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第二十八話 死神の印

夕陽がビルの隙間から差し込み、細い路地に長い影を落としていた。えにし屋へと続く道を、グレイ、美沙、リア、シェリアの四人が並んで歩く。


「いや〜、本当びっくりしたよ」

美沙がため息まじりに笑う。


「美沙さんが無事でよかったです」

シェリアが安心したように微笑むと、リアが肩を竦めた。


「でもさ、グレイがタイミングよく来てくれて良かったよ。私達はもう我慢できなかったもん!」


「ふん、それは間に合って良かった。加減を知らないお前たちだ。今頃あいつらがどうなっていたことか…」

グレイがジト目を向ける。


「それ、どういう意味よー?」

リアは頬を膨らませ、シェリアはにっこりと首を傾げた。


「グレイさん、私は聖女ですよ?そんなことすると思います?」


沈黙。


「あはは……まぁまぁ」

美沙が慌てて笑い、二人とグレイの間に入った。


「でも、本当に助けてくれてありがとう。グレイさんも、リアも、シェリアも」

深々と頭を下げる。


「気にするな」

グレイの声は硬くも温かかった。

「こちらが世話になっているのだ。……君の安全は、必ず私が守る」


その真剣な眼差しに、美沙の胸がトクンと高鳴る。

思わず目を逸らし、頬を赤く染めながら誤魔化すように口を開いた。


「あ、あはは……!でも、グレイさん、一瞬で倒しちゃうんだもん。びっくりしちゃったよ」


「……グレイさんだけじゃありませんからね?」

シェリアがすかさず笑顔を添える。


「そうそう!私達もしっかり美沙を守るから!」

リアが胸を張った。


「みんな……ありがとう」

美沙の声は小さく、それでも心からの感謝に満ちていた。


「でもさ、あの後のこと、大丈夫だったの?」

リアがふと立ち止まり、事件の余韻を思い出したように眉をひそめる。


「ええ、周囲の人の記憶は消しましたし、彼らが負った傷も治しました。ただ人が倒れているだけの状況にしてあります。問題ないかと」

シェリアが事務的に答える。


「それにしても、シェリア。あの時の魔法、いつもよりずっと早くなかった?」


「ええ。ルシアさんから頂いたこの指輪のおかげです」

シェリアは自らの指に光る白と黒の二つの指輪を見つめた。


「本当にそんなにすごいの……?」

半信半疑でリアも覗き込む。


「はい。魔力の消費が抑えられる分、術式の組み立てが短縮されます。発動速度も効果範囲も、大きく改善されています」

淡々と語るシェリアに、リアは口笛を吹いた。


「魔王ってさ……思ってたより、人間くさいよね。私達、悪の化身みたいに思ってたのに」


「実際、戦場で会った時の彼女は禍々しい魔力を放っていた。あの印象が強いのでしょう」

シェリアが答える。


「でも、今も魔王の魔力って禍々しいの?今見ると私達の魔力とは違うような感じなだけで、何か質というか量というか……」


「魔族自体が魔力量の多い種族ですから。それに私達が彼女に抱いていたイメージが余計に彼女が待つ魔力を禍々しく、そう感じさせていたのではないでしょうか」

シェリアは言う。


「ふーん……なんか複雑」

リアは考え込むように眉を寄せた。


「それは、これから彼女を見て判断すればいいでしょう」

シェリアが穏やかに言い、会話がひとまず落ち着いた。


しかし、リアがグレイの表情だけは硬い事に気づく。


「グレイ? さっきから難しい顔してるけど、どうしたの?」

リアが首を傾げる。


「……いや、何でもない」


「ふーん、変なの」

リアは軽く流したが、グレイの視線はどこか遠くを見ていた。


(今日のあの四人組……全員の右腕に同じ紋様。こちらでは“タトゥー”と呼ぶものか。偶然にしては揃いすぎていた……組織の印なのか?)


