第十三話 婚活戦線
暖簾を下ろし、営業が終わった後の《えにし屋》。
普段なら片付けながら談笑する空間に、今日はやや重い空気が漂っている。
「こやつ……美沙にいきなりプロポーズとか、毎度、本当に何考えとるんじゃ?」
カウンター席に座ったルシアが、唐揚げをつまみながらぼやく。
「毎度……って、まさか……」
「うむ。我やセリシアにも同じことを言っておったぞ」
「そうでしたね……」
セリシアが苦笑混じりに頷くと、美沙が絶句した。
「な、なんて無謀な……」
「最近は他のお客様にもやるようになってて、こっちで目を光らせてたんだけど、今日は見逃してしまった……ごめんね、美沙さん」
悠真が申し訳なさそうに言うと、美沙は「はぁ」とため息をつきながら、カウンターの奥で横たわる“彼”を見た。
「それで……この人、どうするの?」
「一応、ご家族には連絡したよ」
「ふざけた息子だな、外に捨てとけ」
電話口からの声は容赦なかった。晴人の父、相澤クリーニングの店主・将太である。
「流石にそれは可哀想で……」
悠真は、椅子を寄せて作った簡易ベッドの上で、白目を剥いて失神している晴人を見下ろしながら、困ったように笑う。
「晴人さん、起きてくださーい」
セリシアが優しく肩を揺さぶると、やがてその白目にうっすらと色が戻り——
「ああ……て、天使……」
とろけた声でセリシアを見つめ、ふらふらと体を起こす。そして——
「天使さまぁぁぁぁ!!!ぼ、僕と結こっ……」
「やめいッ!!」
バチィンッ!!!
次の瞬間、雷の如き鋭いチョップが、晴人の脳天を直撃した。
「へぶぅッ!」
美沙の一撃に、再び意識を飛ばしかける晴人。
「……すみばせん……」
⸻
「晴人さん、最近ずいぶん様子がおかしいですよ?何かあったんですか?」
悠真が真剣な口調で問うと、晴人はバツの悪そうな顔で頭をかいた。
「……いやぁ、ここ最近婚活が全然うまくいかなくて……」
(……知ってるんだよなぁ)
(……知っておる)
(……知ってるんですよね)
(……知らされたんだよねぇ)
居酒屋メンバーの誰もが、口には出さずに既に知っていた情報だった。
「ん? なんか、皆の反応……」
「い、いえいえ、なんでもないですよ」
「そうそう、深く考えないで」
「苦労しておるのじゃな、という話じゃ」
晴人は気を取り直すように、ぽつぽつと語り出す。
「最初は親父から『誰か見つけて落ち着け』って言われて始めたんだけど……やってるうちに、自分も本気で結婚したくなっちゃってさ。でも、全然マッチングしないし、気付けば……16戦16敗……。だから、どんどん自信がなくなって……。それでも、もしかしたら……って思ったら、焦ってしまって……つい……」
悠真がそっと補足する。
「片っ端から“気になる女性”に声をかけてしまったと」
「はいぃ……その通りでございます……」
そのとき、セリシアがふと手を挙げた。
「皆さん。ここは、晴人さんの婚活を、私たちで協力して差し上げるというのはどうでしょうか?」
「……協力?」
「はい。このままでは、いつか他のお客様にも迷惑がかかる可能性がありますし、本人も苦しそうです」
「まぁ、セリちゃんがそう言うなら……うん!手伝うよ!」
「我はせぬぞ」
「もう、ルシアったら! ルシアだって、本当はほっとけないんでしょ?だから晴人さんが泣いてる時に声をかけてあげてたんじゃないんですか?」
「……我にそれを言うか。……し、仕方ない、少しくらいなら付き合ってやってもよい」
(素直じゃないなぁ)
「み、皆さん……ありがとう……ありがとう……!」
「じゃあ今日はもう遅いから、まずは明日の朝9時からにしましょうか。少し時間が取れますし」
「わ、わかりましたっ!」
「一緒に、頑張りましょうね」
「よろしくお願いしますっ!」
——こうして、《えにし屋》による“晴人婚活大作戦”が、静かに始まったのだった。
その結末は……まだ、誰も知らない。
翌朝。
いつもの温もりとは違う、妙な緊張感が《えにし屋》に満ちていた。
「今日は……よろしくお願いしますっ!」
スーツ姿で頭を下げたのは、昨日プロポーズ玉砕&白目昇天した相澤晴人。
着慣れないスーツに身を包み、シャツは微妙に首元が締まりきっていない。靴も、黒くはあるがどこか汚れている。
「任せて!」
バシッとガッツポーズを決める美沙は、どこか婚活アドバイザーというより就活面接官のような目つき。
髪を後ろで結い、ぱりっとしたスーツがやたらと似合っている。
その隣で、首をかしげるのはセリシア。
こちらもスーツ姿だが、どうにも袖が合っておらず、ぎこちない動きでそわそわしている。
「……美沙。なぜ私達が、このような服を?」
