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勇者と魔王、居酒屋始めました!  作者: あんずのかおり


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第五十七話 やり直しの夜

夜の商店街を、美沙は必死に走っていた。


ついさっきまで、えにし屋に伊花と一緒に来ていた後輩。まさか、その後輩が木之本由香里だとは思いもしなかった。


そして、目が合った瞬間。


由香里は逃げるように、その場を去っていった。

頭の中に、あの時の表情が何度も浮かぶ。


不安そうで、今にも泣き出しそうで――

そして、どこまでも追い詰められたような目。


(……なんで、あんな顔……)


胸の奥がざわつく。


早川と一緒になって、自分を追い詰めた。

あの時のことは、許していないし、忘れるつもりもない。


それでも。


(……放っておけないじゃん、あんな顔……)


一度は後輩として迎え入れた相手だ。だからこそ、足が止まらなかった。

気づけば、美沙は商店街の中を必死に走っていた。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


息が荒くなる。


「どこ行ったんだろう……木之本さん……」


周囲を見回すが、由香里の姿はどこにもない。

すぐに追いかけたはずなのに、完全に見失ってしまった。


「……もう、帰っちゃったのかな……」


少し諦めかけた、その時だった。

ふと、商店街の隙間から見える小さな公園に目が留まる。


夜の静かな公園。


その中で――


ぎぃ……

ぎぃ……


ブランコが、ゆっくりと揺れていた。


そこには、夜だというのに、ぽつんとブランコに座る人影。


美沙は思わず足を止める。


そして、吸い寄せられるように、その姿を確かめるため、公園へと歩き出した。


美沙は、公園のブランコに座る人影にそっと声をかけた。


「……木之本さん?」


その声に、人影がぴくりと反応する。

ゆっくりと振り向いたのは、やはり由香里だった。


「……篠崎、先輩……」


小さくそう呟くと、由香里はすぐに視線を逸らし、俯いてしまう。


美沙は少し迷ったあと、そのまま隣のブランコに腰を下ろした。


ぎぃ……と、鎖が静かな音を立てる。


「あはは……びっくりしちゃったよ」


少しでも空気を軽くしようと、美沙は笑う。


「木之本さん、前と全然雰囲気違うからさ。最初ほんと気づかなかったんだよね」


そこで自分の言葉に気づき、苦笑する。


「あれ……これ、さっきも言ったよね。ごめんごめん。なんか久しぶりに会ったらさ、ちょっとテンパっちゃって……」


必死に言葉を探す美沙。


けれど、由香里は俯いたまま何も答えない。


夜の公園には、静かな空気だけが流れる。


「あー……えっと……」


言葉が続かない。


(……追いかけてきたのはいいけど……)


美沙は内心で頭を抱える。


(私、何を話せばいいんだろ……)


由香里があの場から逃げ出した理由も分からない。

何を聞けばいいのかも分からない。


沈黙が、少しずつ重くなっていく。


その時だった。


「……篠崎先輩」


消え入りそうな声で、由香里が呼んだ。


「えっ……な、なに?」


美沙は思わず顔を覗き込む。


その表情は、どこか後ろめたそうで――

そして、ひどく怯えているようにも見えた。


由香里は、ゆっくりと立ち上がる。


そして、美沙の前で深く頭を下げた。


「篠崎先輩……」


声が震えている。


「あの時は……本当に、ごめんなさい……!」


突然の謝罪だった。


「私……あの時……」


言葉が途中で途切れる。


いきなりのことに、美沙は目を丸くした。


「ちょ、ちょっと待って!」


慌てて立ち上がる。


「ど、どうしたの……いきなり……?」


戸惑いながらも由香里の、その様子を見た瞬間、美沙は気づいた。


(……木之本さん……)


胸の奥がざわつく。


(もしかして……会社でのこと……?)