胸の奥で疑念が渦巻く。だが今は口にしない。

(今は……考えても答えは出ない)


彼は心に留め、ただ静かに、美沙たちの背を追い歩を進めた。



夕方の喧騒が少し落ち着きかけたソラマチの一角。屋外テラスに設けられた休憩スペースには、警察官数名が倒れた四人の男を取り囲んでいた。


「大丈夫ですかー!」

声をかける警察官。しかし男たちは意識を失っているだけで、外傷は一切なかった。


「通報によると、ナイフを持った男が暴れていたらしいが……」

警察官の一人が辺りを見回す。

だが周囲は、何かの騒動があったにしては落ち着きすぎている。

買い物客たちは「何があったの?」と囁き合い、警察官が来たから集まってきた程度だ。


「ナイフは確かにあるな……」

地面に落ちた刃物を確認する若い警官。


だが――周囲に話を聞いても、返ってくるのは不可解な答えばかりだった。


「え、ナイフを振り回した男なんて見てません」

「なんで倒れてるのかも知らないです」

「……通報? 誰がしたんですか?」


まるで“事件そのもの”が煙のように掻き消えたかのようだった。


「おかしいな……誤認通報か?」

「いや、でも男達がいるのは事実ですし……」


警官二人が首をかしげていたその時。


「何かあったのか?」


低い声が背後からかけられた。


振り返ると、50代前半ほどの男が立っていた。ノーネクタイに皺の目立つスーツ、無精髭に癖の強い髪は白髪だった。ぱっと見は冴えない中年だが、その目だけは鋭く光っている。


「す、すみません。関係者以外は立ち入りを――」


男は苦笑してズボンのポケットから警察手帳を取り出した。


「……確認してくれ」


差し出されたそれを見て、若い警官が慌てて姿勢を正す。


「あっ! 失礼しました。強行犯係の……矢島刑事!」


「警視庁の矢島刑事……? あの“現場主義の”?」

別の警官が驚いたように囁く。


矢島刑事――矢島武史(51)。

叩き上げで階級は巡査部長のまま、出世欲もなく、二十数年以上ずっと現場を駆け回ってきた。泥臭く、融通の利かないところもあるが、犯人の小さな嘘や街の空気の違和感を見抜く勘の鋭さは警視庁内でも有名だった。


「いや、俺もたまたま通りかかっただけだ。娘の誕生日のプレゼントを買いに来ただけなんだが……ちょっと様子を見させてもらう」


「は、はい。では状況を説明します」


若い警官が経緯を説明すると、矢島は黙って耳を傾けた。


「……なるほど。通報はあったが、周りは何も覚えていない、と」


「はい、通報した本人も内容を思い出せない様子で……」


「……記憶が抜け落ちてる、か」

矢島は顎に手を当て、倒れた男達を見下ろす。


「監視カメラは確認したか?」


「い、いえ、まだです。やはり事件性が?」


「普通なら誤報で片付けるだろうが……気になるな。お前ら、この男達の腕を見てみろ」


警官たちが目を凝らすと、倒れ伏した男たちの右腕に、同じタトゥーが描かれているのが見えた。

それは――死神を象った髑髏。

無骨な線で刻まれたそのタトゥーは、闇の烙印のように彼らの肌を覆い、不気味に揃っていた。


「こいつら……!」

「最近、関東で暴れてる半グレの連中の印……!」


「そういうことだ」

矢島は目を細める。


「そんな奴らが、ここで仲良くぶっ倒れてる。しかも周りは何も見ていない。不自然すぎる」


ベテラン刑事の勘がざわついていた。


「とりあえず、ナイフの件で所持違反だ。意識が戻り次第、しょっ引け。事情も聞く」


「りょ、了解しました!」

若い警官たちが動き出す。


矢島は再び周囲を一望し、ふと人混みの向こうを見た。

今だに妙な“気配”がまだこの場に残っているような――。


(……刑事の勘だが、これはただの通報ミスじゃないな……)


