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第三十八話 現実

悠真が目を覚ましてから数日後の夜。

「臨時休業」の札が掛けられたままの「えにし屋」には、暖簾の下りた静けさが漂っていた。


店内のテーブル席には二人の刑事――矢島と泉が座り、正面には悠真とセリシアが座り、その背後には、美沙をはじめとした異世界の仲間たちが静かに並び立っていた。


矢島は腕を組み、泉は半ば呆然としたようにペンを握りしめている。

一通りの説明を聞き終えた後、沈黙が落ちる。


「い、異世界の人間……?」

泉が呟いた声は、あまりに現実離れした話に追いつけない思考を表していた。


矢島もまた、眉間に皺を寄せ腕を組む。常識では到底測れない真実を前に、言葉を失っていた。


「は、はい…。そこで私は勇者をしていました」

セリシアはまっすぐな瞳でそう答えるが、その腕の中には、すやすやと眠るのぞみの姿があった。


「我はそこで魔王をしていた」

ルシアが胸を張って告げるのだが、のぞみの寝息が小さく響くたび、場の緊張感はどこか拍子抜けしたものへと変わっていく。


「……」

「……」

二人の刑事は顔を見合わせ、どう返すべきか完全に迷っている。


「これ、何かのドッキリですかね?」

泉が半ば震える声で尋ねる。


「そう思いますよね…。俺も最初はそう思ったんで……」

悠真が苦笑混じりに助け舟を出す。


「そして、そこにいるお嬢さん方も彼女たちと一緒と……」

矢島と泉の視線が、静かに佇むシェリアとリアへと向けられる。


「あれ?君達って、確かソラマチで篠崎さんと一緒にいた……」

泉がハッと思い出す。以前の事件で監視カメラに映っていたが、その後の足取りが掴めなかった二人の姿だ。


青い長髪の女性が一歩前に出て、丁寧に頭を下げた。


「はい、そうです。私はシェリア・エルネスと申します。セリシアさんと共に魔王討伐の仲間でした。今は女神教の聖女を務めています」

青髪を揺らし、シェリアは柔らかな笑みを浮かべて丁寧に頭を下げた。


「私はリア・フローリスだよ。私もセリちゃんと一緒に戦ってた仲間だよ。あと、エルフ族だね」

銀の短髪を揺らし、リアは軽い調子で自己紹介する。



だが次の瞬間、泉の耳に引っかかった言葉があった。

「て、てか今エルフって言いました!?」


泉の食いつきは異様なほどだった。

「で、でもエルフって言ったら……」

思わずリアの耳に視線を向ける。


「あー、耳?」

リアは苦笑しながら右手の指輪を外す。瞬く間に尖った耳が現れた。


「……っ!」

泉は椅子から半ば立ち上がりそうになるほど仰天する。


「ね? エルフでしよ」

リアが片耳を見せやすく傾けると、泉の目が釘付けになった。


矢島ですら息を呑む。

「やはり……君たちも異世界の人間なのか」


「み、見ましたか矢島さん! 耳が……エルフですよ! 本物ですよ!」

泉の声は興奮で上ずり、まるでアイドルを前にしたファンのようだ。


悠真と美沙は思わず肩を竦める。

(そりゃ、エルフを見たらテンション上がるよな……)

(まぁ、エルフなんて普通会えないもんねぇ……)

