第十四話 晴人リスタート!
商店街から少し外れた閑静な路地に佇む、お洒落な美容室。
大きなガラス張りの入口。外から中が見える開放的な店内は、白と木目を基調とした温かみのある空間だった。
「それで、どういった形にしましょうか?」
若い美容師が、鏡越しに優しい笑顔を向ける。
「まず、後ろの髪バッサリ切ってください。全体的にスッキリする形に。あと……この、薄くなってる部分。周りの髪で自然にカバーできますか?」
代わりにそう答えるのは、美沙だった。
晴人は椅子に座りながら、所在なさげに目を泳がせる。こんなお洒落な美容室に来るなんて初めての経験だ。いつもは適当な床屋で、数十分で終わる機械的なカット。それが今日は、まるでドラマのワンシーンみたいな空間で、美容師と若い女性に囲まれている。
「ふむ、まずは見た目から変えるのじゃな」
ルシアが腕を組みながら頷く。
「美沙、ずっと“見た目が九割”って言ってましたからね」
セリシアがクスクス笑う。
「あたりまえでしょ?第一印象って超重要なんだよ? 街コンもお見合いも、最初は外見からしか判断できないんだから」
美沙は自信たっぷりに言った。晴人は苦笑するしかない。
だが――
(本当に、僕なんかが変われるのか……?)
半信半疑の晴人の気持ちは知ってか知らずか、美容師の手が動き出す。
ハサミの音がリズミカルに響く。髪が軽やかに床へと落ちていく。眉毛が整えられ、乱れていた髭も丁寧に剃られ、シェービングジェルの爽やかな香りが鼻をかすめた。
少しずつ――少しずつ、晴人の中に妙な感覚が芽生えていく。
(なんだろう……身が引き締まるというか……)
「……完成です」
美容師の声に目を開けると、鏡の中にいたのは――見慣れた中年男ではなかった。
後ろはスッキリと刈られ、トップはふんわり自然に立ち上がるように整えられていた。薄かった部分も、工夫されたカットとセットで違和感がない。眉毛の形一つで、顔の印象がぐっと若返っていた。
「おお……! これは……!」
ルシアが目を丸くする。
「すごいです! 全然違う人みたいじゃないですか!」
セリシアが思わず前のめりになる。
「うん、すごく清潔感があるし、カッコ良くなったね!」
鏡の前で戸惑う晴人に、美沙がニコッと笑いかけた。
「じゃ、次は服選びね!」
「どこに行くんですか?」
「それは……」
美沙は腕を組んで、ぐるりと皆を見渡す。
「代官山でーす!」
⸻
代官山。洗練されたブティックが並ぶ街を、一行はゆっくりと歩いていた。
「方向性としては、清潔感あふれる“大人の男性”でいこうと思ってるんだよね〜」
そう言いながら、美沙はファッション雑誌を開きつつ、店のショーウィンドウをキラキラした目で見つめていた。
晴人はというと、どこか落ち着かない様子で背中を丸めていた。
「で、でも、そんなお洒落とか自信ないし……」
「大丈夫!今の晴人さんは素材がいいから、あとは磨くだけ!ねっ、セリちゃん!」
「はい!きっと素敵になりますよ、晴人さん!」
早速一軒目のセレクトショップに入り、美沙が晴人に次々と服を手渡す。
「これ、シンプルだけど色味が絶妙。インナーは白のカットソーで抜け感出して、上からこのネイビージャケット。うん、絶対似合う!」
晴人はすっかり着せ替え人形と化していた。
「えっと……これを着ればいいの?」
「うん、早く着替えて!試着室こっち!」
試着室のカーテンが閉まり、その隣ではセリシアが落ち着いたモスグリーンのシャツを手に取っていた。
「この色……晴人さんの優しい雰囲気に合いそうです」