矢島の胸に、重たい予感が落ちた。



美沙たちがえにし屋に戻る頃には、暖簾がかかり、提灯の灯りが柔らかく夜の商店街を照らしていた。

店内は既にぽつぽつと客が入り、和やかな笑い声が漂っている。


「ごめん!今戻ったよー」

美沙が勢いよく店に入ると、カウンターの中にいた悠真が顔を上げた。


「おかえり、美沙さん。観光はどうだった?」


「美沙さんには、本当にお世話になりました」

「うん!すっごく楽しかったよ!」

シェリアとリアが満足そうに笑顔を浮かべる。


「それは良かったです。問題とかは起きませんでした?」

悠真がそう聞くと、美沙は「あー……」と妙に言いにくそうに目をそらし、なぜか顔を赤らめた。


「え? 何かあったのか?」

悠真が慌てて身を乗り出す。


「いや、たいしたことじゃないから!」

美沙はぶんぶん首を振る。


「たいしたこと、っていうより……」

リアがさらっと言葉を継ぐ。

「私たちに絡んできた連中を、グレイがぶっ飛ばしただけだよ」


「……は?」


「皆、怪我は無かったの?」

セリシアが心配そうに身を乗り出す。


「全然大丈夫! むしろね、グレイさん凄かったの!」

美沙が興奮気味に続ける。

「一瞬で四人相手を倒しちゃって……まるで映画のワンシーンみたいだったんだよ!?」


「どちらかというと心配なのは相手の方だな」

「そうですね……」

悠真とセリシアが揃って苦笑いする。


「ふふ、安心してください。事後処理は私がきちんとしましたから」

とシェリアがさらりと言う。


「なるほどのう。指輪を上手く使いこなしてるみたいじゃの」

ルシアが少し離れたテーブルで酒を口に含みながらにやりとする。


「ええ、おかげさまで」

シェリアが微笑むと、どこか余裕ある雰囲気が漂った。


「あ、私着替えて店入るね!」

美沙は小走りで奥へ引っ込む。


「俺も……何か手伝おう」

低い声でグレイが悠真に問いかける。


「いいんですか? じゃあ……えっと、厨房の奥にあるストック棚から調味料を――」

悠真は少し考えながら指示を出す。


グレイは黙って頷き、余計な言葉を挟まずに動き出した。

足取りは静かだが、迷いのない仕草で奥へ向かうその背中には、妙な頼もしさが漂っている。


残された空間に、どこか穏やかな空気が流れる。


「……しかし、絡んだ奴らも運が悪かったのう」

ルシアがぽつりと呟く。


「確かに。相手が悪かったみたいだね」

悠真が相槌を打つと、ふとルシアを見て、ある日の出来事を思い出す。


「そう言えば、ルシアがこっちに来た時も……似たようなことがあったな」


「ん? ああ……あやつらのことか」

ルシアが顎に手を当てて思い出す。


「それそれ、あれも四人組だったから、ちょっとデジャヴを感じるんだよなー」


「え、魔王に絡むとか、命知らずすぎでしょ」

リアが呆れ顔で肩をすくめる。


「案外、同じ連中かもしれんぞ?」

ルシアが冗談めかして笑う。


「いやいや……まさかね」

悠真が苦笑するが、少しの沈黙が残った。


その沈黙を破ったのはシェリアだった。

「ですが、世間というのは案外狭いものです。そういう巡り合わせも……“縁”かもしれませんね」


「ねぇ、それよりお腹すいた」

リアがむくれ顔で会話をぶった切る。


「そうですね。悠真さん、こちらで夕食をいただいてもよろしいでしょうか?」

シェリアが丁寧に尋ねる。


「もちろんです。まだ賄いしか食べてもらってなかったですからね。本格的な料理を、ぜひ味わってください」


「それでは遠慮なく。……あ、お代はもちろん払います」

シェリアが真面目な顔で言うと、リアが首をかしげた。


「でも、こっちのお金持ってたっけ?」


「ええ、持っていませんが……代わりになる物はありますから」


「それなら今日はサービスです」

悠真は声を落として、二人にだけ聞こえるように言った。

「初めて来てくださったお客様への特別待遇、ってことで」


「いえ、そんなわけには――!」


「でしたら、次に来られたときに、しっかりお金を落としていってください」


静かな笑みと共に返され、観念したように二人は頷いた。


「……わかりました。では今回は甘えさせていただきます」


「ありがとうございます。では、こちらへどうぞ」

悠真が案内したのは木の温もりを感じるカウンター席。壁には季節の短冊メニューが並び、厨房からは香ばしい音と香りが漂ってくる。


「まずはお飲み物からどうされますか?」


「周りの皆さんが飲んでいるものは……エール?」


「こちらでは“生ビール”と呼びます」


「ではそれを」

「私も同じの!」


やがて運ばれてきたのは、氷のように冷えたジョッキ。表面にびっしりと結露が浮かび、黄金色の液体の上にはふわりと白い泡が乗っている。


二人は恐る恐る口をつけ――


「な、何ですかこれ!?」

「こ、こんなエール飲んだことない!」


のどを駆け抜ける炭酸の刺激。ほのかな苦みの奥に広がる爽快さ。気づけば二人とも一息で半分以上を飲み干していた。


「こちらがお通しのきんぴら蓮根です。ピリッと辛いのでビールに合いますよ」


小皿の上には、艶やかに照りをまとった蓮根のきんぴらが盛られていた。表面に光る甘辛いタレが食欲を誘い、ところどころに散らされた赤唐辛子が鮮やかな彩りを添えている。胡麻が香ばしい余韻を漂わせ、思わず箸を伸ばしたくなる仕上がりだ。隣には、異世界から来た二人でも食べやすいようにと、気遣うようにフォークが添えられていた。


