第四十五話 崩壊の後に……
先程まで、黒き九尾との凄絶な戦闘が繰り広げられていた倉庫街は、今や嘘のような静寂に包まれていた。
東京湾から吹き付ける夜風が、焼け焦げた鉄と海水の匂いを運び、砕けたコンクリートの隙間を抜けていく。
倉庫や積み上げられていたコンテナは原形を留めることなく破壊され、辺り一面は瓦礫の山と化していた。
かつての倉庫街の面影はほとんど失われ、唯一悠真たちが最後に陣取っていた場所だけが、奇跡のように形を保っていた。
「お……終わったんですかね……?」
張り詰めていた空気を破るように、泉が小さく口を開いた。
「ああ……恐らくな……」
矢島はそう答えながらも、視線を外すことなく、破壊し尽くされた戦場をじっと見つめ続けていた。
まるで、再び何かが現れるのではないかと警戒するかのように。
「……」
悠真は言葉を発することが出来ず、ただ拳を強く握りしめていた。
(セリシア……)
戦いが終わったであろうことは理解している。
それでも――彼女の姿が見えない。その事実が、胸の奥に重くのしかかっていた。
その時だった。
「どうやら……皆さん、ご無事のようですね」
穏やかな声と共に、フェリシアーナが口を開く。
その表情には安堵の色が浮かび、わずかに微笑みさえ浮かんでいた。
彼女の視線の先へと、皆が一斉に顔を向ける。
そこには、夜空を切り裂くように飛翔しながら戻ってくる四つの影――
ルシア、グレイ、リア、そしてシェリアの姿があった。
「たっだいまー!」
場の緊張感をまるで理解していないような声で、リアが元気よく手を振る。
「ふぅ……ようやく終わったの」
「まさか、こちら側の世界で、ここまでの騒ぎに巻き込まれるとはな」
「まぁまぁ。みんな無事なんですから、細かいことは気にしない気にしない」
それぞれが思い思いの言葉を口にしながら、地上へと降り立つ。
その姿を見て、悠真や矢島、泉たちの肩からも、ようやく力が抜けた。
――だが。
彼らの後方に、もう一つ、見慣れない人影があった。
肩まで伸びた銀色の髪。
そして、凛とした佇まいの袴姿の女性。
「ちょ、ちょっと待ってくださいっ!? だ、誰なんですか、その銀髪美女っ!?」
泉が、食い気味に声を上げる。
「あの女性は……一体、誰だ?」
矢島の問いに答えたのは、フェリシアーナだった。
「あの方は――玉藻さんです」
「た、玉藻……?」
泉は首を傾げ、必死に記憶を辿るが、心当たりがないとでも言うような顔をする。
「……まさか、あの白い狐か?」
矢島の言葉に、フェリシアーナは静かに頷いた。
「き、狐!? な、なんで狐が人間の姿になってるんですか……!?」
驚きと混乱で騒ぐ泉たちを横目に、フェリシアーナは玉藻の元へと歩み寄る。
「どうやら……無事に事を終わらせることが出来たようですね?」
「ええ……。貴女のおかげです、フェリシアーナ様」
「ふふ。貴女の力になれたのなら、何よりです」
張り詰めていた役目を終えたからか、フェリシアーナの鋭さは影を潜め、穏やかな微笑みがその顔に浮かんでいた。
――しかし。
悠真の胸に渦巻く不安だけは、消えていなかった。
彼の視線は、仲間でも玉藻でもなく、
ただ一人――セリシアの姿を探し続けていた。
「み、皆……セリシアは?」
震えを含んだ声で、その名を呼んだのは悠真だった。
周囲を見渡しながら、必死に姿を探す。
「え? セリちゃん……? セリちゃんなら、あとで――」
リアがそう答えかけた、その時。
「す、すみません! 少し戻るのが遅れてしまいました!」
倉庫街に響いた、聞き慣れた声。
皆が一斉に振り向く。
そこに立っていたのは――セリシアだった。
「ちょっと……慣れない力を使って戻るのに少し時間がかかってしまって……」
そう言い終わるより早く。
――ガバッ。
「えっ……? ゆ、悠真……?」
突然、強く抱きしめられ、セリシアは目を丸くする。
「良かった……。本当に、良かった……セリシアが、無事で……」
震える声。
