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勇者と魔王、居酒屋始めました!  作者: あんずのかおり


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第四十七話 戻る日常

「いっしゃいませ〜!」


威勢のいい悠真の声が、開け放たれた引き戸越しに店内へと響き渡る。

カウンターの向こうでは、湯気の立つ鍋と焼き台が忙しなく音を立てていた。


「いらっしゃいませ。何名様ですか?」


入口ではセリシアが柔らかな笑顔で客を迎え、手慣れた様子で席へと案内していく。

その声を合図にするかのように、店内のあちこちから注文の声が上がった。


「すみませーん! 注文いいですか?」


テーブル席に向かって、美沙が小走りに駆け寄る。


「生ビール、二つだ」


低い声と同時に、ドンと小気味いい音を立てて、カウンターにジョッキが置かれる。

泡立つ黄金色の液体が、縁ぎりぎりまで揺れた。


「ありがとう、グレイ♪ あ、それと――豚の角煮一つと、刺身の盛り合わせお願い」


リアはジョッキを受け取りながら、当然のように追加注文をする。


「私はチャンジャとタコわさ、それからチーズチヂミを」


隣のシェリアも、指折り数えながら楽しそうに続いた。


「了解だ」


短く応じ、グレイは厨房へと向かう。


店内はすでに満席。

グラスが触れ合う音、笑い声、焼き物の香ばしい匂いが混ざり合い、えにし屋らしい賑わいを取り戻していた。


「いや〜、やっとここで飲めるよー」

「ほんと。他で飲むより、ここは落ち着くのよねぇ」

「悠真ちゃん、お店ずっと休んでたから心配してたんだよ」


常連たちの言葉に、悠真は手を止め、深く頭を下げる。


「すみません……ご心配をおかけしました」


そう言いながらも、その表情にはどこか安堵の色が浮かんでいた。

――こうしてまた、この場所に人の声と温もりが戻ってきたのだ。


そんな賑わいの中、セリシアはテーブル席から下げた食器を両腕に抱え、厨房へと戻ってくる。


「……よかった。皆さんが、またこのお店で楽しんでくれて……」


湯気の立つ厨房の入り口で足を止め、セリシアは店内を見渡した。

笑い声、グラスの音、行き交う視線――それら一つひとつを、どこか愛おしむように眺める。


「ああ。今まで休んでた分、いっぱい楽しんでもらわなきゃな」


悠真もまた、フライパンを振りながら客席へと視線を向ける。

忙しさの中に、確かな充実感が滲んでいた。


「……うん」


短く返事をして、セリシアは流しへと向かう。

水をひねると、食器に当たる水音が静かに響いた。


――その音に紛れるように。


「……それにしても……フェリシアーナさんの話……」


悠真が、ぽつりと呟く。


「……まさか、あんな話になるなんてね」


二人の手は止まらないまま、意識だけが過去へと引き戻される。


あの夜。


倉庫街での騒動の後、えにし屋に集まった全員の困惑と緊張。


異世界の女神・フェリシアーナが、何故この地球にいるのか。

何故、刑事・矢島の亡き娘――のぞみの姿をしているのか。


重たい沈黙の中、全員が彼女の言葉を待っていた。


そして、彼女の口が開く。


「まず……この世界にいる理由ですが」


フェリシアーナは静かに言い、悠真の方へと視線を向けた。


「悠真さんが、今はめているその指輪にあります」


そう言われ、悠真は思わず自分の右手――中指にはめられた指輪へと視線を落とす。


「この……指輪、ですか……?」


半信半疑の声で問い返す。


「はい……。私は、その指輪の中に閉じ込められていた様なのです……」


その言い回しに、セリシアがわずかに眉をひそめる。


「えっと……その言い方だと……」


「はい……私自身、なぜその指輪に封じられていたのか……覚えていないのです。それ以前の記憶も……ありません。ただ一つ、覚えていたのは……自分が“ラグノスの女神”であるということ。それだけでした」


