月を見るたび思い出す
大きな月を見ると小学校の恩師を思い出す。
昔々の話である。
○
「今日の家庭訪問はノリコさんの家からでしたね。よろしくお願いします」
元気よく「はい」と返事をした、この春からの担任・高橋先生の帰りの会での言葉に、少しの緊張を覚えながら家に帰ると父がいた。
「おう、ノリコ。今日は俺に任せておけ」
父は市役所勤めでカレンダーどおりの仕事をしているから、この平日午後2時にもならない時間に家にいるのはおかしいのだ。
南方帰りの父である。
酒に酔うと、通信兵として、重いモールスの機械を抱えながらパラオの原生林を必死に走った話を何度もする父である。
頭の固いところや価値観が他人と違うところはあるが、基本的にはまじめで勤勉な父であるから、休みを取るのは珍しい。
父には欠点が多くあるが、この話では1つだけ書く。
度を越した社交的積極性である。
私の一家は、両親と私を含めた4人兄弟の、6人で揃って出かけることが多かった。
父はところかまわず話しかけるのである。
家族にではなく、その場所にいる赤の他人に。
いやまあ、他人がいない場所なら家族にずっと話しているのだが。
電車に乗れば電車で隣の席の人に話しかけるし、百貨店と当時は呼んでいた大きなデパートにいけば、エレベーターで乗り合わせた人に話しかける。
エレベーターで誰もいなければ、当時は必ず乗っていたエレベーターガールのお姉さんに話しかける。
レストランでもなかなか帰ってこないと思ったら、他人のテーブルに混ざりこんで大笑いしていたこともある。
電車で会った外国人の男からもらったとして、聖書を持ち帰ってきたこともある。
「パラオで銃を向けあった相手かもしれない」と笑っていた。
近所であった花見の席で仲良くなった、として宣教師の外国人が家に来たこともある。
当時は外国人は今ほどおらず、存在自体が珍しかったから、とても驚いたのを覚えている。
なんせ私はキリスト教の教会など、レ・ミゼラブルのような外国の物語に出てくる場所という認識しかなかったから。
宣教師は父と昼から酒を飲み、ひとしきり盛り上がって、夕方大変楽しそうな様子で帰っていった。
その宣教師も聖書を我が家に置いて行った。
そんなわけで我が家には聖書が2つある。
日本語と英語の2つである。
大学も、働きながら通信大学の学位を得た父は常々、
「人生は何事も勉強である」
と言っていた。様々な人と話すのもそのためであると。
ただ、私たち兄弟は半分も信じておらず、ただの話好きのいいわけであると思っていた。
幼いころは感じなかったが、どうやらそんな大人は稀であると理解してくると、私たち兄弟は父をなんだか少し恥ずかしい物のように思っていた。
授業参観も、運動会も、学芸会も、できれば入学・卒業式も父ではなく、母に来てほしい。
そんな父が「草壁」と書かれた表札の前にいる。
戦後20年ともなれば、焼け野原も立派に復興した住宅街の家の前にいる。
「高橋先生は今年から転任してきた先生だったな。この辺は不慣れだろうから歓迎してやろう。一度会っているが気持ちのいい人だった」
そんなことを言っている。
自分だって、この辺に住んでまだ3年そこそこであるくせに。
この貸家に越してきたのは私が小学校に上がるときだったから。
「お母さんはどうしたの」
「慶子は光子の面倒を見ていて忙しいからな。今日は俺が先生をもてなす」
光子というのは2歳の末の妹である。
1年に1回の担任教師の家庭訪問。
去年までは、母が家庭訪問の先生の相手をしていた。
私の当然の疑問に父はこともなげに答える。
頑固な父であるので、言い出したことは曲げない。
担任の高橋先生は転勤してきたばかりの若い男の先生だったが、親しみやすく、人気があった。
すでに生徒のことも名字で呼ぶのが普通の時代にもかかわらず、高橋先生は生徒を名前で呼ぶ。
私のことも、3年生までの担任とは違って、「草壁さん」ではなく「ノリコさん」と呼ぶ。
私も他の同級生と同じく、高橋先生のことが好きだったから、父に相手をさせるのは不安だった。
余計なことを言わないかと。
