまでボクは彼を許さず、ずっと縁を切ったままにしようと思っていた。
そうこうしているうちにボクは茨木くんから保田くんが再就職したことを聞かされた。
黙っているといつまでも縁が切れたままになりそうだ・・・と思ったボクは、なんだかいつまでも過去のことで怒っている自分がちっぽけな存在に見えてきて、保田くんの携帯に電話した。
彼は電話に出た。
いつものように話をし、ボクは保田くんと仲直りをした。
あれ以後、保田くんが約束を破ったことは一度もない。
まあ・・・当たり前の話ではあるが・・・。
7、恋愛話
ボクらは恋愛とは程遠い生活をずっとしてきた。
高校の頃は男しかいなかったし、その後の生活も工業系の仕事をしていれば、周りには女性がいないのは当たり前だから、就職してもボクらの周りには女っ気のない生活が続いていた。
別の機会にボクの恋愛話を書かせていただいたが、それはボクが工業系の仕事に見切りをつけて、介護の世界に入った後の話である。
こう考えると世の男性はどこで女性と出会うのだろうか?
ボクも工業系の仕事をしていたなら、恐らく出会いは極度に少なかったかもしれない。
大きなお世話だが、保田くんにもタダシロくんにも、浮いた話はない。
彼らに言わせると『出会い』がないそうだ。
そういう話だったので、ボクはまだかみさんと付き合っていた頃に、合コンをセッティングしたことがある。
合コンは2回やった。
いずれもかみさんに協力してもらったのだが、うちのかみさんも抜けたところがあって、連れてきた大半の女の子は彼氏がいる女の子であった。しかし考えてみればそう都合よく彼氏のいない女の子がいるとは限らないので、その点はかみさんが悪いわけでもないのだが・・・。
1回目の合コンは、6人で男子3名、女子3名で行った記憶がある。
ボクは適度にみんなと話したし、タダシロくんもお酒が入ったせいか、饒舌になっており来た女の子と話をしていた。
好きな映画の話や、最近読んだ本の話など・・・タダシロくんは快調に女の子と話しをしてはいたのだが・・・。
『・・・って読んだことあります??』
・・・がどんな本だったかは忘れた。
でもその子が好きな小説の類だったのは、横で話を聞いているボクでもすぐに分かった。
『あ!オレ、それキライ。』
タダシロくんは女の子の話の腰を折って言った。
まあ・・・。
『キライなものをキライと言って何が悪い!!』・・・と言われればそうなのかもしれないが、そういう場合って自分がキライなものでも話しを合わせてあげるのが、優しさであり、楽しい会話を続けるには必要不可欠なのである。
自分の好きなものに共感してもらえると、よほどの偏屈でない限り、人は嬉しいのではないだろうか。
ここでタダシロくんが『読んだことあるよ。どの辺が良かった?』と相手の意見を聞くだけの余裕があったならまた違うドラマが生まれたかもしれない。
『その本、読んだことあるよ。どの辺が良かった??』
『あたし、冒頭の言葉が好きなんです。』
『そうなんだ?オレも冒頭の言葉はぐっときたなあ。あのセリフでしょ?『天は人の下に人を作らず・・・。』ってやつ。』
『そうそう!!あそこ!!』
『確かにあれもいいんだけど、実はもっとオススメの小説があるんだけど・・・『坊ちゃん』って知ってる??』
『聞いたことあります~。』
本の名前とセリフの内容は適当に変えてもらってもかまわないが、こういう風に話を進めていけば、タダシロくんにだって十分チャンスはあったと思う。
でも彼は別に自分を曲げてまで彼女を作りたいとは思っていないみたいだし、むしろそうやって無理して話をあわせると結婚したあとに女性から『だまされた』と言われかねないので、もしかしたらタダシロくんのやり方は正しいのかもしれない。
とにかく、この合コンでタダシロくんはよく話していたし、その場にいた女の子はどう思っているかは分からないが、タダシロくん自身は楽しんでいたようだから、よかったと思う。
問題は・・・。
保田くんだ。
合コンの最中・・・。
