第十八話 揺らぐ世界、響く決意
悠真たちの世界で異変が起きる寸前
蒼く波打つ空間の流れが、静かに、しかし確かに蠢いている。
それは世界と世界をつなぐ“次元の回廊”――
世界を越えし者たちだけが踏み入る、境界線の彼方。
その中を、三つの影が迷いなく飛翔していた。
銀色のショートヘアを風に揺らすリア。
青く長い髪をたなびかせる、凛とした雰囲気のシェリア。
そして、鋭い眼差しを宿す、短く刈り込んだ茶髪の男――グレイ。
かつて“セリシア”と共に世界を救った仲間たち。
今度は、その彼女を救うために、世界を超えて駆けている。
「……本当に、この先にセリシアはいるのか?」
グレイの声には、焦りや恐れはなかった。
あるのはただ、確信に近い覚悟と、闘志だけ。
「はい。間違いありません」
先頭を飛ぶシェリアが目を閉じ、長い睫毛の影を頬に落としながら、魔力の流れを探るように囁く。
「セリシアさんの魔力を……確かにこの先から感じます。それに……」
言葉を区切ったシェリアの表情が、ほんの一瞬だけ曇った。
「……魔王の魔力も、すぐ近くに……!」
「……なっ…… !?」
リアが目を見開いた。
思わず拳に力がこもる。胸に去来するのは、恐怖ではない。
――怒りだ。
「じゃあ今も……セリちゃんは、魔王と……!」
「恐らく交戦中でしょう。急ぎましょう。これより先、戦闘態勢に移行します。お二人に魔力感覚を共有します!」
シェリアの白く細い手が空をなぞるように動き、淡く輝く魔法陣が浮かび上がる。
光の粒が舞い、リアとグレイの周囲を包み込んだ。
途端、意識の中に“流れ込んでくる”――
すると、二人は二つの強い魔力を感じた。
セリシアの魔力。
そして、魔王の禍々しい魔力。
「……間違いない。アイツだ。あの禍々しさ……魔王以外にあり得ない」
「グレイ、私が先に矢を放つ。あなたはその直後に追撃して。シェリアは後方支援をお願い!」
「了解」
「わたしもすぐ動けるようにしておきます。リアさん、準備を」
リアは頷くと、背中から弓を引き抜いた。
――聖弓《ルクス=ディヴァイン》。
エルフの神域に受け継がれてきた、神聖魔法を宿す伝説の弓。
矢を番えた瞬間、空中に紋章が浮かび、光の術式がリアの腕から矢先へと伝っていく。
術式は呼吸に合わせて明滅し、空間そのものを震わせる。
「……行こう。セリちゃんを、絶対に助けるんだ」
「今度こそ……後悔はしない」
「空間を抜けます!」
音もなく、世界が裂けた。
視界が一瞬で反転する。
同時刻――現世。悠真たちの世界。
河川敷の夏祭り、ドローンショーの終盤。
「……いっけぇぇっ!!」
リアの叫びと共に、闇を切り裂くように放たれた、神聖なる“光の矢”――
その矢は、異常を起こしていたドローンの渦――その中心から魔王ルシアへ迷いなく放たれた。
大気が震える。
風が逆巻く。
そして――
⸻
破砕音と共に、無数のドローンが砕け散り、空を舞う火花の中。
ルシアの瞳は、空間を裂いて現れた三人の影――リア、シェリア、そしてグレイを鋭く捉えていた。
「魔王ルシアっ!!」
叫びと同時に、グレイが空を蹴る。
雷を纏った剣が、稲妻の軌跡を描いて一直線にルシアへと迫る。
瞬間――
「チッ……!」
ルシアが鉄扇を開き、雷光の刃を受け止める。
金属が軋む鋭音と同時に、圧倒的な衝撃波が爆ぜた。
地面が割れる。
ビルの屋上に走るヒビが一瞬で広がり、轟音とともに崩落を始めた。
「悠真っ、危ない!!」
「えっ、うわっ!?」
「きゃあっ!?」
