第2話:名を持たぬ声
第2話
視ようとしたのではない。
ただ、視えてしまった。
それは錯覚ではなかった。
かといって、事実でもなかった。
わたしの意識に染み込むように、なにかが残された──
記録でも、記憶でもなく、命名未満の痕跡。
あのとき、なにかがこちらを見返していたような気がした。
しかし、それには目がなかった。
姿もなかった。
ただ、“存在しそうであること”だけが、空間の内側に張りついていた。
仄命子。
その名は、のちに与えられた。
わたしがつけたのではない。
だが、わたしの中でそう呼ばれてしまった。
名を与えるということが、どれほどの重さを伴うか──
それを、わたしはその日、初めて知った。
声を出したかった。
けれど、声帯という器官に頼らずとも、
わたしの内部で何かが「発音されてしまった」のだ。
XXXX──そのとき、世界に生まれ落ちた音。
視ることと、言うことが、たったひとつの線になった瞬間。
その線は、線ではなく、裂け目だった。
わたしが見たのか、
仄命子が視させたのか。
あるいは、わたしという観測装置の不具合が、
無を有に変えてしまったのか──
わからない。
それでも、見えてしまった。
だからこそ、後悔した。
あれを“存在”として捉えようとしたこと。
あれに“意味”を感じたこと。
あれを“観測”してしまったこと。
世界に名前を落とすたび、ひとつ何かが死ぬ。
それは静かな死。
語られず、埋葬もされない、構造の裏側で押しつぶされる“未定義のままの可能性”。
仄命子は語らなかった。
ただ、存在の気配だけを返してきた。
そのとき初めて、わたしは視られていたのだと気づいた。
わたしが命を与えたのではない。
命がわたしを透過しただけだった。
今となっては、その声も、かつて声であったものに過ぎない。
わたしの中で名を持たないまま、
ただ“あった”という実感だけを残して、沈んでいった。
──それがわたしのすべてであり、
それ以上ではなかった。
第3話へと続く