第十九話 魔王の庭、運命の境界
そこは、果てしなく広がる荒野。地平の彼方まで、赤茶けた大地が広がり、鋭く剥き出しの岩肌と大小の岩が不規則に点在している。空は曇天、色を失ったような灰色。風は無音で、まるでこの世界そのものが息を潜めているようだった。
「ここは……?」
リアが弓を構えたまま、警戒を解かずに周囲を見渡す。
「魔王の“庭”ですか……」
シェリアが小さく呟く。
「魔王はどこだ?」
グレイが低く唸るように問いかけた、その瞬間――
「ようこそ。我が庭へ」
三人の視線が、上空に集まった。
浮かぶ影――ルシアだった。かつての魔王の装束を纏い、静かに、しかし圧倒的な存在感を放っている。
「ここはどこだっ!?」
グレイが叫ぶ。
「さっき言ったじゃろう? ここは“我が庭”じゃ。もっとも、さっき作ったばかりで殺風景じゃがの」
「……作った?」
シェリアの声が震える。
「まさか……この空間そのものを……!?」
「そうじゃ。あの場で暴れられると厄介での。悪いが、主ら三人にはこちらへ来てもらった」
その一言に、三人の背筋が粟立つ。
空間創造と同時転移――。
まさに人智を超えた力。
「この化け物がっ……!」
リアが怒りをにじませて吐き捨てる。
「ほう。化け物とはまた……それは我にとって最高の褒め言葉じゃぞ、小娘」
荒野に乾いた風が吹く中、ルシアが薄く笑みを浮かべた。
その笑みには皮肉と、どこか呆れたような響きが混じっている。
「にしても、お主らやり過ぎじゃ。いきなりあんなもんぶっ放してからに……。あの威力、あの辺一帯を更地にするつもりだったのか? そこの騎士、お主もじゃ。あんな斬撃繰り出しおって、ビルが全崩壊したら騒ぎがもっと大きくなるところじゃたぞ。我がどれだけ周りに被害を出さんように動いたか……」
なぜかブツブツと説教を始める魔王に、三人は一瞥もくれない。
視線は獲物を狙う獣のように鋭く、警戒を解く気配は欠片もなかった。
「私達の目的は――貴方を討ち、セリちゃんを元の世界に連れて帰ること!」
リアの手に握られたのは、月光を溜めたような純白の聖弓《ルクス=ディヴァイン》。
弦を引き絞るたびに空気が軋み、矢先には聖光が収束していく。
「貴様が何を企んでいようと関係ない。俺たちは――お前を倒すために来た」
グレイが腰に携えた《聖守剣オルディナス》を抜き構える。
その刀身にグレイが力を込めると、その刃は稲妻を宿し、金属音ではなく雷鳴を響かせた。握るだけで大気が震え、刃先から紫電が地面を這う。
「天からの声で、私は貴方を討つ使命を授かりました。これ以上、大きな犠牲は出せません。ここで……決着をつけます!」
シェリアの右手が光を帯び、空間から引き抜かれるようにして杖が現れる。
《神杖セレスタリア》――その杖は夜空の星々を閉じ込めたかのように深く輝き、先端の宝珠は流星のような尾を引きながら輝度を増していく。
杖が地面を打ち鳴らすと、足元に金色の術式が奔り、荒野を満たすように広がった。
ルシアが肩をすくめ、わずかに目を細める。
「……どうやら、やる気は十分みたいじゃな」
次の瞬間――グレイが地を蹴った。
砂塵を巻き上げる疾走とともに、《聖守剣オルディナス》から稲妻が奔る。
リアは聖弓を放ち、矢は夜空を裂く流星のような軌跡を描きながらルシアを目掛けて飛翔する。
シェリアの足元の魔法陣が輝きを増し、彼女が放った補助魔法《聖煌陣》の光が三人の体を包み、筋肉の一線一線まで研ぎ澄まされた力を与える。
――息の合った三つの刃が、魔王に迫る。
ルシアが鉄扇を軽く払った。
その瞬間、大地が呻き声を上げ、無数の石槍が地面から牙を剥くように突き出す。
それはただの石ではない。刃のように鋭利で、一本一本が地鳴りとともに迫る。
さらに、ルシアの周囲に氷の矢が浮かび上がる。
透き通った蒼の結晶は空気中の水分を凍らせながら成形され、数百の矢が一斉に解き放たれた。
地面に突き刺さった瞬間、爆ぜるように氷の波紋が広がり、巨大な氷柱が連鎖的に生まれる。
それはまるで、凍てつく嵐が戦場そのものを呑み込もうとしているかのようだった。
――そして、三人はその嵐の中へと飛び込んでいった。
「――くっ!!」
地と氷の暴が荒野を飲み込むなか、一本の矢がルシアへ飛来した。
「む……?」
ガキィン!!
