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『第四章』

 白く濁った息が、空に溶けていく。

 舗道の隅にうっすらと霜が降り、落ち葉は凍えたように音もなく地を伏していた。

 遠くの山々は、鈍色の空を背に、じっと黙っていた。

 古びた建物の前には、黒い服を着た人たちがいる。

 線香の匂いが漂った式場は、季節の空気とは違う冷たさで満ちていた。

 白い花々に囲まれた棺の前に立ち、僕は深く息を吸う。

 穏やかな表情でその人は眠っている。軽くゆすったら今にも目を開けて優しく微笑んでくれそうだ。

 でも、そんなことはありえない。

 死んでしまった人間は二度と目覚めることはないからだ。

 手を合わせて、目を閉じる。

 死ぬとは、いったい何なのだろう。

 人が消えてしまう。それだけのことなのだろうか。

 声が、笑顔が、体温が、すべてが失われることを『死』と呼ぶのだろうか。

 なぜ人は生きるのだろう。

 もし、死ぬためにだけ生きるのだとしたら、その営みはあまりに儚く、残酷すらある。

 それでも人は、朝になれば目を覚まし、食事をし、笑い、泣き、誰かを好きになる。

 生とは、死に抗うための灯なのかもしれない。

 いつか消えると知りながらも、今だけは燃やしつづける小さな火。それを絶やさないためにも人は生きるのかもしれない。

 彼女と出会い過ごしていったことで僕は死生をそんなふうに考えるようになった。

 目を開けた僕は、ふと思い出して制服の腰ポケットから文庫本サイズの日記帳を取り出した。

 無論、それは彼女が残したものだった。

 すこし考えてから、日記帳をその人の手のそばにそっと置いた。

 それはまるで、手紙を届けるようだった。

 少しだけ、その人の表情が明るくなったような気がした。

 やがて焼香が始まった。

 僕は作法通りに香を焚き、遺影の前で手を合わせた。

 永遠につづくと思われた読経が終わり、火葬場に移動することになった。普段は曲がらない交差点を右に曲がり山の方へ進んでいく。

 窓の外から見える冬の空は、どこまでも白く、凍てつくように高かった。

 その空の色を眺めているうちに、あの夜のことを思い出した。

 あの夜だ。

 今とは違い、夏の余韻が吹いていて、最後の力を振り絞るように、夏が秋にバトンタッチをするような、そんな夜だった。

 今でも彼女の声が頭の中で鳴っている。

 

 「はい、これとこれ」

 そう言って月歌は、小さな瓶と見慣れた日記帳を差しだしてきた。

 「ん?なにこれ?」

 「私の日記帳と、この桜の木からとった花びらだよ」

 瓶の中にはたしかに、乾いた桜の花びらが二枚入っていた。

 「いつの日か、ゆうくんが鼻歌について尋ねたことがあったでしょう?」

 僕は頷いた。

 「実は、お母さんも私と同じ病気だったの。この病気はね、物理的に残っているものがあると忘れないでいられる。私もお母さんが消えてしまう前に、お母さんから手紙を渡された。だから、これまでお母さんのことを忘れたことは一秒だってないの」

 「忘れないよ。月歌のこと忘れない」

 「だから受け取ってほしい。でも、一つだけ約束してほしいことがあるの」

 彼女は一拍いて、何かを抑えるような顔をした。

 「その時が来たら、日記を燃やして、瓶は海に流してほしいの」

 「どうして?」

 「映画で見たでしょう?瓶を海に流すの。私もそうしてほしい」

 「そうじゃなくて、なんでそんなことしなくちゃいけないの?これがなかったら月歌を忘れちゃんだろう?僕はそんなことしたくない」

 怒る僕を彼女は優しく見つめて首を左右にゆっくりと振った。

 「言ったでしょ?今がすべてだって。今の中にすべてがあるの。過去でも未来でもない。今なんだよ。私たちの日常もそうしてきたでしょう?だから大丈夫になったらそうして。過去を見つめていても前には進めない」

