第二話 勇者、初めての商店街
翌日
朝の光が差し込む静かな店の奥の厨房。まだ街が眠っている時間、湯気の立ち昇る鍋と、ジュウッと音を立てるフライパンの音が心地よく響いていた。
「……ふぅ、味噌の加減もばっちりだな」
悠真は出来上がった味噌汁の鍋の火を消し、湯気の向こうで静かに笑った。そこへ、階段から軽い足音が聞こえてくる。
「おはようございます、ユーマ」
昨日と同じ、彼のスウェットを着たセリシアが少し眠たそうな顔で降りてきた。金髪を後ろでゆるく束ねた姿は、どこか清楚で凛とした雰囲気を漂わせている。
「おはよう、セリシアさん。昨日はよく眠れた?」
「はい、とても柔らかい寝具で……特にあの枕、私が知っているものとは全く違うものでした!」
セリシアは笑顔を見せながら、悠真の料理している鍋をのぞき込んだ。
「何か作っているのですか?」
「うん、朝ごはん。もう少しで出来るから、向こうのテーブルで待ってて」
「わかりました!」
セリシアは少し嬉しそうにうなずき、店内のテーブルへと向かう。しばらくして、料理を乗せたトレイを持った悠真がやってきた。
「お待たせ。はい、どうぞ。ご飯はお代わりあるから、たくさん食べてね」
テーブルに並べられたのは、焼き鮭、出汁の香りが漂う味噌汁、色鮮やかな漬物、そして炊き立ての白ごはん。さらに、セリシアが使いやすいようにと、箸とフォークの両方が添えられていた。
「わぁ……これは……どれもおいしそうです!」
「日本の朝ごはんだよ。まずは味噌汁からどうぞ」
「ミソシル……ですか?」
恐る恐る椀を手に取ったセリシアが、一口すすった瞬間――
「んんっ……!こ、これは……!体の中にしみわたるような、優しい味……!」
湯気の中で、セリシアの頬がふわりとほころぶ。
「美味しいです!このミソシル、本当に美味しい!これは何からできているのですか⁉︎」
「えっと、出汁はカツオと昆布。味噌っていう発酵食品を溶いてるんだ。具は豆腐とワカメ」
「……すみません、三割くらいしか分かりませんでした。でも、これは素晴らしいスープです!」
嬉しそうに箸を取ろうとするセリシアだが、すぐに手を止めた。
「ユーマ、この道具……どう使えばいいのでしょうか?」
「そうだよね。最初はフォークでもいいよ。箸は慣れると便利だけど、最初は難しいから。後、漬物はご飯と一緒に食べたらすごく美味しいよ」
それを聞いたセリシアはフォークを手に、ご飯と漬物に手を伸ばした
セリシアは、恐る恐る口に運ぶ。
「んっ……!この“ツケモノ”の塩っけが、ゴハンの甘さと合わさって……止まりません!」
目を輝かせて次々と口に運ぶセリシア。その食べっぷりに、悠真も思わず笑ってしまった。
「おかわりあるから、どんどん食べてね」
「はいっ!」
小柄な体に似合わぬ勢いで朝食をたいらげるセリシアを見て、悠真はふと、昨日の出来事を思い返していた。
(異世界から来た勇者……本当に不思議な子だけど、こうしてご飯を美味しそうに食べてる姿を見てると、なんか……嬉しいな)
セリシアが一息ついたところで、悠真が口を開いた。
「よし、それじゃ今日は買い物に行こうか」
「買い物、ですか?」
「うん。こっちの世界で暮らしていくには必要なものがあるし、何よりその服じゃちょっと目立っちゃうからさ」
セリシアは自分の服を見下ろす。昨日悠真から借りたスウェットは、ぶかぶかで袖が手の甲までかかっている。
「……確かに、少し動きづらいです」
「だよね?というわけで、一旦商店街に洋服を買いに行こうと思うんだ。そのあとは日用品の買い出しかな。準備できたら出かけるよ」
「わかりました、ユーマ。案内、よろしくお願いします!」