悠真と美沙が崩落に巻き込まれそうになった、その刹那。
セリシアがその二人を軽々と抱き上げ、宙を翔ける。
抱えられた二人の心臓が、恐怖と驚きで高鳴る。
セリシアの視線が、砂煙を上げ崩れかけのビルを捉えた。
(さっきのはやっぱり…)
一瞬のうちに離れたビルへと跳躍し、安全な場所へ着地する。
その動きは、人間の枠を軽々と超えていた。
「うそ……」
「え、今の、何……?」
呆然と呟く美沙の隣で、悠真も口を開けたまま立ち尽くしていた。
セリシアはすぐに二人の様子を確かめる。
「怪我は……ありませんか?」
「うん、大丈夫……」
「わたしも……でも……セリちゃん、今、空飛んだよね? 二人抱えて?」
困惑する美沙の言葉に、セリシアは眉を曇らせる。
(やっぱり、皆来てしまったんですね…)
目を伏せ、小さく震えるように呟いた。
「ごめんなさい……私……」
(わかっていた……いつかこうなるって……この世界での平穏が永遠じゃないことくらい。
でも私は……悠真と、美沙との時間が……あまりにも心地よくて――甘えてしまっていた……)
ぎゅっと拳を握り、セリシアは深く頭を下げた。
「私のせいで……巻き込んでしまって、本当に、ごめんなさい……!」
その声は震え、肩も細かく揺れていた。
その姿に、思わず――
「セリちゃん!」
美沙が駆け寄り、セリシアを抱きしめた。
「え……?」
セリシアの目が驚きに見開かれる。
「なんでそんな顔するのかわからないけど……セリちゃんは悪くないよ。絶対に、何にも悪くない!」
「み、美沙……」
「ねぇ、悠真さんもそう思うでしょ?」
「……ああ。オレもそう思ってるよ。セリシアは、何も悪くない」
その言葉に、セリシアの目から涙がこぼれ落ちた。
「……うっ……ありがとうございます……!」
「それとねっ!」
美沙は抱きしめていた腕をほどき、セリシアの両肩を掴む。
「落ち着いたら、セリちゃんとルシアさんのこと、ちゃんと聞かせてね? 悠真さんはなんか知ってるみたいだけど、でも私は、セリちゃんの口から、聞きたいの」
そのまっすぐな言葉に、セリシアは涙を拭い、微笑んだ。
「はい……!ありがとう、美沙」
その様子を、悠真は静かに見守る。
彼の視線の先には、まだ崩落の煙が立ち上るビルの屋上。
「……ルシア、大丈夫かな」
その言葉に、セリシアも振り返る。
(ルシア……)
彼女の中で、ある決意が芽生える。
「私、行ってきます。ルシアは……大切な仲間ですから」
その言葉に、悠真はわずかに眉を下げ、苦笑を浮かべた。
「……俺も、本当は行きたい。でも、きっと足手まといになるよね」
美沙も唇を噛みしめ、うつむく。
「私も……一緒に行っても、きっと何も出来ない。悔しいけど……」
セリシアは、そんな二人に強く首を振った。
まるでその想いを全否定するように。
「そんなことはありません。悠真と美沙がいてくれるから、帰る場所に二人がいるから……私は頑張れるんです」
その言葉に、悠真が小さく目を見開き、やがて頬を緩めた。
「……そっか」
「うん……。なら……私達、待ってるから!」
次の瞬間、セリシアの右手に光が集まり、眩い輝きが夜を裂いた。
聖剣が形を成し、その刃は微かな唸りをあげながら現れる。
蒼白な月明かりと聖剣の光が、彼女の姿を包み込む。
悠真が穏やかに、けれど確かな声で言った。
「セリシア……行ってらっしゃい」
美沙も力いっぱい手を握りしめ、叫ぶ。
「セリちゃん、絶対に……ルシアさんと帰ってきてね!」
「……はいっ!」
力強く頷いたセリシアは、一歩踏み込み、風を裂くように宙へと跳躍した。