彼は真っ赤な顔をして、ただただ下を向くだけだった。
何も話さず、だれとも話さず・・・。
会話をせねば間違いなく何も始まらない。
どんな場合であっても、向こうから話しかけてくるのを待っても出会いは訪れない。
それにしても保田くんは何を考えて下を向いていたのだろう。いつも疑問に思うのだが、会話が苦手で女性と話すのも、すごく苦手なのも分かるが、それにしても下を向いて何も話さない方がもっと不自然だし、もっとつらいと思う。
なのに彼は一言も話さなかった。
ボクにはその理由がよく分からない。
恐らく彼にその理由を聞いても『忘れた』とか『分からない』とか言うことだろう。
だからあの時、下を向いて黙っていた理由は永久に謎のままである。
彼の場合はまず会話をすることから始めなければならないのだが、彼はきっとこう言うだろう。
『知らない人と話をするぐらいなら、死んだ方がましだ・・・。』
大体、実際に彼自身は結婚も恋愛も望んでいない。
こういった話をするとふと思い出すのだが、ボクは保田くんとは長い付き合いだが、彼に自宅に呼んでもらったことは一度もない。彼の家で遊んだことはただの一度もないのだ。
つまり、彼は本当は『人ギライ』なのかもしれない。
あまり人と話をするのが好きではない人は少なくない。
なぜ、彼がボクらと仲が良いかといえばそれは高校時代からの付き合いの長さゆえに、彼の中ではボクらは心を許せる仲間なのかもしれない。その輪の中に、いきなり知らない人は入ってほしくないというのが彼の本音なのかもしれない。
考えてみると、保田くんはうちのかみさんともあまり話さない。
てゆうか・・・。
すごく面倒なのでやめてほしいのだが・・・。
二人ともボクを介して会話をするのだ。
飲み会でも必ずボクは通訳のように二人の真ん中にいる。
保田くんからしてみれば・・・逆にうちのかみさんからしてもそうなのだろうが、双方、お互いに心を許してない・・・というのが本音だろう。
保田くんはボクの奥さんだから少しは話そう・・・という感覚なのかもしれないし、うちのかみさんはボクの友人だから少しは話そう・・・という感覚なのかもしれない。
いい加減、二人ともお互いに慣れてもらいたいものである。
通訳する方の身にもなってほしい。
2つ目の合コンは少し形が違った。
この合コンの話をする前に、茨木くんの話をしておかなければならない。
なぜなら、茨木くんと入れ替わりにボクらに新たな友人となった人の話を今からするからだ。
入れ替わり・・・と言っても何もボクらの集まりは何かのサークルとかではないので入れ替わりとかそういう感じではないのだが、他に適当な言葉がなかったのでそういう言葉を使った。
というのは、茨木くんは2つ目の合コンの少し前ぐらいにいなくなってしまったからだ。
最初、異変に気づいたのはボクだった。
茨木くんの携帯に何度連絡してもつながらなくなったのだ。
保田くんのときと同じである。
つながらなくなったのでボクは茨木くんがいなくなる前に一度、茨木くんの家に行った。
その時は彼はまだどこにも行っていなかった。
しかし、彼の様子はあからさまにおかしかった。
話し方もどこか・・・物事を斜めにみたようなそんな意見しか言わないし、以前のような博識で明るくてグルメな茨木くんはそこにはいなかった。
ただの暗い太っちょだった。
『引っ越すんだ・・・。』
茨木くんはボクに言った。
『え??いつ??』
ボクは驚いて聞き返した記憶がある。
茨木くんは過去にも『引っ越す』と言っていたし、おふくろさんの実家がある九州に帰るかもしれないという話も聞いていたので、いずれは・・・と思っていたが、いざそんな話が出てくればやはり寂しいし、その時もかなり驚いた。
『まだいつかは分からないけど・・・。』
茨木くんは生気のない声で言った。
『そうか・・・残念だね・・・。でもまあ・・・行く時は声かけてよ。』
『いや・・・でもオレは言わなくてもいいと思ってるんだよね。』
『え!!なんでだよ!!』
