第四十三話 新たな力
高く積まれたコンテナの上。
黒い霧が渦を巻く倉庫街を見下ろしながら、泉刑事はただ一人取り残されていた。
「な……何が起こってるんだ……。この黒いモヤみたいなものって……。さっき火の玉が打ち上がった倉庫から出てきてる……のか?」
蒼白になりながらも、泉は悠真たちが囚われていた倉庫を見つめる。
その時——
「どうやら、何事もなかったみたいじゃの」
ふわりと影が降り立ち、ルシアがコンテナの上に現れた。
「く、クロウさん!? 一体何がっ……って、ひ、酷いじゃないですか!? 僕をここに置き去りなんて!」
「それは、ここが安全と判断したからじゃが……」
「そ、それでも一人なんて……忘れ去られたのかと思ってましたよ!」
泉の訴えに、ルシアはわずかに気まずそうに目をそらす。
「う、うむ……それはすまんかったの……」
そこへ、風に乗って次々と仲間たちが避難してくる。
「ルシア、無事ですか!」
悠真とのぞみを抱えて、セリシアが駆けつける。
「ああ。そっちも全員無事みたいじゃの」
「い、泉さん!? 何でここに……?」
「やぁ、悠真くん。……その様子だと無事そうだね。よかったよ」
「いえ、泉さんこそ……。半グレ達に襲われた時の怪我、大丈夫なんですか?」
「ま、まぁ……なんとかね」
泉は照れたように苦笑いを返した。
「い、泉か!?」
視線を転じると、グレイが矢島を抱えて降り立つ。
「や、矢島さん……!? 無事なんですか!?」
「ああ……なんとかな」
矢島の顔を確認して、泉は胸を撫で下ろす。
「皆さん、無事ですか!?」
「セリちゃん達無事!?」
シェリアとリアも続けざまに降下してきた。
そして二人は、倉庫街を覆う黒い霧に目を奪われる。
「な、何……これ……?」
「一体……何が……?」
異様な光景に唾を飲む二人。
そこへセリシアが説明をする。
「ここの半グレグループのリーダーの男に……黒い九尾が憑いていたみたいなの」
「それって……禍尾……?」
リアが息を呑む。
「あやつはリーダーの相馬に取り憑き、力を溜めておった。そして今、更なる完全体になろうとしておる様じゃな……」
ルシアの声は重かった。
「じゃあ、この黒い霧って……?」
リアが不安そうに投げかける。
答えたのは、のぞみだった。
普段とは違う、淡々とした声音で。
「完全体となった禍尾は、更に力をつけようと、この場に残っていた“負の力”を吸収しているみたいですね」
「負の感情……?」
悠真が呟く。
「元々この場所には、それが集まりやすかったようです。ですが……ルシアさん達がここにいる半グレ達を襲撃した事で恐怖が伝播し、負の力を増幅させたみたいです」
「え? それって……私達のせいで禍尾に力を与えちゃったってこと?」
リアの顔が青ざめる。
「なるほどの……。それで奴の“感謝する”という発言か……」
ルシアは悔しそうに眉を寄せる。
「……ていうか、のぞみちゃん。なんか雰囲気が……」
リアが不安そうにのぞみを見つめる。
「ええ……どうやら別の人格が出てきているようですね……。セリシアさん、これは一体……」
「それが……私にもよく分からなくて……」
セリシアが答え、悠真も首を横に振る。
のぞみは感情を感じさせない目で倉庫を見据えた。
次の瞬間——
のぞみの唇が静かに開かれる。
「……私の名前はフェリシアーナ。ラグノスの女神です」
その声は、のぞみのものだったが、どこか澄んでいて、どこか冷たく、圧倒的な“格”を感じさせた。
「フェリシアーナ……?」
「女神……様?」
セリシアとリアはまだ実感が湧かず、半信半疑で呟く。
だが、シェリアだけは違った。
「め、女神様!?」
「わわっ!? シェリア、そんなに驚く?」
リアが逆に驚くほど、シェリアは目を見開いていた。
「当然じゃないですか! もし本当なら……ここにいらっしゃるのは、女神教の“主神”ですよ!?」
「フェリシアーナと言えば……女神教の創造記にも出てくる神だな。確か俺たちの世界、ラグノスを作ったとされる……女神だな」
