第四十一話 望
倉庫内に、腹の底を揺さぶるような轟音が鳴り響いた。
ドォォン──ッ!
「な、何だ…… !?」
相馬は反射的に周囲を見回す。壁が微かに震え、天井の埃がぱらついた。
ただならぬ気配に眉をひそめると、すぐさま部下へと指示を出す。
「おい。外の様子を見てこい」
相馬の視線が一瞬だけ、銃口を向けていたのぞみから逸れた。
──その刹那。
影が弾かれたように飛び込んでくる。
「なっ…… !?」
それはセリシアだった。
結束バンドを引きちぎった勢いのまま、風のように相馬の懐へ滑り込む。
「聖王国軍拳闘術──」
光を切り裂くように腕が閃く。
「掌底破ッ!」
鈍い衝撃音が倉庫内に響き、相馬の体がくの字に折れた。
「ぐぉはっ…… !! 」
そのまま吹き飛ばされ、床を転がって動かなくなる。彼の握っていた銃が乾いた音を立てて転がった。
数秒前まで状況を支配していた男が、あまりに無防備に倒れ伏し、部下たちは理解が追いつかない。
「……えっ…… !?」
だが、セリシアはもう次の動きに入っていた。
まるで残像を残したように駆け抜け、一人、また一人と的確に急所を打ち抜く。
倒れ込む音だけがリズムのように続いていく。
「な、なんだこの女……ッ!」
最後の一人が恐怖に追い詰められ、震える手で銃口を向ける。
「セリシア、危ないッ!」
悠真の叫びが飛ぶ。
「くっ……くそっ! 死ねぇッ!」
引き金が引かれ、銃声が閃光とともに放たれた。
だが――次の瞬間、セリシアの姿がふっと揺らめく。
「……ッ!」
彼女は紙一重で頭を傾け、弾丸は背後の壁に吸い込まれた。
「は、はぁ…… !?」
信じられないものを見るように、半グレの男が目を見開く。
その驚きの隙、セリシアの体がしなる。
放たれたハイキックは美しく鋭く、弧を描きながら男の側頭部を撃ち抜いた。
「が──ッ!」
男は床に沈み、倉庫に静寂が戻った。
セリシアはすっと息を整え、戦闘態勢を解く。
「……すごいや……」
呆然と立ち尽くす悠真が、心の底から漏れるように言った。
恐怖でも、驚愕でもなく──尊敬と安堵の滲んだ声だった。
相馬やその部下たちを沈めたセリシアは、すぐさま縛られ座り込んでいる少女のもとへ駆け寄った。
「のぞみちゃんっ!」
縄を解いた瞬間、のぞみは震える腕でセリシアにしがみついた。
「セリシアお姉ちゃん……! う、うわぁぁぁん……!」
「……ごめんなさい」
セリシアは強く抱きしめ、のぞみの小さな背中を優しく撫でた。
燃えるような怒りと、守り切れなかった後悔が胸を締めつける。
のぞみが少し落ち着いたところで、セリシアは次に悠真と矢島の拘束を解いた。
「二人とも、大丈夫ですか? 怪我は……」
「助かったよ、セリシア……」
「俺も平気だ。傷はない」
二人の無事を確認し、セリシアはようやく胸を撫で下ろす。
「悠真お兄ちゃん!」
のぞみが彼の胸に飛び込む。
「よかった……。ほんとによかった……のぞみちゃんが無事で……」
再会の安堵が場に広がる――
そのときだった。
床に転がる相馬の拳銃。
そして、それを拾い上げた影。
「……矢島さん?」
悠真の声に全員が振り返る。
拳銃を握りしめた矢島が、ふらふらと相馬へ歩み寄っていく。
相馬はまだ気絶したまま。
そんな男に、矢島はゆっくりと銃口を向けた。
「矢島さん、何を……!」
「……俺はずっと探していたんだ」
矢島の声は震えていた。
しかし、その瞳は獣のように鋭かった。
「俺から……妻を……娘を奪った奴を……! それが今、目の前にいる……!」
拳銃を握る手が、怒りで震えている。
「矢島さん、待ってください! そんなことしたら――!」
「分かってるッ!」
叫びが倉庫に響く。
「人としても……刑事としても……越えてはいけない一線だってことくらい、誰よりも分かってる……!」
矢島は歯を食いしばり、涙をこぼした。
「でも……ダメなんだ……!許せるわけがないんだよ……!妻と娘を奪ったやつが……のうのうと生きているなんて……!」
拳銃を構える腕が、震えながらも真っすぐ相馬に向けられていた。