何より、父自体が一風変わった(といってよいと思う。)人なので、明日から高橋先生が私を見る目が変わってしまうのではないか。
○
私の心配事などつゆ知らず、高橋先生はほどなくしてやってきた。
「こんにちは。草壁ノリコさんの家で間違いありませんか」
「先生、ようこそ。改めましてノリコの父のタケシです。」
今日は大変楽しみにしていました、と続ける父に、恐縮した様子の高橋先生が連れられ、アッという間に居間に吸い込まれていった。
居間には6人家族で食事をできる程度の大きな座卓があったが、今日は菓子類や母の作ったおはぎ等が並んでいる。
高橋先生と父は向かい合わせに座った。私も父の隣に座る。
「まあ、先生、どうぞ。冷蔵庫にビールもありますがどうしますか」
一升瓶を持った父が尋ねる。
「いえ、私は酒は。この後、訪問する家庭もありますので」
今ほど厳しい時代ではないが、酒を飲んで仕事をするのはあまり褒められたものではない。
家庭訪問も仕事中であると考えれば、高橋先生の反応は当然である。
「多少なら大丈夫ですよ」
「いえいえ、仕事ができなくなりますので」
再度すすめても固辞する高橋先生。私は立派な人だなあと感心していた。
しかしそれを許さないのが頑固な父である。
「いえ、ダメです。軍では酒を飲んでいるときこそ、本音が出ると教わりました。俺は先生と本音の話がしたい。ノリコを1年お願いするわけですから、腹を割って話をして、しっかり信用して預けたい」
「……そこまで言われては仕方ありません。少しだけ付き合います」
根負けした高橋先生は父に従い、コップを手に取った。
子供のためと立派なことをいっているようだが、実際は違う。
単に父は他人と話すのが、特に酒を飲んで話すのが好きなだけだ。
○
隣に座って、余計なことを話さないか心配する私をよそに、高橋先生と父の話はスムーズに進んでいった。
学校近辺の世間話に始まり、私の学校での話、反対に家での話、兄弟や家族の話……。
父が、私が3年生まで寝小便をしていた話をしたときは、さすがに恥ずかしく顔が赤くなったが、心配していたほど恥になる話は出なかった。
学校とは関係のない世間話をしていたとき、先生がふと腕時計に目をやりつぶやいた。
「おや、もうこんな時間ですか。少し遅くなってしまったが、次の家へ向かわないと」
しかしそこでも譲らないのが父である。
「いや、待ってください先生。俺は先生をすっかり気に入ってしまった。ぜひもっと話がしたい。今日はもう少し飲んでいってください」
いやいや待たせていますから、と席を立とうとする高橋先生を、父は右腕をあげて制すると、隣の私に目をやった。
「ノリコ!」
「はい!」
条件反射である。
父が短く私たちの名前を呼ぶときは、私たち兄弟は大声で返事をするのが常である。
軍隊式というのだろうか。
立っていれば気を付けの姿勢になるし、座っていても背筋を伸ばす。
「先生が次に行く、同級生の家は知っているか!」
「はい!」
頭に入っている予定表によれば、高橋先生は今日あと3軒訪問する予定のはずだ。
「では、その家に行って、『先生は今日はこれなくなった』と伝えてこい」
「はい!」
父が軍隊式で命令を出すときは、まさに有無を言わさぬ、といった様子なのが常であった。
逆らっても無駄であるので、条件反射で返事をする。
なお、当時の我が家には電話がない。
電話というのは大きな店やそこそこ金持ちの家にはあるが、我が家のような田舎の貸家住まいにはぜいたく品であった。
「太陽の季節」で大ヒットを飛ばした石原慎太郎も、下宿していた店先の電話に呼ばれ受賞を知ったという。
つまり、先生が訪問しないことをよその家に伝えるには直接行くしかないのである。
あっけにとられる先生をよそに立ち上がり、任務を遂行すべく動き出す。
部屋を出て、玄関へ行き、靴をはくとまた大声が聞こえてくる。
「駆け足!」
「はい!」
聞こえる声で返事をして、見られていないにも関わらず、先生の次の訪問先--伊藤君の家ーーへ全力で走る。
軍隊任務は迅速が旨である。
○