「おっ、それイイじゃん!しかもこの素材、ちょっとリネン混ざってて季節感もあるし!」
「えっと……ズボンは、これなんかどうでしょう?」
「それなーっ!セリちゃん、今日冴えてる!」
美沙とセリシアは女子高生さながらのテンションで盛り上がっていた。
その頃、別の試着室からシャーッという音と共に現れたのは――ルシアだった。
「ふふ、どうじゃ。我にぴったりではないか?」
黒髪をアップにまとめ、白く透き通る肌に映えていたのは、深藍のノースリーブブラウス。背中側にはレースがあしらわれ、動くたびに繊細に揺れる。下は白のロングフレアスカートで、足元にはヌーディーなサンダル。それは、夏の都会に咲く、夜の花のような気品だった。
その美貌に、店内の客たちの視線が一斉に向けられる。
「ル、ルシアさん……すごく似合ってる!」
「もう、ルシア遊んでる場合じゃないんですよ⁉︎晴人さんの服を――」
「ふん、ちゃんと合間をみて見繕っておいたわ。これなど、どうじゃ?」
「ついでかいっ!」
美沙がツッコミを入れつつ、ルシアが差し出した服を受け取る。セリシアも、それに目を向け、驚きの声を上げた。
「この服……」
「全体的に……高級感あるけど、やりすぎてなくて絶妙……!」
「ふふ、どうやら決まりのようじゃな」
ルシアが妖しく微笑んだ。
そしてついに――
シャーッと試着室のカーテンが開き、晴人が姿を現す。
そこに現れたのは、柔らかなグレージュの半袖ニットに、白のカットソーがちらりとのぞく重ね着スタイル。
ボトムは細身すぎず緩すぎないアンクル丈のベージュパンツ。
足元には、ホワイトレザーのローファーがさりげなく光る。清潔感と落ち着きを兼ね備えた大人のスタイルがそこにあった。
「おぉ……」
三人が、息を呑む。
「うん、いいっ!思い描いてた“理想の晴人像”になった!」
「すごく素敵です。今の髪型とも、すごく合っていて……」
「ふふ、我のセンスに間違いはなかったようじゃな」
ルシアはどこか誇らしげに腕を組む。
晴人自身も、鏡の中の自分を見てしばし絶句していた。
「これが……僕?まるで別人みたいだ……」
その表情は、どこか誇らしげで、自信に満ちていた。
「よし、これであとは街コンの立ち回りだけど……それは“えにし屋”に戻ってからだね。でもその前に……せっかく代官山に来たんだし、私達もちょっと楽しんじゃおっかな!」
「はい!晴人さんの服を選んでたら、私も欲しくなってしまいました……」
少し照れた様子でセリシアが呟く。
「結局、お主らも自分の服を選びたいだけではないか……」
と呆れつつ、ルシアもまんざらではない表情。
こうして、第二ラウンド――
**「女性陣のファッションハント」**が始まった。
その間、晴人は店の外のベンチで待つことに。ふと見上げると、夏の空がゆっくりと色を変えていく。
「……なんだか、少しだけ自分が変われた気がするな」
そう呟きながら、ベンチから立ち代官山の街並みを歩き出す晴人。
彼の物語もまた、少しずつ新しい章へと進んでいた。
代官山の洒落た通りを、晴人は一人歩いていた。ガラス張りのブティックの前で、ふと立ち止まる。
ショーウィンドウに映る自分。自然な形に整えられた髪、ルシアがコーディネートした服を着たその姿をまじまじと見つめる。
(……なんか別人みたいだ)
姿勢も、どこか変わった気がする。
(こんな僕でも……変われるんだな)
自信とまでは言えない。でも、小さな光が胸に灯っている。
再び歩き出そうとしたその瞬間。
「――っ!」
ドンッ!
