第一話 金髪の勇者、厨房に現る
東京の片隅に、時代に取り残されたような小さな商店街がある。
コンビニやチェーン店の波に飲まれず、八百屋や豆腐店、古い銭湯まで残るその一角。そこに佇むのが、居酒屋──えにし屋だ。
店内はカウンター8席、テーブルが4卓ほどのこぢんまりとした作り。木の温もりを感じる内装と、出汁の香りがほのかに漂う空間。派手さはないが、どこか落ち着く、そんな居酒屋だ。
開店準備に追われていたのは、この店の店主──
橘悠真、27歳。
元々は都内の不動産会社でバリバリ働いていたが、理不尽な上司とノルマに嫌気が差し、三年前に脱サラ。実家が飲食業だったこともあり、心機一転この店を始めた。
「……よし。カウンター拭いて、暖簾出せば準備完了だな」
ひと息ついて、雑巾を畳んだそのときだった。
──ガッシャァン!
「な、なんだ!?」
奥の厨房から、金属音とともに何かが倒れる激しい物音が響いた。包丁が床に転がる音。フライパンがシンクに当たる音。どう考えても、猫の仕業じゃ済まない。
慌てて音がした厨房に飛び込む悠真。
そして──思わず、息を呑んだ。
そこには散乱した調理器具と一緒に金髪の少女がいたのだ。
「いったた……こ、ここは……?」
腰まで流れる光のような金髪に、宝石のような碧眼。整った顔立ちは人形のようで、まるでどこかの国の姫のような気品をまとっている。
だが、彼女の姿は明らかに場違いだった。
──銀色の甲冑。胸元に刻まれた見慣れぬ紋章。足元には革のブーツ。まるで中世ファンタジーの騎士のような格好。
「え、えっと……君は誰?どこから?それ……コスプレ?」
散乱した調理器具と、その中央に座り込んだ一人の少女を見る。
「えっ?ここは……何?どこ? 魔王城……じゃ、ない?」
「魔王……城……? え、あの、ここ居酒屋の厨房なんだけど……?」
「居酒屋……? あなたは?」
「俺? あ、橘悠真っていいます……。ここの店主で……」
「タチバナユーマ?」
「うん。で、君は……?」
少女は一拍置いて、背筋をしゃんと伸ばした。
「私はセリシア・ヴァン・アーデルハイト。魔王討伐を使命とする、聖王国の勇者です」
「セリ……セリシア・ヴァン……?」
「セリシア・ヴァン・アーデルハイト、です」
「え、えぇと……とりあえずセリシアさんね……。それで、君はどうしてここに?」
セリシアは眉をひそめ、慎重に言葉を選んで話し出す。
「私は……魔王との決戦の最中でした。トドメを刺そうとしたその瞬間、魔法陣が足元に広がって……気づいたら、ここにいたのです」
「ま、魔王……? 魔法陣……?」
(やっぱりコスプレ?それとも異世界転生系のドッキリ番組?……って、カメラもスタッフもいないけど)
悠真が困惑しながらフライパンや包丁を拾い集めていると──
「……ぐぅ〜……」
明らかに腹の虫の音が響いた。
「……あっ……」
セリシアが耳まで真っ赤になって俯いた。
「……お腹、空いてる?」
「い、いえ……。でも、はい……」
(状況は意味不明だけど、目の前の女の子が腹ペコなのは確かだな)
「じゃ、なんか作ってあげるよ。少し待っててくれるかな?」
悠真は優しく笑いかけ、片手でコンロの火をつけた。
冷蔵庫を開け、卵を取り出す。出汁の小瓶とともに調理台に並べた。
「え……料理してくれるのですか?」
「うん。まあ、一応、料理は得意なんで」
セリシアは、初めて見る調理器具や調味料に目を丸くしながら、無言で調理の様子を見守っていた。
悠真の手際は実に鮮やかだった。
出汁を卵に混ぜ、焼き専用の四角いフライパンに油をひく。
何層にも卵を重ねながら、ふっくらと巻き上げていく様は、まるで小さな芸術品を作っているかのよう。
「わ……!」
セリシアは思わず小さく声を漏らした。卵が巻かれるたび、ふんわりと湯気が立ち上る。
「はい、完成。だし巻き卵。よかったら、食べてみて」
白い皿に乗せられた熱々のだし巻き卵が目の前に置かれる。
「ダシマキ……タマゴ……?」
「食べた事ない?なら、是非食べてみてよ!