静かだが、はっきりとした答えだった。


「お、覚えていないって……!」


思わず声を上げたのは悠真だった。

だが驚いたのは彼だけではない。


美沙やセリシアたち異世界組。

そして矢島や泉もまた、困惑した表情でフェリシアーナを見つめていた。


フェリシアーナは、そんな視線を一身に受けながら、ゆっくりと説明を続ける。


――彼女は、悠真が今身につけているその指輪の中に存在していた。

だが、いつから指輪の中にいたのか、その記憶がない。


「気がついた時には、ラグノスの聖王国エルディア。

その教会の宝物庫に、その指輪が保管されていたということだけです」


そして――


「その後、シェリアさんが宝物庫から持ち出した宝石類……その中に、その指輪も含まれていました」


異世界から地球へ。

宝石と共にフェリシアーナもまた、この世界へと来たのだという。


「ですので……」


フェリシアーナは一度、言葉を区切る。


「私が、皆さんに説明できるのは……それより後の出来事だけなのです」


重たい沈黙が、その場を包み込む。


その沈黙を破ったのは、低く、抑えた声だった。


「……では」


問いかけたのは矢島だった。


「貴女が、何故……娘の“望”の姿をしているのか……それについての説明は……」


「はい」


フェリシアーナは、まっすぐに矢島を見つめて答えた。


「……お答えします」


誰一人、言葉を挟めない。

ただ、その続きを待つしかなかった。


「……指輪の中にいた頃の私は、ほとんど力を失っていました」


フェリシアーナは、淡々と、しかし確かな重みをもって語り出す。


「そして……悠真さんが、その指輪を嵌めた日」


ゆっくりと視線が悠真へ向けられ、やがて矢島へと移る。


「同じ日……矢島さん、貴女が初めてこの店を訪れた日でもあります」


「初めて……?」


矢島は眉を寄せ、記憶を辿る。


「……あの、ソラマチの件で、ここに来た時か?」


「はい。その時です」


フェリシアーナは、静かに頷いた。


「その時……貴女の傍には、望さんがいました」


「――っ!」


矢島の肩が、わずかに震える。


「とても心配していたのでしょう。魂となってもなお……ずっと、貴女の身を案じていたのだと思います」


「……望……」


思わず、矢島の口から娘の名が零れ落ちる。


「あの……フェリシアーナさん。その……矢島さんたちが来られた日……」

悠真は、ふと思い出したように口を開いた。


「俺、その時……女の子の声を聞いたんです。“パパを助けて”って……」


「そういえば……悠真、そんなこと言ってたわね」

セリシアが、記憶を辿るように頷く。


「確かに……言うとったの」

ルシアもまた、思い当たる節があるように呟いた。


フェリシアーナは、静かに肯定した。


「望さんの想いは、とても大きく……その願いは、強かった。その声が、指輪を通して……悠真さんに届いたのでしょう」


そして――


「その想いは、私に大きな力を与えてくれました」


彼女は胸元にそっと手を当てる。


「ですから、私は……彼女の魂を受け入れたのです。少しでも、彼女の願いが叶い、魂が救われるのなら……と」


店内に、重く、しかし温かな沈黙が流れる。


「そして……彼女の魂が、最も輝く日」


フェリシアーナの声が、ほんのわずかに震えた。


「望さんを受け入れた事により、その日、私の力は大きく高まりました。指輪という器から離れ、この世界に顕現出来るほどに……」


「それって……」


悠真が息を詰める。


「のぞみちゃんが、初めて現れた……あの満月の夜の事ですか……?」


フェリシアーナは、静かに頷いた。


「はい……」


だが、悠真はさらに問いを重ねる。


「それに……“魂が、最も輝く”って……それは……」


「――恐らく、その日は……彼女の命日だったのでしょう」


静まり返った空間に、落ち着いた声が響いた。

悠真の疑問に答えたのは、玉藻だった。


「えっと……」


悠真は言葉に詰まり、ゆっくりと矢島へ視線を向ける。


「確か……この店に初めて来たのは……」

矢島は少し考え、静かに続けた。


「……娘、望の命日の……前日だったな……」


「そう……だったんですか……」


悠真は小さく息を呑む。


「でも……前日って……のぞみちゃんが現れたのは……あっ……!」


不意に何かに気づいたように、悠真は目を見開いた。

その瞬間、曖昧だった記憶が、はっきりと蘇る。


「……そういえば、あの時……もう日が回っていた気が……」


日付が変わった、あの深夜。

満月の下で起きた、あの出来事。


玉藻は、ゆっくりと頷いた。


「命日とは……魂とこの世との縁が、最も近くなる日」


玉藻は、穏やかな声でそう告げた。


「その日に、人の魂が抱く想いや願いは、最も強くなります」


誰かを想う心。

守りたいという願い。

それらが、力を持つほどに――。


その言葉を受け、フェリシアーナは静かに口を開いた。


「……この世に降り立つことが出来たのは、確かに喜ばしいことでした」


ですが、と彼女は一度言葉を切る。


「……私の力は、思った以上に足りていなかった……」


視線を伏せたまま、フェリシアーナは淡々と語り続ける。


「顕現するためには、望さんから得た力も使いましたが……それでも、自らの肉体を形成するには至りませんでした。やむを得ず――望さんの肉体を、器として造り上げたのです」