「……俺はこの日のために生きてきた。“復讐には何も生まれない”なんて、被害者たちに言ってきたのに……結局、一番復讐に囚われているのは……俺なんだよ……皮肉だろ……?」
矢島はゆっくりと引き金に指をかけ――
その指に、確かな力がこもっていく。
「終わりにする……全部……俺が……」
矢島の指が、ゆっくりと引き金を絞っていく。
そのわずかな動きが、倉庫内の空気を凍らせた。
「ダメだ、矢島さん!!」
悠真が必死に震える声で叫ぶ。
だが矢島は悠真を見ようともしない。
その目には、妻と娘を奪った“相馬”しか映っていなかった。
――その時。
柔らかく、しかし静かに響く声が、矢島の心を揺らした。
「矢島さん……」
セリシアだった。
彼女は相馬の前に立つ矢島に、まっすぐな瞳を向けていた。
「刑事としてではなく……“お客さんとして”初めてえにし屋に来てくれた日のこと、覚えていますか?」
矢島の指が、微かに震える。
「……あの時、矢島さん……悠真の料理を食べて……涙を流していましたよね」
矢島の喉が、ごくり、と動く。
「私はあの時、その涙の理由が分かりませんでした。でも――今なら分かります」
セリシアの声は、優しく、どこか切なかった。
「きっと、娘さんとの思い出が……蘇ったんですよね?」
矢島の肩が、ビクリと揺れた。
握る銃がわずかに下がる。
「く……っ」
引き金にかけた指が震え始める。
セリシアは一歩前へ進み、胸の前で手を握りしめる。
「矢島さん……私も……大切な人をたくさん失いました」
悠真が驚いたようにセリシアを見つめる。
彼女は静かに続けた。
「小さい頃に両親を……それだけじゃなくて……魔族との戦争で仲間や、友達も……守りたいと思った人達が、次々と私の前からいなくなりました」
倉庫の中に、彼女の声だけが澄んで響く。
「だから……仇を討つために剣を振るい続けたんです。
討てば、心の穴が埋まると思っていました」
彼女の拳が震える。
「でも――違いました」
矢島の手から、わずかに力が抜けていく。
「討てば討つほど……思い出せるのは、彼らの笑顔じゃなくて……死んだ時の顔ばかり。
復讐は……大切な思い出すらも、奪っていきました」
倉庫に、静かな風が流れ込む。
セリシアの瞳には涙がたまっていた。
「もかしかしたら……助けられたんじゃないか……そんな後悔しか残らなかった」
矢島の目が揺れた。
銃を構える腕が下がり始める。
「矢島さん……」
セリシアは最後に問いかけた。
「今のあなたの目に……娘さんとの“幸せな思い出”は、見えていますか?」
その言葉は、矢島の胸を深く突き刺した。
彼はぎゅっと目を閉じる。
娘と笑った休日。
妻が作った夕食。
誕生日の写真。
小さな手を繋いで歩いた帰り道。
だが――
それらの光景の後ろに、血と絶望の記憶が重なり、すべてを黒く染めていく。
「……見えない……」
矢島の声は震え、壊れそうだった。
「何も……見えないんだ……!俺はっ……!」
相馬に向けられた銃口が震える。
その時――
ふわりと。
あまりにも優しい、小さな手が矢島の銃を握る腕に触れた。
「もう、いいんだよ……パパ」
気覚えのある声。
その声は、驚くほど優しかった。
矢島の身体がびくりと硬直する。
「お……お前は……?」
ゆっくりと振り向いた矢島の目に、月明かりに照らされた一人の少女の姿が映る。
黒髪に、淡いクリーム色のワンピース。あどけない笑み。
そして――その顔は、彼の心に焼きついて離れなかった“あの日の娘”そのものだった。
「のぞ……み……? 望……なのか……?」
信じられないものを見たように、矢島はかすれた声を漏らす。
「のぞみちゃんが……二人……?それに、あの服って初めてのぞみちゃんと会った時に着ていたワンピース…」
「一体……どういう事なの……?」
悠真とセリシアが、彼らの隣に立つ銀髪の少女―― ”のぞみ”を見やる。
その“もう一人ののぞみ”が、二人に微笑んだ。
「悠真お兄ちゃん、セリシアお姉ちゃん。パパを……止めてくれてありがとう」