きっと美味しい筈だから。」
悠真はフォークを手渡した。セリシアは少し緊張しながら、一口分を切り取り、そっと口に運ぶ。
──その瞬間。
「……⁉︎ な、何これっ⁉︎」
まるで、雷に打たれたような衝撃が走った。
「お、美味しいっ……! 卵って、こんなに……! ふわふわで、甘くて、ほのかに塩の味……そして、なんだか深い味がして……!」
セリシアの表情がぱぁっと輝き、目には涙すら浮かんでいた。
「うわっ、そんなに感動してもらえると、こっちが照れるな……」
悠真は苦笑しながらも、心の奥が少しだけ温かくなった。
(この子がどんな子でも、関係ないよな。……こうして“美味しい”って笑ってもらえるなら、料理人冥利に尽きるってもんだ)
するとそのとき──
「すみませーん! 今、空いてますかー?」
店の入り口から、お客の声が響いた。
「やばっ!開店時間過ぎてるじゃん!」
悠真は慌てて店の方へ走り、暖簾を掛けながら
「はーい! いらっしゃいませ! 空いてますよ!」
と笑顔で応対した。
お客さんを店内に案内しようとした時に、厨房の影から金髪の少女が、ひょこりと顔を出しているのを見つけて、悠真は青ざめる。
「セリシアさんっ! ごめん! ちょっと上で待ってて! あの、誰かに見られたら色々まずいから!」
「え、ええ……わかりました」
「部屋は二階に上がってすぐだから!」
悠真に急かされ、セリシアは言われるままに二階の住居スペースへと上がっていく。
(……彼は、悪い人ではなさそう。でも、もし何かあれば──)
セリシアは右手に軽く力を込める。そして二階に上がった先の扉の前で止まり、恐る恐るそれを開く。その部屋はこの世界では一般的なのだが、セリシアからすれば初めて見るもので溢れていた。そして、目についたベッドに取り敢えず腰を下ろした。
「ごめん。今日は早めにお店を閉めるから、ちょっとだけ我慢してて」
悠真の声が下から聞こえ
「は、はい…。」
と返事をし、改めて周囲を見渡す。
(……本当に、ここはどこなのかしら?)
太陽の光は届いていないのに、部屋は不思議なほど明るい。天井を見上げると、まるで小さな太陽のような光を放つ円形の物体があった。
(あれは……魔法のランタン? でも魔力の気配は感じない……何で光っているの?)
次に視線が向いたのは、壁際の台の上に乗っている平たい黒板。
(……これも何かの道具? これは……板? それとも何かの飾り物かしら?)
彼女がじっと見つめていたのは──テレビだった。
恐る恐る近づき、そっと指先でその表面をなぞる。
つるりと滑るその感触は、木や鉄とは明らかに違っていた。
そして、台の上に置かれていた奇妙な細長い板──リモコンに目が入り、それを手に取る。
(この……小さな板のボコボコは何かしら?…ボコボコに色んな印が描かれているわ?)
試しにボコボコを指で押してみると──
テレビがいきなり起動した。
「──本日のニュースです。都内で発生した──」
「ひゃっ⁉︎」
画面いっぱいに現れた“人間”の姿に、セリシアは思わず数歩後退した。
「人⁉︎ なんで板の中に⁉︎」
慌ててテレビの後ろへ回り込む。
「い、いない……!? 一体、どんな魔道具なの!?」
(まさか、魂を閉じ込めて……いや、これは幻術? それとも小さい人がはいってる?流石にそれはないわよね?)
真剣そのものの表情でテレビと格闘していたセリシアだが、ふとあるものに気づくき、視線を移す。
「ん?アレは?」
今度は、その隣に鎮座する黒くて大きな箱──冷蔵庫が目に入った。
(……また、見たことのない不思議な箱。これは……何?)
そっと手をかけて扉を開けると──中から冷たい風と光が漏れ出た。
「ひゃっ……!? つ、冷たいっ!? 何この箱、氷の魔法かしら!? え、でも中に果物とか入ってる……」
(保存するための……氷の箱? これは食料庫……? すごい……!)