そして――
セリシアにとって初めての“街”への冒険が、こうして始まったのだった。
店の扉を開け、朝の光が差し込む通りに足を踏み出した瞬間、セリシアは思わず目を見張った。
「わあ……!」
まだ朝の九時台だというのに、通りにはすでに多くの人々が行き交い、威勢のいい声があちこちから飛び交っていた。八百屋の店先では並べられた新鮮な野菜が朝日に照らされてきらきらと輝き、パン屋からは香ばしい焼きたてパンの匂いが漂ってくる。行き交う人々も笑顔で、活気に満ちた商店街の空気は、セリシアにとって異世界そのものだった。
「不思議なところですね。一箇所に、こんなにもたくさんの店が並んでいるなんて……。私の世界の市場とは、まったく違います」
「ここは“商店街”って言って、色んな専門店が集まってる通りなんだ。食べ物から服、雑貨、日用品まで何でも揃うよ。昔ながらの雰囲気があって、俺も好きな場所なんだ」
「ショウテンガイ……面白いです」
セリシアは目を輝かせながら、あちらこちらの店に視線を向けた。興味津々といった様子で、まるで冒険に出た子どものよう。
「よし、じゃあ行こうか」
「はい!服を買いに行くんですよね?」
「セリシアさんに、こっちの世界で似合う服を着てもらわなくちゃね。やっぱ今のままだと、スウェットだし目立っちゃうからね」
「そ、そうなのですか?……確かに皆さんの視線を感じる気がします」
頬を赤らめ、恥ずかしそうに首元を引っ張る姿に、悠真は思わず笑った。
「大丈夫。いいのがきっと見つかるよ。こっちだ」
二人は並んでゆっくりと商店街を歩き出した。
途中、セリシアはパン屋の焼きたてクロワッサンに目を奪われたり、金物屋の包丁を見て「この刃物は何の武器ですか?」と聞いたりと、何かにつけて質問攻めに。悠真はそのひとつひとつに根気よく答えていった。
そして、目的の服屋に到着する。
「ここだよ」
着いたのは服屋《小野洋品店》。
レトロな木製の看板が掛かった、昔ながらの洋品店。店頭にはハンガーに吊るされた洋服が並び、通りに面して所狭しとディスプレイされている。どこか懐かしくも、温かみのある店構えだ。
「服を売るお店……なんだか緊張します。」
「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。ここの店長さんは凄くいい人だから」
ちょうどそのとき、店内から人懐っこい声が聞こえてきた。
「あら〜?悠真ちゃんじゃない!いらっしゃい!」
現れたのは、ふくよかで元気な年配の女性。口紅の色がちょっと派手で、エプロン姿が妙に似合っている。
「佐和子さん、こんにちは」
「今日はどうしたの?って、んまぁ〜!そちらのお嬢さんは誰⁉︎すっごい美人じゃないの!」
セリシアは突然注目され、戸惑いながらも丁寧に一礼した。
「彼女は――」
「もしかして、悠真ちゃんのカノジョ⁉︎いやだ〜!何よ〜もう!私たちの仲でしょ?何で教えてくれなかったのよ〜!悠真ちゃんもついに……!」
「ちょ、ちょっと待って佐和子さん!ストップ!違いますから!」
悠真が両手を広げて止める。セリシアは目を丸くし、慌てて後ずさった。
「彼女じゃなくて、友達です! 彼女はセリシアさんって言って……ちょっと訳あって、今着てる服以外持ってないんです!」
ようやく佐和子さんのトークが止まる。
「な〜んだ、そうだったの!あたしったら早とちり!ごめんね、セリシアちゃん!」
「い、いえ……ご丁寧にありがとうございます。私はセリシア・ヴァン・アーデルハイトと申します。本日はよろしくお願いいたします」