静かな声の奥に、悔恨が滲む。


「しかし、その過程で、ほとんどの力を使い果たしてしまい……私は、その肉体の奥底で眠るほかありませんでした」


彼女が示す“肉体”――

それは、望の姿をした、その存在。


「表に現れた肉体と人格は……望さんのものでした。

けれど彼女は、自分の“名前”以外の記憶を失い……

極めて不安定な状態のまま、この世に現れてしまったのです」


その場の誰もが、思わず息を呑んだ。


「その後……」


フェリシアーナは、視線を上げる。


「望さんの想い、そして悠真さんの行動を通して……

人々の願いや想いが集まり、私は少しずつ力を取り戻していきました」


そして――


「……あのショッピングモールで短い時間ではありましたが、顕現出来る様になった……」


フェリシアーナの声が、わずかに震えた。


「そして、今日……あの倉庫街で、私は彼女の願いを叶えさせてあげることが出来ました」


その瞬間――


「……望の願い……」


低く、押し殺した声が響く。


反応したのは、矢島だった。


「それは……何だったんだ……?」


父として。

一人の人間として。


答えを求める、その問いだけが、静まり返った空間に残った。


「……貴方にどうしても伝えたかった事があったそうです」


フェリシアーナは静かに告げる。


「……伝えたかった事……?」


矢島の喉から、かすれた声が漏れる。


「はい」


フェリシアーナは、はっきりと頷いた。


「ですから……最後に、彼女の願いを叶えました」


矢島が、わずかに顔を上げる。


「日々……私の力が戻り、あのショッピングモールで私が表に出た時から……望さんが、この世界に留まれる時間は、短くなってしまった」


それは、避けられない理。


「元々……魂だけの存在である望さんは、現世に長く留まることは出来ません」


フェリシアーナは、一度だけ目を伏せる。


「だからこそ……彼女の魂が消えてしまう前に……父親である貴方に、もう一度だけ会わせてあげたかった」


静かな決意が、そこにあった。


「そして……玉藻さんに力を借りて……貴方の前に、望さんを顕しました」


その言葉に、矢島の記憶が鮮明によみがえる。


――倉庫街。

闇の中で交わした、短くも確かな会話。

あれが……最後だった。


「……そう、か……」


矢島は小さく息を吐き、俯いた。

握りしめた拳が、わずかに震える。


やがて、ぽたり、と。

床に落ちた一滴の涙が、静かな音を立てた。


「……ああ、伝わったよ……」


その声は、涙に滲みながらも、不思議なほど穏やかだった。

頬を伝う雫を拭おうともせず、ただ、受け入れるように目を閉じる。


そこにあったのは――

嘆きでも、後悔でもない。

娘の想いを確かに受け取った父の、悲しみを越えた静かな受容だった。


皆は、その話を聞き――

望の願いが、確かに叶えられたのだという意味を、静かに理解していった。


目の前に立つ少女の姿に、もはや“のぞみ”の面影はない。

それでも、それぞれの胸の中には、確かに彼女の記憶が残っていた。


幼いながらも、どこか不思議な雰囲気をまとった少女。

明るく、人懐っこく、誰の懐にも自然と入り込んでしまう――

ここで共に過ごした時間は、かけがえのないものとなっていた。


「……ねぇ……もう……のぞみちゃんって……」


美沙が、言葉を探すように問いかける。


「彼女は……無事に願いを叶え、本来いるべき場所へ――還っていきました」


その答えに、美沙は一瞬、目を伏せ――小さく笑った。


「……そっか……なんか……不思議だね……」


目の前の少女を見つめながら、ぽつりと呟く。


「姿は、まだのぞみちゃんのままなのに……もう……会えないんだね……」


その声は次第に震え、言葉の終わりが滲む。


「……最後に……挨拶、したかったなぁ……」