セリシアの碧眼がきらきらと輝き始める。
「すごい……魔法道具じゃないのに、こんなに冷たい風が出るなんて……ここにある道具って一体何なの……!」
興味が好奇心へと変わり、次々と部屋中を探索し始める。
壁に刺さった穴、音を鳴らす箱、謎のスティック(リモコンの替え)、ボタンを押すと液体が出る筒──
そのすべてが、セリシアにとっては“未知との遭遇”だった。
「なんだか……すごく面白い……!」
さっきまで警戒していた勇者の顔は、すっかり冒険者のそれに変わっていた。
⸻
一方その頃──
一階、居酒屋「えにし屋」では、悠真が最後のお客を見送ったところだった。
「ありがとうございましたー……ふぅ」
扉を閉めた後、悠真は深くため息をつく。
(……やっぱマズいよなぁ。いくら事情があるって言っても、若い女の子をいきなり部屋に上げるなんて……)
(もし未成年だったら……アウトじゃん? 変な誤解されたら通報案件……っ)
両手で顔を覆いながら頭を抱える。
「とにかく、ちゃんと話をしよう。……あの子が何者なのか、それを聞いて……どうするか決めよう」
店の戸締りを済ませ、階段を駆け上がっていく。
「ごめん、セリシアさん! 長いこと待たせて!」
居酒屋の営業を終え、慌てて二階に戻ってきた悠真に、セリシアは勢いよく振り返った。
「ユーマ! ユーマ! これ、なんなんですか⁉︎」
彼女はぴしっとテレビを指差していた。
「ああ、それは“テレビ”っていうもので……映像を映す道具だよ」
「てれび……。どういった構造なのです? 映っていた人は……どこへ? 板の中に入ったの?」
「あ、えっと、録画された映像が──」
「では、アレは⁉︎」
と、今度は冷蔵庫を指差す。
「あれは冷蔵庫。中を冷やして食べ物を保管する道具だよ」
「なるほど! どうりで中のものが冷たかったのですね! どれも本当に不思議で素晴らしい道具です!」
セリシアの瞳は好奇心でキラキラと輝いていた。
(すごいな……ついさっきまで警戒してたのに、もう探検家モードみたいになってる)
その後も、セリシアの質問攻めは止まらなかった。
コンセントは魔力の穴か、エアコンは風魔法か、トイレのウォシュレットは水精霊の仕業なのか──
あまりの勢いに、悠真は一旦手を上げて言った。
「よし、ちょっと一旦落ち着こう! それで、セリシアさん──改めて聞くけど、君は一体何者なの?」
セリシアはぴたりと動きを止め、真剣な表情に戻った。
「……私も、今の状況を完全に理解しているわけではありません。ですが、私はラグノスという世界の“聖王国”に仕える勇者です」
「ラグノス……勇者……」
(嘘をついてるようには見えないんだよなぁ。でも“聖王国”なんて聞いたことないし、“ラグノス”って名前も初耳だ……)
「それで、ここって……どこなんですか?」
「えっと、ここは“地球”っていう世界の、“日本”って国の、“東京”っていう街だよ」
「チキュウ……ニホン……トーキョー……聞いたこともない名前ですね……」
(やっぱり何か完全に別世界から来たって感じだな、これ。でもそれを信じるにしてもなぁ。)
「取り敢えず、セリシアさんが俺の知らない世界から来たっていうことを確認したいんだけど…。そうだなぁ、特別な力が使えたりとか。魔法?みたいな。」
「特別な力……そうですね」
考え込むセリシア。
(映画とかアニメじゃあるまいし、さすがにそれはないか。どちらかといえばラノベ展開だよなぁ。)
半信半疑の悠真をよそに
セリシアは静かに右手をかざすと──
キィン……
淡く輝く光とともに、一本の美しい剣が現れた。
「これが、聖剣カリス・レイヴ。聖王国に伝わる神器で、勇者しか扱うことができません」
「え、今、剣が……いきなり……出た⁉︎ まって、ラノベじゃん……これマジでラノベ展開じゃん!」
悠真は思わず後ずさった。
「聖剣は、持ち主と意思を共有します。今は“待機状態”にしてありますので、危害はありません。大丈夫です」
「お、おう……」
悠真はなんとか落ち着きを取り戻し、深呼吸する。
「これは多分、もうそうだよなぁ」
「多分…ですか?」
「恐らく、セリシアさんは“異世界”からこっちに来ちゃったんだと思う。魔法陣って言ってたし、転移魔法の類じゃないかな」
「異世界……まさかとは思いましたが……そう考えると、今までのすべてに説明がつきますね……。ここにある物は私の知っている常識と大きく異なりますから。」
セリシアは小さく頷いた。
「それで……この後、どうするつもりなの?」
「それが……私にもまだ分かりません。どうやって戻るのか、あるいは戻れるのかも……」
一瞬、寂しげな影が彼女の表情を曇らせた。
(……流石にこの子を一人で放り出すわけにはいかないよな)
「ねぇ、セリシアさん。もし良かったら、帰れる目処が立つまで……ここに住んでみない?」
「え……よいのですか?」
「うん。空き部屋もあるし、一人増えてもこっちは全然問題ないよ。むしろ誰かいた方が、俺も助かるかも」
セリシアは目を丸くして、それからふわりと微笑んだ。
「……ユーマ、感謝します。あなたは……本当に優しい方ですね」
「いや、そんな……じゃあ、今日からよろしく!」
「ええ、こちらこそ、よろしくお願いします!」
と、悠真がタンスをゴソゴソ探り出す。
「とりあえず、これ着て。寝間着代わりに」
そう言って渡されたのは、くたびれたスウェット上下。
「これは……?」
「今はこれしかなくてさ。男物だけど、さすがに甲冑のまま寝るわけにはいかないでしょ?」
「……ありがとう。本当に、何から何まで感謝してもしきれません。うん? この衣の素材は……綿ではない?いや、魔獣の毛皮の感触とも違う……」
(あ、これまた長くなるやつだ……!)
「と、とにかく! 部屋案内するから! あと、お風呂の場所もね!」
こうして、セリシアの質問タイムは第二ラウンドへと突入する。
そしてその夜──
勇者セリシアの、異世界での最初の一日が静かに終わりを迎えた。
(……きっと、これからもっと色々あるんだろうな)
悠真は、月明かりの差す窓を見上げながら、眠りに落ちていった。