婚約成立
「勇者ディートよ。よくぞ魔障の大穴を塞ぎ、エルヴィレトを持ち帰ってくれた」
腰まで真っ直ぐに伸びた白銀の髪。
髪と同化しそうな艶やかな白く長いローブ。
それらが耐えきれないとでもいうように小刻みに揺れるさまは、まるで怯えたユキウサギのようだ。
薄紫色の大きな瞳は今は伏せられ、瞳に張った涙の膜が切なげに震えている。
勇者ディートことディート・モンフィスは今しがたモンフィス伯爵位を褒賞として国王より賜ったばかりだ。
彼は仄暗い紅蓮の瞳をチラリとこちらに向け、それから苛立ちを隠そうともせずに国王を見据えた。
「はい」
「よって褒賞として、我が娘ジリアン・ローザ・ファゴット・フェデラウを婚約者とする。これからも貴殿の勇敢なる精神と剣で我が娘とフェデラウを更なる光へ導いて欲しい」
国王は全くの無表情であったが、ディートも負けず劣らずの無表情であった。
無味乾燥とした顔でうんともすんとも言わず、ただ、紅蓮の瞳で国王を見据えていた。
彼がもし、国の窮地を救った勇者で無ければ不敬罪で即座に首が飛ぶところだろうが、残念なことにこの国にはもう彼の首を跳ね飛ばせる腕の持ち主は居ないだろう。
とてつもなく冷たく重苦しい空気に包まれた聖堂は、聖女の鼻をすする音で更に悪化した。
なんたる茶番か。
この空気を誰がどうするべきなのか。そもそもこんな事になんの意味があるというのか。
多分この場にいる殆どの人間はそう思っていたに違いない。
「モンフィス卿」
私は無表情の父の顔を見つめたまま、小さく呟いた。
彼がそんなもの望んでいないことくらい理解している。
返事をしたくないことも頷きたくすらないことも知っている。
けれど、この茶番を終わらせるには、彼の一言が必要だった。
「モンフィス卿」
もう一度、少しだけ声を大きくして、今度はチラリと隣を窺った。
だけど、見なければよかった。まさか、彼もこちらを見ているとは思わなかったから。
燃えるような赤毛の彼は、烈火のように鋭い怒りを灯した瞳で私を見てから、眉を釣り上げすぐさま目を逸らすと噛み締めるように低く呻いた。
「……ロエリーア神の御心のままに」
神殿の神官2人に恭しく支えられた聖女はその言葉についにしくしくと泣き出した。
私は今日勇者ディートの婚約者になった。
誰にも望まれない、なんの意味があるのか分からない、しかし、聖女がロエリーア神の神託を賜ったというだけの理由で。
勇者ディートは聖女と旅が終わったら結婚すると、そう公言していたにも関わらず。
私は誰にも望まれない婚約者になった。