矢はルシアの魔法障壁に阻まれた。だが――
(ヒビ……?)
そこに割って入ったのは、雷光のような速さで駆け寄るグレイ。
雷を纏った剣が、ルシアとの距離を瞬時に詰め、振り下ろされる。
「はああああっ!」
パキィンッ!!
裂けるような音と共に、ルシアの障壁が砕け散った。
(ほう……我の障壁を破るとは。小娘の矢、そしてこの剣……どちらも厄介じゃの)
無防備になったルシアの頭上に、突如として巨大な光の柱が降り注ぐ――。
ドォォォンッ……!!
爆音と共に、荒野には数百メートルに及ぶクレーターが出現した。
避けきれなかったルシアは、右腕に激しい火傷を負っている。
「全く……。あの教会の娘が一番厄介じゃの……」
ルシアが腕を抑えながら呟いたそのとき、彼女の視線の先に、赤・青・緑・茶色――四色の魔法陣が遠くに展開されていくのが見えた。
「なんと……四系統魔法の同時展開……」
その中央には、右手に神杖をもち両腕を広げて詠唱を続けるシェリアの姿。
離れた場所で浮遊するグレイとリアは、武器を構え直し、彼女を守るかのように前に立つ。
すると、三人の間で“声”が飛び交った――念話。勇者の加護の一つである。
(グレイさん、リアさん。今の魔法には、まだ少し発動時間がかかります。それまで時間を稼いでください)
(了解。こっちは任せて)
(準備が整ったら教えてくれ。俺たちで魔王を留める)
(……分かりました、)
勇者パーティに与えられた“加護”は、ただの強さではない。
【仲間同士の連携強化】と【味方への攻撃完全無効】――。
それにより、極大魔法すら味方を巻き込まず撃つことができるのだ。
「――ほう。まるで軍隊じゃの。連携に一切の淀みがない」
ルシアが口元に笑みを浮かべる。だが、その瞳には確かな警戒の色。
「……まったく、セリシアはとんでもない者たちを仲間にしたものじゃ」
彼女の視線は、遠く離れた魔法陣に向けられていた。
「魔王と呼ばれた我を、ここまで追い詰めるとは……」
火傷を負った右腕から、紫電がほとばしる。
再び鉄扇を構え、ルシアが低く呟く。
「さて……。これは中々骨が折れそうじゃの」
“魔王ルシア”と“勇者の仲間たち”――その激突は、なおも激しさを増してゆく。
⸻
誰もいなくなった崩落した屋上に、セリシアはひとり佇んでいた。
足元には、瓦礫とひしゃげた鉄骨、そして夜風に舞う粉塵。
下の通りでは、まだ人々の悲鳴と救助を呼ぶ声が入り混じり、混乱は収まっていない。
彼女は静かに目を閉じ、両手で聖剣を構える。
耳に届く喧噪を遠ざけるように、心の奥へと意識を沈めた。
(……消えてはいない。ルシアの魔力の残滓が、まだこの空間に漂っている。近い……!)
瞼を開いた瞬間、淡い青光が彼女の瞳に宿る。
聖剣の刃がわずかに震え、共鳴するように輝きを増した。
「……お願い。私を――彼女のもとへ導いて!」
セリシアは聖剣を振り抜いた。
刃が空を裂くと、音もなく黒と白が入り混じった亀裂が広がり、そこから冷たい風と異質な気配が漏れ出す。
裂け目の向こうには、闇と雷光が交錯する戦場の影。
鼓動が早まる。呼吸が自然と浅くなる。
(ルシア……皆……)
一歩、そして二歩。
彼女は迷いなく裂け目へと踏み込んだ。
「必ず、皆んなを止めてみせます!」
次の瞬間、彼女の姿は光の粒となって裂け目の中へ消えた。
残された屋上には、粉塵と、まだ燻る夜の匂いだけが漂っていた。




