第五十話 女神、オフ会に降臨する
都内のとあるカフェ。
駅前にいくつも並ぶ、どこにでもあるチェーン店。その昼時の店内、その一角だけ、微妙に異質な空気をまとった席があった。
十人ほどが集まったテーブル。
ランチタイムの喧騒の中で、そこだけが妙に“濃い”。
「それでは皆さん、本日はお集まりいただきありがとうございますぅ!」
進行役らしき小太りの中年男性が、立ち上がって声を張り上げる。
額には脂汗が滲み、照明を受けてきらりと光る。頭頂部はやや心許なく、横に流した髪が必死に存在感を主張していた。
体型には明らかに無理のある、ぴちぴちのピンク色のロングスリーブTシャツ。
胸元には、あまりにも無邪気な笑顔を浮かべるプ◯キュアのキャラクターが大きくプリントされている。
その上から羽織っているのは、季節外れとは言い切れないものの、やや厚手でくたびれたチェック柄のネルシャツ。防寒というより「いつもの装備」と言った方が正確だ。
――誰がどう見ても、オタク。
しかも、長年この道を歩いてきた“年季入り”である。
そして、その席に集う他のメンバーもまた、似たような出で立ちだった。
キャラクター入りのロンT、イベント限定のジップパーカー、色褪せたアニメロゴのスウェット。
気温対策として重ね着はしているものの、優先順位は一貫して「推し」。
服装の方向性は微妙に異なれど、放っている波長だけは見事なまでに一致していた。
ほとんどが男性。年齢は三十代から四十代といったところだろう。
一人ひとりが妙に濃い個性を持ち、語り始めれば止まらなそうな雰囲気を纏っている。
周囲の一般客が無意識のうちに距離を取る中、
そのテーブルだけは、静かに、しかし確実に“オタクの巣”として完成していた。
その中に、女性の姿が二人だけあった。
そのうちの一人は、周囲の独特すぎる装いとは明らかに一線を画していた。
白いハイネックのニットに、落ち着いたベージュのロングスカート。
その上から薄手のコートを羽織っているが、色味も形も極めて無難で、流行を追っているわけでも、個性を主張しているわけでもない。
街を歩けばすぐに人混みに紛れてしまう、どこにでもいそうな若者の服装だった。
キャラクターのプリントも、派手な色使いもない。
アクセサリーも最小限で、鞄も実用性重視の小さなショルダー。
視線を集める要素は何ひとつないはずなのに――
その控えめすぎる装いが、
キャラクターグッズと自己主張の強い服装に囲まれたこの席では、逆に痛いほど目立っていた。
まるで「ここにいていいのか」と、服装そのものが戸惑っているかのように。
肩口まで伸びた髪は染められておらず、日本人らしい黒髪だが、どこか色素が薄いのか、光の加減で仄かに茶色が混じって見える。
前髪はやや長く、目元を覆い隠すように垂れ下がっていた。
背中をわずかに丸め、膝の上で指先を落ち着きなく絡めながら、周囲の様子を窺うように視線を上げては、すぐに逃げるように伏せる。その一連の動作は、無意識の防御反応のようにも見えた。
その仕草もまた、この場に慣れていないことを雄弁に物語っている。
――内向的。
誰の目にも、そう映る女性だった。
そして、不意に。
胸の奥に溜まっていたものを吐き出すかのように、彼女の口から小さなため息が零れ落ちる。
それは、騒がしいカフェの音に紛れてしまいそうなほど、か細い音だった。
「はぁ……」
小さく吐き出されたため息とともに、少女は俯いた。
(うぅ……ま、周り……男の人ばっかり……。わ、私……なんで来たんだろう……。や、やっぱり……私には無理だったんだ……)
根倉 灯、十六歳。
都心にある高校へ通う、ごく普通――とは言い難い高校一年生だ。
今日は、彼女がずっと好きだったアニメのオフ会に参加していた。
それも、自分から進んで。
灯は、自分が内気な性格だということをよく分かっている。