その背中を、二人はただ真っ直ぐに見送る――帰ってくることを信じながら。
目指すは、ルシアの待つ戦場――
崩れかけた、あのビルの頂へ。
空に舞う花火の残光の中を、一筋の光が駆けていった。
――光と闇が交わる、その狭間へと。
崩れかけたビルの屋上。
グレイは咄嗟に後退し、まだ崩落していないフロアの端へと滑り込む。
そこへ、空を裂いて飛来したリアとシェリアが合流した。
「グレイ、大丈夫っ!?」
「……ああ、問題ない。かすり傷ひとつ無い」
息を整えながら、グレイは剣を握り直す。
シェリアは空中で静止し、周囲の魔力の流れを読み取ると、眉をひそめて言った。
「油断は禁物です……魔王は、まだ――生きています!」
彼女の言葉に呼応するように、沈黙していたビルの中央――崩れた床の向こうに、ゆらりと“それ”が現れた。
舞い上がる砂煙の中から、ゆっくりと浮かび上がる人影。
禍々しくもどこか荘厳な、黒を基調とした着物。
その布地が風に揺れるたび、魔力が空間を震わせる。
ルシア。
その姿は、もうかつてこの世界で笑っていた「ルシアさん」ではなかった。
完全に“魔王”の装束をまとい、かつて彼らが対峙した存在へと戻っていた。
だが――口を開いた彼女の声は、どこか呑気だった。
「……まったく、どうしたもんじゃろなぁ。ビルは壊すし、騒ぎは大きくなるし……さくらのマスターにどう説明すればええんじゃろ……」
ため息混じりにそう呟く様は、緊張を忘れさせるほどの緩さだった。
だが――
「……っ!」
リアは唇を噛みしめる。
グレイも、シェリアも、一歩も気を緩めていない。
なぜなら彼らは知っていた。
この魔王が“本気”になったときの恐ろしさを。
先ほどの雷撃をほぼ無傷で受け止め、あの余裕を見せることができる強さを――。
「魔王ッ! 貴女の目的は何ですか!?」
シェリアが鋭く問い詰めた。
「何故この異界に来たのです!?そして、セリシアさんをこの世界に連れてきた理由は!?」
空気が凍りつく。
ルシアの目が、静かに細まった。
「目的……? それをお主らに語る義理は、ないのぉ」
その声に、圧が宿る。
一瞬で空気が重たくなり、肌を刺すような魔力の流れが周囲に渦巻く。
グレイが声を絞り出す。
「シェリア、セリシアは……今、どこに?」
「近くにいます……この場の状況も把握しているはずです。必ず、こちらへ来るでしょう」
「なら、その時まで――」
リアが構えを取りながら口を挟んだ。
「――私たちで、できるだけ魔王を削っておく。そういうことね」
三人は頷き合い、覚悟を交わす。
「……ふむ、算段は済んだようじゃな」
ルシアがゆるりと扇子を開き、横に一閃するように振る。
瞬間。
三人の足元に、淡く光る複雑な紋様が広がった。
「こ、これは…… !?」
「転移魔法…… !?」
「まさか……!」
ルシアの声が、柔らかくも残酷に響いた。
「ここで暴れられても困るでの。お主らには、我が“庭”で踊ってもらおうかのぉ」
光が三人を包み込み――瞬く間に、姿を消した。
そして、ルシアも自らの魔法陣を展開し、転移しようとしたその時――
「ルシアっ!!」
鋭く切り込むような声が響いた。
ルシアが振り返ると、そこには――
心配そうな顔をしたセリシアが立っていた。
ほんの一瞬、ルシアの瞳が柔らかく揺れる。
「……心配するでない」
まるでそう言いたげな、苦笑いを浮かべると――
そのまま、何も言わずに転移魔法に飲み込まれて消えていった。
残されたセリシアの髪が、風に揺れた。