そして、口に入れた次の瞬間――


「こ、これは!?」

「この辛いの!ビールがすごく進む!」


蓮根のシャキッとした歯ごたえと、甘辛い味つけ。そこに唐辛子の刺激が重なり、自然とまたジョッキを口に運ばせる。


「……もうなくなっちゃった」

ジョッキを見て名残惜しそうにする二人。


「生ビールのお代わり、いかがですか?」

悠真の言葉に、二人は同時に顔を見合わせ――


「お願いします!」


「それと、このビールに合う料理、まだありますか?」

「私はお肉!肉料理が欲しい!」


「かしこまりました」



数分後、目の前に並んだのは三品。


「こちら、シェリアさんには韓国風チヂミ。外はカリッと、中はもっちりしています。香味野菜が効いたタレでどうぞ」


鉄板の余熱で香ばしく焼かれたチヂミは、表面に気泡の跡が残り、香りが食欲を誘う。


「リアさんには豚の角煮。じっくり煮込んでいますので、フォークを入れるだけでほろりと崩れます。お好みでカラシを」


琥珀色の煮汁に艶めく角煮。脂身が透き通り、ぷるんと震える。


「そしてお二人に共通で、どて焼きです。牛すじを味噌で煮込みました。七味唐辛子を振るとまた違う旨さになりますよ」


土鍋から立ち上る濃厚な香り。味噌と牛すじの旨味が絡み合い、見るだけで唾がこみ上げてくる。


「どれも……見たことない料理」

「ええ。ですが、いただいてみましょう」


二人はフォークを伸ばし――


チヂミの香ばしさに目を見開き、角煮の柔らかさに頬をほころばせ、どて焼きの濃厚な旨味に思わず声を合わせた。


「これは、ビールが止まりません!」

「これは、ビールが止まらないっ!」


その夜、二人はたっぷりえにし屋の料理と酒を堪能した。

笑い声を響かせながらジョッキを傾ける姿を、店内で働くセリシアと美沙は微笑ましそうに眺めていた。

つい口元が緩む――異世界から来たはずの彼女たちが、まるで昔からの常連のように馴染んでいる。


ただ一人、グレイだけは冷や汗をかいていた。

「……あれは飲みすぎだ。帰れなくなるんじゃないか?」

と、内心で頭を抱えつつも、結局何も言えずジョッキを空ける二人を見守るしかなかった。


やがて夜は更け、賑わっていたえにし屋も閉店の時間を迎える。

店内の照明は少し落とされ、静けさが戻る。



「今日は本当にありがとうございました」

「うん、楽しかった!ありがとう!」


シェリアとリアが並んで頭を下げる。その仕草には、素直な感謝とどこか名残惜しさが滲んでいた。


「いえ、こちらこそ。またぜひ来てください」

悠真が穏やかに笑う。


するとシェリアが、懐から小さな布袋を取り出した。


「悠真さん、これを受け取ってください」


「……これは?」


「セリシアさんやグレイさんがこちらでお世話になっているお礼です。形だけですが、気持ちです」


悠真は慌てて手を振る。

「いや、そんな!受け取れませんよ」


だがシェリアの瞳は真剣だった。

「いえ、それはあなたが受け取るべき正当な対価です」


リアも頬をふくらませながら口を挟む。

「そうだよ!悠真さんに受け取ってもらわなきゃ、私たち帰れないんだから!」


「しかし……」

それでも躊躇う悠真。


そんな彼の背を押すように、セリシアとグレイが言葉を添える。


「悠真さん、受けとって下さい。それは彼女たち……いえ、私たちからの大切な感謝の気持ちですから」

「そうだ。君が受け取ってくれることで、この場は円く収まる」


異世界組に一斉に見つめられ、観念した悠真は、深く息をついた。


「……そうですね。はい、ありがたく受け取らせていただきます」


その瞬間、リアとシェリアの顔にぱっと花が咲いたような笑顔が広がった。

小袋は思ったよりもずっしりと重く、そこに込められた気持ちが伝わってくる。



「では、私たちはこれで」

「また遊びに来るね!」


笑顔と共に、二人は軽やかに別れを告げ、魔法陣の中へ消えて行った。