人前で話すのは苦手で、声をかける勇気もない。その結果、学校に友達は――少ない、どころではなかった。
……一人も、いない。
さらに追い打ちをかけるように、彼女の趣味は少々、いやかなり尖っていた。
アニメはプ◯キュアが大好き。
ゲームは女性向けの恋愛ゲームを中心に遊ぶ、いわゆるオタク。
当然、学校でその話題を振れる相手などいるはずもなく、
気づけば「一人でいる」ことが、灯の日常になってしまっていた。
だからこそ――
彼女は思ったのだ。
このままじゃ、駄目だ。
少しでいいから、変わりたい。
コミュ障にとって、オフ会という場はあまりにも高いハードルだった。
それでも、同じ趣味を持つ人が集まる場所なら。
同じ「好き」を語れる相手がいる場所なら。
――もしかしたら、友達ができるかもしれない。
そんな、か細い期待を胸に抱いて、灯は今日、この場へ足を運んだ。
だが。
現実は、あまりにも無慈悲だった。
そっと前髪の隙間から視線を上げる。
そこに映ったのは、男性、男性、男性。
しかも、一目で自分よりもずっと年上だと分かる人たちばかりだった。
胸の奥が、きゅっと縮こまる。
自分以外にも女性がもう一人いることには気づいたが、内向的な性格がそれを許さない。ちらりと視線を向けただけで、すぐに俯いてしまう。
(お、女の人もいるけど……あんまり、じろじろ見たら……いけない、よね……)
居心地の悪さだけが、じわじわと募っていく。
そんな中――
再び、あの進行役の男性の声が、場に響いた。
「それでは――本日はこの場、『プ◯キュア推し活の会』にお集まりいただき、誠にありがとうございますぅ!」
場の空気を掌握するように、進行役の男性が声を張り上げる。
「せっかくのご縁ですので、まずは皆さまに自己紹介をお願いできればと思いますぅ! では、その前に――」
一拍置き、胸を張る。
「今回このオフ会を企画し、進行役を務めさせていただきます、桃園真澄と申しますぅ! プ◯キュア歴は二十年以上、推しは不動、魂は常に変身中でございます! どうぞ以後、お見知り置きをぉ!」
どこからともなく小さな拍手が起こる中、満足そうに頷くと、すぐさま次へと視線を向ける。
「それではでは……まずは――そちらの方から、お願いできますでしょうかぁ!」
進行役の男性が、満面の笑みでそう告げた瞬間。
灯の胸が、びくりと跳ね上がった。
(え――)
俯いたままの視界が、ぐらりと揺れる。
(じ、じこ……自己紹介……? む、無理無理無理無理無理……!! そ、そそそんなの……わ、私には……!!)
頭の中で警報が鳴り響く。
心臓の鼓動が一気に早まり、耳の奥でドクドクと音を立て始めた。
視線は上げられない。
けれど、分かってしまう。
――順番が、回ってきている。
一人、また一人と、男性たちが楽しそうに自己紹介を始めていく。
好きなプ◯キュア、推しキャラ、参加したイベントの自慢話。
その声が聞こえるたびに、灯の中の焦りは膨れ上がっていった。
(ど、どどどどどうしよう……! な、なに……なな、何言えばいいの……!? だ、ダメ……緊張しすぎて……頭、真っ白……! な、何も……思いつかない……)
手のひらがじっとりと汗ばむ。
喉がからからに渇き、呼吸が浅くなる。
そして。
「――では、次の方」
その一言が、無情にも告げられた。
ついに。
逃げ場のない、灯の番が回ってきたのだった。
「では次――そちらの女性の方、自己紹介をお願いできますかな?」
その声が、はっきりと灯に向けられた。
「ひゃいっ!?」
思わず変な声が喉から飛び出る。
(や、やばい……やばいやばいやばい……! な、なな……何て言えばいいの……!?)
視線を上げることもできず、時間だけが無情に流れる。
自己紹介が始まらない灯の様子に、進行役の男性は不思議そうに首を傾げた。
「女性の方……どうかされましたのかな?」
「い、いえ……あ、あのぅ……」
(な、何か……言わな……言わないと……!)