 「・・・そんな」

 やがて、「こんな気持ちになるなら出会わなければよかった」と呟いた。

 「ゆうくん。それは違うよ」

 彼女は優しい口調で僕に語りかけた。

 「私はね、ずっと月が嫌いだった。けど、今は好き。なぜかわかる?」

 僕は首を横に振る。

 「それはね、月灯りで光る私を美しいって言ってくれた人がいたから・・・それは他でもなくゆうくんだよ。ゆうくんのお陰で私は月を好きになることができた」

 隣をみると、彼女は大粒の涙を流していた。

 「ありがとう、ゆうくん」

 僕は震える声で「今も美しいよ」と言った。

 彼女は、腕で涙を拭いて、にっこりと笑った。けれど、すぐに耐えきれなくなり再び涙を流した。

 僕は歯を食いしばり、こみ上げるものを必死で抑えた。

 「いやだ。私泣いてる」強がるように涙声で言う。

 僕は、「流れ星みたいだよ」と言った。

 彼女は大胆に右腕で目をこすって涙を止めようと必死だ。

 「ねぇ、私喉が渇いちゃったな。ゆうくん自動販売機で飲み物買ってきてよ。二人で分けよ?」

 彼女はまだ泣き止まず、声を震わせながら無理して笑顔を作っている。

 「うん、わかった。すぐ戻る」

 僕は立ち上がり、自動販売機を探した。

 すぐに見つかり、サイダーを買って公園へ戻る。

 ほんの数分だったし日常だった。

 けれど、桜の木の下には誰もいなかった。

 「・・・つきか?」

 僕は走り出して、その場に近づく。

 葉桜の木が風に揺れて葉がさらさらと擦れると、蚊取り線香のようにふっと煙が舞った。

 その煙はゆっくりと夜空に吸い込まれていく。

 「つきかっ、つきかっ。かくれんぼか?」

 声が震える。名前を呼ぶことで、何かが戻ってくるような気がしていた。

 「つきかー!つきかー!もういいから出てきてくれ!なぁ、かくれんぼなんだろう?」

 震える声が叫び声に変わった。

 「いい加減出てこいよ。つまんねぇよ。・・・つきかー!」

 夜の公園は、さっきまでと何ひとつ変わっていない。

 ただ彼女の姿だけが、すっぽりと抜け落ちていた。

 「つきか・・・つきか・・・」

 息が喉の奥に詰まって、名前はしぼんでいくばかりになった。

 ひとりでに漏れるみたいに、震えながら、何度も繰り返した。

 それを言い続けなければ自分が崩れてしまいそうだったから。

 「・・・月歌・・・こんなのってないだろう・・・」

 無情の夜に、名前を言い続けるたび彼女がそこにいないことが少しずつ身体の中に沁み込んでくる。

 風が吹いて、満月が揺れている。

 日常はいつも不条理だった。

 さようならの挨拶もなしに、月歌はこの世から消えてしまった。


 僕は泣きながら、覚束ない足取りでなんとか家に帰った。

 帰り道がどんなだったかはよく覚えていない。

 道を歩いていたのか、風に押されていたのか、ただ夢の中を漂っていたのか。

 そう。夢ならいいと思った。

 月歌がいなくなっしてしまったこと。逆に僕がまだ生き延びてしまっていること。

 すべて、夢ならいいと思った。

 気がつけば玄関の前に立っていて、靴を脱いでいた。

 機械的に足を動かして、なんとか自分の部屋に入る。

 ドアを閉めた途端、僕は膝から崩れ落ちた。

 まるでロボットが急に電源を切られてしまったかのように、貧弱にだらしなく、その場に座り込んだ。

 いなくなってしまった。

 月歌がいなくなってしまった。

 改めて脳がそのことを処理し始めると、僕の心臓がキリキリと痛み出した。

 もうあの溌剌とした笑顔も、愛らしい戯言も、優しさも、温もりも、匂いも、それから灯りも、感じたり、見たり、受けとることができないのだ。

 なにより、もう一生、彼女と会うことができない。

 そのことが何よりも悲しかった。

 僕はふと気づいて、いつの間にか床に転げ落ちていた日記帳を拾い上げ、ページをめくった。

 まだ、いる。たしかにこの中に彼女はいる。

 そう思ったらページをめくる手を抑えることはできなかった。

 そこには彼女が残した想いや痛みが綴られていた。

 彼女の笑顔に隠されたすべてが集約されているようだった。

 ページをめくる度に、かすかに彼女の香りがした気がした。

 もう、それも幻だったのかもしれない。

 中身は彼女の独白だった。

 最初は彼女が中学生の頃に書かれたと思われるものから始まった。

 

 『五月十四日

 今日は雨。

 中学に入学してから、一か月ほどが過ぎた。

 入学当初に日記帳を気まぐれに買ったので、これまた気まぐれに日記を書いてみることにした。

 クラスの子とちょっと話した。たぶんあの子は私の名前を覚えていない。でも、それってたぶん私のせいでもある。私、誰かの印象に残るような人間じゃないから。親戚の人になんかも「いい子だね」って言われる。でも、「いい子だね」のその先って、誰にも興味をもたれていない気がする。