その礼儀正しい挨拶に、佐和子さんの目が一瞬キラリと光った。
「まぁ〜!なんて上品で可愛らしい子なの!気に入ったわ!任せてちょうだい、セリシアちゃんに似合う服、バッチリ選んであげる!」
佐和子は手際よくハンガーを動かしながら、明るい色合いのブラウスやスカートを何点か取り出した。
「これなんかどうかしら?ちょっとレトロだけど、体のラインも綺麗に出るし、上品で女の子らしいわよ」
悠真も横から口を挟む。
「うん、それすごく似合いそう。セリシアさん、試してみる?」
「はいっ!試着、してみます!」
緊張しながらも嬉しそうな顔で、セリシアは服を受け取り、佐和子に案内されて試着室へと向かった。
悠真はその背中を見送りながら、小さく笑った。
彼女がこの世界に、少しずつ馴染んでいく――そんな第一歩を、今まさに見ている気がした。
「……お待たせしました」
そっとカーテンが開き、セリシアが一歩、外へと踏み出した。
白を基調としたブラウスに、淡いブルーの膝丈スカート。軽やかな素材のカーディガンが肩に羽織られており、その全てが彼女の金色の髪と青い瞳を一層引き立てていた。
悠真の視線が一瞬、止まる。
「おお……」
言葉を探そうとして、出てこない。
「どうでしょうか?……この格好、似合ってますか?」
セリシアが少し不安そうに裾を持ち上げて見せる仕草は、どこかぎこちなくも、初々しい。
「めちゃくちゃ似合ってるよ、セリシアさん」
悠真が素直にそう言うと、セリシアの頬がぱっと赤く染まった。
「よ、よかったです……! 実は少し緊張していました。この世界の服は、なんだかとても華やかでしたので」
「あなた、どこぞのモデルさんかってくらい、綺麗よ!」
佐和子が手を叩いて大絶賛する。
「ふふっ、ありがとうございます」
セリシアが少し照れたように笑うその様子に、店内がふわりと温かく包まれた。
「じゃあ、この服セットで買っていこうか。他にも何着か見ておきたいし」
「ありがとうございます、ユーマ!」
「お会計、私が特別にちょっとおまけしとくからね!」
「佐和子さん、助かります」
服を選び終えた後、紙袋を手にしたセリシアは、街の空を見上げた。
「……なんだか、不思議な感じです」
「何が?」
「こうして、この世界で服を買って、お店の人と話して……まるで、私もこの世界の一員になれた気がして」
「セリシアさんはもうこの世界の一員だよ。それに、セリシアさんがこの世界をもっと知って好きになってくれればこっちも嬉しいし。」
「そうですね。私この世界、もっと好きになれそうです。だから、この世界のこともっと教えてくださいユーマ。」
「ああ、もちろんさ!」
笑い合う二人の背に、商店街の人々の声が響く。八百屋の呼び込み、お惣菜屋の油の弾ける音、パン屋の焼きたての香り……生活の音が街を彩る。
「次はどうしますか?他にも買い物があるのでしょう?」
「うん。日用品と――それから、せっかくだからちょっと寄り道して、甘いものでも食べていこうか」
「甘いもの……!それは興味あります!」
「じゃあ決まりだな」
二人は再び歩き出す。
小さな冒険の始まりのような買い物の時間――
それは、セリシアが少しずつこの世界に馴染んでいくための、最初の一歩だった。
商店街の小さな路地裏。
その一角に佇む、木製の看板が目印の喫茶店があった。
その店の名は《喫茶 さくら》。
「ここですか?」
セリシアが、控えめに店構えを見上げながら尋ねた。
「うん。ここのパンケーキ、結構有名なんだ。地元の人や観光客にも人気でさ」
「パンケーキ……。どんなものか想像がつきません!」
「ふふ、それならちょうどいい。百聞は一見に如かず、だよ」