灯は俯いたまま、ぎこちなく椅子から立ち上がる。
足が少し震えているのが、自分でも分かった。
「……え、あ……。ね……根倉……あ、灯……です……」
声は自分でも驚くほど小さく、頼りなかった。
(う……恥ずかしぃぃ……)
視線は最後まで上がらない。
名前を名乗っただけの、かろうじて“自己紹介と呼べるもの”。
当然、その場は静まり返った。
周囲の席では食器の音や話し声が飛び交っているのに、このテーブルだけが、不自然なほどの沈黙に包まれる。
「ふむ……根倉灯殿、ですな! 根倉殿、どうぞよろしくお願いしますぅ!」
進行役の男性が、場を繋ぐように明るく声を上げる。
「……はい……」
灯は小さく返事をすると、そそくさと椅子に座り込んだ。
その背中は、自己紹介をする前よりも、さらに小さく丸まっていた。
(変わりたくて……勇気出して来たのに……。やっぱり……私には……無理だったよ……。……帰りたい……)
後悔の波が、胸の奥から一気に押し寄せる。
そんな灯の心情などお構いなしに、自己紹介は何事もなかったかのように、次の人へと進んでいった。
「では、次の方――自己紹介をお願いしますぅ!」
その声に、
「――はいっ!」
と、場違いなほど明るい返事が返ってきた。
先ほどまで俯きがちだった灯が、思わず顔を上げてしまうほどの声量。
一人の女性が、勢いよく席を立ち上がった。
背筋はすっと伸び、表情は晴れやか。
この場の空気などまるで気にしていないかのような堂々とした立ち姿だった。
「私、橘フェリシアーナと申します!」
はきはきと、よく通る声。
一言名乗っただけで、先ほどまで漂っていた微妙な沈黙が、ふっと霧散する。
ざわり、とテーブルの空気が揺れた。
――そう。
そこにいたのは、ただの参加者ではない。
駄女神。
いや、正確には――異世界〈ラグノス〉を司る女神、フェリシアーナ。
当然、この場の誰一人として、その正体に気づく者はいない。
だが、その“何かが違う”雰囲気だけは、確かにその場に伝わっていた。
灯は、恐る恐るその声の主へと視線を向けた。
長い前髪の隙間から、そっと覗き見るように。
――その瞬間。
灯の目が、大きく見開かれる。
そこに立っていたのは、息を呑むほどに整った容姿の少女だった。
腰まで流れる長い銀髪が、照明の下で柔らかく光を反射し、動くたびにさらりと揺れる。背筋を伸ばした堂々とした立ち姿は、この場の空気をまるで支配しているかのようだった。
(……きれい……)
思わず、灯の唇から小さく言葉が零れる。
だが、その視線はすぐに、別の意味で釘付けになる。
フェリシアーナの服装は、色落ちしたジーパンに、プ◯キュアのイラストが大きくプリントされた厚手の長袖スウェット。
胸元いっぱいに描かれたキャラクターの笑顔は相変わらず主張が強く、隠す気など微塵も感じられない。
遠慮も照れもない、堂々たる“ガチオタクスタイル”だった。
そのギャップに、周囲の空気が一瞬遅れて反応する。
「ふぉぉぉ!?」
「こ、これは……プ◯キュアのあのキャラ、完全再現できるのでは……!?」
「むふぉふぉ……眼福でありますぅ……!」
あちこちから、抑えきれない声が漏れ出す。
全員がそうというわけではないが、明らかに何人かの視線は、常軌を逸した熱量を帯びていた。
もっとも、それも無理からぬ話ではある。
この美貌で、このスタイル。しかも、推しTシャツを臆することなく着こなす胆力。
――異様だ。
別の意味で、この場において浮いている。
そして灯は、知らず知らずのうちに、そんなフェリシアーナから目を離せなくなっていた。
「歳は、十六歳です! このオフ会に参加できたこと、とても光栄に思っています!」
はきはきとした声が、店内に響く。
(……十六歳……? う、嘘……!? わ、私と……同じ歳……!)