「私……会社で、篠崎先輩に……とても酷いことをしてしまって……」


由香里は、絞り出すような声で言った。そのまま頭を下げたまま、言葉を続ける。


「本当なら……もっと早く謝らなきゃいけなかったのに……」


声が震える。


「先輩がすぐに会社を辞めてしまって……謝る機会がなくて……」


そこで、由香里は小さく首を振った。


「……いえ、それは言い訳ですね」


俯いたまま、かすれた声で続ける。


「本当は……怖かったんです。篠崎先輩に会うのが……」


「木之本さん……」


美沙は静かにその名前を呼ぶ。


その目は真剣だった。


目の前の後輩が――

自分に対して何を思い、何を抱えてきたのか。


それを見定めるように。


「本当に……すみませんでした……」


由香里は、もう一度深く頭を下げた。


その姿を見ながら、美沙の胸に、あの日々の記憶がよみがえる。


会社でのこと。


パワハラを繰り返す上司。


そして、その隣で、同じように自分を追い詰めていた由香里の姿。


毎日のように続いた圧力。


少しずつ削られていった心。


追い詰められていく日々。


時間が経った今でも、ふとしたきっかけで思い出す。

まるでフラッシュバックのように。


あの苦しかった日々は、そう簡単に消えるものではない。だから、謝られたからといって、すぐに許せるのかと聞かれれば。


答えは、違う。


そして、美沙は少し困ったように笑った。


「うん……」


そして、正直に言う。


「でも、ごめんね……」


少しだけ視線を落とす。


「やっぱり……すぐには許せないかな」


それは静かな声だった。


怒りではなく


けれど、はっきりとした言葉。


その答えを、由香里は静かに受け止める。


「……はい」


顔を上げることなく、小さく頷く。


「本当に……すみませんでした」


自分でも、許してもらえるとは思っていない。


ただ、謝りたかった。


それだけだった。


これは、自分がしてしまったことの罪なのだから。だからこそ、由香里は美沙の言葉を、静かに受け止めた。


少しの沈黙のあと、美沙がぽつりと口を開いた。


「それにしても……」


由香里は顔を上げる。


「木之本さん、変わったね」


「……え?」


思いがけない言葉に、由香里は目を瞬かせた。

思わず顔を上げ、美沙を見る。


「あ、いや……ほら」


美沙は少し照れたように笑う。


「見た目もそうなんだけどさ……なんていうか、雰囲気?」


言葉を探しながら続ける。


「前より、なんか……社会人っぽくなったっていうか。しっかりしてきた感じかな」


それは、美沙の正直な感想だった。


美沙の中の由香里のイメージは、まだ入社したばかりの新入社員のままだったからだ。

だからこそ、目の前にいる由香里が少し大人びて見えることに、驚いていた。


「……そうですか?」


由香里は少し戸惑ったように呟いた。


「うん……」


美沙は小さく頷いた。


「木之本さんなりに……頑張ってきたんだね」


その言葉を聞いた瞬間だった。

由香里の胸の奥に、何かがこみ上げてくる。


ぐっと唇を噛みしめたが――


ぽたり、と涙が落ちた。


(……私に、泣く資格なんてないのに……)


そう思うのに、涙は止まらない。


その時、ふと頭の中に浮かんだ。あの日、自分が送ったLINEのメッセージ。


――『……その日まで、ちゃんとやり直してみます』


美沙から「変わった」と言われた。


その一言で、思ってしまったのだ。


(私……少しは……やり直せてるのかな……)


