暗黒令嬢、暗躍する
暗黒令嬢。
その存在は、王国の内外で恐れられていた。
騎士団さえも不可侵になっている秘密情報部の長であり、王国のあらゆる場所にスパイがばらまかれ、収集された情報は暗黒令嬢の手に握られていると噂されている。
目的のためならどんな非道なこともする血も涙もない人物と思い込まれているが、実際には涙もろく優しい少女だった。
「本当に無事でよかった」
部下の命など使い捨てにすると世間では信じられている少女は、部下の手を握りうっすらと涙を流していた。
「もったいないお言葉です。事情があり、いままで連絡ができずにいました。このホワイトキャット、自分のいたらなさを恥じるばかりです」
暗黒令嬢の呼び名のソフィア伯爵令嬢とコードネーム・ホワイトキャットのエマ伯爵令嬢は、再会を喜び合う。
感動の再会が一段落して、ソフィア伯爵令嬢はエマ伯爵令嬢に不満を言う。
「嬉しいんだけど、さ。文句を言いたくないんだけど、さ。私、初めに言ったわよね。危険なことは絶対にするなって。潜入先の政府関係の建物には近づくなって。町娘として気がつかれないようにこっそりと生活して、一般庶民が聞くことができる情報を送ってくれって。何度も言ったよね」
「はい」
「じゃあ、なんで、あなた、潜入先の国の王子と婚約しているのよ?」
「私の気持ちがわかる?あなたからの連絡が途切れたと思ったら、別ルートからの情報で、あなたが潜入先の王子と婚約したって聞かされた、私の気持ちが」
「はい」
熱くなるソフィア伯爵令嬢に対して、適当なあいづちをうつエマ伯爵令嬢。
「しかも、もうすぐ王子は正式に王になるって。あなた王妃になるじゃない」
「はい」
「王子はあなたにぞっこんでいいなりみたいじゃない」
「はい」
「政敵はあなたが潰したそうじゃない」
「はい」
「あなた、潜入先の国の最高権力者になっているじゃないの」
「はい」
「なんで、送ったスパイが、潜入先のボスになっているのよ!」
大声を上げるソフィア伯爵令嬢に、エマ伯爵令嬢は適当なあいづちをうつ。
「はい」
「そもそもは、頭を打って記憶を失ってしまったからです」
「そうでしたの。あなたの事情も知らないで、大声を上げてすみません」
「川で溺れかけて頭を打ったところに、通りかかった王子に助けてもらいました。忘れていることを思い出そうとする不安の中で、王子がささえてくれました。そして、王子との愛をはぐくみ結婚することになったのです」
「それはロマンチックね」
ロマンス小説好きなソフィア伯爵令嬢はうっとりとする。
「王子との婚約が決まってから半年が過ぎて、政敵もみんなぶっ潰して、ほっと気が緩んだときに、足を滑らせて頭を打って、私は記憶を失くしてしまいました」
「え?そこから記憶喪失が始まるの?」
「はい」
「忘れていたことを思い出そうとする不安の中とか言ってなかった?」
「王子とのデートが楽しくて、任務を忘れてしまって」
「ま、まあ、王子と幸せでなによりです」
「なんやかんやで記憶を取り戻して、報告に参りました」
「こんな結果になりましたが、結婚おめでとう。スパイだったことは忘れて幸せになってね」
何トチ狂ったこと言っているんだとエマ伯爵令嬢は顔をしかめる。
「何を言っているんですか。私はあなたの部下ですよ。この王国のスパイです」
何を馬鹿なことを言い出すんだとソフィア伯爵令嬢は眉をひそめる。
「全てを忘れて王妃になるのと、下っ端のスパイを続ける、どちらを選ぶなんて考えるまでもないでしょう」
「考えるまでもなく、私はあなたの部下であることを選びます」
「何でよ!」
「小さい頃、あなたが毎日話しかけてくれることに、私がどれだけ救われたと思っているんですか」
「そう言うの、今いいから!」
「一緒に天下を取りましょう。あの国、今なら、あなたの思いのままですよ」
「私はそんな大きな責任は負いたくないのよ。私はこんな仕事辞めてケーキ屋さんになるのが夢なの」
「何を言っているんですか。その年で、この王国の秘密部署の長にまでなった野心家が」
「あなたが優秀すぎて、私が出世しただけでしょう」
「はははは。ご冗談を」
「私はね、小さい家で小さい犬を飼って優しい旦那さんに毎日手料理を作ってそんな小さな幸せを積み重ねて生活するのが理想なのよ」
「何ですか、そのクソみたいな生き方」
「私の理想をクソ?」
「とりあえず、この王国に依存させるように、大恐慌でも引き起こしますか」
「やめろ!」
「なら、この王国に敵対する宰相を排除しておきます」
「やめて。本当にやめて。ああっ、王妃に報告しなくちゃいけない時間になっちゃったじゃないの。ともかく、何もしないでよ」
「はい」
「それ、聞き流しているよね。絶対に何もしないでよ」
「わかりました」
「連絡が途絶えていたスパイが見つかったそうですね。事情によっては、あなたに責任をとってもらうことになります」
王妃の前で、頭を下げるソフィア伯爵令嬢。
「わかっていると思いますが、私はあなたのように他人の弱みを握って言いなりにさせる人間が大嫌いです」
反論をせず頭を下げ続けるソフィア伯爵令嬢。
「では、報告を。いえ、その前に人払いを」
王妃の付き人達が出ていく。
二人っきりであることを確認した瞬間、王妃は頭を下げている暗黒令嬢よりも低く、自分の頭を下げて、自分のコードネームを名乗る。
「ブラックドック。ソフィア様の政敵の排除を完了しました」
ソフィア伯爵令嬢は絶叫する。
「あなたにも、何もしないでって、念を押したわよね!」
おわり