その言葉に、灯は思わず息を呑んだ。
あの堂々とした立ち振る舞い。
場を掌握するような存在感。
――それが、自分と同い年。
信じられない、という思いが胸いっぱいに広がる。
そんな灯の動揺など意に介さず、フェリシアーナの自己紹介が終わった途端、男性陣から次々と声が飛び交い始めた。
「た、橘殿は……ぷ、ぷぷぷプ◯キュアの、ど、どのシリーズが、すす好きなのでありますかぁぁぁぁ!?」
「はい! 私はシリーズ三番目の、特にあの回が――」
フェリシアーナは一つひとつの質問に、楽しそうに、そして誠実に答えていく。
その様子は、純粋に“語ること”を楽しんでいるオタクそのものだった。
だが、次第に質問の方向が、微妙にズレ始める。
「橘さん! コ、コスプレとかに興味はないですか!? ぼ、僕、似合いそうな衣装を……!」
「た、橘さんは……か、彼氏とかは……!?」
「よ、よよよよければ、この後……!」
場の空気が、明らかにざわつく。
その瞬間――
「み、皆様ぁ!? お、お落ち着いてくだされぇぇぇ!」
進行役の男性が、慌てて声を張り上げた。
「ここは! 我らが愛する作品を語らう場でありますぞぉぉ! 不敬は、許しませぬ!」
その一喝に、場は一瞬で静まり返る。
それでも、何人かの男性は気まずそうに言い訳を口にする。
「い、いや……ただ仲良くなれたらと……」
「ぼ、僕も……服の話を……」
だが、進行役は引かなかった。
「彼女は、十六歳ですぞ! 我々大人が、見守るべき相手! 作品を通して語り合うのならまだしも、はなからその下心が透けて見える行動は、慎んでいただきたい!」
その言葉に、男性陣はようやく事の重大さを理解したのか、
「……も、申し訳ありません……」
「ご、ごめんなさい……」
と、素直に頭を下げた。
「いえ、大丈夫ですよ?」
フェリシアーナは、少しも気にした様子なく、にこりと微笑む。
「せっかく、皆さんプ◯キュアが好きで集まったんですから。楽しく語り合いましょう!」
その屈託のない笑顔に、場の空気は一気に和らいだ。
オタクたちは再び盛り上がり、今度こそ純粋な“推し語り”に花を咲かせ始める。
フェリシアーナの美貌と、裏表のない性格。
そのすべてが、この場の流れを自然と掌握していた。
そんな様子を、灯はただ呆然と眺めていた。
(……この子……なんか……すごい……)
それは、進行役の男性も同じだった。
「な、なんとか……なったようで、良かったですぅ……」
安堵の息をつきながら、彼はそう呟いた。
――時は、少し遡って。
「……オフ会、ですか?」
昼時のえにし屋。
賄いを口に運びながら、悠真はフェリシアーナの言葉を反芻するように首を傾げた。
「はい! 今週の日曜日にですね、『プリキュア推し活の会』というオフ会に参加することになりました!」
そう言って、フェリシアーナは花が咲いたような笑顔を向ける。
あまりにも屈託がなく、あまりにも迷いがない。
「……はぁ」
あまりの即断即決ぶりに、悠真は思わず小さく息を吐いた。
そのまま視線をテーブル席へ向ける。
そこでは玉藻が、賄いの稲荷寿司をもぐもぐと頬張っていた。
視線に気づいた玉藻は、一瞬だけ手を止め――
「私では止められませんでした」とでも言いたげに、そっと目を伏せてから首を横に振る。
「……そ、そのオフ会、ですか。一体、どうやってそんな話に……?」
半ば諦め混じりに問いかける悠真。
するとフェリシアーナは、
「これです!」
と、楽しそうに言いながら、ズボンのポケットをゴソゴソと探り始めた。
やがて取り出されたのは、一台のスマートフォン。