「形から入るの、大事だから!」
「形……から……?」
「そう、私たちは今日は“プロの婚活アドバイザー”。その気で行かなきゃ、相手にも伝わらないって!」
「“アドバイザー”……なるほど。ではこの衣装も、戦闘服の一種なのですね!」
(なんか違う……)
カウンターの中、いつものようにエプロン姿の悠真がふっと笑う。
「美沙さん、スーツ久しぶりだね。セリシアも凄い似合ってるよ」
「えっ……あ、あ、ありがとうございます……!」
褒められたセリシアは頬を染め、スカートの裾を小さくつまんでお辞儀する。可憐だ。
一方、カウンター奥。
ルシアは腕を組んで椅子にもたれ、相変わらずの不機嫌フェイス。
「……で、準備はできたのかの?そろそろ始めぬか」
(そう言いながらも、ちゃんと付き合ってくれるんだよなぁ……)
──一
「じゃ、晴人さん、こちらの席にどうぞー」
「は、はいっ!」
スーツのズボンが少しきついのか、微妙に足を引きずりながら椅子に座る晴人。
「そんなに緊張なさらないでくださいね」
セリシアがやわらかく微笑むと、晴人の顔がほんの少しだけほぐれた。
「じゃあまずは、ヒアリングからいきまーす!」
美沙が資料らしきものを開く。気合は十分だ。
「今まで、結婚相談所とか行ったことはあります?」
「相談所……?」
晴人の目が泳ぐ。
「行ってない、って顔ですね」
「う、うん……。あそこってさ、“最後の砦”って感じしない?なんかガチすぎて引くっていうか……僕、まだそこまでじゃないと思ってて……」
(いや、ど真ん中で詰まってるけどな)
「それにさ、お見合いって堅苦しそうで……街コンのほうが気軽だし、ノリで仲良くなれそうっていうか!」
「なるほど……“ノリ”……ですか……」
セリシアが腕を組み、目を閉じて考える。
「じゃ、希望のお相手の条件、教えてください!」
美沙が顔を上げる。
「じゃあ……理想は20代前半の子!見た目は美人もいいけど、やっぱ可愛い系が好きかな〜。職業は気にしない!けど、結婚したらうちのクリーニング店手伝ってくれて、親の介護も協力的な子がいいなぁ〜」
「…………」
凍る空気。
「な、なるほど……」
セリシアがぎこちなく相槌を打つ。
美沙は、資料の紙をそっと伏せた。
「……あのさ」
低い声。
「それ、ガチで言ってる?」
「え、う、うん。だって男としてまだ……」
「黙れや!!!」
バンッ!
美沙がテーブルを叩き、立ち上がった。
その目は、獣のごとき怒りと悲しみが交錯している。
「ひぇっ!」
「晴人。お前、夢見すぎ。20代前半で可愛くて、店手伝って、義理の親の介護までする天使みたいな女、どこにいんの?空想の森か?異世界か?召喚してみ?」
「い、いや……でもテレビとかで……」
「テレビの中の“成功例”はな、レアキャラなんだよ!!」
「っ……!」
「しかも!若い子と結婚してる中年男性は、見た目良し!金持ち!社交的!優しい!包容力MAX!それ全部持ってるからな!」
「……う、ううぁっ……」
「お前、何持ってる? 腹出てる、髪薄い、服ヨレてる、マッチング0。そんな状態で天使待ってるとか、もはやホラー。冗談にも程があるわ!」
「で、でも、介護っていっても手伝うぐらいで……」
「“赤の他人の親”の介護、付き合いも始まってないのに提案する時点で論外だっつーの!!」
「うぅ……」
「現実を見ろ、相澤晴人。あんたの人生を、女が救ってくれるなんて幻想、今ここで卒業しな!!」
その瞬間——
「すとーーーーっぷ!!」
セリシアが割って入った。
「美沙!晴人さん、もう……落ちてます!!」
晴人は、椅子にうずくまり、肩を震わせていた。
その姿はまるで、夕立に打たれた捨て猫。
「ご、ごめん……。ちょっと言いすぎた……」
「いや、正論じゃ…」
カウンターで頬杖をつくルシアが、静かに呟いた。
「……でも、本当に、言いたいことだったんだよ。あんたが憎いわけじゃない。むしろ、そのままじゃ絶対幸せになれないって分かってるから、あたし……怒ってんの」
美沙の言葉には、責任感とやさしさが滲んでいた。
「……うん……ごめんなさい……。僕、ずっと、逃げてたんだな……」
うつむく晴人の肩に、そっとセリシアが手を置いた。
「なら、今から変えていきましょう。焦らず、少しずつでも……私たちが、ついてますから」
「……うん……!」
「なんか、上手い感じに纏まったみたいだね……」
悠真が苦笑いをする
「いや、これはただの茶番じゃろ…」
ルシアが呆れた様な顔になっていた。
そして晴人の目に、ほんの少しだけ、昨日とは違う光が宿った。
——《えにし屋》婚活大作戦、まだ始まったばかり。