堪えていた感情が溢れ、美沙の目から、静かに涙が零れ落ちた。


「……うん……」


そっと寄り添ったのは、セリシアだった。


「少し……寂しいけど……無事に……のぞみちゃんが……逝けて……よかったよね……」


セリシアもまた涙を浮かべ、美沙を抱き寄せる。

その光景を見つめながら、それぞれが胸の内で、のぞみを想った。


「……あの子も、きっと……穏やかに行けたじゃろ……」


ルシアは、そっと目を閉じ、静かにそう呟いた。


――そして。


「……フェリシアーナさん……」


矢島が、一歩前へ出る。


「……望の想いを……そして……願いを叶えてくれて……ありがとう……」


深々と頭を下げるその身体は、小さく震えていた。


「矢島さん……」


その姿を見て、泉が小さく名を呼ぶ。


「いえ……」


フェリシアーナは、首を横に振り、穏やかに微笑む。


「私は……ほんの少し、手助けをしただけです。本当に……良い娘さんを、授かりましたね」


「ああ……」


矢島は、片手で顔を覆いながら、震える声で答える。


「……本当に……自慢の……娘だ……」


その言葉には、悲しみと同時に――

確かな誇りと、静かな安堵が込められていた。


やがて、矢島は静かに呼吸を整え、感情の波を胸の奥へと収めていった。

悠真やセリシアたちもまた、それぞれの形で――のぞみへの想いに、ひとつの区切りをつけていた。


重く張り詰めていた空気が、わずかに緩む。


そんな中――


「あの……」


ぽつりと声を上げたのは、悠真だった。


「この……指輪って……結局、何なんですか……?」


全員の視線が、悠真の右手――中指にはめられた指輪へと集まる。


「すみません……」


答えたフェリシアーナもまた、困惑した表情で首を振る。


「私にも……その指輪が、何であるのか……はっきりとは……」


「神を封じ込める指輪、か……」


低く呟いたのはルシアだった。


「少なくとも、ただの指輪ではないのは確かじゃな……

……シェリア。教会に、何か伝承は残っておらぬか?」


「ええ……」


名を呼ばれ、シェリアは小さく頷く。


「以前にも、悠真さんに言われて……教会の資料を調べました。ですが……該当する記述は、見つかりませんでした……」


「ふむ……」


ルシアは腕を組み、指輪を見据える。


「どちらにせよ……その指輪は、いずれ詳しく調べる必要があるじゃろう」


「私も……ルシアさんと同じ考えです」


シェリアは、静かに言う。


「あちらの世界へ戻った際には……出来る限り、詳しく調べてみます」


「それと……」


悠真は、少し言いづらそうに言葉を継ぐ。


「この指輪……外すことって……出来ないんですか……?」


そう言って、指輪を引き抜こうとするが――

びくともしない。


「……まだ、外れなくて……」


「……そう、ですね……」


フェリシアーナは、悠真の指にはまった指輪をじっと見つめ、考え込む。


「……どうやら、この指輪は――“契約”の一種のようなものかもしれません」


静かにそう告げたのは、フェリシアーナだった。


「契約……ですか?」


悠真は思わず聞き返す。


「ええ……恐らくは」


そう言うと、フェリシアーナはそっと悠真の手元へ近づき、彼の指にはめられた指輪へ、慎重に手を翳す。


「……この指輪を通して、私に力が流れ込んでいるようなのです」


「え……ち、力って……いったい、何の力が……?」


戸惑いを隠せない悠真に、フェリシアーナは少し考える素振りを見せてから答えた。


「私の力の源は……人の“想い”や“願い”。言い換えるなら――信仰力、と呼ばれるものに近いでしょうか」


「信仰力……」


「はい。悠真さんの周囲には、そういった力が溜まりやすいようです。人が集い、想いを交わし、願いを抱く……その力が、この指輪を通して私へ流れ込んでいるのだと思われます」