 目立ちたいわけじゃない。でもたったひとりでいいから、私のことを知ろうとしてくれる人がいたらって時々思う。・・・・』

 

 『七月二日

 初めての期末テストだった。教科も提出物も多くてだるい・・・

 ワークやノートを提出して一体、何を評価できるんだろう。

 馬鹿げてる。

 そういえば、家に帰ったらおばあちゃんが麦茶を冷やしてくれていた。おばあちゃんは、なんだか時間の流れが違うみたい。私が焦ったり、空回りしたりしているときも、静かに見てる。「焦らなくても大丈夫よ」って笑う。多分、私の中のうまく言葉にならない部分やひんまがった性格を全部見透かしている気がする。

 それでも、おばあちゃんはいつも私の味方でいてくれる。

 

 自分がこれからどうなるのか、考えたくなくて、でも考えてしまう。

 未来というのは明るいはずなのに、私の未来は暗くて全く見えない。・・・』


 『七月二十二日

 今日は終業式だった。

 あっという間に中学生活の九分の一が終わった。はやい。この歳で早いと感じてしまうということは、三十歳になったときには一年が一日くらいに感じちゃうのかな。

 それは言い過ぎか。

 通信簿が配られた。

 おおむねオール四。

 まず人間を五段階で評価することに憤りを覚える。教師は人をなめているのか。

 ふざけんなっ。私を四という数字で評価するな!

 担任からのコメントも添えられてあった。面倒だし興味がないので読んでいない。

 担任からの評価など実にどうでもいい。

 それよりも、みなみちゃんや、はるなちゃんが私をどう思っているか知りたい。

 私は嫌われてないだろうか。

 馴れ合いは好きじゃない。どうしよう。そんなことばかり考えて夜も寝れやしない。・・・』


 『八月十日

 蝉の音がうるさくて目が覚めた。腹が立つ。

 蝉は鳴かないことを覚えた方がいい。・・・・』


 『九月一日

 今日は一年で一番自殺が多い日らしい。

 テレビの偉い人たちが、対策や原因を話していた。

 小学校の頃は他人事だと思っていたが、おおよそ他人事でもなくなってきた。

 私も最近、死にたいと思うようになった。

 ふと、おばあちゃんの顔が浮かぶ。

 私もおばあちゃんになれるのかな。

 お母さんにはなりたくない、私はおばあちゃんになりたい。

 それに可愛い孫がほしい。

 私に子供ができた時、その子供が不細工だったら私は百パーセントその子を愛せるのかな。

 自信がない。・・・・』


 『十月八日

 今日数学の時間にふと思った。

 先生の口調があまりにも「正しさ」ばかりで吐きそうになった。

 これが解けないやつは家でなにをしてるんだ?って。

 じゃ、お前は私の家を見たことあんのかー!と叫びたくなった。

 塾に行けない子、家が静かじゃない子、毎日ご飯を自分で用意している子。

 「やる気があればなんでもできる」って言葉は、いつもそういう子の首を絞めてる。

 やる気ではどうにもならないことばかりだ。

私は結局なにも言えなかった。

 うつむいている子がひとり、またひとりと増えていくのを感じながら・・・・』

 

 『十一月三十日

 担任が明日野郎は馬鹿野郎って言ってた。

 じゃ明日やればいいと思った。

 だって私は馬鹿野郎だもん。・・・』


 『一月十ニ日

 たまに思う。学生って、なんであんな小さな世界に押し込まれるんだろう。

 教室が世界のすべてで「うまくやれない自分」が人生のすべてに思えた。

 大人になればなんとかなるよって。そんなこと言われても今辛いんだ。

 私が今日笑えなかったことは、誰にも知られずに消えていくの?

 そう思ったら、何もかもが悲しかった。・・・』


 『二月二十八日

 今日全校集会で「あいさつをしましょう」って校長がいってた。

 ふざけんなっ。

 こっちがあいさつしたってまともに返さない教師がたくさんいるじゃねぇか!

 生徒にいう前に、部下に言え!職員室で行う教師の朝礼で問題提起しろ!

