婚約破棄されたので、“すべてを壊す呪い”をかけてあげましたわ
少しでも笑っていただけたら嬉しいです。
「エマリア、君との婚約を破棄する」
煌びやかな舞踏会の只中、侯爵家の令息アレス・デストロイは、冷ややかにそう告げた。
伯爵家の娘であるエマリア・シヴァイスは、胸の奥を鋭く刺されたような衝撃を覚えながらも、必死に涙をこらえ、かすれる声で問い返す。
「……理由を、お聞かせ願えますか?」
アレスは一瞬も迷うことなく、淡々とした声音で答えた。
「君は真面目すぎる。それに──すでに、心を奪われた相手がいるのだ」
「……っ、アレス様の、ばかぁぁぁぁぁ!」
舞踏会を追い出されるようにして、エマリアは、侯爵邸の大扉を飛び出しました。
空は無情にも土砂降り。ドレスは濡れ、化粧は崩れ、ハンカチは役に立たない。
「どうして……どうしてわたくしでは駄目だったのですの……」
涙と雨で前が見えなくなり、エマリアは森へと迷い込む。すると──。
「おやおや、泣き虫なお嬢さんじゃないかえ」
木陰から現れたのは、黒いとんがり帽子に杖を持った、見るからに怪しげな魔女だった。
「わたくし、婚約を破棄されましたの……」
「ふむ、嘆きの涙は力を呼ぶ。誰かを呪いたいと思うかい?」
エマリアは一瞬ためらったが、次の瞬間、胸の奥から煮えたぎる怒りが込み上げてきた。
「……呪ってやりますわ! アレス様を!」
「いいねえ、その顔。そのためにあたしが授けてやろう──“すべてを壊す呪い”を!」
◇
呪いをかけた翌朝。
「くっ……お腹が痛い……。どうしたというのだ……。腐ったものなど食べていないはずなのに……!」
そう、アレスは“すべてを壊す呪い”として、自らのお腹を壊していたのだ。
「すでに二時間もトイレに閉じこもっている……。これでは僕のイメージが……。や、やばい、第五波が来た……!」
一時間後。
「ふう……どうやら、おさまったようだ。では魔道具のウォシュレットを使って、お尻を清めねば」
スイッチを押す。
ドシュゥゥゥゥッ!!
「ぐああっ!? 痛い痛い痛いっ!! 水圧が……“最強”になっているだと!?」
慌てて“止める”ボタンを連打するが──。
ピピッ、ドシュウウウッ!!
「なぜ止まらない!? ま、まさか壊れた!? やばい、動けない……動いたらトイレが水浸しになるじゃないか!」
さらに一時間後。
「こ、こんなことをしていては午後のデートに間に合わん……! ええい、ままよ!」
意を決して便座から立ち上がったアレス。
だが──。
ドシュゥゥゥゥッ!!
「ひっ……!!」
ウォシュレットの水は止まらず、全身をびしょ濡れにした。
そのままトイレのドアを開けると、そこには心配そうに待ち構えていた執事やメイドたちが。
「坊ちゃま……!?」
「えっ、水浴び……?」
彼らの目に映ったのは、頭からつま先までぐっしょり濡れたアレスの姿だった。
沈黙のあと──。
「……“水の魔術師”」
くすくす、と笑いが漏れる。
こうしてアレスは、トイレだけでなく、屋敷内での自らのイメージまでも壊してしまったのだ。
◇
その日の午後。
侯爵邸の庭園にて、アレスは予てより逢瀬を重ねていた伯爵令嬢ルディアと、甘やかなひとときを過ごしていた。
「アレス様……ついにエマリアとの婚約を破棄してくださったのね。わたくし、本当に嬉しいですわ」
ルディアが頬を染めて囁くと、アレスは柔らかく微笑み、彼女の手を取った。
「待たせてしまって、すまない。でも……愛しているのは君だけだったんだ」
「わたくしもですわ、アレス様……」
二人は見つめ合い、微笑み合う。
そして──アレスがルディアに顔を近づけ、口づけを交わそうとした、その瞬間。
モサッ。
モサモサッ。
アレスの鼻の穴から、大量の鼻毛が勢いよく飛び出した。
「ひっ!? モッサリ鼻毛ぇぇぇっ!!!」
バチィィンッ!
ルディアの平手打ちが炸裂する。
「良い雰囲気が台無しですわ! 身だしなみに気を遣えないなんて、最低っ!! この“鼻毛魔人”が!! フンッ!」
吐き捨てるように言い残し、ルディアはドレスの裾を翻して走り去った。
庭園にひとり取り残されたアレスは、ただ頬を押さえ呆然と立ち尽くす。
そう、“すべてを壊す呪い”は、雰囲気を壊し、恋心までもぶち壊してしまったのだった。
◇
数日後の舞踏会。
「クスクス……あれが“鼻毛魔人”のアレス様?」
「違うわ、“水の魔術師”ですって。最近は“トイレの精”とも呼ばれているそうよ」
社交界では、アレスの異名がすでに盛大に広まっていた。
「ふん……だが、僕は広い交遊関係を持つ男だ! 今日こそ汚名を返上してみせる!」
アレスは胸を張り、談笑している貴族の令息たちへ歩み寄った──その瞬間。
ヌルッ。
「ぬわっ!?」
なぜか床に落ちていたバナナの皮で見事に滑り、勢い余って令息たちにエルボーを食らわせてしまう。
「ち、違うんだ! これは友情のエルボードロップなんだ!!」
必死に言い訳するアレス。だが、その勢いは止まらない。
よろめきながら別の令息に突っ込み、柱にぶつかって回転──壁際の椅子を蹴り上げてしまう。
ヒュンッ
蹴り上げた椅子は勢いよく飛び、シャンデリアの鎖に激突。
なぜか、鎖がプツンと切れた。
ガッシャーン!!
シャンデリアが落下し、床に激突する。
泣き叫ぶアレスを尻目に、舞踏会場は瞬く間に大混乱。
そう、“すべてを壊す呪い”のせいで──アレスは評判を壊し、舞踏会を壊し、交遊関係までもぶっ壊してしまったのだった。
◇
すべてを失ったアレスは、部屋に引きこもるようになった。
友もなく、婚約者もなく、社交界の場も追われ──残ったのはただ一つ。
「くまちゃん……お前だけは、僕の味方だよな……」
幼い頃から寄り添ってきた、茶色いクマのぬいぐるみ。
アレスはそれを涙ながらに抱きしめた。
──ブチィッ。
縫い目がはじけ、中から白い綿がパァアアッと噴き出す。
「ぐはああああああああああああ!!!!」
侯爵邸に木霊する、魂の絶叫。
クマのぬいぐるみと共に、アレスのメンタルまでもが完全にぶっ壊れた。
◇
水晶に映るアレスの姿を見ながら、エマリア・シヴァイスはくすりと笑った。
「ふふ……アレス様。これが、わたくしを裏切った代償ですのよ」
隣に座る魔女もニッコリ。
「いい呪いでしょ? 返品不可だからねぇ」
エマリアの胸を吹き抜けるのは、爽やかな勝利の風だった。
その後、アレスは“破壊神”と呼ばれる悪の存在となった。しかし、最終的には勇者にボコボコにされる運命が待っているのだった。
めでたし、めでたし。
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