突然の訪問者
古ぼけたアパート二階の1LDKユニット。整頓されているが殺風景な仕事部屋でマサミがパソコンの前に座りモニターを眺めている。ドアがノックされる音に気づき、立ち上がると玄関に向かう。
「ユウジ?」
「違います」
「じゃ誰?」
「ええと……一言で言うのは難しいんです。説明するので入れてもらえませんか?」
マサミがドアを開けると、引き締まった体格をした精悍な顔立ちの男が立っている。マサミ、無表情で男の顔を見上げる。
「どうぞ」
「……知らない相手だってのにずいぶん間単に入れるんですね」
マサミ、かすかに眉を寄せる。
「だって、あなたが入れろって言ったんでしょ?」
「そ、それはそうですけど……」
男、スーツケースを引きずって部屋に入ってくると靴を脱ぎ、テーブルとベッドと小さな調理スペースがあるだけの簡素な部屋の中を興味深そうに見回す。
「昨日の晩、俺はあなたに自由にしてもらったんです。身体を見つけるのに手間取ってしまってすぐに戻って来れませんでした。どうもすみません」
マサミ、無関心な様子で男の顔を見る。男、マサミが何も言わないので続ける。
「……とにかく、これからは封印を解いたあなたが俺の主人になるんです。ここで仕えさせてもらいますのでよろしくお願いします」
「そう」
「そう?」
「いたいならいてくれてもいいけど、今日は仕事が忙しいの。勝手にしててね」
「……何か質問はないんですか?」
「どんな? 」
「今の話、信じたんですか?」
マサミ、不思議そうな顔をする。
「……あなたがそう言ったのよ。信じたらいけなかったの?」
「い、いえ 」
「じゃ、仕事があるから」
マサミが仕事部屋に入ろうとすると男のお腹が鳴る。
「お腹がすいたの?」
「はい。体の回復にずいぶん力を使ってしまいましたから」
マサミが何も言わないので男が続ける。
「これ、ちょうど今朝、自殺してたんで貰ってきたんです。死にたてだったのでうまく蘇生はしたんですが、思ったより出血がひどくてあやうく力を使い果たすところでした」
男、マサミに傷のある手首を見せる。
「まだちょっと傷が残ってますがいい身体ですよ」
「よかったね」
「……よかった?」
マサミ、首を傾げる。
「嬉しそうだからそう言ったんだけど」
「はあ……」
「ラーメンならそこに入ってるよ。夕ごはんまで待ってもらってもいいけど遅くなるかも」
「いえ、夕食なら俺が作りますよ」
「あなたが? 」
「料理は得意なんです。お任せください」
「それじゃお願いするわ」
マサミ、それだけ言うと仕事部屋に入ってドアを閉める。 男、途方にくれたように辺りを見回す。
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しばらくして男が仕事部屋のドアをノックする。 ドアが開きマサミが顔を出す。
「どうしたの?」
「それはどうやって使うんですか?」
「コンロのこと?」
「どこから火が出るんです?」
「ああ、それ、電気だから」
「電気?」
マサミ、つまみをひねって渦巻き型のエレメントを指差す。
「ほら、ここが熱くなるの」
「こっちの箱はなんですか?」
「電子レンジ」
男、不思議そうに電子レンジを眺める。マサミ、テーブルの上にあった冷えたコーヒーのカップをレンジの中に入れるとダイヤルを回す。 男、電子レンジの中を覗き込む。
「うわ、回ってますね」
マサミ、しばらくしてカップを取り出すと男に渡す。
「熱くなってる」
「わかった?」
「はい。便利なものですね。それと……」
「何?」
「味噌汁のだしに使えるものはないですか?」
「そこのびんにはいってるけど」
「これですか? でも、粉ですよ?」
男、びんの蓋を開けて匂いをかぐと顔をしかめる。
「ダメ?」
「何の粉なんですか?」
「グルタミン酸かな」
「ぐ、ぐるたみ……? ……削り節かイリコはありませんか?」
「カツオ節でよければそこにあるよ」
男、小さなパックに入ったカツオ節を手にとって眺める。
「こんな袋に小分けにしてあるんですね」
「それしかないの」
男、苦労して袋の口を切るとまた匂いをかぐ。
「これならいけそうです」
「うん」
マサミ、仕事部屋に戻ろうとする。
「すみません、何度も引き止めて。気を悪くしないでください」
マサミ、振り返って不思議そうに男を見る。
「用があるから引き止めるんでしょ? どうして私が気を悪くするの?」
マサミ、仕事部屋に入るとドアを閉める。男、呆れた顔でドアを見つめる。
「なん……なんだ?」
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一時間後、男が仕事部屋のドアをノックする。
「夕食が出来ました。もう召し上がりますか?」
「うん」
マサミ、出てくるとテーブルの上に並んでいる味噌汁とご飯と炒め物を見る。
「あまり材料がなかったのであるもの全部炒めてみました。こちらがマサミさんのです」
「ありがとう」
マサミ、座ると男の顔を見る。
「なんですか?」
「食べていいの?」
「どうぞ」
「いただきます」
マサミ、味噌汁を一口飲む。
「おいしい」
「そうですか。よかった」
マサミ、それきり何も言わずに黙々と食べる。
「あの……」
「何?」
「質問はないんですか?」
「質問?」
「俺がなんなのかとか、どうしてここにいるのか、とか」
「聞いたほうがいいの?」
「普通は気になるもんでしょ?」
マサミが困ったような顔をしたので男が慌てて続ける。
「ええと、俺は以前は、文枝さんという方にお仕えしてたんです。マサミさんによく似ている方でした。ご親戚ですよね?」
「私のおばあちゃんよ。私が生まれる前に死んじゃったけど」
「やっぱりそうでしたか。俺は文枝さんが亡くなった時からずっとあの指輪に封じ込められてたんです。指輪から解放してくれた方にお仕えする決まりになってまして……その方が亡くなるまでの間ですが」
「亡くなる?」
「その後はまたあそこに戻らなくてはなりません」
「ふうん」
「ふうん?」
マサミ、顔を上げる。
「じゃ、私が死ぬまであなたはここにいるんだ」
「そ、そういうことになりますね」
マサミ、立ち上がる。
「お茶碗、私が洗うから置いといてね。ごちそうさま」
マサミ、仕事部屋に戻るとドアを閉める。 男、途方に暮れた顔で仕事部屋のドアを眺める。