 大馬鹿野郎が!・・・』


 『三月十二日

 今日担任が「いじめなんて、やっている方が悪いんだから」って言ってた。

 でも、いじめられている子が教室で泣いているとき、「強くなりなさい」「気にしすぎ」とか言ってた。なんで?って思ったけど、私は言えなかった。

 「先生、あなたが見てないふりしてるんだよ」って。言えたらなにか変わったのかな。

 私も、その子がノートを破られているのを見てた。でも顔を背けた。怖かったし。

 ほんとうは私も巻き込まれたくなかった。

 いちばん卑怯なのは、たぶん、わたしだ。・・・』


 『三月九日

 もうすぐで中学を卒業する。

 あっという間だった。

 学校って、「普通でいること」が免罪符みたいな世界だった。体育で球をさけただけで「やる気がない」って言われたこと。発言すると変に思われそうで、黙ってたこと。

 笑うタイミングを探して、誰かに合わせてばかりいたこと。

それがいつの間にか、私そのものになってしまった。

 本当の自分ってなんだっけ。もうわかんない。・・・・」


 『四月二十一日

 今日は一人で駅前のカフェで抹茶ラテを飲んだ。冷たいものを飲むとどうしてこんなに胸のあたりがすうっとなるんだろう。周りの席では、女の子たちが恋バナに花を咲かせてた。名前も知らない誰かの話を笑いながらしていて、その輪の中に混ざりたいわけじゃないけど、ちょっとだけ羨ましかった。あの内緒話な感じ。私はまだ、誰にも言えていないことが多すぎる。・・・』


 『五月十一日

 電車の中で、知らない男の人にジロジロ見られた。Tシャツが薄かったからかもしれないけど気持ち悪かった。

 学校でも、話しかけてくる男子の多くは「どのへんに住んでんの?」「彼氏いるの?」って。まるで最初からこっちを恋愛対象としてしか見ていないような聞き方をする。優しそうに見える人ほど、そういう言葉を平気で言う。こわい。いや、ただ悲しいだけかも。

 人を好きになることって、もっと綺麗なはずなのに。

 そう思いたいのに、そう思えない日がある。・・・』


 『五月二十三日

 最近、男の子に告白された。

 でも、なんで私なの?って思った。

 彼はたぶん私のこと、何も知らない。

 理由を尋ねてみた。

 優しいから。

 全く呆れてしまう。彼はなんにも知らない。わたしのこと。

 死にたいって言ったら、朝まで寄り添ってくれるんだろうか。

 本当に私を見てくれる人が、世界のどこかにいるのかな。

 欲張りなことなのかな。たった一人でいいのに。・・・』


 『六月五日

 本当の友達ってどこにいるんだろう。なんでも言い合える友達ってよく言うけど、私は誰かに本音を話したことがあるだろうか。「なんでも言ってね」なんて言う言葉、たいてい「なにも言わないでね」と同義だと思ってる。

 明るくて、愛想よくて、優しくて、それでいて、ちゃんと女の子らしくて。

 私が外で演じてる『花咲月歌』は半分以上がフィクションだ。

 『モテそう』『女子っぽいね』って言われるためのキャラだ。

 きっとそのうち、自分の本当の声が聞こえなくなる。・・・』


 『八月二十日

 夜中にふと思った。

 私のことを誰かが抱きたいと思ったとする。でもそれって本当の私を欲しているのかな。

 体のどこかの形とか、声とか、雰囲気とか、言葉遣いとか、そんなくだらない理由で私を抱こうと思うのかな。

 かわいいねって言われるたびに身体のどこかが冷えていくのを感じる。

 そういうのじゃない!

 「ここにいてくれてよかった」って言われたいんだ!