「あ、す、すみません!」
軽く肩がぶつかった。相手は、若い女性。オーバーサイズの半袖Tシャツにミニスカート、流行りの厚底サンダルを合わせた典型的な女子大生スタイル。
「いったぁ〜……」
わざとらしくお尻を撫でてみせる彼女。その瞬間、どこからか男が現れた。彼女よりやや年上に見える。短めのマッシュヘア、シルバーアクセをじゃらつかせた今風の大学生だ。
「綾ちゃん、大丈夫!? ケガしてない?」
「先輩ぃ……このおじさんがぶつかってきたの」
「はあ?」
男の目が、刺すように晴人を睨んだ。
「あ、いや、すみ、すみません。僕が…前をちゃんと見てなくて…」
「おっさんさぁ、何してんの?こんなとこ、場違いだろ?」
男があからさまに馬鹿にしたように口角を上げる。
「いや…その…すみません」
「つーかその格好なに?ふふっ、無理して“若作り”してる感が痛いんですけど~」
「やめてくださいよ先輩〜、おじさんだって、頑張ってるんですから〜。……今更、誰に見せるつもりかは知らないですけどぉ〜」
女子大生も、つけまつげが揺れるほど目を細めて笑う。鼻で笑い、見下すような視線。
「おじさんって、もしかして勘違いしてるの?オシャレしたら、若い子にモテるとか? やば〜……まじ無理…」
冷たい言葉が晴人の胸に突き刺さる。さっきまでの小さな自信が音を立てて崩れていく。
(やっぱり、無理なんだ。僕なんかが、おしゃれしても…)
俯き、立ち去ろうとしたその時だった。
「――こんな所にいたんですね、晴人さん。探しましたよ」
その声は、まるで映画のワンシーンのように響いた。
右腕に、柔らかな重みを感じる。
振り返ると、美沙がいた。
新しく購入した服──アイボリーのノースリーブニットに、深緑のフレアスカート。足元はベージュのヒール。普段の元気な印象とは打って変わり、凛とした大人の色気をまとった美沙が、甘えるように晴人に寄り添っている。
その瞬間、反対側の腕にも重み。
「本当に、心配したんだから……あなたがいないと、私、ダメなのよ」
それはルシアだった。
先ほどのロングスカートに、オフショルダーの白いブラウス。長い黒髪が風に舞い、濃密な香水の香りがふわりと漂う。口調も普段とは違い、まるで艶やかな女優のように。
そして――
「晴人さん……」
目の前にセリシアが歩み出る。
清涼感のあるブルーのシャツに、白のショートパンツ。動きに合わせて揺れるナチュラルウェーブの髪。少女のような透明感の中に、大人びた品格が混ざる。
「やっぱり、晴人さんの胸は落ち着きますね……」
優しく、胸に顔を預けてくる。
完全に“両手に花”どころではない状況。
目の前の大学生カップルは、完全にフリーズしていた。
「な、なんで……?」
「う、うそ……モデル……?芸能人……? あんなおっさんが……?」
スタッ。
美沙が一歩、大学生の方へと近づく。
「……あら、いい男かと思ったけど、まだ“子ども”だったのね。残念。晴人さんの方が、ずっと素敵だわ」
「こ、子ども……!? 俺が……?」
ルシアも前に出る。美しい横顔に冷笑を浮かべて。
「可愛い服装ね。私も昔はそういう“子どもっぽい”服、着てたわ。今じゃ……恥ずかしくて着られないけど」
「な、なにそれ……わたし、こどもっぽい……?」
そして、セリシアが彼らの前に立ち、微笑みを浮かべる。
「もしよければ……あなたたちに、私たちが本当のコーディネートを教えて差し上げましょうか?」
その言葉は、柔らかく、けれど圧倒的な“威圧感”を帯びていた。
その後ろから、美沙とルシアが鋭い視線を投げかける。三人の美貌、気迫、気品。全てが、大学生カップルを飲み込んでいた。
「う、う……わ、わたしたち……、行こ、先輩っ!」
「お、おう……」
大学生カップルは言葉を失ったまま、逃げるようにその場を立ち去った。
静寂。
「……な、なにが今……?」
晴人は、ようやく息を吐いた。
「ふふ、晴人さん。ああいう時は、こっちが“格”を見せてあげるのが一番なんですよ?」
美沙がウインクする。
「まったく、我がいなければ、お主きっと泣いて帰っていたな」
「でも、晴人さん……堂々としてましたよ。私は、素敵だったと思います」
三人の言葉に、晴人の胸にまた、小さな自信の灯が戻ってくる。
少しだけ、背筋が伸びた気がした
夕暮れの街を歩きながら、一同はひと騒動を終えた後の安堵と、どこか気恥ずかしさを噛みしめていた。
「一体何があったのかとびっくりしたよ」
晴人が、どこか呆れたような、それでいて嬉しそうな声で言った。
「あはは、ごめんねぇ。でもさぁ、ああいうの見ると、黙ってられないのが私の性分でね」
美沙は、いたずらが成功した後のように、ケラケラと笑いながら肩をすくめた。
「まったくじゃ。話を聞いたときは耳を疑ったわい。それに、普段言わんようなことを口にさせられて……余計に疲れたのう」
ルシアはふぅとため息をつきながらも、どこか楽しそうだった。
「……恥ずかしかった……です」
小さくつぶやいたのはセリシアだった。
彼女は真っ赤な顔を両手で隠し、うつむいて歩いている。耳まで赤く染まり、まるで茹で上がったトマトのようだ。
──あの時のことを思い出すだけで、胸が苦しくなる。
(わ、私……あんな格好で、あんな事を……!)