「たまたま見つけたんですけど、“初心者歓迎”って書いてあってですね!」
そう言いながら、フェリシアーナは画面を悠真の前へと差し出す。
そこには、今回のきっかけとなったであろう告知ページが表示されていた。
「実はですね、SNSでプ◯キュア好きの方たちと意見を交換していたんです」
フェリシアーナは、どこか誇らしげにそう語った。
「それで、その中のお一人が『せっかくだから、直接会ってもっと語り合いませんか?』って話を持ちかけてくださって!」
「……それが、その“オフ会”ですか」
悠真は納得半分、不安半分といった様子で頷く。
その会話を、カウンターの厨房で洗い物をしながら聞いていたセリシアが、ふと首を傾げた。
「オフ会、というのは……一体、なんなの?」
「あー、簡単に言えばね」
悠真は言葉を選びながら説明する。
「共通の趣味を持った人たちが、ネットじゃなくて、直接会って話しませんか、って集まりかな」
「好きな物を、直接……?」
セリシアはぱっと表情を明るくした。
「ふふ、それは……なんだか、とても楽しそうな会ね」
「まぁ……そうなんだけどさ」
悠真は一度言葉を切り、少しだけ声のトーンを落とす。
「実は、落とし穴もある」
「落とし穴……?」
「今までSNS上でしかやり取りしたことのない相手と会うわけだからね。当然、会うのは初対面。特に女性の場合、オフ会だと偽られて、事件に巻き込まれるケースも……」
その言葉に、セリシアの手がぴたりと止まる。
「そ、そうなの……!? そ、それ……フェリシアーナ様は……大丈夫なの……?」
心配そうな視線が向けられる中、答えたのは当の本人だった。
「大丈夫ですよ!」
迷いのない声。
「今回企画してくださった方、“桃ぼっち”さんっていうんですけど、もう本当に、プ◯キュア愛でいっぱいなんです! こんなに作品を大切に語れる人が、悪い人だなんて思えません! それに、一対一じゃありませんし、私以外にも女性の参加者がいるみたいですから!」
根拠があるような、ないような。
だが、その言葉には一点の曇りもなかった。
悠真は思わず頭を抱えそうになる。
「……全く」
その様子を、カウンター席で賄いの稲荷寿司を頬張りながら眺めていたルシアが、ぼそりと呟く。
「誰じゃ、この女にスマホなんぞ持たせたのは……」
ちなみに――
フェリシアーナにスマホを渡した張本人は、シェリアだったりする。
「こちらの世界で生活する以上、必要になるでしょう?」
そんなもっともらしい理由を掲げ、シェリアはラグノスから持ってきた宝石類を換金し、その資金でスマホを購入したのだ。
そして何の躊躇いもなく、それをフェリシアーナの手に握らせた。
結果として生まれたのが――
“駄女神、SNSデビュー”である。
さらにシェリアは「これを機会に」とばかりに、グレイとリア、そして玉藻にもスマホを配布。
自分を含めた異世界人たち、そしてこの土地を司る神である玉藻までが、近代文明の象徴とも言えるスマホを手にする事態となっていた。
なお、その後――
異世界人であるグレイ、シェリア、フェリシアーナに対し、美沙とセリシアが“先生役”となり、なぜかコスプレ姿で開かれたスマホ講座が開催されたのは、記憶に新しい。
難なく端末を使いこなすシェリアの隣で、フェリシアーナは操作方法が分からず四苦八苦していた。
一方、通知音が鳴るたびにびくりと肩を跳ねさせるグレイ。
対照的に、説明を一度聞いただけで要点を掴み、あっさり順応してしまうリア。
同じものを手にしていながら、反応は実にさまざまで――
それぞれの性格が、そのまま画面の向こうに映し出されているかのようだった。