ボクは頭にきて『引っ越す時には絶対に言えよ。』と別れ際にも散々言ってから茨木くんとは別れたのだが・・・それが彼と話した最後の会話となってしまった。
茨木くんと別れた後、タダシロくんも保田くんも異変に気づいて、何度か彼にメールをしたらしいが返事はなかった。
ボクもその時期、メールしたり電話したりはしていたのだが、なかなか連絡がつかないので、茨木くんの家に直接行ってみたのだ。すると彼の家の表札は『水口』になっており、あからさまに違う人が住んでいる様子だった。
それから数ヶ月後・・・。
何度かメールしていた茨木くんの携帯のメールアドレスはついに無効になってしまい、彼とボクらをつなげるものはすべてなくなってしまった。
茨木くんは失踪してしまった。
どこに行ったかは分からない。今何しているのかも分からない。
しかしこの先、彼とボクらがまた再会できることをボクは心から願っている。
さて話を元に戻そう。
2回目の合コンを企画するにあたって、きっかけになったのが埜呂さんである。
茨木くんがいなくなっても、ボクは保田くんやタダシロくんとは定期的に会っていた。
ある日、タダシロくんと呑むことになって、ボクがいつも二人だとつまらないから会社の同僚でも連れてきてくれと言った記憶がある。
それでタダシロくんが連れてきたのが、埜呂さんだった。
ボクは職業柄もあって知らない人と話すのは嫌ではない。
それで埜呂さんともすぐに打ち解けた。
埜呂さんはサッカーが好きで、サッカーで共通の話題ができた。ただ埜呂さんは中学時代にサッカーをしたことのある人で、ボクよりサッカーには詳しかった。
しかし、どこのクラブが一番好きかという話でボクと埜呂さんは意気投合したのである。
ボクは伝統があり、攻撃的で芸術的なパスサッカーをする、スペインのFCバルセロナが大好きだったのだ。そして埜呂さんもそうだった。
埜呂さんはサッカーだけでなく、野球や他のスポーツも好きで、はっきり言ってスポーツの話をするなら茨木くんやタダシロくん、保田くんよりも埜呂さんの方が面白い。
このときもスポーツの話ですごく盛り上がった。
盛り上がると酒が行き過ぎてしまうというのはボクの本当に悪い癖である。
その日もさんざん呑んで、最後の方にさらに泡盛をストレートで呑んでいた記憶がある。
スポーツの話はタダシロくんは入れない。
彼はスポーツを見ないからだ。
それでひとしきり盛り上がった後、その場にいない保田くんの話になったのだ。
ちなみにこのころは保田くんとタダシロくん、埜呂さんは同じ職場だったのだ。
『あいつ、やる気だしたら面白い奴だと思うんだよね。』
埜呂さんは保田くんのことをそう評した。
ボクもその時はそう思っていた。彼は本当にボクらだけで会っているときはかなり面白い。あの面白さを女の子の前でできれば彼は間違いなく彼女ができるし、結婚できるにちがいない。
しかし前述したが、彼はおそらく『人ギライ』だから、そんなことはしないだろう。
ボクやタダシロくん、埜呂さんの前では心を許しているので面白いことをしてくれるだけなのだ。
『そうなんですよね。ボクもそう思うんですよ。この間も合コンしたときに、あいつ何もしゃべんないから興ざめしちゃって。』
『そうなんですか?!そりゃ大変でしたね。あ、でもまた合コンセッティングしてくださいよ。オレは絶対盛り下げませんから。』
埜呂さんはあの時、そのようなことを言っていた。
『いいですよ。やりましょう!!』
そういうとすぐさま、ボクは当時付き合っていた彼女・・・つまり今のかみさんだが・・・にメールして合コンをセッティングする手はずを整えた。
後で聞いた話だが・・・その時、かみさんは電話の向こうで苦笑していたらしい。
そんな経緯があってやった2回目の合コン。
埜呂さんは盛り下げなかった。そしてそこにきていた森さんという女の子と意気投合した。
結論から話してしまうと、埜呂さんはここで知り合った森さんと結婚した。ボクらは結婚式に出席させてもらったがとても良い式だったことは記憶に新しい。
