空飛ぶ円盤
自分たちが子供の頃、近所の空き地というものは今思えばちょっとした「粗大ごみの展示場」のような趣があった。
壊れたテレビ、謎のオモチャ、廃材、工具、そして誰が捨てたのかわからないガラクタが無尽蔵に転がっていたのである。
当時の自分たちは、お小遣いなどという高尚なものは持っていなかったし、ましてやプラスチック製の「フリスビー」なんていう、ハイカラで高価な玩具を買える身分ではなかった。
しかし、テレビでよく見るだけあって、空飛ぶ円盤への憧れだけは一人前だったのである。
そこで、貧乏な子供たちが目をつけたのが空き地に転がっている「円盤状のゴミ」であった。
中でも「クッキーの缶のふた」は、きわめて実力派の極上品であった。
これを指先にひっかけてシュッと投げると、空気を震わせ、「フゴゥゥゥゥン」という不気味なうなりを上げて飛んでいく。
そして、運悪く近所の家の壁にでも当たろうものなら、「ジャォォォォーン……」という、まるで場違いなドラのような轟音を響かせるのだ。
その音の立派さに、自分たちは「これぞ円盤だ」と深い感動を覚えたものである。
後で知ったことだが、フリスビーの起源はもともとパイの皿を投げたのが始まりだという。
そう考えると、自分たちがゴミのふたを投げていたのも、あながち間違った方向ではなかったのだ。
遠心力をかけ安定させてとばすという視点に関しては。
しかし、子供の探究心というものは時として暴走する。
次に持ち出されたのが「丸砥石」であった。
これは高速切断機と呼ばれる鉄をも切り裂く工具につかわれるだけあり、直径が三十五センチほどもあり、ピザのLサイズ並みの威圧感を放っていた。
見た目はいかにも鉄の塊のように重そうだが、手に取ってみると意外にも軽い。
重さにして六百グラムちょっと。なんと、あの分厚い「週刊少年ジャンプ」一冊よりも軽いのである。
少年たちのバイブルよりも軽い円盤が、殺意を秘めたキレ味で空を舞う。
当時の自分たちは、ジャンプを読む代わりに、ジャンプより軽い凶器を投げて、自然の驚異(と自分の腕力)を確かめていたわけだ。
実際に投げてみると、これがまた恐ろしいほどによく飛ぶのである。
見た目の重厚感に反して、手首のスナップ一発でシュッと飛んでいくあの軽やかさ、ウルトラマンの八つ裂き光輪も真っ青である。
しかも、砥石本来のザラついたキレ味を保ったまま高速回転するため、庭の樹木に当たると「サクッ」と枝を切り落とし、太い幹には深々と突き刺さって止まった。
その光景は、もはや遊びというよりは、暗殺者の修行に近いものがあった。
自分たちは「おお……」と戦慄したが、そのスリルがまたたまらなかったのである。
一方、実力や殺傷能力とは無縁の、芸術的かつ刹那的な円盤も存在した。それが「丸型蛍光灯」である。
これは、投げる前からすでに命がけの代物であった。少しでも指先に力を込めすぎれば、その瞬間にパリンと崩壊するほどに繊細なのだ。
扱いには熟練の菓子職人のような繊細な技が必要とされるが、勇気を出して団地の高所から放り投げてみると、そこには見たこともない世界が広がっていた。
空中を舞う白い円環は、この世のものとは思えないほどに優美であった。
そして、地面に激突した瞬間、パリンという涼やかな音とともに粉々に砕け散る。
その散り際の潔さは、まるで春の嵐に舞う桜のようであり、他のどんなゴミ円盤も寄せ付けない圧倒的な「滅びの美」を放っていた。
まさに日本人の心に刺さる滅びの美学である。
後で知ったことだが、蛍光灯が割れるのは「爆縮」という、何やら小難しい物理現象によるものらしい。
外に向かって弾けるのではなく、内側の真空に向かって空気がなだれ込み、自ら崩壊していく。
そのあまりに内省的で、かつドラマチックな散り様を知っていたら、あたしたちはもっと敬虔な気持ちで、あの白い円環を放り投げていたかもしれない。
今の時代なら、水銀規制やら環境破壊やらで教育委員会が飛んでくるような傍若無人な蛮行であるが、あの当時はそれが当たり前だったのである。
もしかしたら、あたしたちのような子供が全国でパリンパリンやっていたせいで、今の厳しい規制ができたのかもしれないと思うと、環境省の人には申し訳ないという気持ちが微量に海中の水銀の含有量くらいには芽生えたりもするのである。
そんな「華やかな円盤投げ」の裏で、地味ながらも着実に戦力(?)を拡大していたのが、「トランスのコア」である。
捨てられた家電の奥底に潜む、あの銅線がぐるぐる巻きになった心臓部。
あれを地道に電線をはずし、その後は本能のおもむくまま力任せに解体し、中に重なっている「E」の形をした薄い鉄板を一枚ずつバラしていく。
それはまるで、内職のおばさんのような地道な作業であったが、剥がし終えたとき、自分たちの手元には、鋭利で投げやすい「量産型手裏剣」が山のように積み上がっていたのである。
これを指先に挟んでピシッと放つ。
円盤のような優雅さはないが、標的(主に誰かの家の生垣やゴミ箱)に向かって一直線に飛んでゆき、カッとかろやかな音を立てて刺さるその姿は、忍者のつかう手裏剣そのものであった。
そんな芸術的な体験を経て、自分たちが満を持して投入したのが「丸鋸の歯」であった。
見た目はこれ以上ないほどに強そうだ。
周囲はギザギザの刃で覆われ、いかにも空を切り裂き、何でもなぎ倒しそうな風格を漂わせている。「これは伝説の武器になるぞ」と確信して投げたのだが、結果は散々であった。
重すぎるのか、形状のせいなのか、丸鋸の歯はまったく飛ばないのである。
ろくな回転もせず、ただ「ボテッ」と地面に落ちるだけだ。仕方がないので、縦にして手裏剣のように投げてみたが、やはりすぐに失速する。
あんなに強そうな見た目をしていながら、円盤としての実力はクッキーの缶のふたに遠く及ばなかったのだ。
あたしたちは、空き地の夕暮れの中で、砕け散った蛍光灯の破片と横に転がった役立たずを見つめながら悟った。
「見た目がどんなに凄そうでも、実際に役に立つかどうかは別問題である」
この教訓はその後の人生において、見かけ倒しの人間や、やたらと立派な装丁の参考書に出会うたびに、自分の脳裏に「ゴォォォォーン」というあの缶のふたの音とともに蘇るのである。
見た目じゃない、問題は中身、だと。