もちろん、まだ足りないところばかりだ。後悔していることも、たくさんある。


それでも――


美沙のその言葉は、確かに由香里の心を少しだけ軽くしていた。


「えっ、ちょ……」


突然泣き出した由香里に、美沙は慌てる。


「ど、どうしたの!? いきなり……!私、何か変なこと言った……?」


「あ、ち、違うんです……!」


慌てて涙を拭いながら、由香里は首を振る。


「先輩に……変わったって言われて……」


声が震える。


「少しでも……やり直せたのかなって……思ってしまって……」


「木之本さん……」


美沙は、涙を拭う由香里を静かに見つめていた。


正直なところ、美沙は由香里がもう会社を辞めていると思っていた。


あれだけの問題を起こしたのだ。

普通なら、会社に居づらくなって辞めてしまうはずだ。


それでも辞めずにいるということは――

きっと、彼女なりに思うところがあったのだろう。


入社したばかりの頃の由香里は、正直言って褒められたものではなかった。


あの時の出来事は、彼女にとっても大きなマイナスだったはずだ。


けれど。


もし、あの出来事がきっかけで、少しでも良い方向へ変われたのだとしたら――


それは、彼女にとって決して無駄な時間ではなかったのかもしれない。


美沙は小さく息をついた。


そして、少しだけ優しい声で言う。


「ほら、泣かないの」


「す、すみません……」


由香里は慌てて涙を拭う。


「泣く資格なんてないのは分かってるんです……。でも、先輩に……頑張ったって言われて……つい……」


その様子を見て、美沙は思わず苦笑した。


「本当に、手間のかかる後輩ね」


けれど、その声にはどこか柔らかさがあった。


「それより」


美沙はふと思い出したように言う。


「早く戻らないと。伊花さん、心配してるよ?」


「あ……」


その言葉で、由香里ははっとした。


美沙と再会した動揺で、伊花を置いたまま店を飛び出してしまったことを思い出す。


「ほら、早く戻らなきゃ」


「あ、はい……!」


由香里は慌てて頷いた。


二人は並んで、公園を後にする。


夜の公園には、再び静けさが戻った。


そして、公園から少し離れた場所。暗がりの中で、その様子を見守っていた男が一人。


グレイだった。


去っていく二人の背中を見ながら、小さく息をつく。


(……どうやら、余計な心配だったみたいだな)


そう呟くと、グレイもまた静かにその場を後にした。


その後、二人はえにし屋へと戻った。


店に入ると、由香里は心配そうに待っていた伊花へ真っ先に頭を下げた。


「すみません……急にいなくなってしまって」


それだけではない。

以前この店で起こしてしまった騒動についても、由香里は改めて謝罪したのだった。


その時のことは悠真も覚えていた。


しかし、目の前の由香里はあの頃とは雰囲気があまりにも変わっていたため、本人に言われるまでまったく気づかなかった。


一方で、セリシアとルシアはすぐに気づいていた。


「……やっぱり、あの時の子よね?」


「うむ。雰囲気は変わってはいるが、顔は間違いないの」


そんな二人の小声のやり取りを聞きながら、悠真は苦笑する。やはり女性というのは、そういう変化に敏感なのかもしれない。


その後、由香里と伊花はえにし屋で軽く酒を飲み、店を後にした。


夜の商店街。

人通りもまばらになった道を、二人は並んで歩いていた。


「……ごめんね」


伊花がぽつりと口を開く。


「まさか、篠崎さんだったなんて思わなくて……」


申し訳なさそうに由香里を見る。


「いえ、気にしないでください」


由香里は小さく首を振った。


「私も、あのお店で篠崎先輩が働いているなんて……全然知らなかったんですから」


夜の冷たい風が、二人の間を静かに通り抜ける。しばらく歩いたあと、伊花はふと横を見た。


そして、由香里の顔を見つめる。


「……あなた」


「はい?」


「表情、少し良くなったわね」


突然の言葉に、由香里は一瞬きょとんとした。


だが、すぐに小さく息をつく。


そして――


「……そうだったら、いいです」


そう言って、由香里はほんの少しだけ微笑んだ。


街灯の光が、静かな商店街をやわらかく照らしていた。



店の奥、静かな厨房で、美沙とグレイは後片付けをしていた。


皿を洗う水の音だけが、静かに響いている。


「グレイさん」


ふと、美沙が口を開いた。


「……私達が公園にいた時、こっそり見守ってくれていたでしょ?」


その言葉に、グレイの手が止まる。


「き、気付いていたのか?」


思わず振り向く。


心配していただけとはいえ、陰から様子を見ていたことに、どこか後ろめたさがあった。

まさか気付かれていたとは思わず、グレイの表情に動揺が広がる。


美沙は、くすっと笑った。


「あはは……そりゃあ、ね」


「す、すまない……。そんなつもりではなかったのだが……」


気まずそうに視線を逸らすグレイ。だが、美沙の表情はとても穏やかだった。


「ううん。いいよ」


そう言って、少しだけ首を振る。


「それより、グレイさん」


「……な、何だ?」


「ありがとう」


その一言に、グレイは一瞬言葉を失う。


「美沙……俺は……」


何か言いかけて、しかし言葉を飲み込む。


「……いや、何でもない」


静かな厨房。


けれど、その空間には――

どこか穏やかな空気が流れていた。


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