第五十八話 立ち向かう男達!
異世界ラグノスにある天界。
その中心に聳え立つ、青と白を基調とした巨大な宮殿。
その奥にある、大広間。
静寂に満たされたその部屋の中央には、数人が立てるほどの円形の台座が設けられていた。
その台座へと続く階段を、一人の天使がゆっくりと登っていく。
背には六枚の白い翼。
純白のローブを纏い、歩くたびに流れるように揺れる青い髪。
金色の瞳は、迷いなくまっすぐ前を見据えていた。
その時——
「行くのか、ルシフェル?」
背後から声がかかる。
ルシフェルは足を止め、ゆっくりと振り返った。
そこに立っていたのは、腕を組んだ金髪の天使。
天界最強の戦士とも呼ばれる大天使、ミカエルだった。
「ああ。今から下界に行く」
短く答えるルシフェル。しかしミカエルは、どこか納得していない表情を浮かべていた。
「そうか……」
その曖昧な返事に、ルシフェルはわずかに眉を動かす。
「……なんだ。まだ納得していないのか?」
声音にはわずかな冷たさが混じる。ミカエルは少しだけ視線を落とした。
「わざわざ、お前が行って、そんな面倒なことをしなくても——」
「何を言っている」
言い終わる前に、ルシフェルが言葉を遮った。
その金の瞳が、鋭くミカエルを射抜く。
「勇者と魔王が手を組んだ。この前代未聞の状況……」
静かに、しかし確かな重みを持った声。
「ただあの二人を消せば済む話ではない」
ルシフェルは続ける。
「貴様も理解しているはずだ。我ら天界に、今何が必要なのかを」
その言葉に、ミカエルは何も返せなかった。
沈黙が、大広間に落ちる。
やがてルシフェルは再び台座へと歩き出した。
「私は行く」
そして台座の中央に立つ。
「後のことは頼んだぞ」
しばらくの沈黙の後、ミカエルは小さく答えた。
「……ああ」
その瞬間。
台座が淡く光り始める。
神々しい光がルシフェルの身体を包み込む。
そして——
次の瞬間には、そこに彼の姿はなかった。
残されたのは、大広間にミカエル一人。
ミカエルは静かに目を閉じ、呟く。
「……これも、天界のためか」
その言葉は、静寂の中へと溶けていった。
⸻
夜のえにし屋の前。
暖簾の下に、四人の男が並んで立っていた。
全員、どこか緊張したような顔をしている。
しばしの沈黙。
やがて、その中の一人が意を決したように口を開いた。
「……行くぞ!」
小さく、しかし覚悟のこもった声。
その言葉に、残りの三人が同時に頷く。
「あ、ああ!」
「覚悟はできてる!」
「い、行くしかないよね!」
まるで戦場に向かう兵士のような勢いで、四人は店の扉を開けた。
ガラガラ——
扉の開く音が店内に響く。
「いらっしゃいませー!」
元気な声と共に現れたのは、金髪の外国人美少女だった。
長い金髪を後ろでひとつに束ね、透き通るような白い肌。
明るい笑顔を浮かべたその少女——セリシアが、四人を出迎える。
その姿を見た瞬間。
四人の動きが一斉に止まった。
(で、出た……!)
(セ、セリシアさんだ……!)
(やばい……可愛すぎる……)
(心臓が……!)
誰も声を出さないまま固まる四人。
やがて代表として前に出た男が、ぎこちなく口を開いた。
「あ……あの、予約していた奥田です」
少し声が上ずっていた。
「奥田様、お待ちしてました!」
セリシアはにこりと笑う。
「お席にご案内しますね。こちらへどうぞ!」
その笑顔に四人の心臓はさらに跳ね上がる。
セリシアに案内され、四人は席に着いた。
「ご注文はお決まりですか?」
「と、とりあえず……生4つで!」
ほぼ反射的な注文だった。
「かしこまりました!」
元気よく返事をすると、セリシアは厨房へと向かっていく。
その背中を——
四人は、まるでアイドルを見送るファンのような眼差しで見つめていた。
「ああ……いつ見ても美しい……」
奥田が呟く。
「本当だ……心が癒される……」
峰岸が胸を押さえる。
「胸の高鳴りが止まらない……」
能登が真顔で言う。
「やばいよ……震えが止まらない……」
瀬尾は小刻みに震えていた。
この四人は、東京の同じ大学に通う大学三年生。
映画研究会のサークルメンバーである。
奥田 雄二
峰岸 大河
能登 真斗
瀬尾 隼人
彼らには、今日この店を訪れたある目的があった——。
その目的とは、ただ一つ。
それぞれが想いを寄せる女性へ――告白することだった。
そのきっかけは、数ヶ月前。
夏が終わり、少し涼しくなり始めた頃のことだ。
偶然、この店「えにし屋」に立ち寄った四人は、そこで働く女性店員たちの姿を見て、思わず息を呑んだ。
信じられないほどの美しさだった。
今まで出会ったことのないような、美貌を持つ女性たち。
まるで夢でも見ているのではないかと錯覚するほどの衝撃だった。
それ以来、四人は機会を見つけては、この店に通うようになった。
通い続けるうちに、もう一つ分かったことがある。
この店には、店員だけでなく、常連客の中にも――目を疑うほどの美人や美少女がいるということだ。
しかも彼女たちは、店員たちとも親しげに言葉を交わしている。
その姿を見て、彼らの想いはますます膨らんでいった。
彼女たちに、もう一度会うために。
いつ来るのかを知るために。
四人は、さらに足繁く店へ通うようになった。
そうしているうちに、彼らはいつの間にか店の常連になっていた。