 触れられるんじゃなくて、信じられたい。そして愛されたい。・・・』


 『十月七日

 女性ってだけで期待される。

 可愛くて、細くて、愛嬌があって、気がきいて、でも出しゃばらなくて、優しくて、自立してて。

 女の子らしさって、何かの衣装みたい。

 脱いだら怒られるし、着こんでも見透かされる。

 鏡の前でリップを引きながら「今日もいい子でいよう」って口角を上げる。

 これって私の顔じゃない。誰のために笑うのか、誰のために生きているのかわからなくなる。・・・』


 『十月二十九日

 最近よくSNSを開いてしまう。特に用事もないのに。

 誰かが笑っている写真とか、彼氏からもらったプレゼントとか。

 「今日も充実」みたいなハッシュタグを見ると、胸の奥がじくじくする。

 心のどこかで、いいなぁと思ってしまっている。でもすぐに、自分がみっともない気がしてくる。「いいな」と思ったことが、なんだか負けたような気になってしまう。

 さらに、LINEの既読も気にしてしまう。

 私は、気にしすぎをこじらせている。やだやだ。

 一生親友!私は月歌がいれば十分!と言っていた友達も、私のLINEは未読のままでSNSに知らない友達とのツーショットを上げていた。

 いつでも、一生、なにかあったら、親友、特別・・・

 こういうことを軽々使う人を私は信じない。

 その子に言われたときも、たいして信じていなかったけど、いざ現実を突きつけられると、辛い。

 SNSを見ていると、「私には何もないんだな」って、勝手に落ち込んで、勝手に傷ついて・・・

 そんな自分がいちばん嫌になる。

はぁ。どこか遠くに行きたいな。・・・』


 『十一月四日

 今日もSNSを見て落ち込んだ。

 一生の友達、その思い出。という文字とともにたくさんの写真。

 なにが思い出だ。思い出なんて厄介なだけ。

 なんの役にも立たないくせに、こっちの感情を揺さぶってくる。

 このコンクリートジャングルで役に立つのはお金だけ。・・・』


 『十二月十七日

 今日、友達と喧嘩して仲直りをした。

 雨降って地固まるって嫌なことだと思った。

 その人のことが、前より大切になるから。

 どうでもいいやつなら、どうでもいいやつのままでいてほしい。・・・』


 『十二月二十四日

 学校に、すごい自己顕示欲の強い子がいる。

 いつも自撮りをして、毎日違うフィルターで盛れた顔をストーリーに載せている。

 彼氏とおそろいの服。誕生日にもらったネックレス。

 見ているだけで具合が悪くなってくる。

 だったら見なきゃいいのだが・・・

 みて!みて!私をみてー!って叫び続けているみたいに見える。

 わたしは思う。

 自信があるからやってるんじゃなくて、誰かに褒められてないと自分を保てないんだ。

 きっとあの子もそうだ。

 そう思うと、ちょっとだけあの笑顔が可哀想にみえてくる。


 わたしは誰にも見つからなくていいから、静かに綺麗なものでいたい。

 誰かに『いいね』されるとかじゃなくて、自分の中の正しさとか美しさだけで生きていたい。

 でも、実際すごく難しい。

 結局わたしも、誰かに必要とされたい。

 認められたい。

 愛されたい。

 そう思ってる。

 まったくもって、みっともない。

 そんな自分に反吐が出る。・・・』


 


 『三月三十日

 今日、病気だと診断された。余命は半年?くらい。

お母さんと同じ病気でやっぱりなって思った。

やっぱり健康が一番だとなんとなく思った。

 わたしは単純だ。

なにも手につかなくなる私はどうやら、もやしっ子らしい。・・・』



『四月二日

今日、スマホをいじっていたら、知恵袋でやりたいことをリストアップすると良いと書いてあったので、私がやりたいことをリストアップしてみる。


やりたいこと

・巨大パフェを食べたい

・カラオケで歌いまくりたい

・異性と遊びたい(仲のいい男子なんていないけど)

・異性と二人きりでお泊りしたい(恋愛ドラマの影響)

・恋がしたい

ざっとこんなもんかな。

これだけしか出てこない。

私は自分で思っているよりだいぶ空っぽだ。

死のうかな

楽しくないなら生きている意味なんてないし。

消えてしまうくらいなら死んでやる!

私は弱くなんかない!

死ねるってことをわからせてやる・・・・』


 『四月十一日

 水瀬くんとカラオケに行った。

 たぶん、今までの人生でいちばん声を出した日だと思う。

 最初は緊張してたけど、水瀬くんが本気で歌ってるのを見て、なんか全部どうでもよくなった。

 失敗してもいいし、音外れても関係ない!

 好きな歌、好きなように歌っていいんだ。

 私、ちゃんといるって思えた。

 終わった後、文房具屋に寄って、クレヨンとスケッチブックを買った。

 それから秩父の星は相変わらず綺麗だ!

 やっぱり私は秩父が好き!・・・』


 『五月二六日

 今日は映画を観に行った。

 新しくできた映画館。雰囲気めっちゃいい!

 今日観たのは人口にこれっぽっちも膾炙していない作品。そんなこというと怒られちゃうかな。だれに??

 恋して、笑って、別れて。

 最後に少女が死んでってやつだった。

 エンドロールで泣いてしまった。

 あれは物語のせいじゃない!