さて埜呂さんの話は良かった・・・ということでかなりめでたい話ではあるのだが、問題は保田くんだ。
相変わらず保田くんは赤い顔をして下を見ているだけだった。
あのあと・・・。
ボクはかみさん・・・当時は彼女だったのだが・・・に言われた。
『保田くんは誘わないほうが良いと思う。多分、保田くんには迷惑なんだよ。』
あのときは分からなかったが、多分、かみさんが言っていたその言葉が保田くんにとっての真実なんだろうと思う。
恐らく・・・保田くんが人を好きになり、恋愛することは片思いも含め、これからもないだろうと思う。
8、タベモノノハナシ
保田くんもボクも外食が大好きである。
茨木くんは食べ物にすごくこだわるし、彼ほどではないにしても、ボクも保田くんも食べ物にはこだわる方である。
タダシロくんはこだわらないわけではないが・・・ボクらほどではない。
食べ物についてこんなエピソードがある。
ボクらはいつものように夕食を食べに行くことにした。
タダシロくんはその日はその時間で帰宅するということだった。
同じ食事なら少しでも美味しいものが食べたいというボクらは、タダシロくんを自宅に送った時に、近くに美味い食べ物屋はないか、タダシロくんに聞いたのだ。
『この辺で美味いとこ知らない??』
『えーと・・・人それぞれだと思うけど、そこの角を曲がってまっすぐ行ったところにラーメン屋があるよ。オレはまあ、美味しいと思うよ。』
『へえ。じゃあ、そこにしよう。店の名前はなんていうの?』
ボクは車を運転してそこの店に行く為に、店の名前を聞いた。
するとタダシロくんの答えに、一同唖然とさせられたのだった。
『「くるまや」だよ。』
ボクらがタダシロくんの話を一蹴して他の店を探したのは言うまでもない。
確かに『くるまやラーメン』を美味いという人もいるだろう。その辺は人それぞれなのであえて何も言うつもりはないが、ラーメンを食べに行くならなにもそんなチェーン店にしなくても、美味しいお店はいくらでもあるだろう。
当時、横浜には家系のお店が多かったし、さがせば美味しい店は他にもたくさんあったに違いない。
なのに・・・。
あえてチェーン店である『くるまや』を紹介するというところが、タダシロくんが他の3人に比べて食べ物にこだわっていない証拠かな・・・と思う。
それとは逆に食べ物にこだわりを見せるのは太っちょの茨木くんである。
ボクは茨木くんと二人で遊ぶといつも美味しいものにありつけた気がする。彼は本当に食べることにこだわった男だった。
と言ってもボクら4人の間では一番こだわっていた・・・というだけで、世間一般から見ればさほどでもなかったのかもしれない。
茨木くんと食事に行く場合、まず・・・基本は量が多いところになる。
『食べ放題のいい店見つけたんだよね。』
と茨木くんから誘われたことが今まで数知れない。
食べ放題の店に行くと、ついついハンバーグなどのお肉をたくさんとってしまいがちだが、それだとすぐにお腹いっぱいになって、思う存分食べれなくなる、というのが茨木くんの持論だった。
彼が言うには野菜をはさむとかなり食べられる・・・とのことだった。
余談になるが、真っ先にカレーライスを食べる保田くんなどはもってのほかである・・・。
ちなみにボクは茨木くんの言うとおりにしたが、彼ほどは食べれなかった。
いかんせん茨木くんは筋金入りの太っちょである。
ボク程度のにわか太っちょがかなうわけもない・・・。
保田くんとボクはカレーライスが好きで、高校時代からよく学校帰りにカレーを食べに行っていた。
ただ、これといって美味しいカレー屋さんに出会っていなかった。
ある日、保田くんと、茨木くんと3人で遊んだ後、茨木くんが『美味しいカレー屋を発見した』というのでそこに行くことになった。
そのカレー屋さんこそ、『COCO壱番』だった。
今ではけっこう有名なお店にあったが、当時のボクらの活動範囲には『COCO壱番』はなく、車で随分と遠くまで行った記憶がある。