近所をまとめて回る家庭訪問であるから、次の伊藤君の家もそう遠くはない。
数百メートルを走ってたどり着いた伊藤家のチャイムを押すと、伊藤君とその母が出迎えた。
「先生ーー、じゃないのか。ノリコかよ。どうした」
「先生は、今日はこない」
「えっ、なんで?」
「うちでお父さんにつかまってしまって、今、酒を飲まされてるからこない」
父がどうやら高橋先生をすっかり気に入ってしまったようだ、という話と、いきさつを話すと伊藤君は
「まあ、ノリコの父ちゃんにつかまったなら仕方ないな」
と納得してくれた。
うちの父がすみません、と伊藤君と母に平謝りする私であったが、伊藤君の母も、ノリコちゃんが謝ることではない、と言ってくれたのでどうにか救われた気持ちになった。
「早坂と押切の家はどうするんだ」
高橋先生の今日の家庭訪問の予定は4軒。つまりあと2軒残っている。
「今から行って伝えてくる」
「じゃあ、押切の家にはオレがいくよ。早坂の家だけ行けばいい」
伊藤君が片方行ってくれるなら手間が省ける。
「ありがとう。じゃあよろしく」
「まかせろ。あ、母ちゃん、帰ってきたら先生に用意してたお菓子食べていい?」
「何言ってるの。先生また今度来るんだから、その時にお出しする物でしょ。」
馬鹿なこと言ってないで行ってきなさい、と呆れる伊藤母。
「じゃあ、ノリコ、また明日な」
「うん、ありがとね、また明日」
次の家はそれぞれ別方向であるため、ここで別れることになる。
私は次の家へ駆けだした。
軍隊任務は迅速が旨である。
○
早坂家にも伊藤家と同様に事情を話し、帰宅する。
反応は似たようなものーーつまりはまあ仕方ないねというような諦めーーであった。
改めて、わが父の人となりがご近所に知られていることを自覚する。
○
任務を終え、帰宅した私を出迎えたのは、母が台所に立つ光景であった。
「ああ、ノリコ。先生と一緒に早めの夕食にするから、これを運びなさい」
台所の夕食を示しながら、居間の父たちへ運ぶように言う母。
光子の面倒を見る母の負担を減らす、というのが、父の本日の口実であったはずだが、これではあべこべである。
仕方がないので、夕食を運び、私は父の横に再度座る。
父はもうすっかり出来上がってしまっていた。
「ノリコ、高橋先生はな、家を継がずに、奥さんの家に婿に入られているんだ。俺は草壁の家を継いだけれども、慶子の家は大きかったから、付き合いの大変さはよぅくわかる。自分の家で先生は、子供のわからないような苦労をしている。だからせめて、学校で、生徒のお前たちは迷惑をかけないようにするんだぞ」
いやいや、と謙遜する高橋先生の前で父は説教めいたことを言う。
高橋先生のことは生徒みんなが大好きだったから、迷惑をかけようとする者はいないはずだ。
本日4軒の家庭訪問を済ませる予定だった高橋先生を、家に留めてしまった父の言葉はまるで説得力がなかった。
○
その後、我が家で夕飯を取った高橋先生を見送りに外へ出ると、すっかり日が暮れていた。
父は出てこない。居間でつぶれているのだ。
父は酒も話も好きだが、特に酒に強いわけではない。
まあ、酒につぶれでもしないと気に入った来客を帰さない父なので、酒が強くないことは悪いことでもないのだが。
「おや、今日は満月ですね」
高橋先生がつぶやく。東の空に、それは大きな明るい月が光っていた。
「僕は宿直の時は必ず月を見るようにして、日誌につけるんです。」
当時は男の先生には、学校に泊まる宿直業務があったから、その話だ。
「月を見ておくと、その日何かあったときに、方向や形を、印象に残るものとして関連付けられますから」
そういって、じゃあ、と高橋先生は通勤の駅へ歩き去っていった。
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それ以来、私も夜に何かあったら月を見ようと思っている。
夜に何か事件あったことは特にないので、役立った記憶はないのだが。
ただ大きな月を見ると高橋先生を思い出す。
それだけの話である。
昔々の話である。