「は、はぁ……」


納得したような、していないような声を漏らしつつ、悠真は本題を思い出す。


「……それで、その……指輪を外すことは……?」


「現時点では……難しいでしょう」


フェリシアーナは、はっきりと首を振った。


「ですが、契約に近い形であるなら……条件さえ揃えば、外せる可能性はあるかと」


「条件……?」


「……申し訳ありません。そこまでは、まだ分かりません」


「……そうですか……」


悠真は小さく肩を落とす。


「一応……我や、シェリアの方でも調べておくとしよう」


そう言ってルシアは腕を組む。


「それまでは……仕方あるまいな」


「まぁ……」


悠真は指輪を見つめながら、苦笑する。


「今のところ、生活に支障が出るわけじゃないし……」


「……申し訳ありません」


フェリシアーナは、深々と頭を下げた。


「ご迷惑をお掛けしてしまって……」


「い、いえっ!」


悠真は慌てて手を振る。


「そ、そんな……! ただ、外せたらいいな、くらいの話ですから! 謝られるようなことじゃないです!」


その必死な様子に、場の空気がわずかに和らぐ。


「それで……フェリシアーナ様は、これからどうなさるおつもりなんでしょうか?」


セリシアの問いかけに、フェリシアーナは一瞬だけ言葉を選ぶように視線を伏せ――やがて、静かに顔を上げた。


「そうですね……」


そして、その視線はゆっくりと矢島へ向けられる。


「矢島さん。ひとつ、お願いがあるのですが……」


「お、お願い……?」


まさか自分に話が振られるとは思っていなかったのだろう。矢島は目を瞬かせ、わずかに背筋を伸ばした。


「はい。もし……矢島さんの許可を頂けるのであれば、ですが」


フェリシアーナは丁寧に言葉を選びながら続ける。


「このまま――娘さんの姿を、お借りできないでしょうか?」


「……娘の姿をか……?」


一瞬、矢島の表情に戸惑いが浮かぶ。しかし、やがて小さく息を吐き、ゆっくりと頷いた。


「それは……構わない。望も、きっと嫌とは言わんだろう」


「……ありがとうございます」


フェリシアーナは深く頭を下げた。


「お主……何をするつもりじゃ?」


ルシアが警戒するように問いかける。


「まずは……」


そう呟いた、その瞬間だった。


フェリシアーナの身体が、淡い光に包まれる。


「えっ……な、なに!?」


突然の出来事に、美沙が思わず声を上げる。


柔らかな光が膨らみ、そして――ゆっくりと収束する。


光の中から現れたのは、先ほどまでの幼い姿ではなかった。


「……っ、う、うそ……体が……」


美沙は目を見開き、言葉を失う。

それは彼女だけではなく、その場にいた全員が同じだった。


そこに立っていたのは、成長した望の姿――高校生ほどの年頃に見える少女の姿をしたフェリシアーナだった。


「これなら……問題ありませんね」


何事もなかったかのように、フェリシアーナは自分の手足を一度見回し、穏やかに微笑む。


「流石に、子供の姿のままだと……色々と行動するのに不便ですから」


身体の成長に合わせて衣服も大きくなってはいるものの、元は幼児用の服だ。丈やデザインのちぐはぐさが否応なく目に付き、強烈な違和感を放っていた。


「お、お主……まさか……」


ルシアはすべてを察したように、低く呟く。


場に、静かなざわめきが広がっていった。


「はい、ここに残ろうと思います。記憶が無い以上、下手に向こうの世界へ戻るわけにもいきません」


フェリシアーナは落ち着いた口調でそう告げる。


「まずは、こちらで出来る限り状況を把握したいと思っています。それに……」


「それに……?」


首を傾げるセリシアに、フェリシアーナは少しだけ表情を和らげた。


「こちらの世界には、私の知らないものが数多くあるようです。望さんの中を通して見てはいましたが……やはり、自分の目で確かめなければ意味がありませんから。ですので……!」