「す、すごい! フローリスさん! 握手してもらえますか!?」

勢いのまま手を差し出す泉。


「え、えー……まあ、いいけど」

困惑しながらもリアが握手に応じると、泉は「やった!」と子どものようにガッツポーズを決めた。


その様子に矢島が深いため息を吐く。

「お前は少し落ち着け」


「だ、だって矢島さん!本物のエルフですよ!?こんな機会、絶対一生ないですよ!?」

泉の言い訳に、矢島はこめかみを押さえながら呟いた。

「俺も混乱してるがな……」


矢島はふと、彼女達と同じ様に佇む一人の男にも視線がいく。

背筋を伸ばしたその男の姿は、まるで戦場に立つ兵士のように隙がない。


「ヴァルフォードさん。あなたも……そうなんでしょう?」


呼びかけに、グレイは手を止め、静かに頷いた。

「……ああ。俺も彼女たちと同じ異世界の人間だ。改めて名乗ろう。グレイ・ヴァルフォード。向こうの世界では、聖王国の騎士団団長を務めていた」


その声には、剣を握る者の覚悟と責任が滲んでいた。


「なるほど……通りであの動きか」

矢島が呟く。


泉も思い出したように苦笑する。

「その話が本当なら、半グレが相手にならないはずだ……」


二人の脳裏には、ソラマチでの監視カメラ映像が浮かぶ。

美沙たちに絡んだ半グレを、信じられない速さと正確さで制圧したグレイの姿。


グレイは静かに言葉を続けた。

「以前、あなた方がこの店に事情を聞きに来た時……嘘をついてしまったことを謝りたい。あの時は、“異世界から来た”などと言っても信じてもらえまいと思ってな」


重い声が落ちると同時に、場の空気が一段と静まり返った。

その沈黙を破るように、悠真が椅子から立ち上がる。


「それについては、俺からも謝らせてください」

彼は矢島と泉の前まで歩み出て、深々と頭を下げた。


「状況を知っていたのに、知らないふりをしていました。グレイさんたちのことは、下手に話せばかえって変に疑われると思ったんです。そして、それを従業員のセリシアや美沙さんにも隠すように言ったのは……店主である俺の判断です。申し訳ありませんでした」