そんな中で一人、玉藻だけは特に説明を聞かずに最初から使いこなしており、
「ふふ、これがスマホですか。案外悪くないですね」
などと涼しい顔で画面を操作していたのだから、流石こちら側の神である。
スマホ講座では扱いに苦戦していたはずのフェリシアーナも、今では難なくSNSを使いこなせるようにまで成長した。
「この駄女神がスマホを持つと、ろくな使い方をせんのは想像に難くないのじゃろうて」
ルシアは呆れを隠そうともせず、肩をすくめる。
「ふふん、そんなこと言って。私がルシアさんよりスマホを使いこなしているのが、羨ましいんでしょう?」
「ふん、そんなわけあるか!我の方が、お主より余程使いこなしておるわ!」
「本当ですかぁ?」
どこか挑発的に首を傾げるフェリシアーナと、即座に食ってかかるルシア。
火花が散りそうな二人の間に、悠真が慌てて割って入った。
「まぁまぁ、二人とも。その話は置いといてさ。フェリシアーナさん、オフ会には一人で行かないでほしいんだ。何があるか分からないし」
「えー!私、一人でも大丈夫ですよ!これでも女神ですよ?」
そう言って、なぜか自信満々に胸を張るフェリシアーナ。
「女神は女神でも、駄女神の方じゃろ」
ルシアがぼそりと、しかし確実に刺さる一言を投げる。
「あー!また言いましたね!? 私は駄女神じゃありませんー!」
不貞腐れたように抗議するフェリシアーナを横目に、悠真は小さくため息をついた。
「……どうするの、悠真?」
セリシアが様子を伺うように尋ねる。
「うーん……。とりあえず、フェリシアーナさん。さっきのSNS、ちょっと見せてもらっていい?」
「……? いいですよ」
少し首を傾げつつ、フェリシアーナは素直にスマホを差し出した。
「何をするつもりじゃ?」
ルシアが訝しげに眉を寄せる。
「別に何かするってわけじゃないよ。ただ、どんな集まりなのか、分かる範囲で確認しておきたくて。あと、本当に大丈夫そうかどうかもね」
そう言って、悠真は画面を慎重にスクロールしていく。
「……うん。今のところ怪しい感じはないな。本当にプ◯キュアについて語り合いたいだけみたいだし……場所も大通り沿いのカフェか。人目につきやすいし、何かあってもすぐ分かるだろう」
「でしょう? だから言ったじゃないですか! 心配ないって!」
満面の笑みで言い切るフェリシアーナに、悠真は苦笑しつつも、
「それでも念のため、だよ」
とだけ、静かに付け加えた。
「じゃ、一人で行ってもいいですよね!?」
フェリシアーナはぱっと目を輝かせ、身を乗り出すように悠真へ詰め寄った。
その無垢すぎる期待の眼差しに、悠真は一瞬たじろぐ。
「う……でもなぁ……一応、フェリシアーナさんは未成年ってことになってるし……あまり、こういう集まりに参加させるのは……」
悠真の歯切れが悪くなるのも、無理はなかった。
現在、フェリシアーナと玉藻は――
**悠真の親戚の子、つまり「従姉妹同士の姉妹」**という立場で、この世界に身を置いている。
……もっと正確に言えば、
そういう設定に**“されている”**。
この無茶な関係を強引に成立させた張本人は、他でもないフェリシアーナ本人だった。
すべての発端は、ここに住むことが決まったあの日に遡る。
「そうです、玉藻さん。折角、私のことを“姉様”と呼んでくださっているのですから――
この際、本当の姉妹みたいになってしまいませんか?」
あまりにも唐突で、あまりにも軽やかな提案。
それを向けられた玉藻は、一瞬言葉を失い、その意図を測りかねていた。
「……姉妹、ですか?