それは安堵と、抑えきれなかった不安が混ざり合ったものだった。
悠真の腕の中で、セリシアの頬がみるみる赤く染まっていく。
そして胸の奥が、じんわりと温かくなる。
「悠真……。ごめんなさい……心配、かけてしまって……」
セリシアはそっと、確かめる様に悠真の背に腕を回す。
しばしの間。
周囲の喧騒が嘘のように消え、二人だけの時間が流れた。
「……お主ら、よくこんな場所でイチャイチャできるのぉ」
呆れたような声で、ルシアが口を挟む。
「まぁまぁ、いいじゃないですか、ルシアさん。
二人の時間を邪魔するなんて、野暮ですよ?」
そう言いながら、シェリアはどこか温かな眼差しで二人を見守っていた。
「……うむ」
グレイは短く唸るだけで、視線を逸らす。
その表情は、どこか硬い。
「な、なんか……こっちまで照れてきちゃうよ……」
リアは頬をかきながら、苦笑いを浮かべる。
――その瞬間。
はっと我に返ったように、二人は同時に体を離した。
「え、い、いや、これは……ちがっ!」
「そ、その……し、心配だったから……つい、その……!」
互いにしどろもどろになりながら、顔を真っ赤にする。
そんな様子を、少し離れた場所から静かに見つめていた玉藻が、穏やかに口を開いた。
「……やはり、人というものは良いですね。だからこそ私は、この土地を守ってきた……」
「ええ。人の愛ほど、尊いものはありません」
フェリシアーナもまた、優しく微笑みながら頷く。
その言葉を受けて――
「あ、愛っ!? ち、ちがっ……そんなつもりじゃ……!」
「そ、それは……その……!」
さらに慌てふためく二人。
「悠真くん、羨ましいよ……!」
泉が悔しそうに叫ぶ。
「はぁ……」
その隣で、矢島は大きくため息をついた。
そんな穏やかな空気が、しばし流れた――その時。
「……それで」
低く、落ち着いた声が場を引き締めた。
「この惨状を、どうするつもりだ?」
口を開いたのはグレイだった。
彼の視線の先――そこにあるはずだった倉庫街は、もはや影も形もない。
「半グレ共は、禍尾を討った時点で解放されていたな。全員、気を失って倒れていたが……命に別状は無さそうだった」
「半グレに関しては、警察に任せればよかろう」
ルシアがそう言いながら、ちらりと矢島と泉に視線を向ける。
「そうだな……そこは我々の仕事だ」
「しかし、半グレはいいとして……」
泉が瓦礫の山を見回し、眉をひそめる。
「この惨状、どう説明するんですか?矢島さん」
「……ううむ」
矢島は腕を組み、低く唸る。
さすがに今回は、即答できる状況ではなかった。
「……花火大会の時みたいに、直せないのか?」
悠真が口を開く。
夏の夜、崩壊したビルが元通りになった光景が脳裏をよぎる。
「あの時は、被害が局所的だったからの」
答えたのはルシアだった。
「ビル一棟と、その周辺程度。しかし……これは街区単位じゃ。ここまでの規模を魔法で修復するなど、我にも不可能じゃ」
「じゃあさ」
あっけらかんと、リアが手を挙げる。
「フェリシアーナ様とか、玉藻様なら出来るんじゃない? だって二人とも、神様でしょ?」
その言葉に、玉藻は申し訳なさそうに首を振った。
「……すみません。私の力では……」
「私も同じです」
フェリシアーナも静かに続ける。
「今の私の力では、この規模を修復することは出来ません」
「じゃあ……」
リアは顎に指を当て、考え込む。
「セリちゃんの聖剣は? 因果律を変える力があるんでしょう?」
「確かに、出来なくはないけど……」
セリシアは視線を落とし、首を横に振る。
「因果律を変えただけで……この状況を誤魔化すのは流石に無理だわ……」
場に、重たい沈黙が落ちる。
――その時。
「なら」
静かに、しかしはっきりとした声が響いた。
「狭い範囲で行えば、よろしいのでは?」
皆の視線が、一斉にその声の主へと向く。
「……シェリア?」
「どういうこと?」
リアが問い返す。
シェリアはにこりと微笑みながら、一歩前に出た。