そこまで言って、フェリシアーナは胸を張る。


「こちらの世界を、しっかり調査する必要があります」


「……ただ楽しみたいだけじゃろ?」

ルシアが呆れたように言う。


「そんな事はありません」


即答だった。


「これは女神としての務めです。他の世界を知るというのは、とても重要なことなのです!」


自信満々に言い切るフェリシアーナに、数名が思わず苦笑する。


「ですので、悠真さん……」

フェリシアーナは改めて悠真へ向き直る。


「しばらくの間、こちらに置いてもらう事は出来ないでしょうか?」


「ええっ!?」


悠真は思わず声を裏返す。


「い、いや……それ自体は問題ないんですが……め、女神様をこんな場所に……!?  そ、それは何と言うか……恐れ多いというか……」


「いえ。この場所だからこそ、です」


フェリシアーナはきっぱりと言い切った。


「この店には、信仰力が集まりやすい性質があります。ですので、私の力を取り戻すにも都合が良い。それに……」


一瞬だけ、柔らかく微笑む。


「この場所は、とても居心地が良くて、気に入りました。もし、悠真さんが良ければ……ここに住まわせて欲しいのですが」


「えっと……部屋は空いてますし、フェリシアーナ様がそれで良ければ……」


「ふふ、ありがとうございます」


そう言ってから、少しだけ首を傾ける。


「それと……“様”はいりませんよ?気軽に、フェリシアーナと呼んでください」


「い、いやぁ……流石に神様を呼び捨てには……」


少し悩んだ末、悠真は恐る恐る口にする。


「……じゃ、じゃあ……フェリシアーナさん、で……」


「はい。よろしくお願いしますね!」


満面の笑みで即答された。


「……あの」


そこで、控えめに手を挙げたのは玉藻だった。


「玉藻様? どうしましたか?」

悠真が尋ねる。


「出来れば……私も、ここに居ていいですか?」


「え!? た、玉藻様もですか!?」


「難しいでしょうか?」


「い、いえ……問題は無いんですが……どうしてですか?」


「一言で言うなら、フェリシアーナさんと同じです」


玉藻はくすりと微笑む。


「この場所が気に入りました。それに……普段は狐の姿ですし、場所もあまり取りませんから」


「あら」


フェリシアーナが楽しそうに声を上げる。


「でしたら、私と同じ部屋はどうですか?同じ“神”同士、仲良く出来るかと」


「ええ、ぜひ。よろしくお願いします……フェリシアーナ様」


「玉藻さんもどうか“様”はおやめください」


「では……フェリシアーナ姉様、とお呼びしてもよろしいでしょうか?」


「まぁ、姉様、ですか。ふふ……なかなか新鮮な響きですね」


二人で楽しげに盛り上がるその様子を眺めながら、悠真たちは顔を見合わせ――


「……何か、勝手に話が決まってるな……」


えにし屋に、また一風変わった住人が増えることが、こうして静かに――しかし確実に決まったのだった。

そんな光景を前にして――


「……なんか、凄い事になったね……」

美沙が呆然と呟く。


「ああ……まさか、ここまで話が転がるとはな……」

グレイもまた、状況を整理しきれないまま低く息を吐いた。


「ふふ、これはまた随分と賑やかになりそうですね」

どこか楽しげに笑うシェリアとは対照的に、


「……何なの、この状況」

リアは完全に困惑した表情を浮かべている。


「まさか……中身は違うとはいえ、娘の成長した姿をこの目で見られる日が来るとはな……」

矢島は感慨深げに呟き、


「正直……色々あり過ぎて、もうちょっとやそっとじゃ驚かなくなりましたよ」

泉は乾いた笑みを浮かべた。


「……これはまた、騒がしくなるの……」

ルシアは額を押さえ、小さくため息を漏らす。


「な、なんか……神様達に気に入ってもらえるのは嬉しいんだけど……」

悠真は不安そうに言葉を続ける。

「……バチとか、当たらないよね……?」


「気にしすぎじゃないかしら?」

セリシアが柔らかく微笑む。


「神様が気に入るくらい、良いお店って事よ。誇っていいと思うわ」


その言葉に、悠真は少しだけ肩の力を抜いた。


「……そう、だね」


「それと、悠真さん」