 水瀬くんが隣にいて、私が息をして、外は夕方で、映画館の冷たい空気と、バターの匂いと、音楽の余韻が胸の中で混ざって・・・

 書いててわかんなくなってくる。

 とにかく、水瀬くんは違う。

 今まで出会った人たちとは違う。

 それを優しさなんかで片付けるのはあまりに安っぽい気がしてくる。


 私も海に骨を流してもらいたい。

 きっとあれって、さようならの儀式じゃない。ありがとうの形なんだと思う。

 私も感謝されたい。

そしたら私が存在した価値がある気がするから。・・・』


 『六月四日

 今日は初めて、絵を描いてもらった。

 例の水瀬くんに。

 やっぱりというか当然というか、水瀬くんの絵には優しさが詰まっている。

 さすがだ!

 絵を見たとき、あっ私は生きているって思った。

 当たり前のことなんだけど。

 これが、普通の幸せってやつなのか。

 ちょっと前の私だったら、こんなこと絶対に書いていない。

 私は少しずつ変わってる。水瀬くんのおかげだ。・・・』


 『七月二十一・二十二日

 海に行った。

 誰もいない島?に行って、絵を描いて、夕立に襲われて・・・

 とにかくイレギュラーなことばかりつづいた。

 そのせいで、病気を告白することになった。

 でも、いい機会だった。

 「病気なんだ」と告白したとき、ゆうくんはなんにも言わなかった。

 驚いた顔も悲しい顔も。

 ただ、私の方を見ていた。

 こわかった。

 私は、強がって笑ってたけど、本当は言った瞬間にすごく怖くなった。

 嫌われたらどうしよう。遠くへ行ってしまったらどうしよう。

 そんな思考が頭の中を駆け巡った。

 

 光る私をみて、ただ一言・・・

 美しいと言ってくれた。

 それだけで、救われた。

 告白してよかった。

それから今が大事だということを言ってみた。

今というものは、とても面白いと思う。

今という時は、いまと口に出している隙にいなくってしまう。・・・・』


 彼女の痛みが、たしかにそこにあった。

 僕は何もわかっていなかった。

 誰にも見せなかった孤独や苛立ち。

 うまく笑えない日々、愛されたいと願った夜、愛されないかもしれないと思った朝。

 それでも月歌は日々を生きていた。

 もがきながら、地獄的なこの世の中で。

 日記は、そんな彼女の日常であふれていた。

 僕が描いた絵も、ひとつひとつ丁寧にセロハンテープで貼られていて、その絵の下に「今日は幸せだった」と書かれていた。

 それが、どれほどの重さを持つ言葉か今ならわかる。


 日記は、最初で最後の旅行まで続いていた。

 最後のページには、道の駅の小さなアトラクションや、屋台のドーナツ、おもちゃ専門店、高級ホテルで過ごした時間が穏やかな文字で綴られていた。

 

 それで終わりだと思った。

 

 でも・・・


 ページをめくっていくと、途切れていた文字が再び現れた。

 それは彼女の筆跡だった。

 すこしだけ震えていて、でも迷いのない字。

 そこには・・・

「おばあちゃんへ」「ゆうくんへ」と書かれていた。

 彼女の遺言が最後の最後に置かれてあった。

 彼女の匂いが、より強くなった。


『おばあちゃんへ。

おばあちゃん!今まで本当にありがとう!

ちゃんと、感謝が伝えられなかったことを今さら後悔してる。

最近はなるべく言うようにしてるけど。

この手紙は、わたしの「ありがとう」を集めて綴ったものです。

読んでいることを嬉しく思います。


さて、おばあちゃん。

元気ですか?