「全部を“元に戻す”必要は、無いんです」
「この結界の内側にいたのは……我々とあの半グレの方々だけです」
そう切り出したのは、シェリアだった。
「でしたら――因果律を操作する対象は、あの半グレ達だけで十分だと思います」
「……なるほど。そういうことか」
ルシアは一瞬目を細め、すぐに納得したように頷く。
「え、なになに!? なんで二人だけで分かってるの!? ちゃんとこっちにも教えてよー!」
リアが頬を膨らませ、駄々をこねるように声を上げた。
「今、この場所は結界によって外界と切り離されておる」
ルシアが淡々と説明を始める。
「外の人間には、この倉庫街で何が起こっていたかは分からん。ならば――因果律を変える必要があるのは、内部にいた半グレ達だけで良い」
「え、でもさ!」
リアが瓦礫の山を指差す。
「この場所、直さなくていいの? 結界を解いた瞬間、大騒ぎになるよ?」
「それで、よいのじゃ」
「???」
リアの頭の上に、見事なほどの疑問符が浮かぶ。
「……どういうことだ?」
今度はグレイが、静かに問いを投げた。
「では、説明しますね」
シェリアは一歩前に出て、皆を見渡す。
「まず――半グレ達の因果律を、こう変えます」
彼女の声は穏やかだったが、その内容は極めて冷静だった。
「『倉庫街で原因不明の大規模爆発が起き、巻き込まれた』――という因果です」
「ば、爆発……ですか?」
悠真が思わず声を上げる。
「でも、もう建物は壊れてますし……」
「ですから、順番が大切なんです」
シェリアは指を折りながら、流れを説明する。
「まず、私が半グレ達の直近の記憶を消します。
その方が、因果律操作がより確実になりますから」
「その後、セリシアさんが聖剣で半グレ達の因果律を書き換える」
セリシアは静かに頷いた。
「そして――結界を解除した“瞬間”に」
シェリアはルシアへ視線を向ける。
「周囲の人間が確実に気付くほどの魔法を、ルシアさんに放っていただきます」
「ふむ……なるほどな」
「大きな音、光、衝撃波。“爆発があった”と周囲が思い込むには、十分です」
「そして最後に」
シェリアは、矢島と泉を見る。
「矢島さん、泉さん。お二人の出番です」
「え?」
「お二人は“たまたま近くにいた”という設定で、警察等に連絡してください。その後の現場対応は……お任せします」
「ええ!? お任せって……適当すぎません!?」
泉が思わず叫ぶ。
「……ふむ」
腕を組み、黙り込んでいた矢島が低く唸る。
「や、矢島さん……?」
不安そうに泉が声をかける。
「……なるほどな」
矢島は顔を上げ、ゆっくりと言った。
「“原因不明”にするつもりか」
「え……それって……?」
「警察も消防も、この崩壊した倉庫街を調べるだろう。だが、爆発の原因は掴めない」
その言葉を、ルシアが引き継ぐ。
「当然じゃ。この現状を引き起こしたのは、そもそもこちらの人間が認知しておらぬ力じゃからな」
「しかも」
矢島は静かに続ける。
「唯一、その場にいた目撃者――半グレ達の記憶は消され、別の記憶を植え付けられる。それ以上、追いようがない」
「……流石じゃの」
満足げに、ルシアが口元を緩める。
「ベテラン刑事は、話が早くて助かる」
その言葉に、矢島は小さく溜息をつきながら頭を掻いた。
「褒められてる気がしねぇな……。それに――」
瓦礫の山を一瞥し、苦笑する。
「いつぞやのソラマチの時と、やってることは同じだ」
「あっ……」
泉が、はっとしたように声を上げる。
「確かに……あの時も、原因不明で片付けましたね」
そうして――
異界の力と、人間社会の論理は、今回もまた静かに噛み合った。
無理なく、歪みなく。
誰も真実に辿り着けない形で。
「……だったら皆」
一歩前に出て、セリシアが皆を見渡す。
その瞳には、迷いはなかった。
「早速、始めるわよ」
その一言が、合図だった。
誰も言葉を発さず、しかし確かに頷き合い、それぞれが自分の役目へと動き出す。