だが、他の常連客たちとは少し違う。
店員たちと気さくに会話をするわけでもなく、
ただ頻繁に店を訪れては酒を飲んで帰る――そんな客に過ぎない。
その距離感は、傍から見ても明らかだった。
もちろん、「えにし屋」の面々も彼らのことは認識している。
だが、それもあくまで――
「よく来てくれるお客さん」
それ以上でも、それ以下でもない存在だった。
もし彼らの目的が告白なのだとしたら、本来は常連として、少なくとも会話くらいはできる関係になっておくべきだった。
だが――それは彼らにとって、あまりにも難しいことだった。
理由は単純である。
この四人、これまで一度も彼女ができたことがないのだ。
見た目だけなら、今どきの大学生だ。
服装もそれなりに整え、大学デビューも一応は果たしている。
だが、その中身は――それぞれに違いがあった。
奥田は、ややぽっちゃりとした体型に黒縁メガネ。
短く整えた髪は、控えめに茶色へと染めている。
峰岸は長身で細身。
ゆるくパーマをかけた髪は金のアッシュで、一見すると洒落ているが、やや厚めのメガネがどこかちぐはぐな印象を与えていた。
能登は三人の中でも体格が良く、髪は染めずに短く整えたツーブロック。
シンプルで男らしい見た目――なのだが、やはりここでもメガネが主張してくる。
そして瀬尾。
四人の中で最も背が低く、茶色に染めた髪はボブカットのようにやや長め。
童顔で中性的な顔立ちも相まって、どうしても幼さが目立つ。
――そして彼もまた、例に漏れずメガネをかけていた。
総じて言えば、見た目は“それっぽい”大学生。
だが、四人そろってどこか雰囲気に噛み合っていないメガネをかけているせいで、妙に目立っていた。
そして何より――
外見こそ取り繕ってはいるものの、中身は、ほとんど変わっていない。
女性とどう接していいのか、いまだによく分からないのだ。
さらに不運なことに、彼らが所属しているサークルには女性が一人もいない。
その環境もあってか、女性に対する苦手意識はますます強くなっていた。
そんな事情もあり、今に至るまでセリシアたちに声をかけることは、ほとんど出来ていない。
結局のところ彼らに出来るのは、遠くから眺めることだけだった。
まるで、アイドルを見るファンのように。
それでも――。
今日は違った。
彼らは、揃って決意していた。
今日こそ――
想いを伝えるのだと。
「いいか、俺たちには時間がない……!」
奥田が真剣な顔で言った。
「来年になれば就活で忙しくなる。恋愛なんて出来るのは、もう今しかないんだ!」
その言葉に、周りの三人も無言で頷く。
「だ、だけど……本当に上手くいくのか……」
弱々しい声で峰岸が言う。
すると――
「馬鹿野郎!」
能登が勢いよく言い放った。
「俺たちは今まで、この店に通い詰めてきたんだぞ!?
きっと向こうだって、俺たちのことくらい認識してるはずだ! だったら――俺たちにもチャンスはある!」
どこから来るのか分からない自信だった。
「だ、ダメだ……手が震えるよ……!」
瀬尾は店に入ってからというもの、ずっと手を震わせている。
これから告白しようとしているとは思えないほどの情けない様子だ。
もし他の客が見ていたら、間違いなく憐れみの目を向けていただろう。
「よし、確認するぞ」
奥田が改めて三人を見回す。
「俺は――シェリアさんに告白する」
真剣な面持ちで言い切った。
「ぼ、僕は……リアちゃんだ……!」
自信なさげではあるが、それでも峰岸はしっかり口にした。
「俺はルシアさんだ! 絶対、彼女にしてみせる!」
能登は相変わらず根拠のない自信に満ちている。
「ぼ、僕は……美沙さん……」
瀬尾はそう言った瞬間、
「……あぁ……ダメだ……震える……」
やはり手の震えは止まらなかった。
実は――
今でこそルシア、シェリア、リア、美沙に告白しようとしている四人だが、最初に狙っていたのはセリシアだった。
それも無理はない。
店に入った瞬間、誰もが目を奪われるほどの美貌の持ち主なのだから。
では、なぜ今その名前が告白対象に入っていないのか。
理由は一つ。
悠真である。
店に通い続けるうちに、四人は気づいてしまったのだ。
セリシアが、誰を見ているのかを。
それはあまりにも分かりやすかった。
セリシアの視線。
声の調子。
ふとした時に見せる表情。
そのすべてが、悠真へと向けられていた。
そこには、他人が入り込む余地など微塵もなかった。
四人は悟ったのだ。
――あれは、無理だ。
こうして彼らは、セリシアを狙うことを諦めるしかなかった。
それ以来、彼らにとってセリシアは――
恋愛対象というより、むしろアイドルのような存在になっていた。
遠くから眺めるだけの、手の届かない存在。
そして、もう二人。
フェリシアーナと玉藻。
この二人もまた、言うまでもなく美貌の持ち主である。
初めて見た時、四人が目を奪われたのは間違いなかった。
だが――。
同時に、彼らは感じてしまったのだ。
この二人には、決してそういう感情を向けてはいけない。
理由は分からない。
ただ、二人が放つ雰囲気がそう告げていた。
本能的に。
直感的に。
「これは駄目だ」と。
こうして四人の心を奪った相手は、自然と絞られていった。
ルシア。
シェリア。
リア。
そして、美沙。
――それが、彼らの恋の相手だった。