残された悠真は、手のひらの小袋を見つめながら小さく笑う。


「……本当に、不思議な縁だな」


その横で、セリシアが同じようにほっとした笑顔を浮かべていた。


えにし屋の夜は、温かな余韻を残してゆっくりと終わりを迎えた。


――警視庁捜査第一課のとある一室


「どうだったんですか?」


そう問いかけたのは泉純也(28)。

今年で捜査三年目、茶色に染めた髪を軽く後ろへ流し、スーツの着こなしもややラフ。だがその目だけは鋭く、どこか獲物を逃さぬ猟犬のような光を宿している。

矢島刑事のバディとして組んで半年。口は悪いが仕事熱心な先輩に振り回されながらも、彼なりに捜査の勘を磨き始めていた。


「……覚えてない、だとさ」


矢島刑事がぶっきらぼうに答え、捜査ファイルを机にドサッと放る。

ファイルの端が少し折れて、泉が思わず眉をひそめる。


「ただ……」


「ただ?」

泉が身を乗り出す。


矢島は腕を組み、言葉を探すように低く呟いた。

「完全に記憶が飛んでるわけじゃねぇ。……その部分だけ、靄がかかったみたいに思い出せそうで思い出せない。四人とも同じ証言だ」


「靄……ですか。催眠とか薬物の線は?」

泉はすぐに可能性を口にする。理詰めで考えるのが彼の癖だ。


「調べたが、薬物反応はなしだ」

矢島が短く返す。


泉は唸りながらモニターへ視線を移す。そこには、ソラマチの休憩スペースで半グレたちが絡む一部始終が映っていた。


「でも映像には残ってる。記録はあるのに、現場の誰も覚えてない……。本当にそんなこと、ありえるんですか?」


「さぁな。ただ事実として、映像の中の出来事を“その場にいた全員”が覚えていない」

矢島の声は低く、しかし妙に重い。


泉は映像を巻き戻し、問題の場面を繰り返し再生する。

「にしても……この男、凄いですね。一瞬で四人を叩き伏せてる。しかも一人はナイフ持ってますよ?」


「ああ。素人じゃねぇな。格闘経験があるってレベルじゃない。場数踏んだ戦い方だ」


矢島の声に感心が混じる。


泉はモニターの男たちに目を凝らした。

「それに、外傷がないのも変ですよね?ナイフを持った男、顔面をテーブルに叩き込まれてるのに……普通なら大怪我なはずなのに」


「そうだ。それも気になる点の一つだ。いったい何がどうなっているのか……」

矢島は重々しく頷く。


泉は資料を手に取り、思わず聞く。


「これ、本当に事件性があるんでしょうか?」

泉が素直に疑問を口にする。


「それをこれから調べるんだろうが!」


矢島は手元に置いてある資料持って、泉の頭を軽く叩いた。


「いって!ちょ、今の完全にパワハラですよ!」


「チッ、最近の若いもんは揃いも揃って口ばっかり達者だな……」

矢島が舌打ちしながら呟く。


泉は苦笑しつつも、内心では(叩くにしても、ちゃんと角の丸いファイルでやるあたり優しいですよね、この人)と思っていた。


「で、これからどうするんです?」


「決まってんだろ。監視カメラに映ったあの女三人と男――探し出して直接話を聞く」


「……了解しました」

泉が真剣な顔に戻り、資料を抱えて立ち上がる。


「それより矢島さん、休みの日にわざわざ出てこなくても。僕に連絡してくれれば、こっちで調べておきましたよ」


泉がやや呆れ気味に言う。


「こんな怪しい臭いのする事件を前に、一人で家に籠ってろって?」

矢島は短く吐き捨てるように返した。

(あのタトゥーが絡んでいるなら、なおさら放ってはおけない……)


二人は言葉を切り、並んで部屋を後にする。


モニターに残された三人の女性と男性の姿。

あの場にいた―― 美沙、シェリア、リアそして、グレイ。



えにし屋に、また一つ新たな波乱が忍び寄ろうとしていた。





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