最初に『COCO壱番』に行った時の衝撃はすごかった。
別の機会でもこのカレーについては、話をする機会があったので多くは語らないが、スパイシーで辛い味のカレーは家庭では作れない。
ボクはこのカレーを食べるやいなや、すぐに『COCO壱番』のカレーの味の虜になった。
そしてボクらはことあるごとに『COCO壱番』のカレーを食べに行ったのである。
そんなある日・・・。
今はやっていないが、当時は『COCO壱番』では1300gのカレーを15分以内で完食したら無料、というサービスをしていた。
その日はボクと保田くんと茨木くんの3人で食事に来ていた。
ボクの中で、また悪乗りの虫が騒ぎ出した。
『茨木くん。失敗したらお金はこっちで払うからさ、1300挑戦してみなよ!!君ならできる!!!』
『え・・・いや・・・いくらなんでも無理だろ・・・。』
『いや!!君ならやれる!!!!』
こんなやり取りを見ていた保田くんだが、かなり早い段階でボクに賛同し、ボクと一緒になって『ボクは茨木くんのかっこいいとこ見てみたいなあ。』とか調子のいいことを言っていた。
ついに・・・茨木くんは折れて、もし失敗したならカレーの代金はボクら二人が払うということを条件に1300gカレーに挑戦することになった。
かっこいいところを見てみたい・・・とか言っていた割りに、ボクも保田くんもいざ茨木くんが挑戦するとなったら恥ずかしくなって別の席に座った。
『ちょっと!あれ!!見てよ!!』
隣の席のカップルがヒソヒソと話している。
『うわ~すげ~』
あからさまにバカにしている感じであった。
席は別にしたものの、ボクも保田くんもかなり恥ずかしかった。
しかし・・・。
一番、恥ずかしかったのは茨木くんであったはずだから、今考えるとボクも保田くんも酷いことをしたものである。
そんな恥ずかしい空気の中。
茨木くんは偉業?を成し遂げた。
なんと!
11分で完食したのである。
帰りの車の中で茨木くんはボクに言った。
『あれは楽勝だったよ。阪上くんでもできるよ。』
なんと答えたかは忘れてしまったが、『すごいな。』みたいなそんな感じの言葉を心から言った記憶がある。
しかし・・・。
その数分後に悲惨な事件が待ち受けていたとはそのときのボクらには思いもよらなかった。
信号待ちをしていたボクの車。
『すまん!』
そういうと茨木くんは外に走っていった。
ボクらは何がなんだか分からないまま、それでもそのまま車を走らせるわけにもいかず、近くの邪魔にならない場所で車を停めて茨木くんの帰りを待った。
『一体どうしたんだ?』
『あ・・・もしかしたら・・・。』
保田くんには心当たりがあるらしいがニヤニヤして、何も言わなかった。
その笑顔でボクもすべてを悟った。
数分後にすっきりした顔で茨木くんは帰って来た。
何をしていたかはご想像にお任せすることにしよう。
9、好み
保田くんの女性の好みはけっこうはっきりしているようには思える。
そういう女性が現れたときに彼が恋をするかどうかは置いておいても、好みに関してはかなりはっきり知ることができたし、彼の女性の好みは非常にいい趣味をしているのではないかと思う。
また、食べ物の好みはずばり『カレーライス』が好きで、前にもお話したが、食べ放題に行っても真っ先に『カレーライス』を食べるぐらいである。
これ以外の保田くんの好み・・・。
好みというか好きなものに関しては謎だらけである。
ボクは高校時代から約17年ぐらい、彼と友達づきあいしているが、彼が何が好きで何をすれば楽しいか・・・本当の意味では分からない。
ただ、このように書くと首をひねる読者もいるだろう。
よく釣りに行くではないか・・・と言われるかもしれないのだが、それは少し違う。
保田くんは釣りがものすごく好きなのではない。
いや・・・もちろんキライではないのだが、好きでもないのだ。
ボクが誘ったときに暇なら来る。
しかし暇でなければ来ない。
そして自分一人で釣りに行くぐらいの情熱ももちあわせていない。