それは……そうなれたら嬉しいですが……そんなこと、可能なのですか?」
「はい! セリシアさん、聖剣をお貸しいただけますか?」
迷いのない声。
そのままフェリシアーナは、セリシアの聖剣が持つ力――
因果律への干渉を行使し、文字通り“現実の辻褄”を力尽くでねじ伏せた。
「これで、私たちは姉妹ですね。それから……ここに違和感なく住めるように、悠真さんの“従姉妹同士の姉妹”ということにしています」
「……え?」
あまりにもさらりと告げられた真実に、悠真は言葉を失う。
だが、フェリシアーナはそんな反応など意にも介さず、話を続けた。
「これで、私たちがここで姉妹として暮らしても、問題ないですよね?」
それを横で見ていたルシアが、盛大に呆れたのも無理はなかった。
「この女神、やりたい放題じゃの……」
「そんなことありませんよ? セリシアさんの聖剣があってこそですし」
フェリシアーナは涼しい顔で言い返す。
「それに、まだ力も完全ではありませんから。変えられたのも、私と玉藻さんの因果律くらいです」
「……それにしては」
聖剣を貸した張本人であるセリシアは、苦笑を浮かべる。
「フェリシアーナ様の因果律干渉、私より精度が高い気がするんだけど……」
「やはり、女神ということかの……」
ルシアは半ば呆然としたまま、そう呟くのだった。
――結果。
二人は、「今ここに居候している姉妹」という立場に落ち着き、
姓も悠真のものを借りて、
・橘 フェリシアーナ(16歳)
・橘 玉藻(20歳)
と名乗ることになった。
もちろん、血縁関係などあるはずもない。
悠真と似ていないのは当然であり、フェリシアーナと玉藻も、顔立ちそのものはまったく異なる。
見た目だけを見れば、正直なところ「姉妹」と言われて即座に納得できるほど似ているわけではない。
だが、不思議と雰囲気は近く――
何より、“姉妹である”という認識そのものが因果律によって周囲に刷り込まれているため、
世間的には、まったく違和感なく受け入れられていた。
――問題なのは、本当の事情を知っている悠真たちだけだった。
彼らからすれば、
どう見ても無理がある。
設定も、年齢も、経緯も、何もかもが。
それでも、現実は――何事もなかったかのように成立している。
周囲の誰一人として疑問を抱くことなく、二人は「姉妹」として扱われる。
フェリシアーナが玉藻を「さん」付けで呼び、
玉藻がフェリシアーナを「姉様」と呼ぶ、その少し歪な呼び方さえも、
外から見れば「変わった呼び方をする姉妹だな」と受け取られるだけだった。
その光景を目の当たりにするたび、
因果律の操作というものが、どれほど理不尽で、どれほど強大な力なのかを、
悠真たちは嫌というほど思い知らされる。
そして――
ひとたび成立してしまった現実は、
そう簡単には、覆らない。
だからこそ悠真は、別の問題を抱え込むことになる。
――未成年である“今のフェリシアーナ”が、オフ会のような場に参加して本当に大丈夫なのか。
そもそも、この堕落しきった引き籠もり女神が、人の集まる場所で無事にやり過ごせるのか。
因果律がどれほど現実をねじ曲げようと、その心配だけは、どうしても拭えなかった。
だが――
真正面から、懇願するように見上げてくる少女の表情を前にして、悠真はそれ以上、強く言うことができなくなる。
「う……まぁ……この感じなら……行っても、いいかな……」
「やったぁ!」
次の瞬間、フェリシアーナは文字通り飛び跳ねて喜んだ。
「ただし! 何かあったら、すぐに連絡してくださいね。絶対ですよ?」
「はい、分かってますよ!」
あまりにも軽い返事に、悠真は不安を拭いきれないまま、苦笑いを浮かべる。
その頃には、フェリシアーナの頭の中は、すでにオフ会のことでいっぱいだった。
こうして、フェリシアーナは、無事にオフ会への参加を果たすことになる。
実際のところ――
オフ会そのものは、驚くほど順調に進んでいた。
推しキャラの話題で笑い声が上がり、名場面の語り合いでは誰かが熱弁を振るい、時折、共感の頷きがテーブルを一周する。
フェリシアーナもまた、その中心で生き生きと語り、場の空気を明るく照らしていた。
ただ――
その輪の外に、ひとりだけ取り残された根倉灯。
先ほどの、震えるような自己紹介を終えてから、彼女は一言も口を開いていなかった。
話題が振られることもなく、相槌を打つ勇気も出せず、気づけば会話は彼女の存在を避けるように流れていく。
膝の上で指を絡め、俯いたままの視線。
周囲の楽しげな声が、まるで遠くの出来事のように聞こえる。
――話しかけるきっかけを、完全に失っていた。
(やっぱり……私には、無理だったんだ……)
その小さな胸の奥で、後悔だけが静かに積もっていく。
誰にも気づかれぬまま、
それでも確かにそこにいる少女を残して――
オフ会は、和やかな空気のまま進んでいった。