悠真とセリシアは彼女の姿に驚く。
矢島は、膝を震わせながら娘の名を呼ぶ。
「本当に……望なのか……?」
「うん。望だよ」
少女はにこりと笑う。
その笑みは、あの日の頃のままだった。
「ど、どうして……ここに……?」
望は少し照れたように笑って言う。
「望ね……ずっとパパに会って、お話ししたかったの。でも……もう死んじゃってるから、会えなかったの。だけど――指輪の神様と狐さんが、“会っておいで”って言ってくれたの」
「神様と……狐……?」
セリシアが小さく呟く。
この世とあの世の境を越えた奇跡のような瞬間――。
「でもね、少ししか時間がないんだって」
望の表情が少し曇る。
「だから、最後に“お別れの挨拶”をしに来たの」
「お別れ……?」
矢島の胸が締めつけられる。
「パパ……もういいんだよ」
望はゆっくりと矢島の顔を見上げた。
「望とママのことで、もう苦しまなくていいの。パパがずっと悲しそうにしてて……望、すごく悲しかったの」
その言葉に、矢島は銃を手から落とし、崩れるように膝をついた。
「当たり前だろう……!」
絞り出すような声が倉庫に響く。
「俺のせいで……お前たちは……! あの日、もっと早く帰っていれば……! 仕事なんて放り出してでも、帰っていれば……守れたのに! 俺は……刑事失格だ……父親失格だ……!」
震える両手で、矢島は望の小さな肩を掴む。
涙が止めどなく流れ落ちていた。
だが――望は、そっと首を横に振った。
「ううん。パパは……いつも望とママを守ってくれたよ。望が泣いていたら、すぐに来てくれた。ママだってね、いつも“カッコいい刑事”って言ってたの。
パパは……望の自慢なんだよ」
「……あぁ……そうか……」
矢島は声を詰まらせ、嗚咽を堪えるように娘を抱きしめる。
「あとね……髪飾り、ありがとう!」
望は小さく笑い、頭に手をやる。
「パパがくれる髪飾り、どれも大好き!」
その言葉に矢島は目を見開く。
望の黒髪に、翡翠色の蝶が揺れていた。
「こ、これは……!」
それは、矢島が今年の命日に墓前へ供えたもの――
「届いてたんだな……プレゼント……」
「うん、ちゃんと届いたよ。パパのプレゼント!」
その笑顔は、月光に照らされて神々しかった。
だが次の瞬間、望の身体が淡く光り始める。
「あっ……」
望は自分の手を見つめ、少し寂しそうに笑った。
「もう、行く時間なんだって……」
「ま、待ってくれ! まだ……まだ話したいことが……!」
矢島の叫びに、望はそっと近づき、彼の胸に抱きついた。
「パパ……今までありがとう。望、パパの娘でよかった。次もまた生まれるなら――望、パパの娘がいいな」
「……っ!」
矢島は崩れ落ちるように望を抱きしめる。
その身体は光の粒子になりながらも、確かに温もりを残していた。
「ああ……望……パパもだよ……。お前が俺の娘で……本当に幸せだった……!」
望の声が、耳元でふわりと響く。
「パパ……もう、悲しまないでね……」
その瞬間、望の姿は光の粒となって消えた。
淡い残光が、涙で濡れた矢島の手に静かに落ちる。
矢島はその場に座り込み、泣き崩れた。
「望ぃ……望……!」
その姿を見つめ、セリシアはそっと目を伏せる。
悠真もまた、胸の奥に込み上げる痛みに言葉を失っていた。
やがて――静寂を破るように、柔らかな声が響いた。
「……無事に逝けたようですね」
その声の主は、銀髪の少女――のぞみ。
だが、いつもの彼女とは雰囲気がまるで違っていた。
「の、のぞみちゃん……?」
セリシアが恐る恐る声をかける。
のぞみは光の残滓が漂う空間を見上げ、静かに微笑んだ。
「今の私を“のぞみ”と呼ぶのは、少し違うかもしれません。でも……今は、それでもいいでしょう」
「……どういうことなの?」
セリシアが問い返すも、のぞみはその瞳を伏せる。
「説明はあとです。まずは――あれを」
のぞみの視線の先には、床に倒れている相馬の姿。
しかし、その体から黒い瘴気のようなものがじわじわと滲み出していた。
(――この感じ……!)