その姿を見て、セリシアも美沙もすぐに続いた。

「「……ごめんなさい」」

二人は同時に頭を下げる。その動きは小さくも、真っすぐな誠意がこもっていた。


続いて、シェリアとリアも静かに前へ出る。

「それは私たちからも謝らせてください」

青髪の少女――シェリアが言葉を紡ぐ。

「私たちの存在が、この世界に混乱を与えてしまったのは事実です。本当に……ごめんなさい」

銀髪のエルフ――リアも静かに目を伏せ、深く頷いた。


青と銀、二つの瞳には、どこか後悔の色が揺れていた。


そんな空気の中、ルシアが腕を組みながら口を挟む。

「まぁ、そういうことじゃな。状況を踏まえても、こうするしかなかったというわけじゃ。そこは理解してくれんかの?」


「え、なんでルシアさんがそっち側なの?」

「ルシアもちゃんと謝って!」

セリシアと美沙の声が同時に飛ぶ。


「む、むぅ……仕方ないのう……」

渋々といった様子で、ルシアは頬を膨らませながらも言った。

「……まぁ、悪かったのじゃ」


その不器用な言葉に、思わず場の空気が少しだけ和らぐのだった。


彼らの真摯な謝罪を受け止め、矢島は静かに頷いた。

「そこまで気にしなくていい。君たちの状況は……かなり特殊だ。なら、彼女が言うように、余計な疑いを避けるために動くのは当然の判断だろう」


その言葉にルシアがすかさず胸を張る。

「ほれみろ。やはりこの男は勘が鋭い。我の言いたいことをよく分かっとるではないか」


「それでも、謝罪は必要です!」

セリシアがきっぱりと声を上げる。

「そうだよ!そういうとこ、ルシアさんはいつも抜けてるんだから!」

美沙まで加わり、ルシアは「むむぅ……」と頬を膨らませる。


そんなやり取りに、悠真は思わず苦笑する。

「……はは、いつも通りだな」


彼は矢島と泉へ向き直り、丁寧に頭を下げる。

「矢島さん、泉さん。理解してくださって、本当にありがとうございます」


矢島は小さく息を吐き、泉と目を合わせる。

二人の表情は、いつの間にかほんのりと柔らかくなっていた。


「それにしても、やはり……ソラマチで起きた出来事は……」


「はい。あの場にいた人たちの記憶を消し彼らの傷を治したのは、私です」

シェリアが静かに告白する。


矢島の瞳がわずかに揺れる。

その声には、長年刑事として数多の理不尽を見てきた者の――“理解”と“諦め”が入り混じっていた。


――あの時。

ソラマチの休憩ブースで、半グレたちが倒れた。彼らは明らかにグレイの反撃を受けていたはずなのに、誰一人として傷を負っていなかった。

さらに、現場に居合わせた一般客たちは、なぜ彼らが倒れているのかすら覚えておらず、まるで“その出来事自体”が存在しなかったかのように記憶を失っていた。


全ての辻褄が――今、繋がった。しかし、泉は理解していないままだった。


「え……記憶を? それに……怪我を治したって、今……?」

泉は言葉を失い、ただ呆然とシェリアを見つめた。


「はい。怪我を癒やし、人々の記憶を消した力――それは、この世界には存在しない“魔法”によるものです」


淡々とした声の奥に、シェリアの覚悟が滲む。


「……そうか」

矢島は短くそれだけを呟いた。


「や、矢島さん!? まさか信じるんですか!? い、いや、でも異世界の話が本当なら魔法も……いやいや、そんなバカな……!」

泉の思考は混乱の渦に沈んでいく。


矢島は苦笑し、肘をカウンターに預けながら視線を落とした。

「世の中には、俺たちの知らないことがまだ山ほどあるってことだな……」


その声音には、“諦め”ではなく、“納得”に近い静けさが宿っていた。


「そ、それはそうかしれませんが…」

泉の声はまだ迷いを含む。


「ショッピングモールの事件のとき、俺も見たんだ。大将――いや、悠真君の怪我を治したあの光。あれは医療でも薬でもなかった。“何か”が確かにあった」


彼の脳裏に蘇るのは、常識では説明できない光景。

ルシアの治癒の魔法、セリシアと九尾の戦い、そしてリアの耳が変化した瞬間。

それら全てが一つの線で繋がり、ようやく一つの「現実」として形を成した。


「……いや、あの時に真実を告げられても、俺たちは信じられなかっただろうな」

矢島は淡く笑い、少しだけ目を細めた。


その言葉に、セリシアもまた静かに頷く。

「はい。だからこそ……今、お話しできてよかったと思います」


泉は、魔法が使われる場面を直接目にしていないせいか、まだ完全には納得できていない様子だった。

そして、カウンターに再び静寂が落ちる。


「――さてと」

静まり返った店内に、低く艶やかな声が落ちた。

静寂を破ったのは、ルシアだった。


「こちらの事情はひと通り話した。……ならば、ここからが本題じゃの」


鋭い眼差しが矢島と泉を見据える。

どこか王としての威圧を感じさせるその声音に、泉は思わず背筋を正した。


「はい…。実は――先日ショッピングモールに現れた、あのフードの男……いえ、“黒い九尾”について、矢島さんたちにも協力して頂きたくて」

セリシアが真剣な表情で切り出す。


「黒い九尾……」

矢島の目が細められた。

「つまり、あの爆発火災を引き起こした張本人か。お前たちは、あれについてどこまで知っている?」


「今わかっていることを説明しよう」

ルシアが腕を組み、淡々と語り始めた。

黒い九尾――“禍尾まがび”。

かつて封印されたはずの邪狐。魂を喰らい、人の負の感情をも力に変える存在。

ショッピングモールでセリシアに敗れたものの、命までは絶たれていない。


説明を聞き終えた矢島の表情は、重く沈んでいた。

「……そうか。またどこかで、あのような事件が起こる可能性があるというわけだな」


「いや、恐らく次はもう“あの程度”では済まんじゃろう」

ルシアの声は静かだったが、その中には冷たい確信があった。


「えっ!?そ、それってどういう意味なんですか!?」

泉が慌てて身を乗り出す。


ルシアは静かに目を閉じ、続けた。

「ショッピングモールで奴はセリシアに敗れ、力を大きく削がれた。だが――奴の目的は“完全体”となることにある。そのために必要なのは、人間の魂じゃ。脅威を悟った今、奴は表に出ず、裏で密かに動き魂を集めるはず。……次に姿を現す時、それは完全体となっての再来じゃろう」