確かにあれは、晴人に格好をつけさせてやるための”演出”だった。偶然にも皆が買ったばかりの服を着ていたことで、美沙が閃いた即席の”舞台”。でも、まさか、自分がそんな演技めいたことをする日が来るなんて──。
(それに……悠真に、見られたら……)
その名前を思い浮かべた瞬間、何故かセリシアの鼓動が跳ねた。
「ごめんごめん。でも皆ノリノリだったじゃん?」
と美沙が笑いながら言うと、ルシアが肩を竦めて、
「まあ、愉快ではあったな。我も、ああいう遊びは嫌いではない」
「……わ、私は恥ずかしかったです……」
セリシアはまた呟いたが、その声は小さく、誰の耳にも届いたかどうか。
「皆さん、本当に……ありがとうございました」
晴人が改めて頭を下げる。その姿に、セリシアは小さく微笑んだ。救われたのは彼だけじゃない。あの場にいた自分たちも、それぞれ何かを感じたはずだから。
「まあ、婚活アドバイザーとして当然の事をしただけよ? そんなに気にしないで」
美沙はサラリと言いながらも、満足そうに胸を張る。
「ふむ。悠真に話してやれば、きっと大笑いするであろうな」
ルシアが、にやりと口角を上げて言った瞬間──
「ゆ、悠真に言うんですか⁉︎」
セリシアの反応は、異常とも言えるほど早かった。
彼女はガバッと顔を上げ、声を上ずらせ、ルシアの方に詰め寄る。
「ん? だめなのか?」
ルシアが目を瞬かせると、
「い、いえ! 別にダメって訳じゃないですけど……」
セリシアは再び顔を赤らめ、口ごもった。ついさっき、あんなにも堂々と振る舞っていたとは思えないほど、今は乙女そのものだった。
そんな彼女の様子を見て、美沙はふと何かに気づいたように、優しく笑った。
「……まぁ、取り敢えず早く帰ろうか。店は今夜も開店するんだし、悠真さん一人に任せちゃ悪いもんね」
「あ、はいっ! そうですねっ! 悠真に負担をかけるわけにはいきませんから、早く帰りましょうっ!」
まるで逃げるように、セリシアは先頭を切って駆け出した。
(……私、一体どうしたんでしょう……)
その背中は照れ隠しを装いながら、しかし真剣に”誰か”を想っていた。
ルシアはその後ろ姿を見つめながら、面白そうに目を細めた。
「お主……」
「それ以上言うのは野暮だよ、ルシアさん?セリちゃんにとってはね」
と美沙がそっと口にする。
「……ふふ、確かに。これはこれで、愉快な未来が待っていそうじゃな」
その横で、晴人はまだ完全には理解していないように、ぽかんと口を開けていた。
だが、それもまた、えにし屋らしい一幕だった。
ガラガラ――という引き戸の音と共に、
「ただいま戻りました!」
と元気な声が店内に明るく響く。
「おう、おかえりセリシア。それに、みんなも」
厨房から顔を出した悠真が、ふと後ろの人物に目を留める。
「……晴人さん?」
「はい……」
少し照れくさそうに笑う男――晴人。その佇まいは以前とどこか違っていた。
「雰囲気、随分と変わりましたね。なんか、すごく良いです」
「……ありがとうございます」
晴人は、思わず背筋を伸ばした。
それを見ていた悠真は、心の中で小さくガッツポーズをした。
彼の目に宿る光が、何より嬉しかった。
「さて、対策の話だけどさ――」
美沙がふと周囲を見回す。
「お店もそろそろ開けないとだし、続きの打ち合わせは日を改めたほうがいいよね?」
「うむ、確かにの。今日は色々ありすぎたわい。こんな日は酒をキューっと……」
「ダメです!働いてください!」
セリシアの鋭いツッコミが炸裂する。
「おぬしは相変わらず堅いのう……」
ルシアが肩をすくめ、いつものえにし屋の光景が戻る。
その和やかな雰囲気を、晴人はただ静かに眺めていた。
どこか懐かしく、そして温かい。
「じゃあ、晴人さん。打ち合わせの続きは――」
「いえ、もう十分です」
晴人が一歩、前へ出た。
「自分のことは自分で考えてやってみます。いえ、やってみたいんです」
その目には、確かな光が宿っていた。