おばあちゃんが元気なら私は嬉しいです。

あの家の畳の匂いや縁側の陽だまりは、わたしの中の安心の象徴でした。

私がしんどい時、ひとりぼっちみたいな気持ちになると、いつも思い出されるのはおばあちゃんの背中です。

私は、いつもどこか寂しさと一緒に生きてきました。

でも、おばあちゃんがいると思えば、それだけで寂しさは少しやわらぎました。

いつか私がおばあちゃんの「やわらぎ」になれたらいいなと思っていましたが、それは叶いそうもないです。

ごめんなさい。

でも、私は秩父の星で、いつでもおばあちゃんを見守っているよ。

だからあんまり早くこっちに来ないでね。

最近、肺が悪いみたいなので心配です・・・

おばあちゃん。

まだ小さかった頃、お母さんが消えちゃってまだ間もなかった頃、家の中では、常におばあちゃんのエプロンをぎゅっと握って歩いていたのを、ふと思い出しました。

あのころの私、少しでも離れると泣き出していたよね。

でも、おばあちゃんはいつもちゃんとそばにいてくれました。

とっても感謝しています。

私は、よく泣く子だったね。

保育園で転んで泣いて、小学校の頃友達と喧嘩して泣いて、中学では自分に泣いて、高校でもしばしば未来が怖くて涙を見せたことがあったと思います。

それでも、おばあちゃんは一度も私を怒ることはなかったね。

「泣けるってことは、生きている証拠だよ」って言ってくれてありがとう。

本当はもっとたくさん話したかった。もっとたくさん「ありがとう」を言いたかった。

もっといろんなこと、一緒にしたかった。

冬のこたつでみかんを食べて、テレビを見て笑って、夏にはおばあちゃんが育てたトマトをちぎって、かぶりついて・・・

おばあちゃんの話、全部覚えているわけじゃないけど、口調や笑い方、背中のあたたかさ、洗濯物の匂い、ちゃんと、わたしの中に残っています。

おばあちゃんがいてくれて、本当によかった。

わたしは、おばあちゃんの孫として生きられて、しあわせです。

それだけは、ちゃんと伝えたかった。

もし、また春がきたら、おばあちゃんの庭に咲くチューリップ、見に行ってもいい?

わたしはもういないけれど、風になってきっと見に行くね・・・

大好きなおばあちゃん。

さよならするのは辛いけど。これを読んで私の気持ちが伝わったら嬉しいです。

ありがとう。

ほんとうに、ありがとう。

そして、さようなら。


花咲月歌より。』


最後の手紙には、これまでのような陰りや迷いが不思議なほど感じられなかった。

まるで彼女がそこにいて笑っているような、そんな文面だった。

もしかしたら、月歌がずっと守ってきた「キャラ」で書いた手紙になのかもしれない。

おばあちゃんに対するキャラ、僕に対するキャラ。

それでも、僕がよく知る彼女の姿が、確かにあった。

嘘でも、強がりでも、それを最後まで貫いたことが、月歌という存在そのものだったのかもしれない。


そして最後に、僕に宛てた遺言が残っていた。


『拝啓、自殺する君へ。


どうもどうも。こんにちは。いや、こんばんかな?

最後の手紙ってさ、なんか遺書っぽくて嫌だね。

というわけで、これは普通のお手紙として書いております。


さてさて、私がいなくなったあとの世界はどうですか?

ごはんちゃんと食べてる?

歯磨きしてる?

二度寝してない?(これは許す)

生きてる?

実はそれがいちばん気がかりです。

これを読んで、少しでも思い出してくれたら嬉しいな。


まずね!ありがとう!

私の人生って、最後の半年で大逆転したなって思う!

それは、ゆうくんと出会えたからだよ!

パフェを食べに行った日も、カラオケでバカみたいに歌った日も、絵を描いてくれたあの日も、夕立のあとの虹も、線香花火したこと、一緒に旅行行ったり、全部、全部ちゃんと覚えてる。

てか、夕立のあとの虹綺麗だったなぁ。


私は中学生あたりから色々なことを諦めてた。

日記を読んだからわかるとは思うけど、生きたくなかった。

なにか新しいことに挑戦すること、死ぬまでにやりたいことをすること、誰かを好きになることも。そういったこと全部諦めてた。

あの日、覚えてる?ゆうくんが自殺しようとした日。

実はあの日、私も自殺しようとしてたの。

そしたら先客がいたんだもん。そんなことある?(笑)

なぜゆうくんの自殺を止めたのか。

それは、きっとね、自分を見ているような気になっちゃったんだよね。

そして、気が付いたら自殺を止めてた。

私自身びっくりしたよ。

だけど、あの日、ゆうくんが屋上にいなかったら私は残りの人生をこんなに楽しく過ごすことはできなかった。あのまま人生を終わらせてた。そういう意味でも本当にありがとうね。

そこで思ったの。

死にたい人ならね、私のわがままに付き合わせてもいいと。

この人となら、やりたいことをできるかもって。

本音で分かり合えるかもって。

私の人生に一筋の光が射したような気がしたの。

だから私は、今までやりたかったことを最後にゆうくんとしようと決めました。

もしそこでね、仮に恋に落ちてしまったとしても、死のうとしている二人の恋なら許されるでしょ?

期限付きの恋なら許されるでしょ?