悠真が扉を開けると、チャリン……と柔らかくベルが鳴り響いた。
店内はほんのり暗めの照明で統一され、深みのある木目のテーブルと椅子が整然と並んでいる。
ジャズピアノの旋律が静かに流れ、まるで時間の流れが緩やかになったような空間だった。
「いらっしゃい……ああ、悠真くんか」
カウンター奥から顔を覗かせたのは、この店のマスター・神原。
白髪の髪と整った口ひげ、そして少し厚めの丸眼鏡がよく似合う。年季の入ったエプロンを巻き、静かに微笑んでいた。
「こんにちは、マスター」
悠真が親しげに手を挙げると、神原も頷いた。
「こんにちは。……おや、そのお嬢さんは?」
「彼女はセリシアさん。えっと、最近知り合った友達なんだ」
「セリシア・ヴァン・アーデルハイトです。はじめまして」
セリシアは丁寧にお辞儀をした。
「おお、なんとも気品のあるお嬢さんだ。どうぞ、好きな席へ。今なら窓際が空いてるよ」
「はっ、はい!」
セリシアが少し緊張した様子で窓際の席へ腰かけると、悠真もその向かいに座った。
「マスター、例のパンケーキ。二つお願いします」
「了解、特製のでいいね。少々お待ちを」
店内は静かだったが、どこか居心地がよかった。
セリシアは周囲のインテリアを見渡しながら、まるで別世界に来たようだと感じていた。
(私の知らない世界……けど、ここも“落ち着ける場所”なんですね)
ほどなくして、二人のもとに出来立てのパンケーキをもって、カウンター奥の厨房からマスターが姿を現す。
「お待たせ。さくら特製パンケーキ、アイスとホイップクリーム添え、ベリーソースがけだ」
目の前に置かれた皿には、ふわふわに焼き上げられた二段重ねのパンケーキ。
その上に乗ったバニラアイスがゆっくりと溶け始め、白く泡立ったホイップクリームが添えられている。
鮮やかな赤のベリーソースが全体にたっぷりとかけられ、まるで一枚の芸術作品のようだった。
「ユーマ⁉︎ な、なんですか⁉︎ この…美しき食べ物は⁉︎」
セリシアは目を丸くして、皿の上のパンケーキを見つめた。
「見た目もいいけど、味はもっとすごいんだよ。冷めないうちに、さあ食べてみて」
セリシアはフォークとナイフを手に取り、おそるおそるパンケーキを切り取った。
一口頬張った瞬間――
「……っ!? あ、あまっ……でも、やさしい甘さ……!そして、暖かくて…冷たい⁉︎」
目を輝かせ、もう一口、そしてまた一口と夢中になっていく。
「この冷たい食べ物とソースが合わさると……まるで、精霊たちの宴みたい……っ!」
「その感想、すごいけど……わかる気がする」
悠真も笑いながら、自分のパンケーキを口に運んだ。
やわらかくて、口の中でふわっとほどける生地。甘すぎないクリームと冷たいアイス、そしてほんのり酸味の効いたベリーソースの調和。
これぞ、《さくら》の看板メニューだった。
「とっても美味しかったです……!」
食べ終えたセリシアは、少し恥ずかしそうに手を合わせた。
「でしょ? セリシアさんなら気に入ると思ってたよ」
マスターは笑いながら、二人の皿を片付けていく。
「初めてのパンケーキが、うちの店でよかったよ。いつでも来なさい」
「はいっ、ぜひまた来たいです!」
そのやり取りを見ていた悠真の胸に、ほんの少し温かいものが灯る。
――この子が、少しずつこの世界になじんでいくのを、ちゃんと支えてやりたい。
「さて、甘いもので腹ごしらえも済んだし、次は買い物の続きだ。商店街の外にも色々あるから、東京案内も兼ねて行ってみようか」
「はいっ、ぜひお願いします!」
そうして二人は、また一歩この世界を共に歩き出した。