フェリシアーナが声を掛け、そっと差し出したのは

――淡く光を帯びた青い指輪だった。


「これを」


「……これは?」


青願(せいがん)の指輪です。小さな願いを、ひとつだけ叶えてくれる指輪です」


「小さな……願い、ですか?」


「はい。ある程度の願いは叶えられますが……大きすぎる願い――例えば死者を蘇らせることや、世界を支配するような願いは叶えられません」


「い、いいんですか!? こんな物を頂いて……!」


「はい。受け取ってください」


フェリシアーナは穏やかに微笑む。


「こちらでお世話になるお礼です。この指輪が、いつか悠真さんの助けになれば幸いです」


「……お礼の品にしては、ちょっと大きすぎる気が……」


「ここは素直に受け取っておけば良いのじゃ」

ルシアが肩をすくめる。


「そうね。悠真、受け取るべきよ」

セリシアも背中を押すように言った。


「……そうだね。ありがとうございます」


悠真は深く頭を下げ、指輪を受け取った。


「では、これからよろしくお願いしますね。悠真さん、そして皆さんも」

フェリシアーナが丁寧に頭を下げる。


「私からも。どうぞ、よろしくお願いします」

玉藻もそれに倣った。



――そして、時は現在へ


「すみませーん! ビール、もらえますか?」


テーブル席から軽やかな声が上がる。

そこにいたのは、黒いフリルのスカートにクリーム色の長袖ブラウス。銀髪は大きな黒いリボンでまとめられ、あまりにも整った顔立ちをした少女だった。その姿は、この居酒屋には場違いと言っていいほどだった。


「ダメですよ、フェリシアーナさん。未成年なんですから!」


注文を取りに来た美沙が、即座に咎める。


「一応……女神なんですけど……。年齢も二十歳以上は――」


「ダメなものはダメです!」

美沙はぴしっと言い切る。


「どう見たって未成年ですし、お店としてお酒は出せません!」


「うぅ……やっぱり、ダメですか……」

フェリシアーナはしょんぼりと肩を落とす。


「ていうか、前にも同じ事言いましたよね?」


「まあまあ、落ち着いてください、美沙さん」

そう言って間に入ったのは、巫女装束を纏った玉藻だった。


「フェリシアーナ姉様も、今は我慢なさるべきかと」


「はぁ……もう少し力が戻れば、大人の姿にもなれるのに……」


そんな愚痴を零すフェリシアーナの横で、


「あ、美沙さん。私は冷酒を二合ください」

玉藻が何事もなかったかのように注文を入れる。


「あーっ! ずるいですよ、玉藻さん!」

フェリシアーナが声を上げる。


「私だって飲みたいのにぃぃぃっ!」


「見た目が問題ですから」

美沙は即答だった。


そのやり取りを、カウンター奥の厨房から眺めていた悠真とセリシアは、思わず顔を見合わせてクスリと笑う。


「……すっかり馴染んでるね」

悠真が小さく呟く。


「ええ」

セリシアも微笑みながら頷いた。


そんな、いつも通りの賑やかな店内に――

ふと、テレビからニュースの音声が流れ出す。


『先週、東京湾の倉庫街で発生した爆発事件を受け、現場を拠点としていた半グレグループのリーダー、相馬仁容疑者が逮捕された事件で、警察は爆発現場から回収された押収品の一部から、違法輸入品や禁止薬物の所持・取引に加え、盗難品の販売、傷害事件など、複数の犯罪への関与を確認しています。なお、爆発の原因については、現在も調査中で、詳しいことは分かっていないとのことです』


画面が切り替わり、ずらりと並ぶ押収品の映像が映し出される。


『さらに、十年以上前に発生した、都内に住む親子が被害に遭った轢き逃げ事件についても、関与していた可能性があるとして、警察は余罪の有無を含め、慎重に捜査を進めています』


そのニュースを見つめながら、セリシアがぽつりと呟いた。


「……あの事件以来、矢島さんと泉さん、しばらくお店に来られていませんね」


「うん。二人とも、かなり忙しいみたいだよ」

悠真が包丁を置きながら答える。


「矢島さんの奥さんと、望ちゃんを轢いた犯人が捕まったからね……矢島さんに少し話を聞いたんだけど、その相馬仁って人、憑き物が落ちたみたいに、まるで廃人状態なんだって。今は、全部自供しているらしい」


