表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
勇者と魔王、居酒屋始めました!  作者: あんずのかおり


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

55/60

第五十三話 美沙とグレイの距離感

東京のとある商店街。

その通りを、少し距離を空けて並んで歩く一組の男女がいた。


離れすぎず、かといって近すぎもしない。

周囲から見れば恋人ではないとすぐ分かる距離感で、ただどこにでもいる組み合わせ。


だが、視線を集めずにはいられない理由があった。


男性の方は、明らかに日本人ではない。

若くは見えないが、綺麗に整えられた短めの茶髪に、彫りの深い整った顔立ち。

グレーの瞳は日本人にはない色合いで、その存在感を一層際立たせている。

モデルや俳優だと言われても不思議ではない容姿で、若さとは違う落ち着いた魅力が滲み出ていた。


そして何より目を引くのは体格だった。

冬を前にしたこの季節、厚手の服を着込んでいるにもかかわらず、鍛え上げられた肉体であることが一目で分かる。

ただそこに立って歩いているだけで、周囲の空気を変えてしまう――そんな存在感を放っている。


一方、その隣を歩く女性は、男性よりもずっと若く、二十代であることがすぐに分かる。

整った顔立ちに、ブラウンに染められたセミロングの髪。

落ち着いた色合いの髪は彼女の雰囲気によく馴染み、柔らかさと芯の強さを同時に感じさせた。


今、この商店街を歩く二人は、否応なく人目を引く存在だった。

すれ違う人々は思わず視線を向け、商店街の顔見知りたちからは自然と声がかかる。


――その二人、美沙とグレイ。


バッティングセンターを後にし、居酒屋「えにし屋」へ戻る途中。

二人は、変わらない距離を保ったまま、商店街を歩いていた。


二人の間に、言葉はなかった。

けれどそれは、これまで何度も経験してきた、心地よい沈黙だった。


隣を歩く足音のリズムが揃っているだけで、不思議と落ち着く。

――そんな距離感だったはずなのに。


美沙は、そう思っていた。

思っていたはずだった。


けれど、今は違う。


胸の奥が、ざわついている。

心臓の音が、やけに近く、大きく聞こえた。


誤魔化すように、右手に持った大きなビニール袋をぶらぶらと振りながら歩く。

袋の表面には、さっきまでいたバッティングセンターの名前が大きく印刷されていて、

それがやけに目についてしまう。


胸のざわつき――その原因は、分かっている。


バッティングセンターでの、あの時間。

自分がグレイを好きだと、はっきり自覚してしまったからだ。


平然を装おうとするほど、視線は定まらず、歩幅も微妙に噛み合わなくなる。

その違和感は、美沙自身が一番よく分かっていた。


一方で、グレイもまた、その変化に気づいていた。


最初は気のせいだと思った。

だが、バッティングセンターを出てからの美沙は、明らかに様子が違う。

どこかよそよそしく、これまでにない距離を感じさせる。


理由は分からない。

思い当たることも、見当がつかなかった。


――だからこそ、このまま放っておくのは違う気がした。


かといって、軽々しく声をかけていいとも思えない。

それは、美沙を大切に思っているからこその躊躇だった。

不用意な言葉や行動で、彼女を傷つけたくはない。


だが、もし。

もし自分が原因で、今の状態を生んでいるのだとしたら――

それを見過ごすことだけは、できなかった。


グレイは小さく息を整え、意を決したように口を開く。

そして、隣を歩く美沙へと、静かに声をかけた。


「美沙、どうかしたのか?」


突然かけられた声に、美沙の肩が跳ねた。


「へぁ!? な、なな何!?」


あまりにも分かりやすい反応に、グレイは思わず瞬きをする。

先ほどから様子がおかしいとは思っていたが、ここまでとは。


「いや……さっきから、少し様子が違う気がしてな。

バッティングセンターを出てから、何かあったのか?」


声をかけた途端のこの動揺。

いつも明るく、芯のある女性として映っていた美沙の姿からは、あまりにかけ離れている。


(……これは、ただ事じゃないな)


グレイはそう感じ、表情を引き締める。


「な、なな何にもないよ?」


そう答えた美沙自身が、一番それを信じられていなかった。

いや、言えるはずがない。

――グレイを好きになった、なんて。

今この場で、本人を前に口にできるわけがなかった。


(落ち着け私! いい歳して何テンパってんの!?

初めての恋じゃないでしょ!)


