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96.

 それから暫く、わたし達は部屋の中で待たされました。アングレカさんとお屋敷のことや普段のお仕事のことのような取り留めのない程度のお話をしていました。しかし座ってばかりではお尻がつらくなって、アルカさんが立ち歩き始めたのを見てわたしもそれにくっついて部屋の中を歩き回ることにしました。といっても十歩で端から端まで軽々横断できるような部屋の中ですることなど多くはありません。今は火も入らず大人しい暖炉の中を観察し、行儀よく並んだ肖像画の一枚一枚に睨みを効かせて、そうすると、何処から見つけたのかアルカさんは数冊の本を重ね持っています。

「お宝の山だね、ここ!これもこっちも、めちゃくちゃ貴重な魔導書でさ!」

 それは良いのですが、拝借してよいか許可は取ったのですか?

「もちろん!丁寧に扱う分には読んでもらっても構わないってさ」

 それって……アングレカさんから、ですよね?この場合許可を取るのはオスカーさんであるべきな気がしますが……。

「旦那様が魔術の弟子を得た際にとコツコツと用意していた書物だそうです。外部との交流は殆ど行っておりませんでしたが、もしも、ということもあるだろうと、そう仰っておりました。お役に立てていただけるならば旦那様もお喜びになることでしょう」

 独りでこのお屋敷でゆっくりと年を重ねていくだけ、というのも心内では物悲しく感じていたのでしょう。老成すると、自分の功績を後世に受け継ぎたいと自然と考えるものなのかもしれません。

「魔術に関しては私も簡単な手解きは頂きましたが……至らぬ事に才覚には恵まれておらず、旦那様のご期待には沿えませんでした」

 アングレカさんは戦闘時に魔法の薬瓶を使っていましたが、アルカさんやわたしのように呪文を唱えて魔法を使うような基本的な魔法使いとしての戦い方はしていませんでした。思えばあれは、オスカーさんから護身用に渡されたものだったのでしょう。

 ローテーブルに戦利品を広げ、アルカさんは最初の一冊目に手を出します。

「どれどれぇ……?」

 ここでハーツさんも座りっぱなしに耐えかねて、気分転換に横から顔をのぞかせます。が、すぐに顰め面になって、

「あたしには一生無理ね」

 手をヒラヒラさせて降参を意味しました。

「試しにでも、アルカに少し教えてもらったらどうだ?」

「無理よ、あたし頭使うのとかホントムリだったし」







 開閉音。

「お帰りなさいませ、旦那様」

 扉を開いたのは、今この場で最も知と造詣に富んだ魔術師です。

「……すまんのう、少し遅くなってしもうたかもしれん」

 再び周期的に杖をつく音が続き、わたしやアルカさんは悪戯が見つかったかのように机に目一杯広げていた本を整理し、自分の位置に再び座ります。オスカー師はそれらを意に介することはなく、どっかりと椅子に腰を落ち着けるとこれまでになく神妙な顔付きで杖の頭を撫でていました。突き刺さるように感じるかと思えば、視線がわたしをざくりと貫いていたからでしょう。

「……まず、断っておくことがある」

 老人は髭を震わせて言いました。

「本当に些細な事かも知れぬ。熱のように冷めて、気にも留めなくなる事かも知れぬ。しかし、時にそうでないこともある」

 何か、わたしが責められているかのようでした。

「引き返すならば今ここで良い。君が会うた者は確かにこの場所を指し示したかもしれぬが、ここは君の生の終着点ではない」

 胸が狭まるのを感じて、息を吸いました。

「月並みな言葉じゃが……正しく覚悟はできておるのじゃな?」

 その言葉には、最初からわたしは肯定するつもりでした。けれど老人はそこで首を横に振ってほしいかのようで、まるでわたしが肯んずることが禁忌を冒すとでも。けれど、たとえ脅し付けられたとしても、わたしを起点に始まったこの旅の、その意味を求めることには、正当性があります。ここがわたしの終着点でないとしても、ここでこの館の外に出たとして、次の目的地がもう無いのです。覚悟だって、その言葉を聞くまでどんな覚悟が必要なのかも分かりません。なら、今用意できているこの心意気で臨む他ありません。

「……やはりか……」

 老人は少し残念そうにした後、杖の頭を頼りに背を正し。

 そして、息を吸いました。

「魔法とは、万能の力ではない。一を十にすることを悠々できたとしても、無から有を生み出すことには強大な力を要する。アムシースという都市でさえ、その掟を完全に超克することはできなんだ。しかし、絶えず繰り返される儀式や魔術行為の中で物的消耗は避けられず、強力な魔法にはそれ相応に強大な贄を要することとなる。嘗て……旧き時代には、その贄として生ある人間を拉致して利用したこともあったらしいが、手段方法の洗練、叡智の開拓の結果としてアムシースは、蓄積という手段を手にすることに成功した。……いわば、水瓶のようなものじゃ。魔術的行為に必要な資源・要素を水のように、時に引き出し、時に溜め込む。そのための――」

「ねぇ」

 ハーツさんが顔を頬杖をついて言葉を遮ります。

「別に、魔法の勉強をしに来たんじゃないんだけど?この子のルーツに関することを……」

「まあ、もう少し聞いていきなさい。一見大切に思えないものでも、話を綜合するために必要なことであったりするんじゃよ」

 諭す。確かに大きな回り道を感じざるを得ませんが、何かの意図を以って話していることは確かだと感じられました。あるいは、余程に話しづらいからと婉曲しているだけなのか。もしくはその両方かもしれません。

「死の近い魔術師の肢体や損壊の激しくなった魔術道具の一部をそれらへと還元し、再利用し、新たな魔術的行為に転用する……アムシースの大きな魔法文明の根底にはそんな、物質的な革命が存在した。わしも知らぬ事実じゃった。思えばあのような都市が他の文明から孤立したまま、交易のみで資源的な問題を解決できていたはずがない。而してアムシースでは魔術的資源の貯蓄に関する研究も一定水準まで進められておった。その過程、貯蓄するための媒体は単純な円筒形から始まり、植物、鳥類、終には少女の姿形を模すことでより効率化していった」

「……待って、それって……」

「理解したじゃろう」



「君じゃよ、マリー君」



 自分がどんな人なのか、答えはとても簡単です。

 わたしは人ですらありませんでした。

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