「そう……なんですか……」

セリシアは静かに息を呑む。


カウンター席で酒を傾けていたルシアが、低い声で言った。


「あやつに憑いておった九尾が原因じゃろうな」


「九尾……」


「あれほどのものが人の身に入り込んでおれば、正気など保てるはずもない。心を喰われ尽くされ、残るのは殻だけじゃ」

ルシアは杯を傾け、淡々と続ける。


「……それでも、命があるだけマシというものじゃ」


「……これで、無事に事件が解決するといいわね」

セリシアが、祈るように言う。


「そうだね」

悠真も静かに頷いた。


ふと、悠真は店内を見渡す。

笑い声や湯気の立つ料理――そこに溢れているのは、人の営みと温もりだった。


「……本当に、不思議な縁に恵まれたな」


その言葉は誰に向けたものでもなく、

けれど確かに、この場所――“えにし屋”そのものに向けられていた。



東京郊外にある、とある霊園。

その一角に並ぶ墓石の前で、矢島は静かに佇んでいた。


ロングコートの襟を立てると、冷えた空気が肺に染みる。

吐く息は白く、冬の訪れをはっきりと告げていた。


「望……ようやく、終わったよ」


墓石に刻まれた名を見つめ、矢島はゆっくりと言葉を紡ぐ。


「相馬は捕まった。……全部、自分の罪を認めた」

短く息を吐き、

「これで少しは……お前たちも、浮かばれてくれるといいんだがな」


そう言って、矢島はコートの内側から、ひとつの箱を取り出した。

丁寧に包装された、小さなプレゼントだ。


墓前にそっと置き、苦笑する。


「まだクリスマスには早いが……サンタさんからの贈り物だ。今年のクリスマスは、どうやら忙しくなりそうでな」


その表情は、これまで見せたことのないほど穏やかだった。


「……じゃあ、行ってくるよ」


矢島は背を向け、歩き出そうとした――その時。


(いってらっしゃい、パパ……)


確かに、そう聞こえた気がした。


矢島の足が止まる。

振り返ることはしない。けれど、胸の奥に温かなものが広がる。


やがて、彼は静かにもう一歩踏み出した。

その背中には、迷いのない強い意志が宿っていた。


――もう、前を向いて歩いていくための。



「……ここは……?」


ひとりの女性が、ゆっくりと目を覚ました。


碧い瞳。右目の下には小さな泣きぼくろ。

腰まで流れる銀色の長い髪は、先へ行くほど夜の闇を溶かしたように黒へと変わっていく。


黒い袴に、白い振袖。

巫女装束を纏ったその姿は、どこか神々しく、そして哀しげだった。


彼女は静かに周囲を見渡す。


どこまでも続く白の世界。

空も、大地も、境界すら曖昧な空間。


そして――

その中央に、ひとつだけ立つ赤く大きな鳥居。


「……幽世か」


ぽつりと呟いた、その声には、諦観が滲んでいた。


「夜月姉様……」


背後から、か細い声がかかる。


振り返ると、そこに立っていたのは、同じ碧の瞳を持つ女性だった。

白い振袖に、赤い袴。肩口までの銀髪を揺らし、悲しげな表情で夜月を見つめている。


「……玉藻か」


夜月は、口元に皮肉な笑みを浮かべる。


「こんな所にまで来て、我を笑いにでも来たのか?」


「いいえ……」

玉藻は首を振り、声を震わせた。

「夜月姉様……私は……」


「やめろ」

夜月は静かに遮る。

「我はもう、お主の姉ではない……我は禍……」


「いいえ……!」

玉藻は一歩踏み出す。

「夜月姉様は、いつまでも私の大切な姉様です……!」


その瞳に、涙が滲む。


「姉様が禍尾に堕ちたのは……私のせいです……姉様は、私を守ろうとして……」


「違う」

夜月は冷たく言い放つ。


「我はただ、魂を喰らいたかっただけだ」


「……姉様……」


玉藻の声は、祈りのように震えていた。


夜月は踵を返す。


「……我は、もう行く」


ゆっくりと歩き出し、赤い鳥居へと向かう。

だが、くぐる直前――夜月はふと、足を止めた。


「……玉藻」


振り返ったその表情は、驚くほど穏やかだった。

それは、かつて玉藻が慕い、愛した姉の顔。


「……貴女は、私みたいにならないで」


その口調も、眼差しも――

すべてが、昔の夜月だった。


「姉様……」


玉藻の頬を、涙が伝う。


「……さようなら……」


夜月は微かに微笑み、何も言わずに鳥居をくぐった。


赤い鳥居は淡く光り、やがて――

彼女の姿は、白い世界の彼方へと溶けるように消えていった。


残されたのは、静寂と、わずかな温もりだけ。


玉藻は、天を仰ぐ。


「……姉様」


その声は、もう届かない。

けれど――確かに、別れは終わりではなかった。


それぞれが、それぞれの場所へ。

想いを胸に、前へ進むための――静かな幕引きだった。

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