かつて、誰かの陰に隠れていたような、あの目ではない。
「え? でも、急に無理しなくても――」
「僕、ずっと自分に甘えてたんです。現実から逃げて、都合の良いものだけを見て……落ち込んで、勝手に塞ぎ込んで。思い返せば、本当に情けない男でした」
言葉を飲み込むように、晴人は深く頭を下げた。
「でも今は、違います。あなたたちがくれたきっかけで、自分を見つめ直せた。だから――ありがとうございます」
しん、と静まった店内に、彼の言葉が沁み渡った。
「晴人さん……応援してます」
「うん、今の晴人さんなら絶対大丈夫だよ!」
「まぁ、せいぜい頑張るがよかろう。人の縁はどこで繋がるかわからんしの」
「晴人さん、良いご報告を心よりお待ちしております。また、いつでも来てください」
ガラガラ――と、扉の音が再び鳴る。
晴人の背中は、以前とはまるで違っていた。
「僕だって……できるんだ」
商店街の喧騒の中へ、晴人は自信に満ちた足取りで消えていった。
⸻後日談⸻
晴人が新しい一歩を踏み出した数週間後――
蝉の声が遠ざかり、涼やかな風が町を通り抜けはじめる頃。
えにし屋のカウンターに、ひとりの年配の男性が座っていた。
「悠真くん。あいつが世話になったようで、礼が遅れてすまなかったな」
相澤将太(69)、晴人の父であり、商店街で長年クリーニング店を営んできた男だ。
「いえ、そんな。自分たちが勝手にやったことですから」
「それでも、礼は言わせてくれ」
将太の表情は、どこか安堵に満ちていた。
「最近はどうですか? 晴人さんの様子は」
その問いに、将太は穏やかな笑みで答えた。
「おかげさまでな。今は結婚相談所に通って、プロのカウンセリングを受けながら努力してる。少し前には“マッチング”とかいうので、何人かと連絡も取れるようになったらしい」
「そうですか。それは、すごい進歩ですね」
「晴人が変わったのは悠真君達がきっかけをくれたお陰だよ。これまでは、店を手伝っても稼いだ金をアイドルに注ぎ込む始末で……。あいつのことを思って、俺もずいぶん厳しくしてきた。でもな、叱るだけじゃ伝わらなかったんだな。――だから変われたのは、悠真くん達のおかげだ」
静かに、深く、将太は頭を下げた。
「本当に、ありがとうな」
悠真は照れくさそうに笑った。
「晴人さんは、自分の力で変わったんですよ。僕らは、ちょっと背中を押しただけです」
「……そうか」
その言葉に将太はうなずくと、グラスを手にとった。カラン、と氷が音を立てる。
すると、奥から看板娘のセリシアが、別の湯呑みを運んできた。
「もしよろしければ、こちらも。店主の特製ブレンド茶です。リラックスできるようにと、カモミールも加えております」
「おぉ、ありがとう。こうして出されたもんは、素直にいただくよ」
将太は笑いながら受け取り、少しだけ表情を緩めた。
店内には、ほかにもちらほらと客が座っていた。
「……最近、ふと思うことがあるんだ」
「はい?」
「若い頃は、“変わる”ってのは難しいことだと思ってた。でも……年をとってからでも、人は変われるんだなって。息子を見てると、そう思えるようになったんだよ」
悠真はそれに応えるように、ゆっくりとうなずいた。
「えにし屋には、そういう人がたくさん来ます。過去に囚われていたり、ちょっと道を外れてしまった人も。でも、ここで少しでも温かいものを口にすれば、また歩き出せる……そんな場所でありたいと思ってます」
将太は再び湯呑みに口をつけ、少し目を細めた。
そして――
「……また来てもいいか?」
「もちろんです。次はぜひ、晴人さんとご一緒に」
「はは、必ず…」
照れ隠しのような笑いが、カウンターの上にやわらかく響いた。
湯気の立つお茶の香りの中で、確かに――また一つ、小さな再出発の気配があった。
ここは、えにし屋。
人と人の“縁”が、静かに交わる場所。
変わりゆく季節の中で、変わらぬ温もりが、そこにあった。