つまり一事が万事そうで、彼の好きな趣味と言うものは彼自身にも分からないらしい。
さて、好みの話というのは保田くんやタダシロくんの好みの女性の話である。
以前は保田くんのことを『人嫌い』と称したが、彼にもそれなりに好みはあるらしい。
『じゃあ・・・保田くんの前にすごく保田くん好みの女の子が現れて、しかもその子が保田くんのことが好きだったらどうする?』
とボクが聞いたら保田くんは冷めた顔をしてこう言った。
『「その手にはだまされないぞ。」と思う。』
確かにこのご時勢、『オレオレ詐欺』など人の善意や寂しさにつけこんだ詐欺が横行していることは事実だし、そういうものを警戒する気持ちは分かる。
あくまで仮定の話だ。
仮定の話の中でだまされる、というオチはないし、こちらもそんなオチを用意はしていない。
もしかしたら冗談で言っていたのかもしれないが・・・。
それにしてもそういう話の中でだまされるという発想をすること事態、彼が恋愛をしたいと思っていないことの大きな証拠ではあるような気がする。
好みと言えばこんな出来事もあった。
とにかく彼は恋愛だけではなく、すべてにおいて何が好きで何がキライなのかが分からない。
例えば、遊びに行くのを彼に計画させるといつまでも決まらないということがある。
学生時代から現在に至るまで彼が何かの遊びの計画をしたことはない。
で・・・。
そうなれば必ず・・・。
『たまには保田くんが幹事やってくれよ。』
と言うことになる。
学生時代の彼はこう言っていた記憶がある。
『計画するぐらいなら家でゆっくりしてるよ。』
この『家でゆっくり・・・』という言葉だが、彼は『家でゆっくり』何をしているのだろう。
もし遊びに行かないとして、彼が家でやることってなんだろう。
この部分を書くに当たってボクは少しそのことについて考えてみた。
家で彼が何をしているのか・・・。
もちろんそれはプライベートのことなので、その点に深く突っ込むわけにはいかないのだが、大抵の人は家で何をしているかは、その人の趣味趣向で分かるだろう。
例えば、タダシロくん。
彼は読書が好きである。
ホントに彼はよく本を読む。
そのことをボクは学生時代からよく知っているから、彼が『家でゆっくり過ごすよ。』と言ったら、家で買い込んだ本を横になりながらでも読むんだろうな・・・とある程度は予想がつくのである。
つまりその人の趣味趣向によって、家での行動はある程度予測可能であり、行動の予測がある程度|(もちろん常識の範疇で)可能な友人の場合は、普段はそんなことを気にも留めないのである。
保田くんの場合は行動がまったく読めない。
本人に聞いても『寝てた。』とか『ぼーーっとしてた。』とか答えられてしまうのである。
多分、そんなことで嘘をつかなくてもいいのだから、恐らくそれは紛れもない真実なのだろう。
そしてもし嘘だったとしたら、こんなにも下手な嘘はない。
保田くんがもし殺人事件の容疑者でアリバイを聞かれたときそう答えたなら、ボクが刑事なら間違いなくすみやかに任意で引っ張ることであろう。
つくならもう少しましな嘘をつけというところだろうか・・・。
では保田くんの『家でゆっくり』は『家で寝ている。』とか『家でぼーーっとしている。』ということなのだろうか。
半分は真実だろう。
しかし半分は真実ではないのでは・・・とボクは思っている。
真実ではない部分。
それは保田くん自身もあまり自覚していない部分だろう。
例えば・・・。
パソコンをいじってネットを眺めてみたり、部屋の掃除をしてみたり・・・。
そういったことも多少はしているのではないかと思う。
ただ、それらは寝たり、ぼーーーっとしたりの中に含まれているから、彼はその類のことを話さないのであろう。
また別の見方もできる。
それは価値観の違いと言うやつである。
ボク自身、休日に家でゆっくり・・・なんてことはできないタイプの人間である。
身体を休めるにしてもせいぜい、8時頃まで朝寝坊をするぐらいだろうか。