グレイが低く呟く。
「そんな神様が……なぜこの世界、地球にいるのじゃ?」
ルシアが眉を寄せる。
フェリシアーナは静かに答える。
その瞳はすでに、遠くの倉庫の一点を見据えていた。
「今は私の事より、これを止める方が先決でしょう。……力を取り戻した禍尾は、負の力だけでなく、この場にいた人間達すら取り込み始めています」
「それって……俺達が倒した半グレ達の事か?」
グレイが低く問う。
「ええ。もう一刻の猶予もありません。見てください」
フェリシアーナが指す方へ皆が目を向けると——
倉庫街を埋め尽くしていた黒い霧が、吸い込まれるように一つの倉庫へ戻っていく。
セリシアたちが囚われていた、あの倉庫へ。
「どうにかして……止めないと!」
セリシアは拳を握りしめた。
「そうじゃな。あれをあのまま放置はできん!」
ルシアも決意に満ちた声で応じる。
「……と、止められるのか?」
矢島はその怪物的な現象を前に言葉を失う。
「そ、そうですよ! こんなの人の手に負えるわけ……! しかもどうやって……!」
泉の声は震え、表情にははっきりと恐怖が浮かんでいた。
そんな彼に、のぞみ——いや女神フェリシアーナが淡々と告げる。
「禍尾の力の源は、九つの尻尾です。尻尾を本体から切り離せば、禍尾を弱体化させることができるでしょう」
「ショッピングモールで倒した時と同じじゃな」
ルシアが頷く。
だがフェリシアーナは、続けて冷酷な現実を示した。
「しかし、それはあくまで“弱体化”です。たとえ器——つまり今の肉体を破壊できたとしても、九尾は魂だけの存在となって漂い続けます。そして……新たな器を得れば再び復活するでしょう」
「それで……前回は倒しきれなかった、ってこと?」
セリシアはあの時を思い出し、顔を曇らせた。
「はい。禍尾の“魂”を消し去らない限り、あれは何度でも蘇ります」
「じゃ、じゃあその魂……どうやって倒すの?」
リアが不安げに問いかける。
フェリシアーナははっきりと答えた。
「魂の消滅——つまり“浄化”には、神通力が必要不可欠です」
「神通力……確か、この世界の神聖な力でしたか?」
シェリアが顎に手を当てながら考える。
「ええ。しかし、その力を持つ者は——この場には——」
その時だった。
ズズ……ッ!
ズドンッ!
黒い霧が渦を巻きながら集中していた倉庫が、内側から破裂するように崩壊した。
瓦礫と霧を吹き飛ばし、そこから姿を現したのは——
巨大な黒い九尾。
狐とも獣ともつかない異形の巨体。
その九本の尾は天を突かんばかりにうねり、周囲の黒い霧をまだ取り込んで、なお巨大化を続けていた。
「な……なんて大きさなんだ……」
悠真が息を呑む。
「嘘ぉぉぉぉ……!」
泉が腰を抜かしそうになる。
「こ……こんなものがこの世に存在するのか……!」
矢島は声を震わせたまま言葉を失った。
九尾の巨体を見下ろしながら、セリシアは深く息を吸い込んだ。
「——私が正面から迎え撃って、注意を引きつける。
その隙に……皆は九尾の尻尾を切って!」
迷いのない声に、異世界組は自然と頷いた。
「まさかこの世界に来てまで、あんな化け物と戦うとはのう……」
ルシアが苦笑しつつも覚悟を決める。
「うん! 任せて、セリちゃん!」
リアが気合いに満ちた笑顔を見せ、
「出来る限り早くケリをつけたほうがいいな」
グレイが剣に手を添える。
「そうですね……ルシアさんの結界にも限界がありますし」
シェリアも杖を握りしめた。
するとフェリシアーナが一歩前に出る。
「結界については私に任せてください。私が維持と強化を行います。皆さんは“討伐”に集中を」
そう言って両手を空へ掲げ、静かに力を込める。
彼女の周囲の空気が震え、翳した手から淡い光が放たれた。
その光は周囲へと広がり——ルシアが張っていた結界全体を包み込み、
まるで新たな生命を吹き込むように強く輝かせる。
「ほう……これは助かるわい」
ルシアが目を細める。