セリシアの背筋を冷たい戦慄が駆け抜ける。
「まさか……っ!」
息を呑み、即座に声を張り上げた。
「矢島さんっ! そこから離れてください‼︎」
セリシアの叫びに矢島が振り返る――その背後で、相馬の体がギギギ、と不気味な音を立てて立ち上がった。
黒い靄を纏い、虚ろな瞳がギラリと光る。
その異様な光景に、矢島は思わず息を呑む。
「そ……相馬……?」
次の瞬間、白目だった瞳に血のような赤が走る。
「――死ねぇぇっ、矢島ぁぁぁ!!」
その右手には、銀色に鈍く光る特殊警棒が握られていた。
それが振り上げられ、次の瞬間――矢島めがけて容赦なく振り下ろされる。
「矢島さん!!」
悠真の鋭い叫びと共に、セリシアが一瞬で駆け出した。
光が弾け、彼女の手に聖剣が顕現する。
そして――金属音が響く。
ガキィィンッ!!
「くっ……!」
全身に衝撃が走る。
(お、重い……っ!)
セリシアの足が地面にめり込み、靴底の下から亀裂が蜘蛛の巣状に広がっていく。
その余波だけで矢島は膝をつき、後ろへと崩れ落ちた。
悠真は咄嗟にのぞみを抱きかかえ、巻き込まれぬよう身を翻す。
(こ、この力…… !? 普通の人間じゃない。この世界の――魔力を持たない人間に、こんな力があるはずが……!)
セリシアが歯を食いしばる。黒い瘴気が相馬の周囲を包み、彼の声が低く歪んだ。
「ああ? ……剣だと? 何なんだテメェはよ……? 俺を一瞬でぶっ倒した、その動き――」
相馬は低く唸りながら周囲を見渡す。
足元には、彼の部下たちが意識を失い倒れていた。
「はっ……まさか、こいつらもお前がやったのか?」
「だったら――何なんですか!?」
セリシアが鋭く言い返す。
「ハハッ、いいじゃねぇか。その啖呵」
相馬は口角を歪め、下卑た笑みを浮かべる。
「この状況で怯まず言い返すなんざ、上等だ。……気に入ったぜ。お前、俺の女になれ。」
「はぁっ!?」
思わぬ言葉にセリシアの目が見開かれる。
「腕っぷしも度胸もある。面も体も上等だ……」
相馬の目がいやらしくセリシアを舐める。
「こんないい女、他の男には勿体ねぇだろ。」
「お前……っ!」
堪えきれず、悠真が前に出ようとする。
「ああ? 何だ兄ちゃん。まさかこの女、お前のモンか? だったら――諦めろ。この女は俺が――」
「誰が、貴方の女になるもんですかっ!!」
セリシアの怒声が響いた。
その瞬間、聖剣に込めた力が爆ぜる。
受け止めていた警棒を弾くと、金属音が鋭く響いた。
「うおっ!?」
相馬は体勢を崩し、数歩よろめいた。
だがすぐに足を踏みしめ、ニヤリと口角を吊り上げる。
その瞳は、まるで獲物を見つけた獣のようにぎらついていた。
「なんだよ……つれねぇなぁ。もっと仲良くしようぜ?」
挑発するような声。
だが、セリシアは一歩も退かない。
その視線は冷たく、怒りと決意の炎が宿っていた。
「……ふっ。いいねぇ、その反抗的な目。ゾクゾクするぜ」
相馬は下卑た笑みを浮かべながら舌なめずりをする。
セリシアは答えない。
静かに聖剣を目の高さまで持ち上げ、水平に構える。
その動きに無駄はなく、研ぎ澄まされた殺気が漂う。
剣先がわずかに震え、空気が張りつめた。
セリシアの握る手に、力がこもる――。