その後はコーヒーを飲みながら、かみさんを仕事に送り出した後、洗濯や掃除などをしつつ、パソコンをつけてネットを眺めてみたり、小説を書いてみたり、絵を描いてみたり・・・。
いろんなことを家にいてもやっているボクにとって一日中寝ているとか、一日中ぼーーっとしているとかいう保田くんの行動そのものが、時間の無駄遣いに思えて仕方ないのである。
時間の無駄遣い・・・といったが、心のどこかで『実は違うことをしているのではないか・・・』と疑ってみたりもしているのだ。
高校時代に保田くんがボクの誘いを『家でゆっくりする・・・。』という理由で断ろうとしたとき、有無を言わさず『てことは暇なんでしょ。』とぶった斬ったのはそういう価値観の違いに端を発しているのかもしれない。
ボクにとって『家でゆっくりする。』というのは何も行動しないのと同様で、家から外にでない理由にはならない。
これは、あくまでボクの価値観ではあるが、保田くんには違う価値観があるのだろう。
だから、保田くんの行動そのものをボクが理解しようというのは一生かかってもできないのかもしれない。
好みの話から休日の過ごし方へと、随分話しがそれてしまった。
ただ、好みが分かれば、休日の過ごし方もある程度は分かることは必然である。
カレーライスが好きということを除いて、保田くんの好みは謎である。
てゆうか彼に好みなどあるのだろうか・・・。
10、結婚の話
介護の仕事をしているとよく遭遇するのが、独身の男が自分の母親を見ているケースである。
ボクはケアマネージャーとしてこの類の利用者と家族をたくさん見てきた。
例外もあるのだが、基本的に独身の男が母親を見るというケースは、困難事例になる場合が多い。
なぜかというと、独身で実家ずっと過ごしていると誰かに気をつかって生活することなどないからだ。一般に男性は女性より気が利かないことを考えると、こういうケースで、独身の男がなんの役にも立たないことが分かるだろう。
しつこいようだが、例外もいるのでその辺は誤解のないように。
ただ、ボクだけでなく、多くのケアマネージャーがボクの意見に賛同してくれることかと思う。
さて、なんでこんな話をしたかというと、ボクの二人の友人はまだ結婚していないからである。
といっても、タダシロくんは末っ子だし、もしかしたら、母親の面倒はみなくても良いかもしれないからいいのだが、それとは対照的に保田くんは長男で一人息子ということもあって、実は心配なのである。
この問題。
一番いいケースは実の娘さんが母親をみる、というのが一番いい。
これもまた例外もあるのだが、多くのケースを見た中で利用者本人が一番幸せに見えるのはこのパターン、つまり実の娘が自分の親を見るというパターンだからだ。
だからボク自身も、かみさんの実家のお義父さん、お義母さんは、かみさんと一緒に協力してお手伝いさせていただかないといけないな、と実は思っている。
さて、この点でボクが一番に不安に思っているのは保田くんのことである。
もちろん結婚するかしないかは、当人の自由なので強制するつもりはまったくないのだが、ただ保田くんが独身のまま実家に残ってお母さんの介護をすることには大反対である。
・・・まあ・・・ボクにそんなことを言う権利はまったくないのだが・・・。
ここの話に関しては、あくまで個人的な意見なので、そのことを踏まえながら、おもしろく読んでくれるとありがたい。
ボクが知っている限りの保田くんは男の中でもとくに気が利かない。
男でも中にはマメですごく気の利く男もいるが、保田くんはそういうタイプではない。
彼がそういうタイプの男だったら、すでに彼女もいるだろうし、結婚もできているだろう。
マメで気が利くという部分が少し欠けていたとしても、それは結婚生活で養われる部分も多聞にして大きい。
例えば、うちだと、かみさんが朝、洗濯機を回していったとしよう。
ボクが休みなら、基本的には何も言われなくとも干さなければならない。
ちなみにボクもそんなに気の利くほうではないので、かみさんはわざわざ『洗濯物、干しといてね。』と言い残していく。