空気が一瞬で張りつめる。

セリシアが小さく頷いた。

「そうなる前に、私たちは禍尾を探し出して討たねばなりません。そのためにも――矢島さんたちの協力が必要なんです」


「お主ら刑事なら、この街で起こる事件を把握しておるじゃろ?」

ルシアが言葉を継ぐ。

「その中に、魂を奪われたような異常な事件があれば……それが奴の痕跡じゃ。そういった情報を、我らに回して欲しいのじゃ」


泉が戸惑いの表情を浮かべる。

「そ、それって……捜査情報を流せってことですか? それは……流石に……」

彼はちらりと矢島を見る。


矢島は腕を組んだまま、長い沈黙の後で口を開いた。

「……ショッピングモール以上のことが起こると言っていたが、もし“完全体”とやらになったら、何が起こるんだ?」


沈黙。

その問いに答えたのは悠真だった。


「矢島さんも泉さんも、日本に住んでるなら“九尾”って聞いたことありますよね?」


「それはな。まぁ、あまり詳しくはないが……」


泉も頷きながら口を挟む。

「有名な妖怪ですよね。アニメとか映画にもよく出てきますし」


悠真はゆっくりとうなずいた。

「はい。俺たちの知る伝承では――“九尾の狐”は、国を滅ぼすほどの力を持つ存在とされてます。日本では“玉藻前たまものまえ”の名で知られてます」


言葉のひとつひとつが、店内の空気を確実に冷やしていく。


「完全体になっていない状態でセリシアと互角以上の力を見せた。もし完全体となれば――」

ルシアが言葉を継ぐと、矢島の低い声が重なった。


「……日本が滅ぶ、そう言いたいのか?」


「そこまでは分かりません。ただ、昔の言い伝えで言う“国”と今の“国”では意味も規模も違いますし……」

悠真が慎重に言葉を選ぶ。


「少なくとも、この街――東京は大きな混乱に陥ることは間違いないじゃろうな」

ルシアが静かに補足した。


「はい。特に“魂を喰らう”とされる九尾が、こんなに人の多い街で暴れれば……犠牲者は計り知れません」

セリシアの声がわずかに震えた。


店内の空気が、凍りつくように静まり返る。


沈黙を破ったのは、泉だった。

「い、いやいや……そんな大袈裟な! ていうか、その九尾と互角って……アーデルハイトさん、どれだけ強いんですか!?」


「ふむ……此奴が本気を出せば、この街を滅ぼすことも不可能ではないかもしれんの」

ルシアが軽い調子で言い放つ。


「ほ、滅ぼしません! ていうか、そんな力持ってませんから!」

セリシアが真っ赤になって全力で否定する。


「そ、そうですよね……!」

泉は乾いた笑みを浮かべながらも、その目にはまだ半信半疑の色が残っていた。

そして、ゆっくりと視線を悠真と美沙へと向け、まるで「本当に信じていいのか」と確かめるように二人の反応をうかがった。


「え、えっと……言われてみれば、俺もセリシアが力を使って戦ってるところって、あまり見たことないんだよな」

悠真が腕を組んで呟く。


「私も。セリちゃんが戦ってるところ見たことないよね? あ、でもショッピングモールの壁に大穴が開いてた映像は見たね。あの大穴開けたのセリちゃんだったよね?」

美沙が思い出したように言うと、泉が勢いよく顔を上げた。


「えっ、あの穴ってアーデルハイトさんが開けたんですか!? え、じゃあやっぱり……!」


「あ、えっと……それは……」

セリシアは困ったように視線を泳がせる。


「……おい、話が脱線してるぞ」

矢島の低い一言で、場がピタリと静まった。


「あ、すみません。つい気になって……」

泉が慌てて頭を下げる。


矢島は腕を組み、ゆっくりと口を開いた。

「まぁ、彼女にはそれだけの力があるのは確かだ」


「……え? 本当の話なんですか!?」

泉が息を呑む。


矢島は視線を向けたまま、淡々と告げる。

「街が滅ぶかどうかは分からん。だが――あの化け物を放っておけば、多くの犠牲者が出るのは間違いない。お前も見ただろ、あの“黒い靄”から感じた得体の知れない気配を……。だから襲われた時、お前は逃げられずに足がすくんだんじゃないのか?」