フェリシアーナは次に、セリシアへ向き直った。
「それと……セリシアさん」
「はい?」
「今この場で“神通力”に最も近い力を持っているのは、ラグノスの勇者であるあなたです。魔王ルシアにも神通力の欠片はありますが……純粋な適性でいえば、あなたが一番でしょう」
セリシアは驚きの表情を浮かべた。
「私が勇者ということを……?」
「我のことも魔王と知っておるようじゃの……」
ルシアが感心したように呟く。
フェリシアーナは静かに微笑んだ。
「今はこんな姿ですが……一応、女神ですので。
——それでは、玉藻さん」
その名を呼ぶと、フェリシアーナの胸元が柔らかく光を放ちはじめた。
光は形を取り、やがて小さな“白い狐”の姿となって現れる。
白狐は金色の瞳でのぞみ——フェリシアーナを見上げる。
のぞみが頷くと、白狐は嬉しそうに尻尾を揺らし——
次の瞬間、しなやかに跳躍してセリシアの胸へ飛び込んだ。
「きゃ……っ!? え、ちょ、あれっ!?」
驚く間もなく、白狐はそのまま“溶ける”ように身体の中へ吸い込まれていった。
狐が消えた瞬間、セリシアの全身を白い輝きが包み込む。
眩い光は柔らかくも力強く脈動し、
その中でセリシアの輪郭がゆっくりと変化していく。
やがて光が静かに収まり——
そこに立っていたのは、先ほどまでのセリシアとはまるで別人のような姿だった。
白い小袖に朱の袴。足元は軽やかな下駄。
まるで神社に仕える巫女——
しかし“ただの巫女”ではない。
長い金髪は高く結われ、
そこには金細工の簪が散りばめられたように輝き、
まるで天の光を宿したかのように凛と揺れた。
そして腰には一本の刀。
鍔のない白鞘の日本刀。
その刀身には金の紋様が走り、
聖なる息吹のように淡い光が脈打っている。
「こ、これは……っ!?」
自分の姿の変化に、セリシアは息を呑んだ。
フェリシアーナ——のぞみの声が静かに届く。
「“聖剣の第八形態”……そう思っていただければ分かりやすいかと」
「第八……形態……」
セリシアはそっと腰の刀に触れた。
指先に伝わるのは、確かな温もりと——“神意”のような気配。
それは間違いなく、
勇者としての彼女に新たな力を宿した証だった。
フェリシアーナが静かに告げた。
「セリシアさんが感じている力……それが神通力です。それを勇者の加護で……皆さんに与えてください」
「……は、はい!」
セリシアは胸に手を当て、ゆっくりと目を閉じた。
巫女装束が微かに揺れ、白い光が彼女の周囲に集まっていく。
次の瞬間——
ルシア、グレイ、シェリア、リアの四人の身体が、
穏やかな光に包まれて淡く輝きはじめた。
「な、何じゃ……この力……あったかい……」
ルシアは胸元に手を当て、不思議そうに眉を寄せる。
「温かくて軽い……まるで体の奥から浄化されていくようだ」
グレイも深く息を吐いた。
シェリアは目を瞬かせ、胸に手を当てる。
「これが……神通力……」
リアは弓を握りしめながら微笑む。
「すごい、こんなの初めて……」
フェリシアーナは四人の状態を確認し、静かに頷いた。
「これで——禍尾の纏う妖気に影響されず近づけるでしょう」
セリシアは仲間の姿を見渡し、
巫女装束の袖をきゅっと握りしめた。
「……行こう!」
その声が合図となり——
ルシア、グレイ、シェリア、リアが
一直線に空へと駆け出す。
風の音が残響を引き、
次の瞬間にはもう、巨大な九尾へと向かっていた。
セリシアも続こうと一歩を踏み出した、その時。
「——セリシア!」
強く、震えるような声が背中を引き留めた。
振り返ると、悠真がいた。
表情は必死で、しかしどこか祈るように。
「その……気をつけて。……いってらっしゃい」
短いけれど、真っ直ぐな言葉。
セリシアの胸が一瞬だけ熱くなる。
「……はいっ!
行ってきます!」
巫女装束の裾を翻し、
セリシアは空へと舞い上がった。
勇者として。
仲間として。
そして——悠真に誓った少女として。
九尾との決戦へ向けて、光の軌跡を描きながら。