するとボクは・・・日によっては渋々・・・その洗濯物を干し、夕方には入れてたたんでおくのである。
保田くんはそういう気は回せない。
もちろんその部分はボクも一緒なのだが、唯一、彼とボクが違うのは、妻がいるかいないか、なのである。
妻帯者は家庭に関するこまごまとしたことを、時に妻に怒られながらもやらなければならないわけだから気が利かないボクのような男でも、親を介護する頃になれば多少なりとも気が利くようになるのである。
これが、独身だと気が利かないままだ。
気が利かないと、介護をする際に、訪問してくるヘルパーやケアマネージャーに嫌がられる。
というのは介護職は大半が女性だからである。
もちろん、表面的には彼女らもにこにこしてくれるだろう。
それは、本人も家族も、彼女らにとっては『お客様』だからだ。
ただ、事務所に帰ったあと何を言われているか・・・。
『保田さんのお宅、埃だらけで行くの嫌よね。』
『そうそう。お母さんはいいんだけどさ。息子がねえ。』
『なんかぼーーっとしてて、こっちが聞いてるのになんにも判断してくれないし。』
『てゆうか結婚できなかったのかしら?』
『無理でしょー。』
『あなた、どう?保田さんちの息子さん。家は手に入るわよ。』
『まじで勘弁してよーー。』
こんな会話は平気でなされている。
上記の会話は誇張しているわけではない。
よくある事務所での引き継ぎの時の若いヘルパー同士の会話なのである。
独身の男は基本的には汚い。
とくに汚いのは家の中。
彼らはたまにしか家の中を掃除しない。
だから埃がたまり放題である。
そして食事の後片付けを嫌がるために、食卓には洗ってない食器が山ほどある。
そんな中、ヘルパーは身体介護に加え、掃除と洗濯と食事作りをしに来るのである。
そりゃ嫌だろう。
基本的に、訪問介護では利用者本人のものしか洗ってはいけないし、利用者の部屋しか掃除してはいけないし、食事は、利用者の分しか準備してはいけないことになっている。
しかし、こんな汚い中に放りこまれたら、一箇所だけ掃除しても『焼け石に水』というやつで、分かっていてもある程度広い範囲掃除しないと、意味がないだろう。
それに、掃除や洗濯なら、利用者本人の分だけと割り切ることも、困難ではあってもできるのかもしれないが、食器洗いに関してはそういうわけにもいかないだろう。
洗ってない食器があればキレイにしてからでなければ、次の工程には進めないからだ。
必要以上に汚く、仕事も手がかかる。
独身の男が介護するのが向かないにはそれだけではなくさらに他の理由もある。
それは、柔らかく融通の利いた行動が女性に比べるととれないことにある。
実際、ボクもこの仕事をしていて、介護者が男性だと、こういう部分で悩まされることになる。
ひどい場合だと、『母はこれを望んでいますから!!』と言い切って、当人のためにならないような、介護の手法をごり押ししてくる場合もあるのだ。
『人のフリ見て我がフリ直せ。』
そんな言葉がある。
ボクも気をつけなければ・・・と思う今日この頃だが、実は同じ男性でも結婚していると女性ほどではないにせよ、比較的柔らかいものの見方ができるものなのである。
つまり結婚していない、独身の男が親を介護することほど、われわれ介護職からすれば厄介なことはないのである。
しつこいようだが例外もあるが、たいていの場合は独身の男が実家で母親の介護をすると厄介であることは、この業界では有名な話?である。
そんな話をすると・・・。
『うちは施設に預けるからいいよ。』
こんな保田くんの声が聞こえてきそうだが、その考えは甘い!!
施設など数百人待ちでなかなか入れないのだ。
どうせボクが保田くんのご両親を担当することなどないのだから、どうでもいい話なのだが、将来担当するケアマネージャーさんは、このまま保田くんが結婚しなければ、かなりご苦労なさることだろう。
そうなる前に保田くんが無事に結婚することを願うのみである。