泉の喉が小さく鳴る。

「そ、それは……まぁ、否定できませんけど……」

彼の脳裏に、あの異様な気配と恐怖が蘇る。


矢島は目を細め、淡々と続けた。

「お前はあの戦いを見ていないから実感が薄いんだろう。だが――俺は、あの嬢ちゃんと九尾が戦っていた光景をこの目で見た。信じざるを得なかったんだよ、あの時点でな」


「そ、そんな……嘘でしょう……」

泉の声が震え、自然とセリシアへと視線が向かう。


その瞬間、ルシアが立ち上がり、赤い瞳で刑事二人を見据える。

「じゃからこそ、今は動かねばならんのじゃ。奴が完全に目覚めてしまえば、取り返しのつかない事になる」


矢島はしばし黙し、そして重く頷いた。

「……分かった。協力しよう。ただし、俺たちができる範囲で、だ」


「矢島さん!?本気ですか!?」

泉の声が上がる。


「もう“信じる・信じない”の話じゃない。現実に、あれはここで起こった。……なら、止めるしかないだろう」


その言葉に、セリシアは静かに微笑んだ。

「ありがとうございます。矢島さん」


こうして――異世界の勇者たちと警視庁の刑事たちの奇妙な同盟が結ばれた。


「矢島さんがそう言うなら、僕も協力しますけど……仮にその九尾が見つかったとして――どうやって倒すんですか? 前は倒せずに逃げられたんですよね?」


矢島も静かに続ける。

「何か討つための確実な算段があるのか?」


その問いに、えにし屋一同の視線が自然と一点に集まった。

――セリシアの腕の中。

そこには、ぐっすりと眠る一人の少女、のぞみがいた。


「え? な、なんで皆してのぞみちゃんを見るんですか?」

泉が目を丸くする。だが、返す言葉を誰もすぐには出せなかった。


「そうですね……また突拍子もない話なんですけど……」

悠真が言いかけた時、矢島が手を上げてそれを制した。


「いや、説明はいい」

彼は重く息を吐きながら、額を指で押さえた。

「ただでさえ情報量が多い上に、これ以上は頭が回らん。……あの九尾を倒すのはお前たちに任せる。俺たちじゃ、ただの足手纏いだ」


「た、確かに……そうかもしれないですね」

泉も肩を落とすように笑いながら頷く。

「聞いただけでも、僕らの手に余る相手みたいですし……」


だが、矢島の顔は笑っていなかった。

真剣な瞳が、セリシアの腕の中の少女へと向けられる。


「ただ、一つだけ言わせてくれ」

その声に、皆が彼へと顔を向けた。

「その子を――必ず守ると、約束してくれ」


「はい。必ず……のぞみちゃんは守ります」

セリシアは迷いなく答えた。その声音には、戦場をくぐり抜けた者だけが持つ決意があった。そして、えにし屋の面々も次々と頷く。

まるで一つの誓いを交わすかのように。


「あくまでこの子には“手伝ってもらう”だけじゃ」

ルシアが静かに言葉を継ぐ。

「九尾もこの子の魂を“上質”と呼んで喰らおうとしておった。……危険なことに巻き込むつもりはない」


矢島はその言葉に短く頷き、少しだけ表情を緩めた。

「それならいい。……まぁ、あんた達がいるなら、余計な心配か」


その目が、セリシアの腕の中の少女をやさしく見つめる。

柔らかな寝息が、張り詰めた空気を少しずつ和らげていった。

矢島は椅子を押しのけてゆっくりと立ち上がり、

肩の力を抜いた穏やかな声で言った。


「よし、それじゃ俺たちはこれで失礼しよう。……もう夜も遅い。のぞみちゃんも、ちゃんと布団で寝かせてやれ」

その声音には、刑事としての厳しさではなく、どこか父親のような優しさが滲んでいた。


「そうですね」

悠真が笑って頷く。

「のぞみちゃん、矢島さん達に会いたいって頑張って起きてたんですが……来る前に寝ちゃって」


「そうなのか。……こっちに来るのが遅くなってしまったからな。少し悪いことをしたか」

矢島が苦笑したその時だった。

セリシアの腕の中で、微かに動く気配があった。

小さく身じろぎする感触に、彼女がそっと視線を落とす。


「う、ん……?」

まぶたがゆっくりと開き、寝ぼけた声が漏れる。


「あれ……? 矢島のおじちゃん? ……それに泉のおじちゃんもいる……」


矢島は思わず吹き出した。

「ははっ……タイミングのいい子だな、まったく」


「その呼び方、地味に傷つくんだよなぁ……」

泉がぼやくが、のぞみは嬉しそうに笑う。


「あれ? 今からお話しするの?」

「お話はもう終わったんだよ。矢島さんたちは、これから帰るところなんだ」

「えぇーっ!? 私、なんにもお話ししてないー!」

一気に目を覚ましたのぞみが、頬を膨らませてジタバタする。

セリシアの腕の中で、両手をバタつかせる様子は、まるで小動物のようだった。