必死に自分に言い聞かせる。

だが、落ち着こうとするほど心臓は暴れ、思考は空回りする。

完全に、沼だった。


それでも、何か言い訳をしなければならない。

グレイの顔を見れば分かる。

納得していない――そんな表情を、隠そうともしていないのだから。


当然だ。

さっきの返事は、自分でも分かるほど上ずっていた。


(と、とりあえず……無難なやつ……!)


美沙が絞り出した言葉は――


「えっと……久しぶりに運動したから。ちょっと、疲れただけで……」


胸の鼓動が跳ね上がるのを必死に押さえ込みながら、

美沙は平静を装って、そう言った。


(こ、これで……誤魔化せるかな……)


美沙がグレイを見る。その表情に、はっきりとした緊張が走っていた。


一方で、グレイは彼女の言葉を受けて、


「……そうか」


と、短く息を吐くように言った。

本当にそうなのか、と疑問がよぎらなかったわけではない。

だが、美沙本人がそう言う以上、それを否定する理由もなかった。


――とはいえ。


もしそれが事実なら、それはそれで問題だ。

バッティングセンターに行こうと言い出したのは、自分だった。

自分の我儘に付き合わせた結果、彼女に無理をさせていたのだとしたら。

配慮が足りなかったと責められても、仕方がない。


だからこそ、確かめなければならなかった。

そして、もし迷惑をかけていたのなら――謝るべきだ。


「もしかして……バッティングセンターは、負担になってしまったか?」


少し思い詰めた声音で、グレイはそう問いかける。


その言葉に、美沙は慌てて首を振った。


「う、ううん!? そんなことないよ!

すっごく楽しかったし! グレイさんに打ち方教えてもらって、ちゃんと打てるようになったのも嬉しくて!」


(言い訳、まずった……! これじゃ、グレイさんのせいみたいじゃん……! ……い、いや、別の意味では原因なんだけど……って違う! 今はそうじゃないでしょ! しっかりしろ、私!)


「……そうか。なら、いいんだが……」


美沙の言葉を聞き、グレイは小さく頷いた。

それでも胸の奥に残る、拭いきれない引っかかり。

――本当は、言い出しにくいだけではないのか。

そんな考えが浮かぶのも、無理はなかった。


だが、これ以上踏み込むのは違う。

そう判断し、グレイはそれ以上追及せず、視線を前に戻した。


再び、沈黙が落ちる。


それは、ただ隣を歩いているだけで安心できた、

――いつもの沈黙ではなかった。


言葉のない空白が、妙に重く、

胸の奥に、静かな息苦しさを残していた。


やがて二人の視界に、えにし屋の建物が入ってきた。

今日は休日のため、暖簾は上がっていない。

だが、見慣れた店の姿に気づいた瞬間――


「あ、お店だよ! やっと帰ってきたね!」


美沙が、沈んだ空気を振り払うように声を上げる。

どこか無理をして明るさを作っていることは、隠しきれていなかった。


「ああ……そうだな……」


応えたグレイの声は静かだったが、そこには微かな迷いが滲んでいた。

表には出さずとも、美沙の様子が気になって仕方がない――

そんな思いが、そのまま声に乗っているようだった。


美沙も、それに気づいていた。

この空気を作ってしまったのは自分だ。

もっと何事もなかったように振る舞えなかったのか、と後悔もしている。


けれど、頭で分かっていても、心が言うことをきかない。

恋というものは、本当に厄介だ。

だからこそ――このまま終わらせるわけにはいかなかった。


店の前まで来たところで、美沙は立ち止まる。


「グレイさん……」


わずかに震えた声。

それでも、その奥にははっきりとした意志があった。

グレイは足を止め、美沙の言葉に耳を傾ける。


「あのね……今日はありがとう。さっき、バッティングセンターで疲れちゃったって言ったけど……楽しかったのは本当」


真っ直ぐに、言葉を選ぶように続ける。


「グレイさんが真剣に教えてくれて、それでちゃんと打てるようになって……私、すごく楽しかった」


少し照れたように、美沙の頬が赤くなる。


「だからね……また二人で、いろんなところに行こう。

この世界には、まだまだ面白いものがいっぱいあるんだよ。

私は……もっと、グレイさんに教えたい」


真剣な眼差し。

その言葉に嘘がないことは、グレイにはすぐに分かった。


「……そうか」


一拍置いて、グレイは小さく微笑む。


「美沙。これからも、よろしく頼む」


「うん。まかせてよ!」


その返事とともに、先ほどまで二人の間に重く漂っていた沈黙は、もうなかった。


そして二人は、えにし屋の扉をくぐるのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