そしたら、意外とゆうくんはノリが良くて、私のわがままに付き合ってくれた。

しかも、思ったより優しかった。

うん。本当に優しかった。

ありがとね。

たぶん、私がいた時間ってゆうくんの人生でほんの一部だけど、私の人生にとっては、ほぼ全部ゆうくんだったよ。

それってさ、すごいことじゃない?

自分で言うのもなんだけど、私は結構幸せだった。


よし!これ読んでいる時にはもう死んでいるし、素直になろう。

私は、ゆうくんに恋してた。ゆうくんのことが好き。

でも、それはきっと消えてしまう焦燥感とかじゃなくて純粋に恋してた。

どういうことかって?

私が恋できるのはゆうくんしかいないから、ゆうくんのことを好きになったんじゃなくて、そういうのなしにしても私はゆうくんのことが好き。今までもこれからも。

誰かに対してこんなにストレートに告白するのは初めてだな。文字でも緊張するね(笑)

ゆうくんはどう思っていたのかな?

じゃあ、さらにさらに暴露してあげる。

二回も夜を共にしたでしょう?実は私、期待してたんだ。

だって私、処女なんだもん。処女のまま死にたくなかった。

でも、ゆうくんは紳士だった。今ではそれでよかったって思ってるよ。

あっそんなこと書くと、ゆうくんに魅力がないって聞こえるかもしれないけど、そういうことじゃないよ。

体じゃなくて、心を求める関係が私にはすごい嬉しかったの。

ゆうくんに恋してよかったって心から思ってる。

キスくらいはしてもよかったと思うけどね?(笑)


でもね、ゆうくんと関わっていく上で、一緒に過ごしていくことで一つだけね、後悔したことがあったの。

それはね・・・・

生きたいと思うようになってしまった。

もっと、もっと、ゆうくんと一緒にいたいって思ってしまったの。

それは、ゆうくんと過ごしていくことで強くなっていった。

人生でやりたいことじゃなくて、ゆうくんと一緒にやりたいことが増えていった。

でも、それをする時間が私にはもうない。

それが唯一、ゆうくんと関わって後悔したこと。



ねぇ、生きたいな。

普通に生きたい。

ゆうくんと生きたかった。

私をこんな気持ちにさせて、ゆうくんは本当に罪深い男だよ(笑)

こんな気持ちにさせた贖罪として私のお願いを二つ聞きなさい!


一つ!ゆうくんの絵をコンクールに出すこと!どんな小さいコンクールでもいいからゆうくんの絵をみんなに見てもらってください!

ゆうくんの絵は素晴らしいって私が保証してあげる。

だから胸をはってコンクールに出して大丈夫だよ(笑)

約束だよ?うん。よろしい。

ゆうくんは絶対画家になる!


そして、二つ!

生きて。

ゆうくんは生きて。

私の分までとは言わないけど、生きて。

そして笑って。

泣いたらだめだよ、なんて言わない。

泣いてもいい。諦めてもいい。

でも、ゆうくんには笑っていてほしい。

わかったね?わかるよね?

さあ、いつまでも下ばっかり向いてないで、ほら騒がしい今が待ってるよ!


それで・・・・

私とはもうお別れ・・・・

またねじゃない。本当のお別れだよ。

名残惜しいけどね。

でも、私はね、いつだって見守ってるよ!

だから、もし生き詰まった時があったら夜空を見上げてよ、どこかに私がいるからさ(笑)

私は正気だよ?(笑)

じゃ、バイバイ!さようなら。

最初で最後の本気で恋をした大好きな水瀬ゆうくんへ。

花咲月歌より』


炉の扉は閉まったまま、静かな時間が流れていた。

高く、細く、遺体を焼いた煙が、無情の風に吹かれている。

あたたかく優しかったものが、音もなく姿を変えていくのをただ見ているしかなかった。

何かかが完全に終わってしまった気がした。

ふと、思いついてポケットに手をいれる。

指先に触れたのは小さな瓶。かすかに揺れるその中には、桜の花びらが二枚眠っている。

これで、彼女のことを覚えている人間は、世界で僕たった一人だけになってしまった。

煙は風に流れ、まるで最初から何もなかったかのように、古ぼけた建物だけが散文的(さんぶんてき)に佇んでいた。

消えていく静けさと、残されることの重さをはじめて知った。

そのとき、雲が割れて陽ざしが入ってきた。

空を見上げると、淡く虹がかかっているのが確認できる。

そういえば、日記の最後に書いてあった。


『P・S

 夕立の虹は消えちゃけど、私の心にかかった虹は永遠に消えないよ。

 例え私が、この世界から消えてしまっても。』

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