「また今度お話ししような」

矢島は屈み込み、のぞみの頭を優しく撫でる。だが、のぞみは唇を尖らせて首を振る。


「やーだー! お話ししたいのー!」


その声に、セリシアが苦笑しながらのぞみを抱き直す。


「のぞみちゃん、あまり我儘を言ったら矢島さんが困ってしまいますよ」

セリシアが優しく諭すように言うと、のぞみは抱っこされたまま、うるうるとした目を向けてくる。


「うー、でもー……」

泣きそうに目を潤ませるのぞみ。

その瞬間、何かを思いついたようにパッと顔を上げる。


「あっ、じゃあ、のぞみお見送りするー!」


「えっ、お、お見送り!?」

悠真が思わず聞き返す。


「うん!」

満面の笑みで頷くのぞみ。


「そうですね。矢島さんたちを店の外までお見送りしましょうね」

セリシアが穏やかに微笑むと――


「えー、もっとお見送りしたいー!」


「もっと、ですか?」

セリシアが思わず苦笑し、悠真と視線を交わす。


「さすがに夜も遅いし……」

「のぞみちゃんをこの時間に外へ連れ出すのはちょっと……」


二人が困ったように眉を寄せる中、のぞみは小さく首を傾げ、潤んだ瞳で二人を見上げた。


「だめ……?」


その一言に、潤んだ瞳。

――破壊力は抜群だった。


結局、矢島たちはその「お見送り」を受けることにした。



「すみません、こんな事になってしまって……」

悠真が申し訳なさそうに言うと、矢島は軽く笑って肩をすくめた。

「気にするな。……あんな顔で頼まれたら、断れるやつはいないさ」


秋の夜風が商店街のアーケードを吹き抜ける。

灯りの少ない通りを、悠真はのぞみを抱っこしながら矢島と並んで歩いていた。

少し後ろには、セリシアと泉の姿が続く。


「のぞみちゃん、すっかりご機嫌直ってよかったですね」

泉が柔らかく笑うと、セリシアも小さく頷いた。


「はい。……お二人には少しご迷惑をおかけしてしまいましたね」


「そ、そんなことないですよ!」

泉は慌てて首を振り、照れくさそうに笑った。

「こんな贅沢なお見送りをしてもらえるなんて、むしろ光栄です!」


セリシアはその言葉にふっと微笑み、夜風に揺れる金の髪を押さえながら答えた。

「そう言っていただけると……少し気が楽になります」


「悠真君、もう怪我は大丈夫なのか?」

矢島が歩きながら尋ねる。


「あ、はい。ルシアが治してくれたみたいで。もう問題なく動けます」


「そうか、それはよかった」

矢島は腕を組みながら、悠真の横顔をちらりと見た。


「え、えっと……何かありましたか?」

「いやな。……あの怪我が、たった数日で治るなんて信じられなくてな。“魔法”ってやつか。……昔、娘が小さい頃にアニメで見てたくらいだ。まさか現実で目にするとは思わなかった」


「そうですね。俺もセリシア達に会ってから、驚かされっぱなしです。……俺たちにはまだ、知らないことがたくさんあるんだって思い知らされますよ」


「ああ。まったくだな」

矢島は少しだけ遠い目をした。

そこへ、のぞみが唐突に顔を上げる。


「ねーねー、矢島のおじちゃんは夜もお仕事するのー?」


「ああ。警察はね、悪い人を捕まえるために夜も頑張って働いてるんだよ」


「悪い人って、あの黒い狐さんもー?」


 その言葉に、矢島の足が一瞬だけ止まる。

 だが、すぐにいつもの調子で頷いた。

「ああ。おじちゃん達は“捕まえる”ことはできないけど……必ず“見つける”からね」


「うん! 悪い狐が見つかったら、のぞみがぶっ倒すのー!」


「ぶ、ぶっ倒す!?」

「の、のぞみちゃん……結構過激ですね……」

 泉が苦笑し、矢島も肩を震わせながら笑った。


「あはは……なんか変に張り切っちゃって」

 悠真が困ったように笑うと、セリシアがのぞみに優しく話しかける。

「のぞみちゃん、あまりそういうことを言ったらだめですよ?」


「うー……はーい……」

少し不満そうにしながらも、のぞみは頷いた。


矢島と泉はそんな三人のやりとりを見ながら、小さく息をつく。


「……やっぱり、あの子が“何の手伝い”をするのか、聞いた方がよかったんじゃないですかね」

泉が小声で呟く。


「やっぱり聞くか?」

矢島は眉をひそめたが、のぞみが「おじちゃん!」と笑顔で手を振るのを見て、

ため息をひとつついた。


「……いや、やめておこう。どうせ聞いても、頭が追いつかん」


その声には、苦笑と――ほんの少しの安心が混じっていた。



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